経済ショックが来るのか?


 

 


 

経営再建中の中国不動産大手会社に対して、香港の高裁が法的整理の手続きを始めたそうです。

 

香港では他の中国の都市に比べて、その歴史的な背景からか、比較的公平性を重視する文化があると評価されているようで、恐らく法務視点だとは思いますが、中国政府の意向や判断基準よりかは公平性があると評価されているということだとは思いますが、債権回収手続きを始めたい海外債権者が申したてをして、それが認められたようです。

 

それでも実際にどうなるのかは中国当局の裁量次第ということのようですが。




どう対処するのか


 


まず、この不動産大手会社が抱える債務の規模が甚大ではなく大きいと言われておりますので、その債務が回収できないということになると、多くの債権者に被害が及ぶことが予想されるばかりか、その影響度合いも計り知れない一方で、恐らく大きく資産を減らしていることが予想されますので、実際に債権回収が始まっても多くの債権者は泣き寝入りしなければならない可能性があると予測します。

 

そもそも既に会社としての体をなしていなさそうな会社の債権回収手続きを始めさせないのは、債権回収の実現可能性が一部にとどまるために、もしそうなった場合の影響がコントロールできない、だから会社の清算手続きそのものを開始できない、ということなのではないかと予想しています。

 

さらには、経営危機に陥っている会社は1社だけではなく、複数あると噂されている中で、1社の清算手続きを進めてしまうと、他にもという波及効果が出るでしょうし、そうなればよりコントロールが効かない、カオス状況に陥るということが予想されますので、そもそも最初の一歩を踏み出せないという状況もあるのではないかと予想しています。




どうなる世界経済

 



引き続き、中国は市場規模は大きく、富裕層も多いと市場ですので、中国の市場としての魅力は決して低くはないとは思いますが、これらの状況やその背景を鑑みるに、実際に中国で事業をやることのリスクもまた再認識されたというのが正直なところではないでしょうか。

 

指をくわえて見ているにはもったいないが、いざ入り込んでいくとそのリスクの大きさも実感する、そういうちょっと複雑な環境下に置かれた市場でしょうが、こと投資家という目線に立った際、今後海外投資家が中国をどのような目線で見るのかというのは気になります。

 

変な話ですが、それに比べると日本市場は成長性は低いですが安定しています。

 

もっと言うと、安定してじわじわ衰退しているという状況ですので、決して良い状況ではないのですけれども、悪い意味ではあっても安定はしている状況ですので、海外投資家や海外企業にとって魅力的かどうかは分かりませんが、リスクが小さい市場です。

 

まあ、成長可能性が低いなら、投資する優先度としては決して高くはないとは思いますけれども、昨今はロシアも含めて地政学リスクというのが改めて認識されていますし、中国もどうなるかというのは注目です。

 

中国本土にいる、知り合いの中国人にきいても、やはり経済環境は良くはないということを聞きますが、それでもまだ市民生活は送れる状況ではあって、暴動が起きるとかという状況ではないと聞きます。

 

ただ中には、給料が下がっているというように、実際の生活に影響が出てきているとという話も聞きます。

 

一方で、日本に来る中国人観光客の数が増えているという話や、これから来る旧正月でもさらにその数が増えるかもしれないと言われていますので、お金を持っている人というのは引き続き持っているというのが正直なところなのでしょうし、ある種の格差がすごいことになっているだけなのかもしれません。

 

いずれにせよ、以前にも書きましたが、中国経済がダメージを受ければ、それは日本も含めたグローバル経済のダメージとして跳ね返ってきます。

 

これだけ色々な国が複雑に絡み合っている経済環境下では、日本も必ずダメージを受けてしまいます。

 

誠に自分勝手な発想ではありますが、確かにこれまではその恩恵をほぼ無償で受けていたのかもしれませんが、普段真面目に働いている日本人の人が突然の派遣切りなどにあって困窮しないように願うばかりです。

 

正社員はまだ雇用は守られていますし、その意味では私の雇用も一定程度守られてはいますし、贅沢しなければ生きていけるだけの貯えもありますが、こういう時に影響を受けるのは立場の弱い人たちからです。

 

自然災害に対してなら、ちゃんとした大きな組織に募金をして活用を願う、というのもやりやすいですが、経済的な問題を発端にしたマイナスの影響に対しては、NPOなどの小さな組織がメインに動きますので、なかなか支援する方法も分からないというのが正直なところです。

 

困ったときは助け合い、の精神は大切だと思いますし、実際に子ども食堂の運営やホームレスの方への配膳など、サポートしているNPOは周りにもありますので、興味のある方はそういう情報も検索してみてください。

 

有象無象ありすぎて、結局良く分からなくなっている、というのもある気はしますので、それはそれで問題だなという気もしますけれども。

 

 


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企業の不祥事



とある大手自動車会社グループで、認証に関わる不正が色々と見つかっています。

 

世界的なグループで、その経営手法はビジネススクールのケーススタディの題材になるくらい、世界でも興味を持たれていて、また尊敬もされており、そのグループ発の日本語がそのまま英語でも使用されるというくらいですし、業績も株価も右肩上がりです。

