子供との日々と学び




週末になると、子どもと遊びに出かけるのがルーティンになっています。

 

小動物には比較的興味を示しまして、鳩、犬、猫、なんかが遠くにいると指さしては動物の名前を言う、なんてことをよくしています。

 

一方で、歩いている道のすれ違い様などにその動物が寄ってくると、ちょっと怖がったような仕草をして、逃げるように私の足にしがみついてくるということをします。

 

動物園に行っても、遠目で見ている分には楽しそうに動物の名前を呼んで、手を振ってなんてことをしているのですが、動物と触れ合えるゾーンなどはどうも苦手のようです。

 

また、不思議なもので、象やキリンなどの大きな動物そのものは特に怖がらないのですが、ガチョウなどが大きな声で鳴きながら近くに寄ってくるとどうも怖いようです。

 

大人の私からしたら、普段は本などで見ている動物が実際に動いていたり、それらが近くに寄ってくることの何が怖いのかはよくわかりません。



子どもの立場

 


ただ、確かに子ども目線で言うと、例え犬であったとしても、自分の体と同じサイズの生き物が自分に向かって近づいてくるというのは確かに怖く感じるのかもなと思います。

 

大人の私でも大型犬とすれ違う時とかは、万が一とびかかってきたらどうしようかと考えながら歩いていますので、同じような恐怖を子どもは感じているということなのでしょうか。

 

実は、私の親の話では、私も子どもの頃は結構怖がりだったようです。

 

そういう話を聞いているので、もしかして私の子どもも私に似たのかなあ、なんて思うこともありまして、それがそれでまた愛おしさを増すなんてのもあります。



対応

 


そういう態度の子どもを見ると、怖くないよ、大丈夫だよ、と無理に動物に近づけようとするのではなく、まだ怖かったね、でもお父さんが隣にいるから大丈夫だよ、と声をかけてその場を離れるようにしています。

 

ある種、甘いのかもしれませんが、そこまで厳しくする必要もないよなと思うのでそうしています。

 

自分自身の子どもの頃の記憶ですが、大人が何の気なしに悪気もなく、自分の意志と反することを言ってくると、その言い方次第で、子どもとは言え、いい気はしないんですよね。

 

自分は怖いのに、親からは怖くないよ、とか、弱虫だなあ、とか言われると子どもながらに傷ついていた記憶があります。

 

また、私の記憶にあるのは、あるぬいぐるみがどうしても欲しいと思ったのに、親が女の子じゃないんだから、なんでそんなものが欲しいの、という言い方をされたときに、結構傷ついた経験です。

 

男か女かに関係なく、自分が欲しいと思っているのだから、女の子であれば買ってあげたのにというような言い方をされるのは納得がいかないですし、さらにぬいぐるみを欲しがっていることが男らしくない、というような言い方をされたような気がして、それに非常に傷ついたのです。

 

子どもってそういうところに敏感ですからね。

 

この前買ったから今日はダメとか、他の物を買ったからこれはダメ、というのであればまだ納得がいくのかもしれませんが、そういうことでもなかったので子どもながらにどうしようもなくて傷ついたのかなと思います。

 

大人は意外と子どもでは納得できない大人の論理で動いてしまいがちですし、難しいところではありますが、子どもと過ごしていることで自分の学びになっているのは間違いありません。

 

その学びが正しいのか間違っているのかはこれまた分からないのですけれども。


 


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炎上案件の背景推察と学び



さてさて、以前のブログにも書いた、業務上での消火活動からの学びの話です。

 

炎上案件に巻き込まれ、何とか消火活動をしなければと日々奮闘していたわけですが、途中で、なんとなく実際問題何が起きているのだろうかということが想像できるようになってきました。



発端

 


元々、とある部署がその部署の一存で急に方針を変えてそれを押し通そうとしていることによって、他の部署にもしわ寄せが行って、いったい何なんだという炎上が起きているという状態でした。


