不祥事を考える

 



製薬メーカーが販売していた食品が健康被害につながっているのではないかと自主回収を開始したようです。

 

1か月ほど前には関連情報を知っていたが、実際に回収が始まったのは最近ということでそれにも批判の声があるようです。

 

食品ですので体内に入るものということもあり絶対に避けなければならない事象で、会社側もわざとそうしたことをしたわけではないと思いますが、まずはしっかりとした原因究明と対応が求められます。

 

信頼を積み上げるのは時間がかかる地道な作業ですが、信頼を失うのは本当にちょっとしたことが原因でも一瞬で起きてしまいます。

 

すごく変な話ですが、健康被害が出ていないのであれば、まだなにかしら包装に不備があったので回収というのは企業のコストはかさみますし、信頼にも傷はつくでしょうが、それでもその傷は浅くすむと思います。

 

むしろ、回収するなんてなんて真摯な会社なんだ、なんて評価が上がることすらあります。

 

健康被害が出てしまうと、それに対する補償という話ももちろんですが、そもそもそんな製品を販売している会社のものは買いたくないと思う人が当然に出るでしょうから、経営には大打撃です。

 

特に、体内に取り込むものを販売している会社ですから、単純に対象製品だけではなくその他の製品に影響が波及するということも考えられます。





気持ちがわからなくはない



 


個人的には好感を持っている会社ですので、なんとか頑張ってほしいと思いますが、まずはしっかりと被害にあわれた方に向き合って、原因の究明と問題の解決を行なうことが必須でしょう。

 

今回、回収が遅れたというのも、ひいき目に見れば、この対象製品が原因であるということがすぐには分からなかったということがあると思いますので、同情する部分はあります。

 

味が変だからとか、色が変だから、みたいな、すぐに正常ではないと分かる情報がまずあって、さらにそれらを摂取した人に健康被害らしきものがみられるということであれば、まだ因果関係としてとらえられる可能性もあったと思いますが、恐らくそうではなくて、健康被害には他の要因もあるのではないかと考えることもできる部分があったのだと思います。

 

人間だれしも、できれば自分の失敗であって欲しくない、自分の責任であって欲しくないと思うものですし、先ほども述べたように対応をしようとするといろいろとコストもかかるものですから、原因が明らかになるまでは状況を見守ろうと思ってしまうことはあると思います。

 

後になって考えれば、少しでも自分たちの責任であると思える要素があれば、早めに対応をしておけばよかったというのはその通りで、後から、他人から見ればなぜすぐに動かなかったんだと指摘するのは簡単です。

 

しかし、まだはっきりとそう思えない環境下で、実際のその場で物事を考えていた人からすれば、まずはまさか、という思いがあるでしょうし、そうあって欲しくないという思いもあるでしょうし、さらに実際は違いましたなんてことになれば、社内では何をやっているんだと責められることも想定されます。

 

であれば、もちろん対応が後手に回ったことで更なる被害を生んでしまったというのも真実である一方で、当事者が、もう少し事態の推移を見守りたいと思ってしまうのも、結果としては間違いだが、手放しで責めることはできない話なのではないかと思ってしまいます。


実際の被害に遭われた方からしたら、お前こそ他人事でふざけるなと言われると思います。

 

いや、これから会社はいろいろと責められるでしょうし、責められるのは仕方のない話であって、当事者の人たちがそんなことを言ってはいけないことは分かります。

 

しかしながら非常に難しい状況だったのではないか、と想像するのも難しくありません。

 

もしかしたら、当事者の人たちも祈るような気持ちで事態の推移を見守っている中で、徐々に悪化していく状況を見てショックを受けていたのではないかと思いますし、であればもっと早くに別の意思決定をすればよかったとは思うでしょうが、あくまでも後からであればそう思えるという話です。

 

今後、社内の風通しが悪いとか、利益重視の風土だとか、組織としての在り方がいびつだとか、そういう話も出てくるかもしれませんが、それは要因の一つになりえるとは思う反面で、完ぺきな組織なんてものはないのも真実だと思います。

 

事態の推移を見守った結果、結果的にセーフになるということもあると思いますし、消費者に対してコールセンターを設けている企業には、本当に不良品を知らせる電話から、難癖をつけた恐喝まがいの電話もかかってくるでしょう。