 

内情は知りませんが、これまでも、その巨大な購買力と影響力を駆使して、サプライヤーや下請けに対しては厳しい要求を課して、それによって元受けが利益を上げているというような話を聞くことはありました。

 

その業界で力を持っている会社というのは、それを競争優位として利益を上げようとするのが資本主義だと思いますので、例えそうしていたとしても不思議には思いませんし、どこの業界でも力を持っていればそのようなことは必ず起きているのがこの世の中の仕組みだと思います。

 

普段我々が生活のために買い物をするスーパーにしても、我々は安くてうれしいなと思う製品について、それは本当にスーパー側が利幅を削って我々に提供をしてくれているのかどうか、考えてみれば分かると思います。

 

まあ、利益額を上げるために、スーパー側としても少しは自己犠牲を払って利益率を下げていることはあるとは思いますが、その負担をしているのは果たして誰なのか、もちろん誰かがその負担をしたとしても、売上を取れるなどのメリットがあるからそうしているのでしょうが、パワーを持っているのは誰なのか、ということを考えれば、そのパワーをどのように行使しているのかも想像は容易だと思います。





パワーの影響は避けられない




 

でも、そういうものなのですよね。

 

パワハラやセクハラ、その他諸々のスキャンダル、多くの場合はパワーを持っている人がそれを濫用する、それを笠に着て弱い人を従わせることで起きているのであって、残念ながらそれが社会の縮図でもあります。

 

パワーがあると、よほど気を付けないと、それによって自分が偉い人間だ、上の人間だと勘違いもしやすくなるのでしょう。

 

しかし、色々と問題が発覚してくると、今までがやりすぎだったのではないか、という話も当然に出てきます。





企業体質か本質の誤解か


 



今回の大手自動車会社グループの話でも、その効率性の高さや利益を生み出す力がこれまでは褒め称えられることもありましたが、それを追求しすぎた結果として、納期を遅らせられない、認証をいつまでに取らなければならないというプレッシャーがある職場環境になり、それが結果的に不正に手を染めることにつながってしまう、というような論調が増えるかもしれないなと思います。

 

実際問題、何が原因なのかはよく分かりませんが、当然にそのような企業風土は影響することもあるでしょうし、それは特に上からのプレッシャーが強いと起こりやすくなります。

 

私も、トップダウンというのは必要だと思っていますし、何もそれは悪いことではないと思っています。

 

サラリーマンとしていても、これについてはもっと上の人が決めてくれないととか、会社の方針が見えないとか、そういう不満を言う機会、聞く機会がありまして、それはトップで意思決定をしてほしいということですし、それが求められることも確かにあります。

 

しかし、方向性を示してほしいという思いがある一方で、トップの言うことが全て正しいとは限らないわけですし、トップが関与しすぎるとおかしなことになることがあるというのも間違いありません。

 

実際に、トップは何も現場のことを分かっていないんだよな、ということを言う、耳にする機会もあるはずで、それはつまりトップが現場の内情を分かってないということですし、その状態で判断をするというのもまたリスクがあるということです。

 

現場のことは知らんがこれが大方針なんだという意味でのトップダウンも効果がないことはないですし、それがブレークスルーにつながることもありますから、難しいところです。

 

一方で、我々がトップの意思を勝手に間違って理解してしまって、あるいはその本質をとらえないまま理解してしまって、それに基づいた行動をするので結果がおかしくなるということはあり得ると思います。

 

今回の場合も、トップは不正をしてでも納期を守れ、とは思っていないはずで、そんな指示も絶対にしていないと思います。

 

ですので、不正に手を染めたのは現場の判断だと思っていますが、現場としてもそうしたかったわけでは絶対になくて、避けられるなら絶対に避けたと思います。

 

そんな中で、その不正に手を染めざるを得なかった、その判断につながったなにかは、間違いなく、誰かがトップの指示内容の本質を誤って捉えて、それを守ることに必死になったからではないかと思っています。


部下の相談に対して真摯に向き合わないという体質も問題ですし、不正しろとは指示していないと言い訳するかもしれませんが、そもそもそういう体質は本質の誤解から生まれるのではないかと考えます。

 

そういう意味では、トップの指示、上に立つ人の指示というのは非常に重要で、影響力があり、一言一句に気を付けなければならないということなのでしょう。

 

効率を上げていきましょう、それによって世界一の販売を目指しましょう、という指示があったとして、それは不正をして、消費者を危険にさらしてでも達成したい目的ではないはずだというのは普通に考えれば分かると思いますし、全ての経営層や従業員もそう思っていたと私は信じます。

 

ただ、なぜかどこかで、効率を落とせない、世界一にならないといけない、という目標だけが守らなければならない絶対のものになってしまった、それがトップの指示だと誤って理解をしてしまった、ということなのではないかと思います。

 