なんとかかんとかこの後もちゃんと案件を進められるように間に入りながら、怒られながら、お前も大変なんだなと思われながら、同情を買いながら、進めてきていたのですが、どうもそもそものことの発端は、その部署そのものというよりかは、会社の上層部からいろいろと口が挟まれた結果として、その部署の選択肢の一つであった方針を変える、ということをしたということのようです。

 

第三者的な立場から言えば、そんなの他の選択肢もあっただろう、というように思いますし、そんなちょっと言われたくらいでコロっと方針を変えるのだとしたら、今まではいったい何だったのかと思ってしまうのですが、当事者の立場に立てば、まあプレッシャーがあったのは事実でしょうし、その中で危険だけれども安易な方策を取ったのでしょう。

 

それが良い方策なのかどうかというのは私には判断はできませんが、ベストではなかったのではないか、というのは今の時点では感じてしまいます。

 

なぜそういうことに気づいたのかというと、別案件の打合せで集まっていた際に、たまたまその当事者部署の人と、別の部署の人がいて、その人たちがこそこそっと話している中で、あの件はどうなっていますか、あれは今こうやって進めています、というような会話をしていたからです。

 

その別の部署の人がなぜ、この炎上案件をなぜ知っていて、なぜ気にしているのだろうか、ということを考えた際に、ああ、その当事者部署にプレッシャーをかけた人がいるのではないか、という想像ができたのでした。

 

確証はありませんが、そういう意味では、その当事者部署もある種の被害者というか、かわいそうな面があるなとは思います。



考察

 


ただ、そういう背景も知った上で、改めて今回の件を考えてみて、今の当事者部署の進め方を見ていると、言われたから従わなければならない、ということしか行動理由が感じられません。

 

また、その言われた、プレッシャーをかけられたこと自体は、知る限りはその部署から周りに伝えていないと思いますので、なぜ当事者部署がそのような動きをしているのか、論理的に納得ができないまま周りが振り回されたような感じもします。

 

それはそうですよね。

 

今まで、みんなで確認しながら進めてきたのに、急に前提条件が変わるような話をし始めたわけですから。

 

周りの人からしたら、納得のいく説明が欲しいところですが、言われたから従わざるを得ない当事者部署には、なかなかそれができないのです。

 

むしろ、当事者部署が、上からこう言われてしまっていて従わざるを得ない、ということを正直に表明した方が、お前も大変だな、という空気はできて、周りも少しは協力的に動いてやるか、という気持ちになると思うのですが、それをしていないので、当事者部署が急に方針を変えて無茶を言い始めた、というように映ってしまい、炎上してしまったような気がします。

 

よく言う、結論ありきで動いてしまっているようなイメージですかね。

 

というか、もしそうだとしたら、炎上して当然だよな、と逆に納得してしまいました。

 

間に入っている私は大変なのですけれども、そんなことは当事者部署は気にしていないでしょうね。

 

彼らからしたら、言われたことに従うことが最優先ですから。


それならそうで、その説明はしてあげたほうが丁寧だったのではないかと思いますがね。


今回はなんとなく、周りもそれを感じ取ったというのがありましたが、それがなかったら炎上は収まっていないのかもしれません。


 


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成果の横取りについて





別にそんなに大変ではないかもしれませをが、場合によっては面倒くさい仕事をポンと振られました。


要は、経営層関連の依頼で、大切なお客様対応をして欲しいというものが、別部署を通してきました。


急な依頼でもあったので、その別部署の人と急ぎ打ち合わせをしたり、対応方針やら対応内容を詰めて、さらにそれを実際に対応する部署とやりとりしてみたいなコミュニケーションハブとしてせかせかやっていました。


業務の負担はあまり大きくありませんが、間に入っての調整や対応マニュアルづくりなどに時間は取られるみたいな感じです。


まあ大切なお客様であることは関係者が皆わかっているので、内面でどう思っているかは知りませんが、当然に嫌な顔をする人とかはおらず、皆が役割を淡々とこなしていく、というような感じでした。



