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パワハラやいじめ



 

 

 

とある歌劇団で、劇団員同士のいじめやパワハラがあったのかなかったのか、ニュースになっています。

 

周りの女性に言わせると、女性社会は結構陰湿で怖い、ということだそうです。

 

客室乗務員、看護師、女子高、女性社会というのはそこら中に存在しています。

 

同時に、会社の中では男性同士の上下関係によるいざこざもあるので、実は女性社会だけではなくて男性社会もそういうことがあるのね、というような意見もありました。

 

まあ、人間社会や集団そのものに、陰湿な部分もあれば、よい調和がとれている部分もある、というのが自然な捉え方なのでしょう。




閉鎖社会は特に危険

 



一つありえそうなのは、閉鎖社会になればなるほど、陰湿な事件が起こる可能性も大きくなるのではないかということでしょうか。

 

その閉鎖社会独自の常識やルールが形成されて、たとえそれが世の中の常識やルールからはかけ離れていたとしても、閉鎖社会であるがゆえにまかり通ってしまう、ということです。

 

直接は関係ないですが、私が男子高校生だった際、とある高校教師が言ったある言葉は今でも私の記憶の中に残っています。

 

それは、もし君ら(私たち)にもっと勉学に取り組んでもらいたいと思ったら、このクラスに2-3人、かわいい女性を入れることが一番でしょうね、という言葉です。

 

まあ、発言そのものがセクハラと言われてしまえばそれまでですが、私個人としてはかなり腑に落ちました。

 

男子ばかりの環境で、バカをやっている人も私を含めていましたから、その閉鎖空間のバランスを少し壊すことで、より我々の態度や心持ちがいいように変わる、ということをその教師は言いたかったのでしょう。

 

外部の血を入れる、なんて表現が使われることもありますが、それも狙いとしては同じようなことでしょう。

 

とある芸能事務所関連の事件であったり、今回の歌劇団の事件であったり、奇しくも男性社会、女性社会の代表のような組織ではありますが、問題があったのではないかということが叫ばれています。

 



パワハラはどこでもある




でも、改めてになりますが、パワハラというのは実際には多くの組織で行なわれていることだろうと思います。

 

やはり役職が上の人の言うことに正面切って逆らうことはできませんし、指導という名のもとに行き過ぎた叱責が行なわれることもあるでしょう。

 

そして厄介なことに、それは相手のためを思ってとか、決して押し付けではなくて、というような正義感や態度がその発信源になっていることもありますので、本人そのものがやりすぎかもしれないことに気付いていない場合もありますし、それをやりすぎであると誰も言えない状況というのもあると思います。

 

場合によっては、本人は確かにそのつもりなんだけれども、言葉の使い方や言い方には問題があって、受け手は必ずしもそう捉えていない、ということも十分にあり得ますし、実は相手のためを思ってあえて、ということを主張する人に限ってパワハラ気味であるとかもあるんですよね。

 

会社であれば、360度フィードバックなどでいろいろな人から助言をもらうということも仕組みとしては可能なのかもしれませんが、そこで正直なフィードバックをもらえるかどうかというのは誰にもわかりませんし、そこで指摘がなかったから大丈夫なんだというのも言い切れない場合があります。

 

指導はしっかりをしないといけませんので、その場合でも、ちゃんとロジカルに、周りに誰かがいる環境で、行動そのものに対する指導をする、ということを今まで以上に気を付けていかないといけないのかもしれませんね。


集団になったらいじめになりますし。

 

 


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セミリタイアした方がいい人とは




先日、非常に興味深いセミリタイアに関する主張を読みました。
 
かなりの固定読者もついているような有名なブロガーの方で、セミリタイアに興味を持っている人なら、誰しも一度くらいはその方のブログを読んだことがあると思います。


個人的な理解


 
あくまでも私がこのように自分で消化した、という内容になりますが、要するに、社会生活に適合できない、能力の低い人こそがセミリタイアを目指すべき人であって、逆に、能力のある人、お金を稼げる人、ただ今の生活が辛くてから逃げたい人はセミリタイアをするのではなくて、働く場所を変えるとか働き方を変えるといった手段で人生を豊かにしたほうがいい、という主張と受け取りました。
 
これも私がこのように消化した、ということになりますが、セミリタイア生活はセミリタイア生活で決して楽な生活ではなくて、セミリタイア生活をリタイアする人もかなりの割合でいるのではないか、という主張があって、それがなぜかというと、多くの人は、働いていればお金も稼げるし、小さくてもやりがいを感じることもあるだろうし、それによって生きているという感触を得られるからであろうということかと思っています。
 
その反面で、どうしても社会生活に適合できなくて、仕事をしていても全く面白くもなくうまくもいかない、という人は、そもそもこの現代社会で労働をして過ごすことに向いていないのであって、であればセミリタイアが、よりその人の幸せにつながるのではないか、という主張と読み取りました。
 
実際にセミリタイアをしている人の主張として、セミリタイアを手放しでほめたたえるのではなくて、必ずしも誰しもに正しい選択肢ではないかもしれない、という主張かなと思っていまして、納得できる部分も多くあるなと思いました。



