火の粉がふりかかるセミリタイア志願者




回り回ってですが、他部署の尻拭いというか、他部署へのクレーム対応の矢面に立たなければならなくなりました。

まあ、これまでずっと、2部署の間に入ってコミニケーションの取り次ぎ役をしていましたので仕方がないと言えば仕方ありません。

恐らくですが、そのクレームを受けている部署が直接攻撃されるよりかはマシな気もしますし、そういうのを想定してかどうかは分かりませんが、あえてその部署はコミニケーション窓口から外れていたような気もします。

まあ、個人的にはなんで意思決定権のない私が責められなくてはならないのか、納得いかないというか、嫌な気しかしないですけど、全体を見れば私が責められている方がいいような気もします。

まだペーペーですし、私を責めたところで、たかがしれていると言えばしれてます。


ただし、


ただ、私は一時的にでも信頼をなくすのですよね。

それがイマイチな気はしています。

仕事熱心な人がいれば、細かいところまで気を使って管理しようとしなかった私の責任もあると言うでしょう。

そう言われたら、最善中の最善は尽くしていないので、反省するところはある気もします。

それでもかなりいろいろと動いてきたつもりです。

ただ、そろそろ解決が見えてきたかなってところで、前提条件と今の状況が変わっていることを知らされたのはどうしようもない気もしますが、そんなことはクレームをつけてきた部署は、知らないですし、私も言えません。

逆に、クレームを受けている部署は今、私が責められていることを知らないでしょうし、あえて言おうとも思いません。

出てきて説明してくれたらなと思いますが、言ってもまあしないだろうと諦めています。

だから、間に入ってしまった自分を呪えど、あなたたちのせいで大変ですよ、と直接に愚痴を言う気はないですし、今は自分ができることをやるしかありません。


理解している人はいるからまだいい


幸いにも部門長的な人は状況をわかってくれていますし、お前も大変だな、ってな感じなのは救いです。

そうです、大変です。

それでも、人知れず日記がわりに続けているこのブログには吐き出ささずにはいられません。

ほんと、面倒くさい。

ま、命に関わることじゃないからいいですけどね。


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ニューヨークのマスク事情




日本ではマスク着用は義務ではなくなりましたし、もしかしたら今までもそうではなかったのではないかと思います。

他人への配慮と同調圧力の両方があって、マスク着用をしていたのではないでしょうか。

同調圧力というと、特にマイナス面に目を向けられがちですが、場面場面によっては必ずしも悪いことだけではないと思います。


日本のマスク事情


さて、マスク着用は義務ではなくなった日本でも、まだまだ公共交通機関ではマスクをしている人が大多数です。

花粉の季節なので、例年、マスクをしている人が多い季節だとも思います。

くしゃみや鼻水がでるので、紛らわしくてバツの悪い思いをされている方も多いのではないでしょうか。

私の勤める会社では、会議室での会議の場合はマスクをしなくても良いかどうか、参加者に確認するというようなルールが作られましたので、義務ではないが配慮はしましょう、という雰囲気があります。


ニューヨークのマスク事情


翻って、ニューヨークですが、まあ全くマスクなんてしていません。

予想通りですが、この雰囲気になれてしまうと日本に帰った時のマスクギャップにさらされそうです。

ついつい、するのを忘れるってやつですね。

現地の人に聞くと、ほとんどの人がワクチンを打ったのだから、なぜマスクをする必要があるんだ、という思いがあるのは間違いないですが、一方で、日本人はいい意味で衛生的だよね、という意見も聞きます。

ただ、少なくともニューヨークでは、もうコロナは終わったものなのでしょうし、終わったのだからマスクもいらない、という考えなのでしょう。

考えの違いが明確で、大変興味深い経験でした。

でもやっぱり、あまりオフィスには来ていないみたいです。



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コミュニケーションを頑張るセミリタイア志願者


ニューヨークに出張中でして、昼間は仕事、夜は会食というような感じで過ごしています。

昼間は結構きつきつにMTGが入っており、あまり余裕はなく、夜は夜で英語での会話がメインの会食です。

仕事の話ならまだ話題の見当がつきますので、ついていくのも比較的簡単ですが、いわゆる会話の英語についていくのは結構辛いことがあります。

容赦なく早口で喋られますから、そもそも難しいのに、内容もコロコロ変わっていきますからね。

自分が喋るのが可能なスピードよりも早いスピードの会話は聞き取れない、ということを数年前に耳にしましたが、まさにその通りですね。

日本語なら聞き取れるのでしょうか?