そして厄介なことに、そういう誤った理解のもとになっているのは、根拠のないうわさであったり、勝手な思い込みによって、トップはこういう人だ、トップはこう考えているんだ、ということが誤って強調される一方で、多くの人はそれを直接に確かめる手段がありませんから、それが正解なんだと信じてしまうということがあると思います。

 

そしてこれはどんな組織であっても、人の数が大きくなれば起こりえることなのだと思いますし、私が勤める会社でも起こっているなということは感じます。

 

風通しを良くする、という一言は便利な言葉ではありますが、トップの本来の意図を明確に伝えるという意味では馬鹿にはできない言葉なのだろうと思います。

 

 


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指名手配犯の続報



 

 

 

さて、先日ブログにも書きましたが、死の間際に本名を明かした指名手配犯の続報ニュースが入ってきました。

 

それらを見ていると、これは決して勝ち逃げをしたわけではないな、という気がします。

 

医療サービスを受ける際に偽名を使用していたことは間違いなさそうですが、保険証を持っていなかったという情報もありますので、保険適用なくすべて自費で支払いをしていたのかもしれません。

 

当然、協力者が資金サポートをしていた可能性はありますが、本人は土木関係の仕事に約40年もの間ついていて、同じ会社で働き続けて、小さい散らかった部屋で生活をしてたそうです。

 

近くにあるバーでお酒を飲んで音楽を聴きながら楽しむ様子も目撃されていたようですが、少なくともここ最近についていえば、暮らしは楽ではなかったのだろうと思われます。




勝ち逃げではないな


 


もちろん、指名手配をされながらも捕まらずに逃げおおせたという意味では勝ち逃げではありますし、現在に至るまでにどういう暮らしをしてきたのかは分かりませんので、もしかしたらいい暮らしをしていた期間がある可能性もありますが、なんとなくその可能性はそこまで高くなさそうだなというか、苦労をして生き延びてきたのであろうかという気がします。

 

まあ、本来であれば刑罰を受けなければならない立場ですので、そこから逃げてきたという事実に関して言えば全くもって擁護もできませんし、仮に極貧の暮らしをしていたとしてもそれをかわいそうだとも思えないですし、自費で医療サービスを利用していたと聞いて負担が大きくて大変ですねとも思いません。




人生の選択肢

 



人間ですので、常に100%の清廉潔白さでは人生を過ごせないとは思いますが、もしも真っ当に生きていれば違った人生はあったはずですし、この指名手配犯は大学にも通っていたということで、その違った人生は、50年近く逃げ隠れする人生よりか満足度は高かったのではないかと思います。

 

もちろん、生きていればなんでもある世の中ですから、違う人生を歩んだところで、別のストレスに悩まされることもあれば、不幸に感じる出来事にも見舞われれば、こんなことであれば、と思うことも当然にあるとは思いますし、やり直さない限りどの選択肢が正しかったのかが分からないのが正直なところです。

 

昔あったドラマで、2つのうち、どちらの選択肢を選ぶかで主人公のその後を描くドラマがありました。

 

基本的にはどちらかの選択肢が幸せにつながっていて、その一方が不幸につながっているのですが、場合によってはどちらの選択肢も不幸につながっているなんてこともあり、そういう運命でした、というシナリオもありました。

 

ただ、例えどちらの選択肢を選んだにせよ、別の選択肢の方が正しかったかどうかは分からないのが人生です。

 

真っ当に生きていない政治家が私服を肥やしていたなんていう話がある今日この頃ではありますが、だからこそばれたときには責められているのでしょうし、人によってはもう議員再選の芽が摘まれてしまう人も出てくると思います。

 

それでも生き残れる人がいるところ、持つものと持たざるものの存在があるところ、この世の中が不公平だなと思う点ではありますけれどもね。

 

政治家と庶民を比べれば政治家は恵まれているかもしれませんが、政治家の中ではまた勝ち組とそうでない人が存在しているということです。

 

しかしながら、一般的に言えば、より真っ当に生きていれば、より幸せな人生を送れる可能性は高いのではないかとも思いますので、今回の指名手配犯については道を間違えたのではないかと思ってしまいます。

 

人生を棒に振るまでのことを若いころにして、人生の後年においてはそれをどう考えていたのか、というのは少し興味があるところではあります。

 

少しは考え方も丸くなって、間違った手法を取ったとか、違う方法もあったと今になれば思うとか、そういうことを思っていて欲しくはありますが、今となっては誰にもわかりません。

 

逃げ続けて逃げ続けて、結果として彼が得たものが何だったのも気になるところですが、逃げ勝ちではあって欲しくはないですし、そうではなかったのではないかと思います。

 


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人事評価はアピールの場なのか




 

この季節は人事評価の季節です。

 

昨年度の振り返りもありますし、今年度の目標設定もあります。

 

振り返りに関しては、まずは上長と自分自身の評価の振り返りを行ない、その後上長クラスの人が集まって、組織の中でのあの人の評価がどうだこの人の評価がどうだというのをやって、最終的に私の評価が決まる仕組みのようです。

 