私も働きたくないわけではない


 
何度か書いていますが、私も全く労働をすることが嫌で働きたくないというわけではなくて、あくまでも今のポジションで今の仕事をすることから離れたい、という思いがあって、とはいえ別に何かすごくやりたいことがあるわけでもないので、であればセミリタイアをして細々と働いていく、ということが人生を豊かにするのではないかと思っているのです。

 
ですので、極端な話をすれば、部門や部署を移動して、少し気楽に働ければいいのになと思っています。
 
もしかしたら、そうすることで、会社にもより大きな貢献をできるかもしれないと思っています。
 
そうなるとなったで、もっとやりがいのある仕事をしたい、と思いそうだなと想像できるのがちょっとイマイチなのですけれどもね。
 
読書をしたい思いがありますが、そうしたら読後に、よし俺もとやる気が出てくるなんてのはよくある話です。


何に時間を使うのか


 
今は、なるべく子どもとの時間を確保したいなと思う気持ちが強いのですが、子どもが自分一人で遊びに行ったり、同年代の友達と遊んだりし始めたら、休日に私と遊ぶ機会も少なくなるでしょうし、そうなると自然と子どもと過ごす時間が少なくなりますので、そういう時に何をするか、というのもありますから、そういうときのよし仕事をするぞってなるのかどうか、ですね。
 
なんとなく、今の会社の仕事のために時間を使うということにはならない気がします。
 
どちらかというと、それが直接子どもとの時間ではなかったとしても、また直接子どもに関わることではなかったとしても、子どものためになる何かに時間を使いたいなという思いがあります。
 
俺はお前のためにこんなにやってるんだぞ、となってしまうのは良くないですが、長い目で見てほんの少しでもそういう効果があれば信じてやってみる、というのでいいかなと思います。
 
とはいえ、そんなにうまくはいかないのだろうなあと思います。
 
私自身が意固地になってしまうところもありますし、俺はこんなにお前のためを思って、って感じるのは感じるのだと思います。
 
ただし、それを表に出してはいけないですね。

 
 

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人生ってどんなものだろう




それも一つの人生ですよ。
 
自分の人生がいかに不幸かとか、こんなに大変だとか、我慢して過ごしている、というような話をすると、それもまた人生です、というような言葉が返ってくるときがあります。
 
この言葉自体は間違っていないと思っていまして、それもまた一つの人生なのだと思います。
 
美空ひばりの唄ではないですけど。


100%満足いく人生はない


そもそも、絶対に満足が行く人生なんてないと思っています。

 
例えば、私はお金を早く貯めてセミリタイアをしたいと思っていますが、お金があれば幸せかどうかを考えてみると、ビジネスで成功した人、プロスポーツ選手、芸能人、親が資産家の人とかいろいろと思い浮かびますが、その人たちはその人たちなりの苦労をしているわけですよね。
 
嫉妬や妬みを他人から抱かれる、足を引っ張られる、悪口を言われる、過度に期待される、プライベートがない、などなど、ストレス要素が満載です。
 
ただし、一方で、それも一つの人生ですよという言葉に対して言いたいこともあります。
 
そんな言葉で片づけないでと。


悩むのは人生が一度きりだから

 

もしも人生が何回か送れるのであれば、それもまた人生として受け入れられるのかもしれませんが、人生は一度きりです。
 
一度しかない人生の中で、何が正解で何が不正解なのかは分かりません。
 
一見正解だと見えることが実は不正解かもしれないし、その逆だってあり得るわけです。
 
そんな中で、自分は不正解の選択をしているのかもしれない、と感じているからこそ、色々と不満も出るのでしょう。
 
確かに、自分が不正解だと感じているだけで、実は全知全能の神からすればそれは正解、あるいは一番良い選択の結果なのかもしれません。
 
ただ、それが分からないからこそ、もっと良い選択をして、良い人生になりえたのではないかと思っているのです。
 
バタフライエフェクトという映画があります。
 
個人的にすごく面白い映画なので、もしも観たことがない人がいれば騙されたと思って観てみてください。
 
過去のある選択が、将来の大きな違いに影響を与える、ということを念頭に、主人公が何度も何度も選択を変える、という映画です。
 
実際の人生が映画のようなものなのかどうかは分かりませんが、いずれにせよ、あの時にこうしていれば今はよかっただろうに、というのは誰しもが思うことではないでしょうか。
 
ルーティーン、ジンクス、とかいう言葉も、ある行動が将来の結果に影響を与えがちだと思われているからこそ、生まれているのでしょう。
 
神頼みに始まって、宗教だってそうかもしれません。
 
むしろ、宗教の場合は、自分の能力や選択を超えた大きな力が働いているという意味では、どうしようもないという意味合いで、それもまた人生、なのかもしれませんね。
 
ただし、実際にどうなのかは誰にもわかりません。
 
ただ、だからと言って、それもまた人生と言ってしまうのは、結構突き放したような言い方だなと感じてしまいます。
 
誰しもが人生を送る中で選択を重ねながら過ごしているわけで、その上で間違った選択をしているかもしれないなと思っているわけですからね。
 
もちろん、過去は変えられないので、選択を変えることはできませんが。
 
では何といえば正解なのかは私には分かりませんけれども、自分の子どもにどういうことを言ってあげられれば、人生が豊かになるのかなと思いながら、ふと思いました。

 