コミュニケーション


そもそも私は積極的に話すタイプではないですし、それは言葉がどうであろうが関係ないです。

つまり、日本語の会話もそんなに積極的に参加しないから、英語の会話になるとより参加が難しくなる、というのは自然なことだと思います。

日本人が数名参加していたのですが、別に皆が皆、英語ができるわけではありませんでした。

そうなると、会食の場でも、どうしても日本人だけで固まって、日本語で話をするなんてことがおきます。

周りがどう思っているかはわかりませんが、個人的にはあまりよろしくないことだと思います。

どうしても閉鎖的に思われてしまう気がするのです。

日本語の会話には周りの海外の人は参加できませんから。

日本人同士が英語で会話する分には構わないと思うのですが、日本語でやるのはどうかなあといつも感じます。

まあ、全く英語ができない人にとっては、英語での会食がとてつもなく辛いものだと思いますから、その気持ちも分かるのは分かりますが。


せめてもの心がけ


会食の場では私はなるべく、日本人とは離れて座るようにしています。

そして、なるべく場には最後まで残って、会話の内容は分からなくても、にこにこしながら参加している風を装う、そして、稀に聞き取れる内容について質問して、一応会話には参加する意思があるよと示す。

まさに以前のブログにも書いた内容ですが、実践しています。

先日のブログ

一緒の時間を過ごせばより仲良くなれるのではないか、というのが持論ですので、そうしています。

やはり苦痛はありますけどね。

仲良くならないよりかはなった方がいいと思っていますし、それで仕事が円滑に進むなら、その方がいいなと思う次第です。

そして、意外と大事なことではないかと思っています。

お、お前は残るのか、って嬉しそうに言われることもありますので。

快適ではないですけど、判断に満足はしています。


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【騙されない】ニューヨークのタクシー事情


個人の経験も踏まえた備忘です。

どうぞご無事な旅を。

  1. NYJFK空港の出口には、あたかも正規のタクシー業者を装って、白タクに誘導しようとする業者がいます。声をかけて客引きしてくる人がいたら、それは白タク業者です。
  2. 白タク業者は相場の数倍の値段を要求してきます。
  3. イエローキャブが正規のタクシーで、彼らは客引きはしてきません。イエローキャブのなのとおり、黄色い車です。
  4. イエローキャブの乗り場は、空港出口過ぎにありますので、そこに来るタクシーに乗りましょう。繰り返しですが、客引きしてくるのは白タクです。普通の乗用車のタクシーは白タクです。
  5. Uberを手配できるのかどうかは知りませんが、JFK空港では決して白タクには乗らず、Uberかイエローキャブを利用するようにしましょう
  6. 万が一、白タクに乗ってしまった場合は、自分の身の安全を確保するようにしましょう。



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【危険】ニューヨークとタクシー

 




会議に参加するために、出張でNYに行きました。


私の他にも日本人が数名参加していましたが、アメリカ人、イタリア人、スペイン人、イギリス人、韓国人も参加する会議でした。


コロナ禍だと、オンラインで会議していたかもしれませんが、出張で対面で会えるようになったのはいいことです。


私は会議の1日前に現地に入らなくてはならず、日本から1人移動を先にしました。


NYは初めての訪問で、基本的になにもわかっていなかったのですが、どうも白タクがいるらしいということは知っていました。



ニューヨークのタクシー事情



しかし、白タクに乗ってしまいました。


空港を出てすぐのところにいるもので、さっそく捕まってしまいました。


正規のタクシー乗り場のすぐ横で客引きをしているので、最初は普通のイエローキャブなのかと思っていました。


ただ、基本的に信頼していなかったので、客引きにはついていきたくなかったのですが、彼らの言い分はこうです。



誘い文句



どこに行きたいんだ?そうか、お前の行きたいエリアへの乗り場はこっちだ、あっちの乗り場は違うエリアに行きたい奴ようだ。


冷静に考えると、そんな区分けがタクシーでされているはずはありませんが、その言葉を信用してしまい、乗ってしまいました。


乗った直後、運転手のライセンス表示やメーターを回すそぶりが無く、そこで、あれ、これは白タクか?と気づいたわけです。


タクシー乗り場にはたくさん人がいましたが、誰1人として、それに乗るなとは言ってくれません。


自己責任ってやつですね。


そこから、運転手との会話、交渉を始めました。




交渉



何回か来ているけどに、この辺は変わらないねえ、から会話を始め、あのエリアまで行くのに、だいたいいくらくらいだよね?と、急ぎGoogleで調べた相場金額を伝えます。


最初、ドライバーは、いやいや価格は上がっているんだよ、と相場の4倍くらいをふっかけてきました。


そこで、それは高すぎるだろう、3ヶ月前に来た友人に聞いたけど、相場くらいの金額だったと聞いたぞ?と言いました。


はっきりいって、慣れている人はそもそも白タクには乗りませんので、乗った時点で私はカモと思われていますが、気にせず、ブラフをかますしかありません。


それでもドライバーは、価格は変わったんだと言います。


いやいや、高すぎるとまた私は言いましたが、ここで一つの不安が私の心によぎりました。


アメリカは銃社会です。


万が一の場合、人気のないところに連れて行かれて、、という可能性がある状況に私はいるのです。


強気すぎる交渉もしない方がいいなと、ふと感じたのです。


そこで、まず私は、NYの知人にタクシーに乗っていると連絡するとドライバーに伝え、またしてもこそっとGoogleを駆使しながら、窓から外を見て、ああ、ここはどこらへんだね、とか独り言っぽくいいながら、携帯をいじりました。