当然に私はその集まりに参加したことはありませんが、参加したことのある人曰く、結構大変な会のようですが同時に面白くもある会のようです。




人を評価するって大変


 


絶対評価ではなくて相対評価の上に、もちろんながらそういうパフォーマンス以外のお気に入りとか年次とか、諸々の要素が絡みますので、参加している人は大変だというのは想像できます。

 

私はそこまでではありませんが、中には自分が当然評価は高くつけられるだろうと期待している部下もいますし、そういう人がいざ自分がそこまで評価が高くないという子が分かると結構かみつくなんてこともあります。

 

そういう人こそ意外と周りが見えていないことが多い気はしますが、客観的に観てああだこうだという主張をしてきては納得をしないという話も聞くことがあります。

 

もちろんしっかりと成果を出しているのに低い評価をされてしまうのは問題ですし、是正をしなければならない点であることも良く分かるのですが、もしも本当に評価をすべき人であれば、自分の上長だけではなくて周りから高い評価をするようにサポートをもらえるはずで、それがないというのはやはりそこまでだと思われても仕方のない何かはあるのだと思います。

 

極端にずば抜けた成果を出せる人はそんなに多くはないとは思いますが、それでも成果を出している人のことは、周りの人も分かりますから、彼や彼女が高い評価になるのは仕方ないなという意見情勢が自然とされても不思議ではないことを考えると、そうなっていないのには何かあるのだと思います。

 

自分はちゃんとやっているつもりでも他の人はそれ以上にやっているとか、もっと組織全体に影響のある成果を出しているとか、他の人の方が評価が上ということも十分にあります。

 

そういう話を聞くと、そういうややこしいことを言う部下が自分にはいなくて助かったなという思いがするのが正直なところです。

 

そういう人であればあるほど、ロジカルに説明をされても納得をしないことも多いような印象を受けますし、なんなら評価をしてもらえないなら仕事のパフォーマンスを下げますという変な主張をすることもあります。

 

そういうことをするから評価もされないということにつながってしまうということに気付いていないのかなと不思議になります。

 

まあ、私も必要以上に仕事に人生をかける必要はないと思っている人間ですから、何が何でも仕事をやれとは言いませんが、それでも周りに迷惑をかけてしまうくらいにパフォーマンスレベルが落ちればそれは組織で生きている人間として問題だなとは思います。

 

周りには迷惑をかけない程度にうまくては抜きつつ、それでいて責任はしっかりと果すのが目立たずにしかし信頼も失わずに組織の中で長生きするコツです。

 

変に目立って誰かに目を付けられるほどやりにくくなることはありませんので、そういう意味では適度に成果も出す必要があると思っています。

 

ただし、それを評価してもらうかどうかというのはまた別の問題で、実際に所真面目にやっていれば誰かが評価はしてくれるとは思いますが、その評価によって自分が望まない結果が待っていそうなのであれば、無理に評価をしてもらわないという働きかけを裏でしておくことは大切だと思います。

 

逆に評価をしてほしい人は声を大きく、自分のやってきたことをアピールする必要はありますが、その場合でも節度を守って、自分はすごいと勘違いしすぎないというのも大切なことかなと思います。

 

まあ、とにかく大したことがなくてもアピールする人もいますし、実際には声の大きい人の意見が通るというのも嘘ではありませんが、それで自分の思い通りにならないからと文句を言うのもまたちょっと違っているよなと思います。

 

私は、ちゃんと仕事をしていますよアピールはしますが、こんな素晴らしいことをやりましたアピールはしないようにしています。


人事評価もアピールの場ではありますが、実際には普段の仕事ぶりがなによりのアピール手段です。

 

真面目にやってさえいれば、そんな変な評価はされませんし、評価なんて組織の事情で適切にされるかどうかも分かりませんので、そんなものだくらいの心構えでいる方がいいと思っています。


まあこれは私が日本企業に勤めているからであって、外資系だといかに自分の功績をアピールして認めさせるかですから、またちょっと様相は変わるのでしょうけどね。

 



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指名手配班への複雑な思い



指名手配されて約50年捕まっていなかった容疑者が、病院での治療中に自らが本人であることを明らかにしたそうです。

最期くらいは本名で、という思いからだそうで、闘争生活に疲れたのか、この先永くないと思って気弱になったのか、理由は分かりませんが、少なくとも公安や警察も、本人からの名乗り出がなければ捕まえられなかったわけです。

この長期間、逃走できていたということがまず驚きですが、間違いなく協力者がいたのでしょう。

保険証も偽造されていたもののようで、これもまた誰かが手配したのでしょう。

警察は、協力者のネットワークについての供述を求めるでしょうし、そうして一網打尽を狙うでしょう。


 

複雑な思い



彼が行なったことは擁護できませんし、地下に潜っているとは言え危険な組織ですし、そこに属している人を捕まえてほしい思いはあります。

しかし一方で、今回の指名手配犯がそれをペラペラ喋るなんてことがあれば、それはそれであなたにプライドはないのか、と言いたくなります。

なんだか間違っているとは思いますが、今まであなたを信じて、匿って、生活支援をしてきた人を裏切るのか、そうなら逃走生活なんかせず早く捕まっておけ、という思いを持ってしまうと思います。