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大手企業の福利厚生がうらやましい




大手企業のサラリーマンの場合、出張すると、日当がつくことがあるようです。

 

宿泊を伴う出張の場合は、宿泊代だけではなくて、宿泊先で食事をとることも想定した日当がやや多めに出るということもあるようです。

 

地方エリアの営業周りで宿泊することが多い人の場合、それだけで1週間で+1万円くらい支給されることもあるという話を聞いたことがあります。

 

ものすごく多いわけではないですし、家族と離れる時間もあるでしょうし、宿泊しなければ参加できたかもしれない飲み会にも参加できないかもしれない、ということを考えると、会社事情で時間や場所を拘束されてしまうことの対価としては必要であろうと思う反面、意外と馬鹿にできない手当だなと思います。

 

1人で食事をとった場合でも、よほど飲み食いをしない限りはそこそこの金額で収まるでしょうし、単純に手取り額が多くなるということですので、特に若いころなんかは、ありがたい手当てになるのではないかと思います。

 

若くなくなっても、お小遣い制の人とかは、幾分かお小遣いに回せるなんてこともあるのではないかと勝手に想像しています。

 

中には、そんなお金いらないから自宅に帰らせてくれよという人もいるかもしれませんけれども。

 

たまたまとある大手企業の友人と食事をした際にそんな話になりまして、そういう手当のことを知りました。



うらやましい

 


大手企業ってやはり福利厚生も手厚いんだなあという感じですね。

 

一方で、そういう手当があるからこそ、ちょろまかしなんてのも時にはあるみたいで責任問題になることもあるみたいです。

 

どうやってちょろまかすのかわかりませんが、空出張ってやつでしょうか?

 

それでも金額としてそんなに大きくないでしょうし、いちいち内勤日と出張日の確認なんかもしないでしょうし、よほどのことがない限り、発覚しなさそうですけれども、やりすぎてしまうのでしょうかね。

 

しかしながら、福利厚生を考えると、働くならやはり大手企業がいいんだろうな、ということを改めてですが認識しました。

 


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野球の審判と誤審

 


ネットの記事を見ていて、審判は辛いよ、という記事を見かけました。

要は、プロ野球の審判なのですが、リクエスト制度ができて、審判が間違っていたら判定が変えられる、その一方でいくら素晴らしい判定をしても当たり前として捉えられて、褒められることはない、という内容でした。


所感


褒められることは確かにないよなあと思いますので気持ちはわかる反面、よほどの誤審でない限り、リクエストされたビデオを見て判定が変わってもそのこと自体は責められません。

要は、選手も観客も、あのハイスピードで繰り広げられるプレーを全て正確に判断できるとは思っていない中で、もし間違っていたら修正してほしいというだけなのではないでしょうか。

以前は、あるいは今でも基本的に審判は絶対だ、という価値観があった、あるわけですから、褒められることがないのが辛い、というのは勝手な話で、褒められたいなら、存在が絶対だ、なんてのはおこがましいことこの上ない主張です。

しかも、別に審判が間違っていても修正するか、しないかは審判に委ねられて、修正しないことだってあるわけですから、そうなると話は全く異なってくるというか、褒める褒めない以前の問題です。


会社の日陰部署


会社の中で、生産現場に携わっている人とか、原材料を調達している人とか、うまくやって当たり前、失敗したらなにやってんだ、という立場かつ、日が当たりにくい部署で働いている人が言うような、そつなくこなしても褒められない、なにかあったら責められる、というのとはまた随分と訳が違う気はします。

そういう部署はなかなか花形部署になりにくいのですが、基礎の基の部署としてかなり大切な仕事をしています。

そういう部署の人たちが文句を言ってもすんなりと受け入れられる気はします。

なぜなら、彼ら、彼女らはミスをしたら隠せないですし、それを取り返すための努力も強いられます。

判断間違ってたよ、ごめんねでは済まされないわけです。

野球の審判も、ひどい誤審をしたら責任追及はされるみたいですが、誤審して、それをごまかすことで、それは実際にプレーをしている選手や監督の給料に反映されるわけで、それっていかがなものかという気はします。

もちろん、人間ですからミスはありますが、それを踏まえた上でのリクエスト制度なわけですから、むしろ間違えた場合でも他の人の人生には影響を与えずにすんで良い影響があるはずです。

審判の威厳、みたいなことを言うくらいなら、逆に間違っていたら間違っていましたと認めないと、それはただの頑固野郎なわけで、それでいて、責められるのはきつい、いい判定をしても褒められない、というのはなにを言っているんだろう、と思います。

プレーのレベルは上がっているわけで、人間では判断できないことが増えているからこそのリクエスト制度と捉えれば、別にミスを指摘するための制度ではなく、納得度を上げるための制度に過ぎません。

リクエストされて、あきらかな誤審なのに判定を変えないということをやっている以上、審判が文句を言うのも同情はできないなと思います。


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マルチビジネスを考えるセミリタイア志願者

 



 

お金が欲しい、お金持ちになりたいというのは多くの人が思うところなのではないでしょうか?