 

なにかちょっとでも消費者が言えば商品を即座に回収するなんて対応をするのは正常な企業運営の阻害にしかなりませんし、その線引きも非常に難しいと思います。

 

非常に不幸な事態になってしまっていますが、まずは当該企業はしっかりと説明責任を果たすということが大切です。

 

まだ状況が分かりませんので難しいところではありますが、完全な正義の味方の立場からここぞとばかりにこの企業や関連する人を叩きまくるような世論にならないことを願います。


そして健康被害に遭われた方に対しては真摯な対応が行なわれることをなによりも期待します。


 

 


にほんブログ村 サラリーマン日記ブログへ  にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ

上長への怒り



上長にまた詰められました。

 

私が関わっていたあるプロジェクトがすでにいったんの終わりを迎えていまして、一応、成功裡に終了したという評価です。

 

つい先日もブログに書きましたが、今は開発したものの実際の運営フェーズに入っており、主導権は完全に別部署に移りましたので、その別部署が責任を持って意思決定しながら日々の管理をしており、実際の運営については私も、私の部署も主導権を全く持っていません。

 

それが組織としての仕事の進め方で、私も歯痒いですが、他組織の職域を犯すのはいいことではありません。




でも気になる


 


とは言え、私は自分が関わった仕事として今後の状況に興味がありますし、全て丸投げというのはしたくないというのと、間違いなく私が進捗状況をきかれるということも分かっておりましたので、運営管理をしている部署に対して、意思決定には関与しないが、よりよい運営となるように思うことは言わせて欲しいと、定期的な打ち合わせ実施をお願いしています。

 

担当部署としてはそんなことをする義務はありませんし、私の行動はある種の権限逸脱であり、勝手なことをお願いしているのは確かなのですが、相手部署にいる人も、長い間苦労しながら一緒にプロジェクトを進めてきた関係性からなのか、一応打ち合わせを持つことは賛同してくれました。

 

経営への影響で言えば小さいプロジェクトですが、トップマネジメント層が興味を持っていたプロジェクトなので、問い合わせが私にあるかもということも戦友として汲んでくれたのかもしれません。

 

原則論で言えば、既に権限移譲もされているのですから、誰かが何かを問い合わせをするならその担当部署に直接するべき話なのですが、その部署は海外グループ会社の部署で、日本人は所属していません。

 

そして、なぜか多くの日本人はそういう部署に問い合わせをすることを躊躇します。

 

上からの指示とあれば海外の人の方が言葉の通り命懸けで動きますから、実は直接やってもらうのが効果的なのですが、私がプロジェクトをやっていたので、尋ね易そうと思って問い合わせてくるのでしょうか。

 

確かに私も、誰が何を気にしているのかを把握する助けにはなりますから、ありがたい面もあるのですけど。




上長の態度

 



で、上長もそんな1人で、トップマネジメントからも聞かれることがあることを知ったからでしょうが、今の状況はどうなっている、私はちゃんと状況把握しているのか、そもそもの管理がなっていないなど、10分くらい、一方的に先日の部内会議で詰められました。

 

じっと聞いていて、やっと私の弁明ターンになりましたので、私はちゃんと担当部署と定期やりとりをして状況把握に努めていること、得た情報は部で回覧されている月報に毎月記入していること、その月報は本社の経営企画部門にも共有されていると聞いていることを答えました。

 

上長から、集めている情報の質について言われるなら仕方がないと思うのですが、月報に書いていることすら知らない体での詰められ方でしたので、少し腹は立ちました。

 

上長からは、いや自分も色々と知りたいからさと、またごにょごにょ言われましたが、そのために月報に書いているでしょうという話です。

 

上長から、自分の認識が違った、とか、ちょっと言いすぎた、という一言でもあればいいのですけど、それはありません。

 

私だって、完璧に状況把握できているわけでもないですし、聞いたら全部情報共有されるわけでもありませんので、情報の質や種類について詰められるならまあ仕方がないとも思えます。

 

ただ、状況を考えると、さすがに今回のはないだろうと思いましたし、ただ詰めたいがために難癖つけてきているとしか思えませんでした。

 

上長としてはそういうつもりではなかったと信じたいですが、結果的にそうなったわけですから、そこはちょっと反省してほしいなと思いますが、そういう人ではないので、多分してくれないと思います。