指名手配犯が最期まで本名を明かさなければ協力者が炙り出されることはなかったわけで、そもそも極端な思想で間違っていただろうとは言え、信念を持って活動していたのでしょうし、今わざわざ本名を明かすのはいいけど、協力者を巻き込むのは信念がなさすぎだろう、という、自分でもこの思考回路は間違っているよなと思うことを考えてしまいます。

実際に被害に遭われた方やその親族の方からしたら受け入れられない思考回路ですよね。

改めて、そのこと自体は間違っていると思いますが、逃走に協力してくれる人がいたというのは幸せなことだと感じます。

私がなんか犯罪行為をして、庇ってくれる人なんていないと思います。

まあ庇ってもらうことで何らかの対価を要求されるなんてこともあるのかもしれませんから、楽なのかどうかは分かりませんけど。

それでも、あなたの勝手な思いでもたらしたことで、仲間を売っちゃいかんだろう、と感じます。

政治家とかに対しては、全部しゃべってしまえばいいのに、と思いますが、それとはちょっと違うのはなぜなのでしょうか。

なんとなく、今回の指名手配犯がすぐ捕まっていたら、共犯者のことも洗いざらい喋って欲しいと思っただろうなと思います。

協力者の情報を喋らなかったからよくやった、とも思いませんが、喋ったらほんとこいつは、と思う気がします。

指名手配犯が本名を明かした動機が自分勝手なものに思えるからそう思うのかな。

まあ、犯罪行為を故意にする人は自分勝手な人なんでしょうけどね。

なんなら、最後の最後まで自分を捕まえられなかった国家権力を嘲笑うためにわざと本名を明かした可能性もあります。

国家権力に残された時間はもうありません。

そうなれば当然、協力者の名前も言わないでしょうね。

それはそれでなあ。


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自衛隊って恵まれないですね



 


 

最近、大雪によって高速道路で車が立ち往生して長い車列ができてしまった際、その解消のために自衛隊に支援派遣の要請を行ない、実際に多くの陸上自衛隊員が除雪作業に参加したそうです。

 

もちろんながら、まずは自衛隊に支援要請を行なうことなく対応しようとしたようですが、最終的には自衛隊に支援要請を行なったということで、それが仕事と言えば仕事なので当然ともいえるのかもしれませんが、自衛隊の方には頭が下がる思いです。

 

能登の地震の際の支援もそうですが、決して楽ではない、むしろ確実に肉体的にも精神的にもしんどい仕事をされています。

 

災害というのはいつ起こるかもわかりませんし、そういう支援要請が行なわれるのは当然に突発的にでしょうから、リラックスをしていようがしていまいが関係なく、予期せずしてそういう仕事に巻き込まれるわけです。

 

大雪への対応でしたらもしかしたら、過去の経験などから、こういうことが起きるかもしれないというのは組織の中で事前共有されて、ある程度心の準備もできるのかもしれませんが、たとえそうであっても何事もなければいいなと思うのが自然でしょう。

 

ある種、自衛隊の人が活躍するということは、なにかしら困ったことが起きている、大変なことが起きているということでしょうし、自衛隊が活躍しない方が社会は平穏だとも言えるかもしれません。


 


祖国のために戦う




とあるジャーナリストが、あなたは祖国のために戦えますか、と発言して物議をかもす問題にもなりましたが、少なくとも有事の際に戦うことを求められるのが自衛隊の人なわけですし、実際に災害支援活動は祖国のために戦っているとも言えますし、多くの人が望んで自衛隊に所属しているのであろうとはいえ、大変な仕事であることには変わりはありません。

 

このジャーナリストの発言に関して私が思うのは、何かを守りたいというのはその何かにどこまでの価値を認めるかという個人的な価値観も影響するのであって、当然に祖国を守ることが大切だという教育を受けてくればそのように思う可能性も高まるでしょうし、そういう教育を受けていないから祖国を守りたいと思わないのだという主張には一理あると思っています。

 

祖国に対しての誇りとか、日本であれば日本人としての連帯意識であるとか、そういうものがあるのかないのか、社会が分断されているのかどうか、そういうことも関係してくると思います。

 

ただし、祖国のために戦うと言っても色々な形での戦いがあるだろうと思いますし、短絡的に銃を持って立ち上がれということに結び付けて考えることには違和感はあります。

 

また、そのジャーナリストは戦場にはいかないだろうから自分も行きませんという主張をする人には、ではそのジャーナリストが戦場に行くと主張したり、あるいは実際に戦場に行く確度が高い人が主張すればあなたも行くということですかと問いかけたくなります。

 

自分自身が何に価値観を置いて、自分であれば何をするのか、しないのかを考えることは大切だと思いますし、ジャーナリストであれ誰であれ、他人が言うことを盲目的に受け入れる必要はなくとも、他人がどうこうするからではなくて、自分の価値判断として、自分ならばどうするかを考えることは大事だと思います。