 

既にセミリタイア生活に入られている人の中には、お金なんていらない!お金なんてなくても豊かに暮らせる!と主張されている方もちらほら見かけますが、実際のところ、そういう人たちだってもしも臨時収入で10万円手に入ったら幸せを感じるのではないでしょうか?

 

そこで、いや、自分にはお金なんかいらないから、この臨時収入は困っている人のための募金に使おう、なんてことにはならないのではないかと、意地悪な考えかもしれませんが思ってしまいます。

 

究極的には、お金がなくても幸せになれますし、お金があったら幸せになれるわけでもありませんが、この資本主義の世界において、お金があって困ることはありません。

 


マルチビジネス



なぜだかよくわかりませんが、最近特にマルチ商法関連のニュースを目にすることが増えました。

 

もしかしたら私がそういうニュース記事を見ることを選んでいる結果かもしれませんが。

 

簡単にお金が稼げる、というのが常套の勧誘文句になっているようですね。

 

よく言われるのは、簡単にお金が稼げるノウハウを他人に教える人はいない、ということで、それはその通りなのですけれども、やはりお金が欲しいと思う人の心がある以上、この話だけは本当なのではないか、この話を逃したらチャンスをみすみす逃すことになるのではないか、というように思ってしまうのかもしれないですね。

 

私もまあいい儲け話があれば乗りたいなと思う気持ちはありますし、詐欺のような感じでニュースになっていましたけれども、牛に投資するとかいう儲け話に、興味を持ったこともあります。

 

結果的に投資しませんでしたが、確かに興味は持っていましたし、当時は怪しいなともそこまで思っていなかったのではないかと思います。

 

牛という目に見える資産があるから比較的大丈夫、というように思っていたのかもしれません。

 

会社にかかってくる不動産投資の勧誘電話は、時間をおかずに怪しい、と思うのに、ある別の似たような話にはそう思わないということが私自身でもあるわけですから、人のことはあまり言えないなと思います。



楽に儲かることはない

 


ただ、確実に言えることは、確かに、そんな簡単な儲け話はないということです。

 

もっと言うならば、リスクなくリターンを得られる儲け話はない、ということでしょうか。

 

自分で言っていて、夢がないなと思いますけれども、現実なのですから仕方ないです。

 

投資で儲けている人たちも、かなり勉強をした上で儲けているはずですし、素人が何も勉強せずに簡単に儲けられるようなことは残念ながらほんんどないのです。

 

でもいまだに多くの人が引っかかるわけですから、不思議なものですね。

 

こうは言っている私も、そのうち引っかかるかもしれません。


 


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業務引き継ぎの時期がやってきた

 



 

 

さて、異動の時期になってまいりました。

 

転勤になる人もいれば、同じオフィス内で部署が変わる人もいるでしょうし、部署などは変わらなくても担当が変わる人もいるでしょう。

 

誰かに引継いだり、誰かに引き継がれたり、限りある時間の中で行なうのはなかなか大変ではあります。


担当変更後の新担当


 

担当が変わって引継ぎをした以上、そこからは基本的に新担当が該当業務を行なうべきであって、旧担当が何か手を動かすというのは基本的にしてはいけないことだと思いますが、日本人の場合、なあなあで旧担当に依頼をするということが起こります。

 

もちろん、不明点について旧担当に尋ねるというのはある程度仕方がないと思いますし、活用できるならするべきだと思いますが、本来であれば、旧担当に依頼をしてはいけないのです。

 

部署内で担当が変わっただけ、などであれば、アドバイスをもらいながら業務を進めることはあったとしても、あくまでも担当は新担当として進めるのが正しいのだろうと思います。

 

逆に旧担当側も、いつまでもずるずると旧業務に関わっていてはいけません。

 

ここまでが新担当について起こりえる問題。



旧担当側

 


一方で、旧担当も、自分の担当期間中は自身の責任範囲であることを認識して、それに基づいて担当業務を行なう必要があります。

 

引継ぎをもうしたから、それ以降は新担当がやってくださいね、という話ではなくて、切り替わるのは正式な担当変更が発生するタイミングです。

 

で、意外と旧担当の人で、引継ぎが、それが切り替わるタイミングだと勘違いをしている人がいるのもこれまた時に見かけられます。

 

もう知らないよ、とばかりに責任放棄をしてしまう人がいるのはとても残念ですし、失礼な人だなと思います。

 

一刻も早く旧業務から離れたい、という気持ちがあるのかもしれませんが、いかがなものかなあと思います。

 

せめて新担当と一緒に、期限までは色々とやるのが基本なのではないかと感じるのですが、性格もあると思いますので、気にしすぎてもだめかもしれないですね。

 

異動の時期はなんだかんだで常々起こる問題だなと感じます。

 

 


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プロの大変さを噛み締めるセミリタイア志願者




プロ野球が始まりました!