やりとりの中で



たまたまですが、そのやり取りのループの中に、また別の部署のお偉いさんが入っていました。


誰が入れたのかは分かりませんが、あるタイミングで入っていました。


で、さまざまにやりとりして調整した後、これで準備万端で、いざ対応するぞとなったときに、そのお偉いさんがぽんっと、お客様の対応後にその人が依頼元の経営層に報告を入れますね、とメールで言い出しました。


いや、あなた何にもしてないばかりか、別に関係もないでしょう、と私は思いました。


直接に対応依頼をされた部署がいるわけですから、その部署から報告するのがあるべき体制ではないかと思いますし、その部署の手柄にしてあげないとダメでしょうし、そもそも、何もやってない人がなぜ報告するのだろう、と思いました。


そして、それを思ったのは私だけではなかったようで、誰からも報告お願いしますの返信がないまま、ただ、その偉い人抜きでのメールのやり取り、まあ、世間話と愚痴が始まったわけです。



愚痴大会



あの人そういうとこあるよね、とか、以前にはこんなことがあったとか、こんな噂があるとか、ガス抜きのようなメールのやり取りが繰り返された後、よし、飲みに行って続きを愚痴ろうという話になり、世代や年齢を超えた飲み会が急遽設定されました。


その場は面白かったので、もしもその偉い人がそこまで見越していたのであれば天晴れですが、当然そんなことはないでしょう。


別にゴマスリをしたけりゃそれでいいですし、手柄を取られて残念みたいな風には誰も感じていなかったのですが、どうなのあの人、という評価が蔓延したのは事実です。


でも、そういう人が出世するというのもまた真実なんだろうなと思いました。


厚かましいくらいに自分の功績としてアピールするくらいがいいのでしょうね。


その後で別に、いや実はですね、という告げ口はあまりないでしょうし。



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給料日とセミリタイア資産形成





給料日がやってきました。


仕事してもしなくても、成果があろうとなかろうと、会社が安定している限りは安定して一定金額が振り込まれる。


日頃のストレスとかは横に置いておいて、このこと自体は大変ありがたいことです。


セミリタイアを目指す上で、安定して資産が増やせます。



大企業信仰



今でも同じかもしれませんが、私が若い頃には大企業信仰のようなものがありました。


たくさん勉強して、いい高校に入って、いい大学に入る。


それはいい企業に就職するため。


就職した後はどうなるのか?


たくさん頑張って出世して、お金を稼いで、結婚して、子どもを育てて、マイホームを手に入れて。


それが幸せだと思われていたわけです。


いや、今でもそれができたら幸せだと思いますけど。


ただ、日本で大企業でも倒産するところがでたり、日本の人口減少や長引く不景気などの暗いニュースもあり、大企業に入れば本当に安泰なのだろうか、大企業に入れれば幸せなのだろうか、という疑問を持つ日本人も増えました。




それでも大企業は強い



結論から言うと、大企業に入ることが唯一の幸せになる方法ではありませんが、幸せになれる可能性が高い一つの方法ではあると思っています。


何をもって幸せというかは人それぞれですし、悩みが一つもない人もいないでしょうし、大企業に入った人が皆幸せでもないでしょう。


それでも、相対的に見て、安定していますし、待遇もいいですので、大企業に属することの経済的なメリットは間違い無くあります。


知り合いの話を聞いていると、大企業は待遇がすごいなって羨ましく思います。


経済的なメリットそのものを否定する人もいると思いますが、それでも多くの人はお金をより多くもらえることは嬉しいのではないでしょうか。


もちろん、お金を多くもらう対価として、仕事も大変でしょうし、ストレスも多いでしょうが、それはもうどっちを取るかです。


少なくともお金は相対的に多くもらえます。


経済的な余裕があれば、精神的にも余裕を持ちやすくなるでしょう。


セミリタイアもよりしやすくなります。



凡人こそ大企業を目指すべき



秀でた能力があれば、プロスポーツ選手や売れっ子芸能人、YouTuberになってお金をもっと稼ぐことも可能でしょうが、成功できるのは一握りです。


そう考えると、一般人がお金を稼ぐために大企業に入る、というのはより幸せになるためには合理的な選択肢だと思います。


幸せになれる万能薬ではありませんが、幸せになる可能性をあげてくれる選択肢ではあります。


パワハラ、セクハラ、過労死などが大企業にはあるから大変、という主張もあるかもしれませんが、それって大企業だけの問題じゃないですし、大企業だから問題が大きく明るみに出ているだけのような気がします。