 

特に、直近で世界は混とんとしているような気がしますし、島国とはいえ、日本の周りには日本を敵国だとみなしてくるかもしれない国がいくつもあります。

 

自分が外国に逃げるというのも当然一つの選択肢ですし、日本に残って戦うというのも一つの選択肢ですし、日本には残るけど戦わないというのも当然一つの選択肢です。

 

まあ実際の有事になると、実は選択肢はあるようでなくされてしまう、というのがロシアとウクライナの戦争を見ていて感じることではありますが。

 

自衛隊に入っている人は、ある程度そのあたりの覚悟をしながら入っていると思いますが、我々は何か有事の際には彼らに守ってもらおうとしているわけですから、その一方で自分自身ならばどう判断するかは真面目に考えてもいいのではないかと思います。

 

戦争が起こらないに越したことはありませんが、外部要因にも大いに依存しますから、完全に自分たちでコントロールができるわけではないことは間違いありません。

 

議論することに拒否反応を起こすのではなくて、何か統一見解を出すということでもなく、まずは真面目に議論してみる、という姿勢はあってもいいのになと思います。


 

 


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軽んじられている仕事ってあるな




 

 

昨年はフルタイム労働者の平均月給が過去最高になったそうです。

 

若年層や高齢層で伸びているようで、人手不足によって、人材確保のために良い条件を提示する企業が増えたのかもとか、高齢層の人が会社に残るようになった結果平均給与を押し上げたのではないかなど、分析がされていました。

 

フルタイム労働者だけに絞ったデータでしたが、パートタイムも同様に給与は上がっているのではないかと推察しています。

 

アルバイトの時給なんかも、私が学生の頃に比べれば確実に上がっているように感じますので、そうしないと人が集まらないというのはそうなんだろうなと思います。

 

一方で物価高という話はありますが、このニュース自体は決して悪くないニュースなのではないかと思います。

 

あくまでも平均ですから、もらっている人がよりもらうようになって全体を押し上げたのかもしれないというのも思いますし、平均給与が上がったことで皆の生活が楽になったかどうかというのは別問題ではありますが、これまでの人件費が安すぎたというのは思いますので、いい傾向ではあると思います。

 




労働の対価




こういう平均給与の話になると、例えば外資系銀行員の平均給与はすごく高いとか、日本企業でも商社の給与は高いという話になりますが、そういう稼いでいる人たちの給与は、例えば医師の平均給与よりも高い傾向にあります。

 

24時間働けますかの世界に住んでいるという点は皆同じかもしれませんが、人の健康や命を預かっている医師の給与が低すぎないか、ということは正直思います。

 

下手をしたら大企業でのほほんと過ごしている人と、人々の健康を支えている医師の人とで、給与が同じということもあり得ますし、看護師や技師さんになると明らかに大企業勤務の人の方がもらっているということもあるでしょう。

 

実際に人間社会に与えている影響という意味では、医療現場で働いている人の方が圧倒的に大きいとは思いますし、労働としての社会的意義も圧倒的に高いはずだと思いますが、その対価という話になるとそこまで差がない、あるいは大企業勤務の人の方が上、ということもあり得るということです。

 

ということは当然に、その労働の社会的意義や影響度も対価の大小にはある程度影響は与えるものの、実はそれらと対価がきれいな比例関係にはないということだと思います。

 

まあ実際に、企業の中でも年功序列の仕組みを見てみると、任されている労働内容と対価がきれいな比例関係になっていないのでしょうし、この社会全体でそのような比例関係はないということなのでしょうが、必要とされている労働の割には対価が低いというのは結構かわいそうな気もします。

 

単純に、必要とされている仕事なんだからもっと対価をあげればいいのにと思います。

 

こういうことを考えると、例えば介護業界はどうなんだとか、ごみ収集はどうなんだとか、ということも思いますが、やはりそうなるとその労働の社会的な重要性と対価はきれいに影響をしているわけではないなと思います。

 

介護業界なんかも、もっとお給料をあげればサービスレベルを上げるモチベーションにもなるのではないかと思いますが、今のような薄給の環境下ではそこまで懇切丁寧にサービス提供もしたいと思わないよな、と感じます。

 

でもかといって、お給料を挙げて人件費を増やすと、今度はビジネス運営をのものがうまくいかなくなる可能性があるのでしょうから、難しいですね。

 

それはサービスを享受する側がお金を払いたいと思っていない、ということも背景にはあるでしょうから、必要なんだけれどもお金を払いたくはない消費者という、本当に必要なのかどうかが分からなくなる、変な話ですね。

 

お金を払ってでも安心や快適さを手に入れる方がいいのではないかとも思いますが、それでもなるべく手軽にという心理があるのでしょうかね。

 

 


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じわりと衰退するのか




 

 

日本の有名デパートが、首都圏の店舗での外国人富裕層向けの外商員の人数を現在の20名から倍増させる計画を持っているようです。

 