プロ野球ファンの私としては待ちに待った季節です。

高校野球も子どもの頃は甲子園大会を朝から晩まで見てましたし、第4試合がナイターになると謎のワクワク感もありました。

当時は春休みや夏休み期間中という非日常感もあったのでしょう。

今や、働かねばなりませんので、テレビの前で食い入るように見るというのはできなくなってしまい、興味も少し薄れてしまったかもしれません。

さて、プロ野球は試合をチェックするだけではなく、試合後の監督や選手、ファンのコメントをチェックするのも楽しみの一つです。


プロは大変


そしてつくづく思います。

やっている人たちは大変だなあと。

そりゃ、大金はもらっているかもしれませんが、契約として勝ち取ってもらっているわけですし、長いシーズンの中のある瞬間には結果がでないことは当然あるわけですが、ちょっとダメだったら、スタメン起用するな、入れ替えろ、ここがだめだ、だのなんだの批判されます。

いや、まあ批判するのもまた自由ではありますが、応援しているなら、もうちょっと信頼してあげなよ、と思うんですよね。

もちろん、真剣に応援しているからこそ、悔しいし、文句も言いたくなるのでしょう。

でも、試合に出ている選手は、一番近くて彼らを見ている首脳陣が、彼はやれる、と思って出しているわけですよ。

もしかしたら、彼はまだまだだが、今後のために経験を積ませてやりたい、と思っているのかもしれません。

出ている選手だって、やってやるぞと思っているわけです。

それで全部上手くいったらそんなの常勝チームで、逆に面白くないですよ。

もちろん、目標はリーグ優勝、日本一なわけで、目指すべきはそこですが、ちょっと最初の結果が、悪かったからといって、批判ばかりするのはなんだかなあと思いますね。

プロなんですから修正はしてほしいですが、プロなんですからもしダメならクビ切られるだけなんですよ。

厳しい世界ですよ、本当に。

せめてファンは信じて応援してあげましょう。


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新年度が始まる




いよいよ4月ですね。

1年は1月から始まっていますが、新年度は4月から。

ということで、新入社員の方や新入生のカタは新たな環境での新生活が始まりますね。

コロナによる生活の制約も緩められていますので、出社や対面により授業も徐々に通常に戻るのではないでしょうか。

慣れない環境なら特に、対面環境の方がより馴染みやすいと思いますので、個人的には良かったなと思いますが、よく考えると、これまでオンライン環境に慣れすぎた人にとっては不安も大きいのかもしれませんね。

今までは画面越しのコミュニケーションで済んでいたのが、対面になるとまた違った印象になるでしょうから。

マスクに慣れすぎて外すことが嫌な人が増えてきたなんてニュースも見ますので、何かしら影響があるのだとは思いますが、私の周りにはそんな人がいないので、実感としては湧きません。


おじさん化が進んでいるのか



若者の話についていけないおじさんみたいになってしまっているのかもしれません。

しかし、そのうち、マスクを外したくないのに外せと言われる、マスクハラスメント、略してマスハラなんて言われるような時代が来るかもしれません。

一昔前は、セクハラやパワハラなんてのも大っぴらに問題とされなかったわけですし、どうなるかま誰にもわかりません。

すでに、テレワークばかりの社員に、出社しなさい、と言うのですら、場合によってはパワハラになると言われかねない、そんな環境になってしまっているわけですから。

仕事で成果を出していたらいいんでしょという考え方は間違ってはいない気はしますが、完全に正しいわけでもないかもと思うのも、やはりおじさんになってきたが故の先入観でしょうか。

気持ちは若いつもりでも、他人から見たらおじさんですからね。

 


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YESマンはやはり嫌だけど、、、

 



私の場合、上の人から何か言われたら、嫌だなあ、面倒だなあと思いますし、気を病むこともありますが、一方で意外と指示内容は無視するというか、確かに正しそうなところは受け入れつつ、どうだろうなというところは表面的に対処するという方法を取りがちです。


後半は、まさに今やってますと言って逃げて時間が過ぎるのを待つとか、一応やってはみて見せるが、その場限りの対応でしかないとか。


一応、指示されたことは考えてはみますので、後半の場合で、もしも本当は正しいとなったら、時間が経てば必ず自然と、確かに必要だなと考えるようになると思っています。



すぐやれるならやればいい



もちろん、こういうデータが見たいとか、こういう分析がして欲しいとか、の指示ならすぐにやればいいと思いますし、階層がすぐ上の人の指示なら、反論できないなら従うべきと思います。


でも、直属ではない、さらに上の人から思いつきのように言われたことをいちいち対応するのはむしろ良くないことだと思います。



やらないことも大事かも



最終的なお客様がその上の人たちなら対応すべきですが、そうではなくて、他に気にしないといけない人が別にいるなら、例えば最終的には得意先や消費者がいるなら、その人たちを見たほうが、長期的にはいいはずです。


その上で、上の人たちの指示が、その最終的な相手先のためになるなら従えばいいですし、そうでないならお茶を濁した対応でいいと思います。


無回答はまずいということであれば、表面的な対応をしておけばいいのではないかと思います。



YESマン vs Not YESマン



中には典型的なYESマンもいます。


まあ、そういう人が一方では重用される現実は確かにありますが、誰を見て何のためにその指示を遂行しようとしているのかを考えたときに、バランスは持って欲しいなとはやはり思います。