 

 


にほんブログ村 サラリーマン日記ブログへ  にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ

我が身を省みる



超有名野球選手の通訳を務めている人が違法賭博に手を染めていたということが問題になっています。

 

誰がどう悪いのかということはいったん置いておいて、この通訳の人の年収は数千万円であり、さらに将来のことを考えればいろいろと経験を活かしたお金儲けの手段もあるという非常に恵まれた状況なのに、どうしてそれを棒に振ってしまうようなことをしたのかという論調も見受けられます。

 

その論調そのものは正しいよなという気が確かにするのですが、実際問題としては我々自身がそこまで合理的でもないというか、誰しもが持っている人間の弱さというか、第三者から見ていることと本人が見ていることにはどうしても差があるとか、そういう話かなと思っています。




誰しもが弱い


 


政治家の裏金問題も話題になっていますが、彼らだって金銭的には恵まれた環境にいて、地位もあるわけでしょうし、そんな中でさらに欲をかいているという話だと思います。

 

大企業の幹部がセクハラやパワハラ、横領をする、幸せな家庭を気づいているように見える一般人が不倫をするという話も、そんな恵まれた環境にいるのにどうして、と第三者は思うかもしれませんが、そんな環境でもしてしまう、あるいはそんな環境にいるからこそしてしまうことというのはあると思います。

 

年収が数千万円もあれば、もしかしたら多少浪費してもすぐに稼げると、気持ちが大きくなるということもあるでしょうし、社会的に地位が高ければそれによって自分は何をしてもいいんだと勘違いしてしまうこともあると思います。

 

幸せな家庭があるからこそちょっと火遊びするくらい大丈夫だろうと思うこともあるのかもしれません。

 

宝くじで高額当選した人がその後の人生で破滅してしまう、という話がありますが、これもまた同じような勘違いをベースに、人間の弱い部分が出てしまう結果ではないかと思います。

 

もちろん、どんな環境に置かれても清廉潔白で、聖人のように振る舞える人もいるとは思いますが、それでも大多数の人は、環境によって自らの弱い部分をさらけ出してしまうのではないでしょうか。

 

不正をする人だって、最初の頃はおっかなびっくり、小さいことから始めて、そのうちに大きな不正を働いてしまう、という傾向があると思います。

 

それはやはり最初の頃の小さな不正がばれなかったから、それを繰り返すうちに感覚がマヒしてきて、もうちょっと大丈夫、もうちょっと大丈夫、となってしまうのですよね。

 

それはどれだけ金銭的に社会的に恵まれているかどうかというのは関係なく、どうしても人間の弱さとして多くの人が持っている特性なのではないかと思います。





我が身を省みる

 



それを実際の行動に移すかどうかというのは確かにまた別問題ではあると思いますし、行動してしまったことを弱さゆえに仕方がないと擁護することもできないと思いますし、今回話題になっている通訳の人の性格を私は知りませんが、今回のニュースを見ていると、ほとんどの人間はみんな弱さを持っているのだろうなと感じましたし、それは決して私自身も例外ではないということを感じずにはいられません。

 

楽できるなら楽をしたい、サボれるのであればサボりたい、車が来ていないなら赤信号でも道路を渡りたい、そんなちょっとしたことですら、多くの人は弱さとして持っているのではないでしょうか。

 

ただ、いざ何かがあった時にはそれは非常に大きな問題として自分に降りかかってくる可能性がありますし、そうなったときにはもう遅いということもあり得るのは怖いところです。

 

まだ挽回は十分に可能ということであれば傷も浅いのでしょうけれども。

 

とはいえ、生きてさえいれば儲けもの、というのもまた真実だと思いますし、例えもう遅い、という状態になったとしてもそこで簡単にあきらめてしまうのはもったいないとも思います。

 

自分の身を振り返って、反省反省の事例になりました。

 

 

 

 

 


にほんブログ村 サラリーマン日記ブログへ  にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ

久しぶりの更新



仕事で非常にバタついておりまして、海外出張もありつつでブログの更新もなかなか思うようにいきませんでした。

 

忙しいのは悪いことではないのですが、移動あり、打合せあり、会食ありと自分の時間がなかなか持てないのは気分的には少し余裕がなくなってしまいますね。

 