売上を獲得できるのはいい機会ではありますし、観光立国を模倣したことのある国としては確かにこういう計画を持つことも当然のことと思います。

 

そもそも日本人向けの外商員が何名くらいいるのか私は知りませんし、外国人富裕層向けの外商員の人数が多いのかどうかも感覚はありませんが、一つ確実に言えるのは、外国人富裕層が大切なお客様になっているということです。

 

為替の影響もありますから、日本の方が物価が割安になっている結果として、そういうお客様のニーズをより捉えるようになっているだけかもしれません。




ちょっと悲しい

 



それ自体は何ら悪いことでもありませんが、その背景にもしも、日本人富裕層のお客様としての魅力度が下がっているというようなことがあればそれは悲しいことだなと素直に思います。

 

外商員が担当するような富裕層の人は、経済がどうなろうが富裕層であり続けると思いますから、そこの人たちが没落しているとかは全く思いませんが、それでも日本人富裕層向けの外商員を倍増させるというニュースは聞きませんから、日本においてはそういう人が新たに表れにくくなっている、そういう意味で全体を見た時には日本人富裕層の重要度が下がっていているのではないかと勘ぐってしまいます。

 

私自身は富裕層にはなれると思っていませんし、例えなったとしてもデパートで買いものをするようには習慣が変化することはないと思うので私は全く貢献できないですし、する気もないですが、こういうニュースを見ると日本の国力低下を見せつけられているようでなかなかいい気分にはなりません。

 

それが生き残りにつながることですので、デパートがやっていること自体には疑問を挟む余地はなく、適切な経営判断なのだろうと思いますが、自分のことは棚に上げて、日本人もっと頑張ってくれよ、と思ってしまいます。




他人任せなのか

 



そういう他人任せなところがダメなのかもしれないなとは思いますし、俺が俺がの気持ちがないと、経済に限らず成長や発展はないのかもしれませんね。

 

日本のバブル期なんかも、経済がずっと成長する中で日本人が精神的に自信を持っていたということ自体がさらに経済発展を後押ししたのではないかという気がしています。

 

ずっと経済成長が続くと思われた、将来への不安が少なかったというのも今を全力で生きる理由にはなったのかもしれません。

 

また、特に人口の多い中国やインドでは、主張しないと意見が通らないということもあって、だから彼らは大したことがなくても声高に自分の主張をするという話を聞いたことがありますが、そういう人が大勢いればいいか悪いかは別として、国としての勢いは出るのかもしれません。

 

会社で言えば、無理難題を言って周りを振り回す人がいますが、その周辺で巻き込まれると非常に大変な思いをするのは確かな一方で、確かにその人たち自身にはエネルギーがありますので、その方法が正しいのかどうかは別としても課題を打破する際には現状にとらわれない方法をとったり、無茶苦茶を言いまくった結果意外とそれが通用した、ということも無きにしも非ずです。

 

ほとんどの場合は周りを疲弊させて終わりになってしまうのも確かだとは思いますが、前例踏襲主義では終わらないというエネルギーがあるというのも確かに認めなければならない点かなとは思います。

 

セミリタイアを目指している私がどうこう言える話ではないですが、日本という国はそういうエネルギーや、ややもすると自信を失ってしまっているのかなという気がしてしまいます。

 

よく、若い世代の人が上の世代のせいで日本はこうなってしまったということがありますが、それはそれで正解ではある一方で、自分たちもそれを変えようとエネルギッシュに活動をしたのかどうかも今をつくる要因の一つにはなっていること、またまだこれからいくらでも変えられる可能性があることを理解することも大切ですね。

 

まあ、実際にはどれだけ頑張っても変わらないものは変わりませんが、変わる可能性はあるのですし、その可能性を信じない限りは何も変わらないのです。

 

まあ、お前が言うなという話であることも重々承知はしていますけれども。

 

 

 


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権力の使用と組織





人事異動の季節が近づいてきています。


組織の変更もあり得るでしょうし、人員の異動もあり得ます。


こういう話は極秘案件のはずなのですが、諸々の実現のためにいろいろとアドバイスをすることもある立場のため、案件によっては事前に情報を入手することもあります。


全体像までは明確にわからなくとも、こういうことがやりたいがどうすればできるか、という相談が来る場合があるのです。


私はその組織に属していないことが基本ですが、組織の長の人はこう組織をいじりたいのね、というのがなんとなく感じられます。





基本は私利のため




基本的には、その長の人が動きやすい、その長の人の目的にあった変更が模索されます。


分かりやすいのは、気に入っている人を優遇する、そうでない人は異動させるというのもあれば、ひどい人だと愛人を優遇するなんてのもあります。


そんな分かりやすいことやるなよ、と思いますけど、やる人はやるんですよね。


組織上で偉くなると無茶がまかりとおりますし、そういう人は偉くなってほしくないなと思いますが、意外とそういう人が出世するのはなぜでしょうか。


そして、当然ながら、組織の長は自分の利益のために組織変更や人事異動をやりますので、それが全体最適のための目的を持っているかと問われると、持っていないことが多いように感じます。


そこらへん、最終的に誰がどういう権限を持って何を決められるのか、私はわかっていませんが、その組織変更や人事異動で割を喰う人も確実にいる中で、誰かの利益のために物事が動きます。


ですので、その誰かがちゃんとした人ならいいのですが、そうでない場合は単なる私利私欲のために人事異動が起きてしまうこともあるわけです。


ですので、ある人事異動に対して、別の誰かは怒っているとか、納得していないとかも起こり得ますし、第三者的な視点からは、それは無理もないなと思うこともあります。


私には意思決定は何もできませんけれども、下手したら全社視点では間違ったことをやろうとしているのではないかと感じることすらあります。





権力の濫用?