そして、典型的なYESマンでない人もいます。


部署を任されている身として、バランスを取ろうと苦労しているのですが、生半可な重圧ではないのだろうなと、心労含めて察することができます。


私とは立場や階層が違いますから、かかる重圧も強さも、違うのは間違いありません。


私なんて、責任のないところで、ある種ただ好き勝手やっているだけです。


そういう人を見ていると、YESマンになった方が、ある意味楽になるだろうと感じます。


でもそれが正しいとは思ってないから、色々な人のことを考えてバランスを取ろうとしているのだと思います。


尊敬しますし、信頼もできますが、そういう人だからこそ、無理をして、倒れてしまうとかがないようにしてほしいです。


そういう人がバカを見る世界であって欲しくないです。



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火の粉がふりかかるセミリタイア志願者




回り回ってですが、他部署の尻拭いというか、他部署へのクレーム対応の矢面に立たなければならなくなりました。

まあ、これまでずっと、2部署の間に入ってコミニケーションの取り次ぎ役をしていましたので仕方がないと言えば仕方ありません。

恐らくですが、そのクレームを受けている部署が直接攻撃されるよりかはマシな気もしますし、そういうのを想定してかどうかは分かりませんが、あえてその部署はコミニケーション窓口から外れていたような気もします。

まあ、個人的にはなんで意思決定権のない私が責められなくてはならないのか、納得いかないというか、嫌な気しかしないですけど、全体を見れば私が責められている方がいいような気もします。

まだペーペーですし、私を責めたところで、たかがしれていると言えばしれてます。


ただし、


ただ、私は一時的にでも信頼をなくすのですよね。

それがイマイチな気はしています。

仕事熱心な人がいれば、細かいところまで気を使って管理しようとしなかった私の責任もあると言うでしょう。

そう言われたら、最善中の最善は尽くしていないので、反省するところはある気もします。

それでもかなりいろいろと動いてきたつもりです。

ただ、そろそろ解決が見えてきたかなってところで、前提条件と今の状況が変わっていることを知らされたのはどうしようもない気もしますが、そんなことはクレームをつけてきた部署は、知らないですし、私も言えません。

逆に、クレームを受けている部署は今、私が責められていることを知らないでしょうし、あえて言おうとも思いません。

出てきて説明してくれたらなと思いますが、言ってもまあしないだろうと諦めています。

だから、間に入ってしまった自分を呪えど、あなたたちのせいで大変ですよ、と直接に愚痴を言う気はないですし、今は自分ができることをやるしかありません。


理解している人はいるからまだいい


幸いにも部門長的な人は状況をわかってくれていますし、お前も大変だな、ってな感じなのは救いです。

そうです、大変です。

それでも、人知れず日記がわりに続けているこのブログには吐き出ささずにはいられません。

ほんと、面倒くさい。

ま、命に関わることじゃないからいいですけどね。


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コミュニケーションを頑張るセミリタイア志願者


ニューヨークに出張中でして、昼間は仕事、夜は会食というような感じで過ごしています。

昼間は結構きつきつにMTGが入っており、あまり余裕はなく、夜は夜で英語での会話がメインの会食です。

仕事の話ならまだ話題の見当がつきますので、ついていくのも比較的簡単ですが、いわゆる会話の英語についていくのは結構辛いことがあります。

容赦なく早口で喋られますから、そもそも難しいのに、内容もコロコロ変わっていきますからね。

自分が喋るのが可能なスピードよりも早いスピードの会話は聞き取れない、ということを数年前に耳にしましたが、まさにその通りですね。

日本語なら聞き取れるのでしょうか?


コミュニケーション


そもそも私は積極的に話すタイプではないですし、それは言葉がどうであろうが関係ないです。

つまり、日本語の会話もそんなに積極的に参加しないから、英語の会話になるとより参加が難しくなる、というのは自然なことだと思います。

日本人が数名参加していたのですが、別に皆が皆、英語ができるわけではありませんでした。

そうなると、会食の場でも、どうしても日本人だけで固まって、日本語で話をするなんてことがおきます。

周りがどう思っているかはわかりませんが、個人的にはあまりよろしくないことだと思います。

どうしても閉鎖的に思われてしまう気がするのです。

日本語の会話には周りの海外の人は参加できませんから。

日本人同士が英語で会話する分には構わないと思うのですが、日本語でやるのはどうかなあといつも感じます。

まあ、全く英語ができない人にとっては、英語での会食がとてつもなく辛いものだと思いますから、その気持ちも分かるのは分かりますが。


せめてもの心がけ


会食の場では私はなるべく、日本人とは離れて座るようにしています。

そして、なるべく場には最後まで残って、会話の内容は分からなくても、にこにこしながら参加している風を装う、そして、稀に聞き取れる内容について質問して、一応会話には参加する意思があるよと示す。

まさに以前のブログにも書いた内容ですが、実践しています。

先日のブログ

一緒の時間を過ごせばより仲良くなれるのではないか、というのが持論ですので、そうしています。

やはり苦痛はありますけどね。

仲良くならないよりかはなった方がいいと思っていますし、それで仕事が円滑に進むなら、その方がいいなと思う次第です。

そして、意外と大事なことではないかと思っています。

お、お前は残るのか、って嬉しそうに言われることもありますので。

快適ではないですけど、判断に満足はしています。


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【危険】ニューヨークとタクシー

 