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炎上案件対応




炎上案件ですが、なんとか大火は鎮火はしました。


他の方からのサポートもいただきながら、なんとか対応はできました。


恐らく、本質的な解決にはなっていないかもしれませんが、大人の対応をした人が何人かいてくれた結果として、鎮火したものと考えています。


うまく例えられないのが残念ですが、結局は強い意志が背景にあったとかではなくて、メンツや保身の話がなんとかなればよい、というのがうっすら透けて見えて、であれば今回ばかりはもう折れるよ、という対応をしてくれた人が何人かいてくれた、ということでしょうか。




根本解決はしていない



全くロジカルな話ではありませんでしたが、これ以上事を荒立てるのも得策ではないし、無理に拒絶し続ける理由もないなという判断をしてくれたのでしょう。


ですので、別に関係者の絆が深まったとか、深い議論ができたとかでは全くなくて、ただ、体裁を取り繕うために駄々をこねた人がいて周りが大人の対応で譲歩したということでしょう。


当の駄々をこねた本人は、結果的に要求が通ったわけですから、満足でしょうし。


ただ、関係者の信頼関係はダメージを受けたかもしれませんし、呆れに近い感情があるかもしれないなと思っています。


実際に、私の立場を知っているある関係者からはそういうことを言われました。




感謝と反省



結局最後まで、説明責任は果たされていない気がするのが問題だと思いますし、正直いまいちだなあとは思いますが、そんな中で大人の対応をしてくれた人には感謝しかありません。


長期的な関係性にはマイナスでしょうから、それは残念ですけれども、私自身ももっとなにかできなかったのかは反省です。


私自身、面倒はごめんですが、誰かに負担をかけてしまったり、不満を抱かせるのは本意ではありません。



さらなる炎上はあるか



また、更なる問題は、本当に鎮火できたのかどうかの確証はないということです。


実はまだ小さい火がくすぶっていて、いつ何時、再発火するか分からないかもしれません。


さらに言えば、これから誰かが別の視点で着火しに来るかもしれませんし、その可能性は否定できません。


まだ応急対応ができたという段階で、本当の手術はこれからしないといけないのかもしれません。


正解があるようなないような感じでもありますから、色々な人が色々と今後も言ってくると思います。


上長にも色々と言われて詰められるのは間違いないでしょう。


もっといいやり方があったはずだと後から言われても、もうその方法はとれないので、できることはまず謝ることしかないですからね。 


こんな制約があってできませんでしたというのはただの言い訳ととられて、その制約を超える方法を見つけるのが私の仕事だ、と言われるだけです。


正直、それにいちいち対応するのもしんどいのですけれども、しないといけない立ち位置にいるよなあと自分でもわかります。


今後もしばらくはストレスを感じながらの日々になりそうです。


数年後には笑い話にできるといいなあと思います。


あんなことがあって大変だったね、というような感じで。



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上長は暇な方がいい?忙しい方がいい?



先日もブログに書きましたが、新しいプロジェクトに参画して欲しいと、別部署から依頼がありました。

上長もいまいち内容を分かっていないのは相変わらずですが、恐らくですが、上長は私に仕事を渡した段階で自分の仕事は終わったと思っているのでしょう。

それは今回に限らずで、どうしても自分がやらないといけない仕事以外は振って、後はよろしくの姿勢です。

どこかの部署と調整が必要な案件とかは基本的にパスがきます。

だから、人によっては、上長は仕事をしていないように見えますし、私としても絶対に忙しくないだろうなと思います。

悪気がある人も悪気がない人も、私に対して、上長ってどんな仕事をしているの、と質問してきますが、すごく表面的なことしか答えられませんし、実際に具体的に何をしているのかよく知りません。