そして、電話をするふりをしながら、日本語でいろいろ喋りながら、地名やエアポートとか、ドライバーの想像を掻き立てることを言いました。


私以外の誰かが、何時ごろにどこらへんで車に乗っていることを知っているぞ、とドライバーに分からせる行動でした。


なにか私にあれば、警察にカメラなどで追跡されるぞ、というようなことを暗にドライバーに伝えるためです。


電話を終えて、改めてドライバーに、目的地まで幾らかを尋ねました。


すると、相場の1.5倍くらいの値段を言われました。


ある程度は勉強料だと思っていた私は、その金額でわかった、とドライバーに伝えました。


それからは目的地まで連れてきてもらい、カードで払おうとしましたが、なぜかカードが反応せず、現金で支払いをさせられることになりました。


しかし、私も現金の持ち合わせは少なく、ドライバーの言う金額に10ドル足りず、それでいいかと尋ねたら、いいよと言うので、その金額を払いました。


結局は無事に目的地に着けましたが、内心はヒヤヒヤしながらの白タク移動になりました。




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オンライン環境の浸透と人間関係




コロナ禍になり、オンライン会議が容易にできるようになりました。

 

ビデオ会議システムは以前からもありましたが、機器を使用しなければいけないために、使用できる部屋が決まっているとか、あまり使用者が詳しくないために設定サポートが必要とか、今のデスクトップ上のアプリから簡単にアクセス、というよりは難易度が高かったと記憶しています。

 

そうやってどこからでも働けるようになったというのはいいことだと思いますが、やはりなんだかんだで実際に顔を合わせた方が人間関係は確実に深まる、と私は思います。



古い価値化かもしれないが

 

なんとなく、人となりを知れるのは対面ならではないかと思いますし、ちょっとした相談や世間話をする機会が増えやすいのは対面だと思います。

 

もしかしたら、デジタルに慣れている世代ではネットの中で人間関係を築いていくのが普通で簡単なこととなっているかもしれませんし、それは私にも分かりません。

 

私が古い人間なのかも知れませんが、それでもネットだけでは人間関係を深めていくのは難しいと感じます。

 

ただ、その対面機会があったとしても、そこでどういう態度を取るかが全てということも間違いありません。



ある事例



例えば、10年くらい前にある日本人のブログで読んだのですが、その人は海外にいた際、定期的に開かれる飲み会には必ず参加していたそうです。

 

その人は英語での世間話には語学力の低さからついていけなかったそうなのですが、必ず会には参加して、楽しそうに振る舞うことで、自分はみんなと仲良くしたいんだということを示そうとしていたらしいです。

 

これは極端な例かもしれませんが、そういうやり方も一つあるのかもしれないと当時から頭に残っています。

 

態度で示そうよ、ってやつですね。

 

ただ、これは実は重要だと思います。

 

結局のところ、自分と仲良くしたいと思ってくれる人の方が、そう思っていない人よりかは近づきやすいですし、自分も仲良くしたいと思うのは自然ですよね。

 

また、気をつけないければならないのは、損得勘定のある仲良くしたいという気持ちは結構見抜かれます。

 

あ、この人は今自分に営業をかけてきているぞと思ったら、それだけでこちら側は一歩引くことがあると思いますので、自分が逆の立場に立ったら相手がそう思うということです。


 

コミュニケーションは難しい



ネット環境だと、そもそもボディランゲージなどがやりにくい、身体的距離感は使えない、など、ただでさえ自分の思惑が伝えづらいというのがありますので、自分が仲良くしたいという思いもなかなか伝わりづらいでしょうし、そのために変な誤解も生みやすいということもあるのかなと思います。

 

メールでやり取りをするのと、会話でやり取りするので、どちらがより誤解を生みやすいか、を考えるとわかりやすいと思います。

 

だからこそ、対面でない場合のコミュニケーションはより注意を払って行なう必要がありますが、対面でのコミュニケーション機会が減っているのだとすれば、その対面でのコミュニケーション機会をより大切にすることで、人間関係をうまく構築しないといけないなと思っています。

 

 

 


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日本企業は早期リタイアには不向きなのか




 

私の場合は、早いところストレスを感じる今の職場からは早いところ離れて、よりストレスの少ない、ゆったりとした場所で働きたいと考えています。
 
職場では別にそんなことは言わないのですけれども、周りと話しているとなんとなく、多かれ少なかれ、同じようなことを思っている人はいるのだろうなと感じます。
 
バリバリ働いて、出世を目指していて、もっと稼ぎたいという人たちは確かにいます。


 