会議に参加するために、出張でNYに行きました。


私の他にも日本人が数名参加していましたが、アメリカ人、イタリア人、スペイン人、イギリス人、韓国人も参加する会議でした。


コロナ禍だと、オンラインで会議していたかもしれませんが、出張で対面で会えるようになったのはいいことです。


私は会議の1日前に現地に入らなくてはならず、日本から1人移動を先にしました。


NYは初めての訪問で、基本的になにもわかっていなかったのですが、どうも白タクがいるらしいということは知っていました。



ニューヨークのタクシー事情



しかし、白タクに乗ってしまいました。


空港を出てすぐのところにいるもので、さっそく捕まってしまいました。


正規のタクシー乗り場のすぐ横で客引きをしているので、最初は普通のイエローキャブなのかと思っていました。


ただ、基本的に信頼していなかったので、客引きにはついていきたくなかったのですが、彼らの言い分はこうです。



誘い文句



どこに行きたいんだ?そうか、お前の行きたいエリアへの乗り場はこっちだ、あっちの乗り場は違うエリアに行きたい奴ようだ。


冷静に考えると、そんな区分けがタクシーでされているはずはありませんが、その言葉を信用してしまい、乗ってしまいました。


乗った直後、運転手のライセンス表示やメーターを回すそぶりが無く、そこで、あれ、これは白タクか?と気づいたわけです。


タクシー乗り場にはたくさん人がいましたが、誰1人として、それに乗るなとは言ってくれません。


自己責任ってやつですね。


そこから、運転手との会話、交渉を始めました。




交渉



何回か来ているけどに、この辺は変わらないねえ、から会話を始め、あのエリアまで行くのに、だいたいいくらくらいだよね?と、急ぎGoogleで調べた相場金額を伝えます。


最初、ドライバーは、いやいや価格は上がっているんだよ、と相場の4倍くらいをふっかけてきました。


そこで、それは高すぎるだろう、3ヶ月前に来た友人に聞いたけど、相場くらいの金額だったと聞いたぞ?と言いました。


はっきりいって、慣れている人はそもそも白タクには乗りませんので、乗った時点で私はカモと思われていますが、気にせず、ブラフをかますしかありません。


それでもドライバーは、価格は変わったんだと言います。


いやいや、高すぎるとまた私は言いましたが、ここで一つの不安が私の心によぎりました。


アメリカは銃社会です。


万が一の場合、人気のないところに連れて行かれて、、という可能性がある状況に私はいるのです。


強気すぎる交渉もしない方がいいなと、ふと感じたのです。


そこで、まず私は、NYの知人にタクシーに乗っていると連絡するとドライバーに伝え、またしてもこそっとGoogleを駆使しながら、窓から外を見て、ああ、ここはどこらへんだね、とか独り言っぽくいいながら、携帯をいじりました。


そして、電話をするふりをしながら、日本語でいろいろ喋りながら、地名やエアポートとか、ドライバーの想像を掻き立てることを言いました。


私以外の誰かが、何時ごろにどこらへんで車に乗っていることを知っているぞ、とドライバーに分からせる行動でした。


なにか私にあれば、警察にカメラなどで追跡されるぞ、というようなことを暗にドライバーに伝えるためです。


電話を終えて、改めてドライバーに、目的地まで幾らかを尋ねました。


すると、相場の1.5倍くらいの値段を言われました。


ある程度は勉強料だと思っていた私は、その金額でわかった、とドライバーに伝えました。


それからは目的地まで連れてきてもらい、カードで払おうとしましたが、なぜかカードが反応せず、現金で支払いをさせられることになりました。


しかし、私も現金の持ち合わせは少なく、ドライバーの言う金額に10ドル足りず、それでいいかと尋ねたら、いいよと言うので、その金額を払いました。


結局は無事に目的地に着けましたが、内心はヒヤヒヤしながらの白タク移動になりました。




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オンライン環境の浸透と人間関係




コロナ禍になり、オンライン会議が容易にできるようになりました。

 

ビデオ会議システムは以前からもありましたが、機器を使用しなければいけないために、使用できる部屋が決まっているとか、あまり使用者が詳しくないために設定サポートが必要とか、今のデスクトップ上のアプリから簡単にアクセス、というよりは難易度が高かったと記憶しています。

 

そうやってどこからでも働けるようになったというのはいいことだと思いますが、やはりなんだかんだで実際に顔を合わせた方が人間関係は確実に深まる、と私は思います。



古い価値化かもしれないが

 

なんとなく、人となりを知れるのは対面ならではないかと思いますし、ちょっとした相談や世間話をする機会が増えやすいのは対面だと思います。

 

もしかしたら、デジタルに慣れている世代ではネットの中で人間関係を築いていくのが普通で簡単なこととなっているかもしれませんし、それは私にも分かりません。

 

私が古い人間なのかも知れませんが、それでもネットだけでは人間関係を深めていくのは難しいと感じます。

 