バタバタしていたのは、新しいプロジェクトが始まるということで、その事前の資料準備やら根回しやらをしているのと同時並行的に、過去のプロジェクト案件関連でのヘルプ対応などもあったことが要因です。

 

私の業務内容としては基本的に自分で最初から最後までなにかをやり切る、というよりかは、どこかの組織が抱えている課題の解決にむけての提案ということが多くて、途中からは私の手を離れてしまい、実際にその提案がどこまで運用されているのかというところが見えなくなってしまうことがあります。

 

提案そのものが完璧であることは少ないでしょうし、実際の運営下において何かしらの不具合が出てしまうということはありまして、それについての 再提案をすることもあります。

 

時に、運営の仕方そのものに問題があるということもあります。

 

自分にとって一番いいのは、その運営・運用プロセスそのものに私が積極関与するということなのですが、いかんせんその責任自体は担当部署が負っているものですから、私がでしゃばる権限もなければ、でしゃばりすぎるのはよくないというのが正直なところとしてあります。

 

自分にとって一番いいことと他の人にとって一番いいことは決して一緒とは限りません。




思いと姿勢



 

ただそうはいっても、組織的には良くないことであるかもしれませんが、個人的にはスムースに運用が行われるようになるまではなるべく目をかけていたいとは思っていまして、もしも自分が力になれるのであればいつでも協力をしようという姿勢でいます。

 

先ほども言ったように、その姿勢が強すぎるとでしゃばっているというネガティブな評価を受けることにもなりかねませんので、その強弱のバランスのようなものは非常に難しいと思うのが正直なところですが、あくまでも困ったことがあればいつでも言ってほしい、あなたたちのためにサポートするのはいつでも歓迎だという姿勢をどこまで理解してもらえるか、というのがカギになってきます。

 

私自身はあくまでも部外者で、権限もなければ責任もないのですから、その部外者に対して自発的に何かしらの協力を求めてくれるようになるようになるためには、まずもって私自身は決して敵ではないということ、むしろ味方であったり相手側に利益を与えてくれたりする存在であることを何とか理解してもらう必要があります。

 

とはいえ、私自身もそうですが、伝えられ方や態度によっては、たとえどれだけ有用なアドバイスであっても叱責と受け取られることがありますし、特に海外の人には、アドバイスですら自分の業務領域を侵食してくる人間だと受け取られる可能性があり、そうなると私の存在は敵として認識されかねません。

 

究極的には、自分が正しいと思うのであれば例え敵と思われたとしても構わないという態度で臨むという方法もあるとは思いますが、それは自分としてはあまりとりたくない態度ではありますし、そもそも権限がないとそんな態度を取ったところで何の意味もないでしょう。

 

また、仮にそういう態度を取ることが短期的には正解だったとしても、ずっと私が運営に関わり続けることは不可能なわけですから、どこかで誰かにバトンタッチをしなければならず、その際に結局運営方法が元に戻ってしまう、ということになりかねませんので、長期的な持続性という意味ではやはり実際の運営に関わる組織や人に納得してもらった上で進めるのが最善であろうと思っています。 




難しいですけどね


 


ただ、言うは易し、行なうは難しで、これは非常に難しい試みであることはよく知っています。

 

人間関係がある程度あったとしても難しいことですし、それがない中では極めて困難であることです。

 

でも最終的にはその人間関係があるか、ないかで、相手への説得度が変わってくるのは間違いないと思っています。

 

なぜなら、人間関係が良好であるということはすなわち、少なくともこの人は自分の敵ではないと思ってもらえているということだと思うからです。

 

そして、その人間関係を良好なものにしていくためには、何よりも自分自身が相手に歩み寄り、敵ではないこと、さらに一歩進んで味方であることを伝えていく必要があると感じています。

 

周りを見ていると、人間関係の大切さを理解しながらも、相手から歩み寄ってくれるのをただ待っている人もいれば、なぜか不必要に敵を作ってしまう人もいます。

 

私自身も決してうまくそういうことができているわけではないですし、相手から歩み寄ってくれた方が圧倒的に楽なのでそうしてほしいのが本音ではありますが、意外とみんな自分から歩み寄ろうとしないんだよなと思う今日この頃でもあります。

 


にほんブログ村 サラリーマン日記ブログへ  にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