日本企業の限界


まあ、正直言うと、そういう人は能力に自信があるなら他社とか外資系に行けばいいのに、と思いますけれども。
 
私が務めている会社では結局は出世してもそこまで年収が跳ね上がるわけではないですから、もしももっと稼ぎたいのであれば、そういう給料をくれる会社に転職したほうがいいのは間違いないのです。
 
仕事が忙しくて厳しい会社の給料が高いかどうかは分かりませんが、給料が高い会社の場合は間違いなく仕事は忙しくて厳しいですから、給料と仕事のバランスというか、そういう点で見ると最善の選択ではないかもしれませんが、そういう年収の高い会社に転職できる自信があるのであれば、年収は間違いなく上がります。
 
ただし、新しい職場に行って、人間関係を新たに構築して、その上で成果を出すというのはかなりのチャレンジですから、決して簡単なものではないのはわかりますけれども、ある種、そこまで自信がないというのが正直なところなのでしょう。
 
あえてリスクを取りに行く必要はないですし、正しい選択かどうかは分かりませんが、リスクの少ない選択をしたい気持ちはよく分かります。


みんな考えてはいる早期リタイア

 
それはさておき、中にはやはり私と同じように、できれば早めにリタイアしたいということを、本気か冗談かは分かりませんが、いう人もいます。
 
ただそういう人の場合でも、子どもがいて、中学生や高校生なので教育費もかかるので、それが終わるまでは働き続けなければならないなというような感じで、だから今すぐはリタイアはできないんだよね、という論理展開になります。
 
もちろん、いくら消費しているかや、資産がどうなっているのかは分かりませんが、少なくともこれまでの蓄積年収は私よりかは数割も高いはずですので、よほど散財をしていなければ、それなりに資産があるはずだと思います。
 
10年多く働いていただけでも、役職がついていれば、かなりの割合が多いと思いますよ。
 
もしもそれでもリタイアまでの道筋が見えないのであれば、そんなに稼げていないのかな?とも思います。
 
安定を求めるのであれば、仕事についていた方がいいのは間違いないですし、よほどの散財をしないのであれば、今の会社に居続けたほうが資産を増やす方向になるのではないかと思いますし、なんだかんだそれを選択しているのならいいのですが。
 
しかしながら、早く資産形成してリタイアして後は悠々自適という生活を送るには、日本企業は夢がないなあ、と思うのでありました。

 


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AIの発達とセミリタイア






 

 AIが進化すると、人がやっている仕事がAIにとって代わられるという論調も必ず出てきます。

 

10数年前にも、弁護士や会計士の仕事ですら将来はなくなるのではないか、と言われておりました。

 

幸いなことに、今のところはなくなっておりませんが。

 

現時点で、10数年前に比べて、AIはさらに進化しています。

 

機械音痴の私ですら、翻訳ソフトなんかが格段にレベルアップしているのは気づきます。

 

また、自動運転機能なんかも確実に進化はしてきていますよね。


AIに仕事を奪われるのか

 

この状況が進むと、やはり人がやっている仕事がAIにとって代わられるというのは将来に起こるのかもしれません。

 

セミリタイアをできる機会がより多くなるということかもしれませんが、人によっては脅威に感じる場合もあるでしょう。

 

ならば人はよりクリエイティブな、創造性のある仕事をすればいいという意見はありますが、そんなことができる人間そのものが限られているのですから、そんな簡単に実現できることではありません。

 

個人的な希望も含めてですが、それでも手に職を持っている人がやっている仕事はなかなかAIにもとってかわられないとは思います。

 

例えば、思いつくのは、理髪師とか料理人とかですかね。

 

AIがどんなに素晴らしくて、人間に比べて完全に近しいものであったとしても、人のぬくもりが感じたいんだよな、という人間の感情を上回ってまで、AIが浸透するということはないのではないかと思うわけです。

 

また、職人技というのはある種の勘のようなものが重要になる部分でもあって、それを全てつまびらかにして、数値化してAIに学ばせることができるかどうか、というのもなかなか謎です。

 

もしかしたら、経験を繰り返すことでAIでもできるようになるのかもしれませんが、人間も完ぺきではないので、どうやって学ばせるのかというのは簡単ではないのではないかと思います。

 

ただし、最終的には人が行なうのだけれども、AIがサポートを行なう、ということは、理髪師や料理人についてもあり得るかもしれません。


AIは正しいのか

 

さてしかしながら、AIが行なう判断が本当に正しいのかどうか、これを誰がどう判断するのだろうか、という点は残ります。

 

エクセルが導き出す計算結果に異を唱える人はいないと思いますが、それが計算ではなく、論理的、あるいは感情的な判断であった場合に、AIだから正しいということを人間は受け入れられるのでしょうか?

 

AIが判断したことだから、その判断を選択した人間には責任は一切なくなるのでしょうか?

