もめごとを考えるセミリタイア志願者



 
 私の性格的には、できればみんなで仲良くやりたい、もめごとは起こしたくない、人に言われた面倒くさいことはしたくない、自分がやりたいことは面倒くさいことでも自分でやるし人に任せることもしない、ある部分についてはこだわりが強すぎる、ということを傾向にあります。

 
正直、他の人の業務の進め方に怒りを覚えることもあるのですよね。


怒りを覚える場合

 
特に怒りを覚えるのは、その業務がいろいろな人を巻き込んで進めていくことが必要な業務である場合に、ある特定の人や部署の理屈で進めようとしていることを感じ取った場合です。

 
それをしてしまうと、結局のところは他の人や部署に対して、自分たちが尊重されていないという思いを抱かせることがあります。
 
そう思われてしまうと、しこりが残るというか、中長期的な不満の種をまいてしまうというか、チームとして長期的にはうまくいかない、ということの遠因になってしまいます。
 
もちろん、その進め方をしようとしている人や部署のやり方や意見が最終的には正しいこともあるでしょうし、最善解であるのかもしれません。
 

しかし例えそうだとしても、なぜそれが最善解であるのか、あるいはその可能性があるのか、ということをしっかりと説明しないと、先ほど言ったように中長期的な不満の種をまいてしまうと思うのです。

 
説明をして、100%納得してもらえるかどうかというのはまた別問題かもしれませんが、あなたが言っていることが正しいかどうかはわからないけれども、正しい可能性はありますね、ということをどこまで理解してもらえるか、もちろん、それが正解ではないかもしれませんが、チームとしては正解だと思えた、という状況があることが大切だと思います。
 
もし正解だと思えたのに、正解ではなかった場合、なぜ正解ではなかったのかを考えることも皆が前向きになれると思います。
 
なんか勝手にある人や部署が進めた、となった場合、そもそもうまくいくと思っていなかったんだというように思われてしまいますので、なぜうまくいかなかったのかの理由が、あの人やあの部署のせいだ、という風にしかならないんですよね。
 
そうなると全く失敗からのリカバリーというのが機能しないと思うのです。


やり方は悪いかも

 
ただ、そういう進め方をしようとする人に対して、怒りをもって接して文句を言うということを私がするのかと言われると、しません。

 
出来ればみんな仲良くしたいという思いがここでも出てきて、どううまく言えば議論やけんかを避けつつ、相手に納得してもらえるか、最終的には遠回しなやり方でも色々な人の同意を得るための進め方にできるようになんとか持っていく、というようなやり方をします。
 
で、これをすると、もちろん場合によっては結果としてはそういう方法論に持っていくことはできますが、なぜ私がそういうことをしようとしているのかの真意は伝わりません。
 
となると、結局、水漏れした部分をふさごうとしているだけで、言われている当事者は本当の理由は理解しないまま、今後も同じようなことを繰り返す可能性は残るわけです。
 
それがいいのか悪いのかと言われれば、多分悪いのだと思いますが、サラリーマンとしては何とか今うまくいけばいいという思いでやっておりますので、許してほしいですね。

 
  

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