ただ、その対面機会があったとしても、そこでどういう態度を取るかが全てということも間違いありません。



ある事例



例えば、10年くらい前にある日本人のブログで読んだのですが、その人は海外にいた際、定期的に開かれる飲み会には必ず参加していたそうです。

 

その人は英語での世間話には語学力の低さからついていけなかったそうなのですが、必ず会には参加して、楽しそうに振る舞うことで、自分はみんなと仲良くしたいんだということを示そうとしていたらしいです。

 

これは極端な例かもしれませんが、そういうやり方も一つあるのかもしれないと当時から頭に残っています。

 

態度で示そうよ、ってやつですね。

 

ただ、これは実は重要だと思います。

 

結局のところ、自分と仲良くしたいと思ってくれる人の方が、そう思っていない人よりかは近づきやすいですし、自分も仲良くしたいと思うのは自然ですよね。

 

また、気をつけないければならないのは、損得勘定のある仲良くしたいという気持ちは結構見抜かれます。

 

あ、この人は今自分に営業をかけてきているぞと思ったら、それだけでこちら側は一歩引くことがあると思いますので、自分が逆の立場に立ったら相手がそう思うということです。


 

コミュニケーションは難しい



ネット環境だと、そもそもボディランゲージなどがやりにくい、身体的距離感は使えない、など、ただでさえ自分の思惑が伝えづらいというのがありますので、自分が仲良くしたいという思いもなかなか伝わりづらいでしょうし、そのために変な誤解も生みやすいということもあるのかなと思います。

 

メールでやり取りをするのと、会話でやり取りするので、どちらがより誤解を生みやすいか、を考えるとわかりやすいと思います。

 

だからこそ、対面でない場合のコミュニケーションはより注意を払って行なう必要がありますが、対面でのコミュニケーション機会が減っているのだとすれば、その対面でのコミュニケーション機会をより大切にすることで、人間関係をうまく構築しないといけないなと思っています。

 

 

 


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ポジティブについて考えるセミリタイア志願者





仕事をしていると、よく、ポジティブに考えるように、と言われます。

 

仕事に限って言えば、なぜできないかを考えるのではなく、どうやったらできるかを考えろ、というようにも言われます。

 

前者は後ろ向きな思考で、後者は前向きな考え方だと言えるかもしれませんね。

 

どうやったらできるかを考えて、それでもできないのだったら仕方ないから、まずは考えろという感じです。


実際問題


 実際問題、物理的に考えてその実現は無理ですよ、あるいはそこまでして実現する必要はありますか?という案件はたくさんあります。

 

その実現の指示を出す人が詳細までは良く分かっていない指示を出す場合もあるのですから、それは当然と言えば当然です。

 

ただし、それがなぜできないのかということをただ伝えるだけでは、それをできるようにするのがお前の仕事だ、と良く分からない叱咤激励を受けるだけで終わってしまうことがあります。

 

この点は考えたのか、こういうことはできないのか、という質問が来てうまく答えられないと、それ見たことかとばかりに攻勢を許してしまいます。

 

ですので、確かに、説明をする場合でも、こういうことを実現しろと今言われていますよね、という確認をした上で、ここのポイントを妥協すればここまでは実現できます、まったく妥協しないのならこのポイントの実現は絶対に無理です、ということを論理的に説明しながら、あなたの目標はここにあるわけですからこの目標達成のためにはここは指示を変えてもらった方がいいと思いますが、という説得の仕方をすれば、話の分かる人であれば、もう少し深く考えてくれるようになると思います。

 

当然ながら、そういう説明をしても、やはり、それを全部でできるようにするのがお前の仕事だ、と言ってくる人もいますが、その場合はもうどうしようもありません。


言うは易し

 

とは言っても、ポジティブに考えるように、というのは言うは易し、行なうは難しで、実際に物事に取り組んでいる人はどうしても近視眼的なものの見方になります。

 

そういう時に、第三者的に意見を言ってくれる人、かつ経験がある人にアドバイスを求めるというのは効果がある気がします。

 

ああ、そうやったらできるかもしれないんだな、ということに気づくことがありますので。

 

私自身、別にポジティブシンキングができる人間ではないのですが、確かに、仕事でストレスを抱えてしまうよりかは気持ちは楽になるかもしれないなと思うことがあります。

 

ストレスを抱えれば抱えるほど、後ろ向きな考え方になりやすくなりますし、それによってさらにストレスを抱えてしまう、という負のスパイラルに陥ることは自身の経験からも可能性が高いなと思います。

 

それならば、いっそのこと、どうやったらできるのかを考えた方が、答えが出るかどうかは分かりませんが、負のストレスを抱え続けるよりかはいいかもしれないなと思います。


生き方


 というか、仕事でストレスを抱えてしまう私のような人がセミリタイアしたいなと言って求めているのは、恐らく、自分自身に選択権のある生き方で、それは恐らく前向きな考え方をしたいという思いがあるのでしょう。

 

仕事をしているとどうしても後ろ向きな考えになってしまうので、なぜそんなすり減り方をしなければならないんだという思いを持ちますので。

 

そう考えると、ポジティブに考えるというのは、仕事だけの話ではなくて、生き方そのものに当てはまることなのでしょうね。



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