 

手塚治虫先生の火の鳥でなんかそんな話があったなあ、とぼんやり思い出しますが、しかしながら近い将来、AIがさらに進化して、生活により浸透してくるのは間違いないでしょう。

 

そこでセミリタイアをしたいんだけれども、と問いかけをしたらなんと答えてくれるのでしょうかね。

 

必死に勉強して、いい大学に入り、給与の言い大企業に就職することがまず近道です、とか回答してくれたら、個人的にすごく面白いな、なんて思いますけれどもね。

 

 



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ポジティブについて考えるセミリタイア志願者





仕事をしていると、よく、ポジティブに考えるように、と言われます。

 

仕事に限って言えば、なぜできないかを考えるのではなく、どうやったらできるかを考えろ、というようにも言われます。

 

前者は後ろ向きな思考で、後者は前向きな考え方だと言えるかもしれませんね。

 

どうやったらできるかを考えて、それでもできないのだったら仕方ないから、まずは考えろという感じです。


実際問題


 実際問題、物理的に考えてその実現は無理ですよ、あるいはそこまでして実現する必要はありますか?という案件はたくさんあります。

 

その実現の指示を出す人が詳細までは良く分かっていない指示を出す場合もあるのですから、それは当然と言えば当然です。

 

ただし、それがなぜできないのかということをただ伝えるだけでは、それをできるようにするのがお前の仕事だ、と良く分からない叱咤激励を受けるだけで終わってしまうことがあります。

 

この点は考えたのか、こういうことはできないのか、という質問が来てうまく答えられないと、それ見たことかとばかりに攻勢を許してしまいます。

 

ですので、確かに、説明をする場合でも、こういうことを実現しろと今言われていますよね、という確認をした上で、ここのポイントを妥協すればここまでは実現できます、まったく妥協しないのならこのポイントの実現は絶対に無理です、ということを論理的に説明しながら、あなたの目標はここにあるわけですからこの目標達成のためにはここは指示を変えてもらった方がいいと思いますが、という説得の仕方をすれば、話の分かる人であれば、もう少し深く考えてくれるようになると思います。

 

当然ながら、そういう説明をしても、やはり、それを全部でできるようにするのがお前の仕事だ、と言ってくる人もいますが、その場合はもうどうしようもありません。


言うは易し

 

とは言っても、ポジティブに考えるように、というのは言うは易し、行なうは難しで、実際に物事に取り組んでいる人はどうしても近視眼的なものの見方になります。

 

そういう時に、第三者的に意見を言ってくれる人、かつ経験がある人にアドバイスを求めるというのは効果がある気がします。

 

ああ、そうやったらできるかもしれないんだな、ということに気づくことがありますので。

 

私自身、別にポジティブシンキングができる人間ではないのですが、確かに、仕事でストレスを抱えてしまうよりかは気持ちは楽になるかもしれないなと思うことがあります。

 

ストレスを抱えれば抱えるほど、後ろ向きな考え方になりやすくなりますし、それによってさらにストレスを抱えてしまう、という負のスパイラルに陥ることは自身の経験からも可能性が高いなと思います。

 

それならば、いっそのこと、どうやったらできるのかを考えた方が、答えが出るかどうかは分かりませんが、負のストレスを抱え続けるよりかはいいかもしれないなと思います。


生き方


 というか、仕事でストレスを抱えてしまう私のような人がセミリタイアしたいなと言って求めているのは、恐らく、自分自身に選択権のある生き方で、それは恐らく前向きな考え方をしたいという思いがあるのでしょう。

 

仕事をしているとどうしても後ろ向きな考えになってしまうので、なぜそんなすり減り方をしなければならないんだという思いを持ちますので。

 

そう考えると、ポジティブに考えるというのは、仕事だけの話ではなくて、生き方そのものに当てはまることなのでしょうね



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もめごとを考えるセミリタイア志願者



 
 私の性格的には、できればみんなで仲良くやりたい、もめごとは起こしたくない、人に言われた面倒くさいことはしたくない、自分がやりたいことは面倒くさいことでも自分でやるし人に任せることもしない、ある部分についてはこだわりが強すぎる、ということを傾向にあります。

 
正直、他の人の業務の進め方に怒りを覚えることもあるのですよね。


怒りを覚える場合

 
特に怒りを覚えるのは、その業務がいろいろな人を巻き込んで進めていくことが必要な業務である場合に、ある特定の人や部署の理屈で進めようとしていることを感じ取った場合です。

 
それをしてしまうと、結局のところは他の人や部署に対して、自分たちが尊重されていないという思いを抱かせることがあります。
 
そう思われてしまうと、しこりが残るというか、中長期的な不満の種をまいてしまうというか、チームとして長期的にはうまくいかない、ということの遠因になってしまいます。
 
もちろん、その進め方をしようとしている人や部署のやり方や意見が最終的には正しいこともあるでしょうし、最善解であるのかもしれません。
 

しかし例えそうだとしても、なぜそれが最善解であるのか、あるいはその可能性があるのか、ということをしっかりと説明しないと、先ほど言ったように中長期的な不満の種をまいてしまうと思うのです。