まあ、権力をうまく使っているかどうか、という議論かもしれませんので、馬鹿正直にやっている方がダメなんだという話かもしれませんし、間違った権力の使い方でも使わないよりかはいいのかもしれませんが、側から見ていると残念な話ではあります。


私がその間違った権力の使い方の一助になっているようで、それもまた本意ではないのですけれど。




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人生の勝ち組




 

 

以前にもブログで取り上げたことがありますが、親ガチャや勝ち組・負け組という言葉が一般化してきました。

 

私自身はそういう要素は世の中には確実に存在をしているものの、努力次第ではある程度までは挽回もできると思っておりますし、ある意味そう信じたいと考えています。

 

ただし、勝ち組と定義されても仕方がない人たちがいるのは否定のしようのないことでして、それは当然に本人の資質も影響はしているとは思いますが、それ以外の生まれ持った運の要素にも大きく影響されています。




普通にある

 



一般企業でもよくあるのは、コネ入社というやつで、例えば広告代理店やテレビ局に、大手企業の子息がコネ入社するというのは普通によく聞く話です。

 

また厄介なのは、そうすることによって、コネ入社を受け入れる側にとっての実ビジネスに好影響があるということで、もちろんその分の枠を取られれば、コネなどなく入社したいと思う人が弾かれてしまうということがありますが、それを補って余りあるメリットがコネ入社を受け入れる側には発生します。

 

そもそも入社させる人を選択する際にはそういうコネ入社はダメだとかいうルールもないわけですから、どういう選考基準を持つかは自由ですので、コネ入社はおかしいと声高に批判するのも正しくはないわけです。

 

私の会社でも、コネ入社と思われる人は何人もいます。

 

それはお得意先さんのご子息であることもあれば、親御さんが役員クラスの人で子息が入社してくるということもあります。

 

もちろんそういう人たちの中にも真面目に仕事をする人もいますが、そうではない人もいるのでこれまた一概にいい悪いとも言えませんが、生まれ持った特性や環境によって下駄をはかせてもらって入社をしてくる人というのは確実にいます。




仕事として降ってくる

 



最近でも、経営層の人のご友人のご子息をグループ会社に中途入社させられないか、その方法を探ってくれ、という相談がなぜか私のところにきました。

 

断るに断れない依頼で、何とかして可能性を探らなければならないのですが、もしも何の関係もない人から突然にそんな話が会社に来れば二つ返事で断るはずの話ですが、今回はそうできないから可能性を探るということになります。

 

ご子息本人の能力とかは全く考慮されない中で、人間関係やコネクションの観点から、いきなりどうやればその人を入社させられるのかという話がスタートします。

 

当然に入社に向けての面接や試験なんかもありませんが、ただそうやってご子息を入社させられればもっと上の人たちの間では生まれるメリットもあるのでしょう。

 

優秀だと思うのでぜひ入社を前向きに検討してほしいとか言われますが、そういうっている人は実際にそのご子息と会話をしたこともなければ面接をしたことも仕事を一緒にしたこともないわけで、色々な理由をつけて正当性を主張しようとはしていますが、理由としては断れないから何とかしてほしいということでしかありません。

 

私自身もそういう意味のない手続きを業務として模索しなければならないという負担もある中で、こういうのは見る人が見れば不公平に映るだろうな、勝ち組はいいなという不満につながるだろうな、というのは容易に想像ができます。

 

別にそのご子息の人は今回の入社にあたってはなんの努力もしていないでしょうから、全てにおいて親のコネの影響なわけで、それはもう他の人からは覆せない、勝ち組の特性、なわけです。

 

親のことを考えると、私自身も確かに勝ち組には入るのではないかと思いますが、そのコネによって何かメリットを享受したということはあまりない気がしています。

 

誰かのコネを使うことはありましたが、そのコネも基本的には自ら動いて獲得をした上で活用しているわけで、生まれながらに持っていたコネを使ったという経験は記憶にありません。

 

富める者はさらに富むという世の中の仕組みは確実にあって、それに対して不満を表明する人の気持ちも分からなくはないよなと改めて考えました。

 

だからと言ってその不満を表明することで世の中が変わるのか、と言われれば変わらないとは思いますし、私自身も不満を表明するのは構わないが、同時に自分自身でも努力はしようねとは思いますが、まあ世の中は公平ではないよなというのは同意ですね。

 



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