周りから見ると、暇そうな人でしょうし、私含めて部下も、もう少し手を動かしてくれたらいいのにと思っていると思います。

誰かに仕事を振れる人はいいですが、そうでない人は全部自分で処理しないといけませんから、暇そうなんだったら振らないで欲しいと思うのはある種、当然です。

組織全体でリソースの効率的な活用をして欲しいということですね。


一方で



その一方で、上長目線に立つと、実はリソースの有効活用をしているとも取れるのですよね。

自分でやる必要のない仕事は誰かにやらせる、というのは、あり得る考え方ですし、むしろ良い働き方だと言えるでしょう。

さらに言えば、上級職の人はむしろ意思決定をするのが仕事ですので、自分は意思決定に全力投球する、というのがあるべき姿なのでしょう。

意思決定をする役割という意味で、私の所属する組織の仕事は全て上長の仕事でもあるのです。

ただ、上級職の役割がもしそうであるならば、ですが、プロジェクト的に動く仕事において、上長はアドバイザーにはなっても意思決定者にはなりませんし、当然、実務に入ってくるということもありません。

署名が必要、という類の仕事は、ある種の意思決定ですが、当然お膳立ては事前にした上での話ですし、難しい意思決定にはなりません。

となると、果たして何の意思決定をしているのだろうか、忙しくないのかな、というのが疑問になるわけです。


周りとの比較



逆に、周りを見るとめちゃくちゃ忙しそうにしている上級職もいます。

それはそれで、部下も大変そうです。

もしかしたら、部下側が必要以上に、上級職の意思決定を仰いでいるのかもしれませんし、結果として、上級職が意思決定に十分な時間を割けない、なんてこともあるかもしれません。

部下側も、私が上長暇そうだなあと思っている一方、自分の上長は忙しすぎるという思いを持っているかもしれません。

となると、どっちもどっちなのかもしれませんね。

意思決定者が忙しすぎるのも問題でしょうし、ちょっと暇があるからと手を動かしてしまうと、今度は手を動かすことに忙殺されるのが常態化するリスクもありますから、割り切って手は一切動かさないという判断もあるのかもしれません。

難しい話ですね。


 
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暴食とストレス




健康面への配慮や、単純に体重増加を避けるために、普段はなるべく節制をと考えています。
 
しかし、どうにも我慢がならなかったというか、今日くらいは気分転換でパーッと行くかとなぜか思いました。
 
お酒を飲むのもいいのですが、飲みすぎるとその時だけではなくて、翌日にも影響を与えるので、暴飲はちょっとなあと思っていました。

 

しかし、食べることならできるのではないか、ということで食べたいものを食べようかなと思い、結果としてうどん屋さんとラーメン屋さんのはしごをしてしまいました。



麺系のはしご

 


どちらもチェーン店ですが、恐らく、私の人生の中で麵系のお店のはしごをしたのは初めてです。

 

お寿司を食べた後にラーメンとか、焼き肉を食べた後にハンバーガーとか、若かりし頃はそういうはしごもしたことはありますが、その時はもう完全に当時の先輩や後輩との悪ノリの世界で、今日はいっちゃいますかってな感じだったと思います。

 

今回のうどん屋さんとラーメン屋さんのはしごは私の単独行動ですし、集団のノリとか言うことではありませんので、ただ単に私の脳がストレス解消手段を欲していたのではないかと思います。

 

それくらい、たまにはいいでしょう、ってな感じです。

 

しかも、うどんもラーメンも大盛りを食べましたので、まだそんなことができるんだなあと自分の自信になりました。

 

まあ、体には明らかに悪いことをしていると思うのですけれども。

 

さらに、その日の私はそれにとどまらず、よし、食べ過ぎたから運動しないといけない、とジョギングまでする始末。

 

うどんだけ食べて、ジョギングはするというのが健康面でも理想な気がするのですが、食べ過ぎたカロリーを消費させるという意味ではまあなくはない選択肢でもありますね。

 