 
説明をして、100%納得してもらえるかどうかというのはまた別問題かもしれませんが、あなたが言っていることが正しいかどうかはわからないけれども、正しい可能性はありますね、ということをどこまで理解してもらえるか、もちろん、それが正解ではないかもしれませんが、チームとしては正解だと思えた、という状況があることが大切だと思います。
 
もし正解だと思えたのに、正解ではなかった場合、なぜ正解ではなかったのかを考えることも皆が前向きになれると思います。
 
なんか勝手にある人や部署が進めた、となった場合、そもそもうまくいくと思っていなかったんだというように思われてしまいますので、なぜうまくいかなかったのかの理由が、あの人やあの部署のせいだ、という風にしかならないんですよね。
 
そうなると全く失敗からのリカバリーというのが機能しないと思うのです。


やり方は悪いかも

 
ただ、そういう進め方をしようとする人に対して、怒りをもって接して文句を言うということを私がするのかと言われると、しません。

 
出来ればみんな仲良くしたいという思いがここでも出てきて、どううまく言えば議論やけんかを避けつつ、相手に納得してもらえるか、最終的には遠回しなやり方でも色々な人の同意を得るための進め方にできるようになんとか持っていく、というようなやり方をします。
 
で、これをすると、もちろん場合によっては結果としてはそういう方法論に持っていくことはできますが、なぜ私がそういうことをしようとしているのかの真意は伝わりません。
 
となると、結局、水漏れした部分をふさごうとしているだけで、言われている当事者は本当の理由は理解しないまま、今後も同じようなことを繰り返す可能性は残るわけです。
 
それがいいのか悪いのかと言われれば、多分悪いのだと思いますが、サラリーマンとしては何とか今うまくいけばいいという思いでやっておりますので、許してほしいですね。

 
  

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セミリタイアと節約

 




 

 

私はセミリタイアを実現するために、コツコツと資産形成をしているわけです。

 

もちろん、無理のない範囲で、つまり過度な節約はせずに、時にはおいしいものを食べ、時には旅行に行き、お金を使いながら、一方では無駄な出費はなるべくせずに貯蓄を貯めていくというような感じです。

 

実際に、さすがに50%増とかは無理ですけれども、もっと貯蓄のペースを上げようと思えば、家族の了承さえ得られればできるのではないかと思います。



それでいいのかどうか

 


ただ、そういう時に一方で思うのは、果たしてその人生でいいのか、ということです。

 

仮にセミリタイアを成し遂げた場合ですが、その場合には私は今よりもっと節約した生活をしなければならないと思っています。

 

そうなると、旅行にはそんなにいけないと思いますし、海外旅行なんてのももってのほかだと思います。

 

資産の切り崩しをするのはできるだけ人生の後の方がいいはずですので。

 

で、そうすると、資産形成をして、仕事のストレスを削減したいから楽に生きたい、セミリタイアしたいという思いは達成できたとしても、色々な経験をしてみたいという思いは達成できない可能性があります。

 

色々な経験をしたいからお金がたくさんいる、となったら仕事をしてお金を稼がないといけませんから、そうなるとセミリタイアをする時期は遅れます。



優先順位


 

そうなると、はたして、どちらを優先するのがいいのか、という疑問にぶち当たります。

 

既にセミリタイアやFIREを達成された人の中には、本当に節約節約の生活をしながら過ごされている人がいるわけで、シンプルな暮らしをすることがむしろ豊かな暮らしである、という風に言われる方もいます。

 

まあ、時間は縛られていないわけですし、どういう時間の使い方をするのかの選択権が自分にあるという点では、それもそうだろうなと思います。

 

で、そういう生活が自分にとって本当にいいのか、ということを考えると、たまには旅行するとかないとしんどいだろうな、と思う自分が確実にいます。

 

もういろいろなところには一通り行って、満足した状態でセミリタイア生活に入るというのが実は自分にとっては幸せなのかもしれないとも思います。

 

たとえその場合でも、ストレスからは一目散に逃げたいですし、距離を置きたいですけれどもね。

 

旅行をする楽しみがあるからストレスにも耐えられる、というわけではないのです。



不確実性


 

また、最大のポイントとして、人生がいつ終わるのかは誰にも分からないという点も問題ですね。

 

セミリタイアを目指して節約節約をしていた場合でも、人生がある日突然終わってしまえば、目指していたはずのセミリタイア生活に一切入ることがないわけです。

 

目的は達成できないばかりか、そのために努力していたことも、自分の人生という視点ではまったく意味のないことだった、なんてことが起こりえるわけですから、それはそれで悲劇だよな、と思います。

 

そうは言っても、今日も一日の中で無駄に思える時間を過ごすこともあるわけですから、必ずしも有限の時間を大切にしているわけでもない、という不思議な状況なわけですが。

 

 


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組織の壁を越える





 

 

 

仕事をしていますと、組織としては組織のルールで動かないといけない、ものだと思います。

 

一方で、たまに組織のルールと個人の意思のはざまで揺れ動く人に出会います。

 

それは決して、組織のルールに従わない無法者ということではなくて、組織のルールがそうなっていることは理解しているが、よりよい形を目指すためにはそのルールから少し逸脱しなければならないのではないかという揺れ動きをしているということです。


尊敬

 


私としては、そういう考えをする、できる人はすごいな、と思います。

 

中には、かなりドライに、それは自分の部署の、あるいは自分の守備範囲ではないというように杓子定規にバッサリいったり、決めてくれたら動くから決めてくれ、という主張をしたりする人もいます。

 

確かにその方が効率的であったり、明確であったりするというのはあると思いますし、だからこそ欧米ではジョブディスクリプションが明確に定められているということもあるのでしょう。

 

それはそれとして理解はするし、自分の守備範囲ではないのかもしれないけれども、自分が負担をすることで、よりよいものができるのではあればその苦労はいとわない、という姿勢そのものは尊敬します。

 


デメリットもある



もしかしたら、中には、自分が得意・思い入れのある業務を引き続きしていたいから、そのような主張をする人がいるかもしれませんので、その場合はよくないとは思います。

 

また、たとえそうでなくても、デメリットはありまして、その人はそれでいいかもしれないしそれができるかもしれないけれども、組織としての継続性が担保はできない、つまりもし後任の人が来た場合に、その人が同じような業務はできない可能性があります。

 

そうなると、もしも仮に前任の人はそうしていたのだから、後任の人も同じようにしてください、となると対応できなくなってしまうということがあり得て、そのことが何かしらのひずみを生んでしまうということもあり得るわけです。

 

まあ、だからこそ人の入れ替わりが比較的流動的な欧米企業では、ジョブディスクリプションによる業務の明確化を図ることで、継続性の方を重視しようとするのかもしれません。

 

翻ってそのことが、属人的な業務を減らすことにも貢献しているのかもしれませんし、責任権限の明確化にもつながっているのかもしれません。


 

応援してしまった



私の場合、決めてくれたら動きますよという姿勢でいたり、業務をできるだけ任せたりした方が楽ですし、ストレスも少なくていいかなと思っています。

 

ただし、能動的に動いた方が業務そのものが面白くなることも理解しています。

 

ただ、いたずらに負担は増やしたくないですし、多くの人が同じように思っているのではないかと思う中で、組織のルールに少し逸脱してでも、自分が貢献することでよりよい結果を追い求めたいという意見はシンプルに尊敬します。

 

もしもやり方に筋を通す、例えば個人で突っ走るのではなくて、根回しをして周りの同意を取りながらその人がかかわれる仕組みをつくる、とか、周りを説得して進めるのであれば、そういう姿勢は応援したいなと思います。

 

まあ、その人が優秀な人であるというのは大前提ですけれどもね。

 

もしもそうでないと、ただ単に業務をかき乱すだけになってしまいますから、絶対によくありません。

 

今日、そういう人にたまたま出会いまして、自分にできることであればサポートしますよとついつい言ってしまいましたが、その人の話を聞いていて、尊敬と共になんだか少しうれしい気持ちにもなりました。



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想像するセミリタイア志願者



 

子どもと一緒に図鑑を見ていて思ったのですが、ティラノサウルスの想像復元イメージが、時代を経て変わってきていることは多くの皆さんの知るところだと思います。

 

確かに、私の子供のころは結構、前足(手?)も大きくて、しかも俊敏な動きをして、恐竜の王みたいに言われていたのが、いや、実は前足はすごくひょろひょろだったんではないかとか、走るのもそんなに速くなかったのではないかとか、最近に至っては、鳥のようなカラフルな羽毛がついていたのではないか、とか言われています。

 

冷静に考えてみると、この10年くらいでも大きく変わったのではないかと思います。

 

そのうち、海辺で魚を食べていたとかいう話にもなるのではないかとか、実は草食だったとか、そんな話になっても驚かないくらいになっています。



正解はわからない

 


というか、そもそもがあくまでも想像のイメージですので、今のイメージが正しいのかどうかも分からないんですよね。

 

もしかしたら、当初の恐竜の王だった、というイメージが正しいのかもしれませんし、今となっては何が正解なのかは誰にもわかりません。

 

むしろ、どんな正解であったとしても、それが一体なんなんだという話だとも思います。

 

何か今の生活に関係あるの?と野暮な質問をしてくる人がいたら、ないですね、と正直に答えると思います。

 

反論するとしたら、あなたの興味はあなたの生活に関係あることだけなのですか?それって私から見たらつまらなく見えますね。ということになるでしょうが、正直変に対立を生む必要はありません。

 

なぜ?



さてなぜこのようなことをブログに書いているかというと、サイキュロプスという単眼の想像上の生き物(なのか?)について、昔の人は象の頭蓋骨を見て、一つ目の大きな生物がいたと想像したのではないか、という説があることを知ったからです。

 

ドラクエに出てくるモンスターでいうところのギガンテスみたいなやつです。

 

サイクロプスって、X-Menにもいましたよね。目からビームを出すキャラです。

 

象の頭蓋骨って、額の部分がべこっとへこんでいて、牙があってという形状のようで、そこだけから想像を膨らませると、単眼で牙のある大きな生き物がいた証拠なのではないか、と思ったのではないかという説なのですが、それなりに信ぴょう性がある説だなと思います。

 

想像なんてまあそんなものですし、先ほども述べたように何が本当の正解なんて、見たこともない中ではわかりませんし、昔はいたるところに象がいた、なんてこともないでしょうしね。

 

そう考えると、今まで我々が当然と思っていることも実は違っていましたなんてことは起こりえるわけですし、そうなるともちろん困ったことにもなるかもしれませんが、面白くもあるなと思います。



本当は夢に溢れた世界

 


単純に、夢があるなと思います。

 

思えば、トロイ遺跡を発見したシュリーマンも、当時の人たちはあれは作り話だと思っていたのを、彼は現実の話だと信じて、その結果として大発見につながったわけです。

 

今でも、メキシコのジャングルの中には、発見されていないアステカ文明の古代遺跡が隠されているのではないかともいわれています。

 

実はこの世にはまだまだ我々が知らないこと、あるいは間違って知っていることがたくさんあるのではないか、そしてそれを全部正しく知ることは不可能なのではないか、ということですよね。

 

日常生活を送る上では、ある程度これは正しいものだとしておかないと、全てを疑い始めたら脳がショートしますし、ある種そこまで深く考えることはしないのが人間なのでしょうが、意外とそれらですら間違っているかもしれない、という事実は、この世界を面白くすることに寄与しているのではないかと思います。

 

自分たちが思っているよりもこの世界は不思議で、まだまだ広いっていうことでしょう。

 

だから、なるべくこの世界を楽しんで生きるようにしましょう!

 


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健康を考えるセミリタイア志願者



 

人生を楽しむには何よりも健康第一です。

 

特にコロナ禍において、妻からは基本的に外に出ることを禁じられており、またテレワークで一日中家の中でデスクワークをしておりました。

 

一方で、家の中にいるので食事はしっかりととるようになりましたし、お酒を飲む機会も逆に増えていたような気がします。

 

結果として何が起きたのかというと、当然、体重が増えるということでした。

 

体重が増えるだけならまだいいのですが、コレステロール値も上がってしまいまして、健康診断の機会に指摘されたということもありました。


ジョギング再開

 

もともと、定期的に体を動かすことは好きでしたし、抵抗もありませんでしたので、コロナが少し落ち着き始めて、またコロナウイルスとはどんなウイルスなのかが少しわかってきた段階で、ジョギングをするようになりました。

 

コロナ禍の前にもジョギングそのものはやっており、月に100km走る機会もそこそこありましたし、場合によっては週130km走をするというようなこともありました。

 

コロナも落ち着いてきましたので、体重管理の点もあって、一昨年の末くらいからまたジョギングを再開しました。

 

ジョギングをする際には大体1回あたり10kmから20kmくらいを走りますので、1時間から2時間くらいはどうしても時間がかかります。

 

さらに、それくらい走ると当然体力も使います。

 

仮にですが、夜に仕事が終わってから走ると、翌朝にも疲れが残っているというくらい体力を使います。

 

意外と睡眠時間をとっても疲れは残っているんですよね。

 

そんな中で、走るための気力も大事になりますので、例えば仕事が忙しいとか、出張が多いとか、精神的に参っているとか、そういう場合にはそもそも走れません。

 

一度走り始めれば、あとは頑張って走るぞとなりますが、その走り始めるまでの準備も必要なのです。

 

ただなんだかんだあって、距離の大小はありますが、今年もしっかりと続けられています。

 

そのおかげで体重が落ちたかというと、実はそれほど落ちてはいないのですが、増えてはいないので、まあ効果はあるのだろうなと思っています。

 

食べる量は別に増えてはいないはずなので、摂取カロリー自体も増えていないと思いますので、その点も健康的ではあるかと思います。


継続性

 

しかしながら、もしもジョギングするのをやめたら、体重は増えていくことになると思いますので、この体調管理を継続するためには、私はジョギングし続けなければなりません。

 

ジョギングをやめれば、恐らく体重はリバウンドするのでしょう。

 

自分としては苦痛ではありませんが、中長期的に継続性があるのかどうかちょっと良く分からないので、この体調管理を継続するのか、考えないといけません。

 




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