こちらも健康面を考えると、満腹に近い、胃腸に食物がたくさん入った状態で運動をしているので、むしろよくないことだとは思いますが。

 

たくさん食べて、運動して、シャワーを浴びてすっきりして、そんなことをしたいと思うくらい、ストレスをためているのだろうかと改めて思いました。



独身時代との違い

 


ひとり暮らしをしていた際は、週末の夜にコンビニに行ってお酒とお菓子とカップ麺を買ってきて、ネットを観ながらグダグダやるなんてこともありましたが、今は家に帰ると家族もいて、独身時代のようなことはなかなかできません。

 

独身時代は、そうやって怠惰な生活を送ることでストレス解消をしていたのでしょう。

 

今でも、もしかしたら家でもできるかもしれませんが、そんなことをしていたら、心配されたり止められたりということも予想されますし、そうなるのはまず嫌なんですよね。

 

かといってこそこそやるのは、ストレスフリーになっていないので意味がないというか。

 

ただし、そういうストレス解消手段が普段はできない分、もしかしたらたまっていた何かが爆発したのかもしれません。

 

ストレスたまっているからなあ。

 

別に毎日そういう生活をするわけではないので、健康には悪いと分かりつつ、たまにはそういう無茶をするんだろうなと思います。



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コスト削減のお達し



コロナあり、ロシアの侵攻ありで、多くの会社は恐らくそのあおりを受けていると思います。

 

要するに不景気です。

 

その一方で、会社が存続するためには何とか利益を出さないといけませんから、そのためにはいろいろとやれという指示も出てくるわけです。

 

必ずしもいい手ではないのですが、コスト削減のために販管費を削減しなさいというお達しも出ています。

 

必ずしもいい手ではないとなぜ思っているのかというと、販管費は削減しやすい半面で、投資を削るということにもつながるため、そのために成長を鈍化させる可能性もあると思うからです。

 

当然ながら、無駄な販管費は削るべきでしょうし、本当にそのコストをかける意味があるのかどうかを考える、ということには意味があります。

 

結果として、どうしても重要だと思われる活動に集中してお金をかけよう、という選択肢もあり得るわけでしょうし、それがうまくいくかどうかは別としても、チャンスに集中してかけてみよう、という試み自体は悪いことではありません。

 

時として、そぎ落としすぎてしまうということもあり得るでしょうが、完ぺきにすべてをやるなんてそもそもが無理ですし。



会社のお達し 



さて、そんな販管費を削減する目的で、私の勤める会社でも、出張費を削減しようとか、残業をなるべくしないで時間内に仕事をやり切ろうという大方針が出ています。

 

そういう大方針は、部門や部署を問わずに一律削減、という形で出されます。

 

結果として、これまでは出張をしていた案件でも出張費が捻出できないとか、出張に行く際もそこにかける費用を削減するために安い交通手段や宿泊場所を選ぶとか、そういうことをせざるを得ない部門や部署も出てきているという話を聞きます。

 

オンラインで業務をする環境が整っているのだから、オンラインでやれることはそうしなさい、という会社の主張は良く分かるものの、その一方で、ではなぜ今、出社をしろと促しているのかを考えると、それは対面の方が生産性が上がり効果がある、ということに会社も気づいたからではないかと思いますので、現地に出張して対面で話をするということも決して無駄なことではないと思います。



 

違和感



そんな中で、とある部門から出張先に同行してほしいという依頼がありました。

 

かなり偉い人もいれば、会社では私と同等レベルの資格の人も参加してくる出張です。

 

で、その人たちから、宿泊場所はこのホテルの予定です、という連絡がきたのですが、そのホテルを見てかなり唖然としてしまいました。

 

いやいや、あまりにも高すぎでしょうと。

 

もちろん、格というものがあるでしょうし、安全面とか諸々考えても、かなり偉い人がそういうホテルに泊まるのは仕方ないと思います。

 

でも、出張する人がみんながみんなそういうホテルに泊まるのはさすがにやりすぎではないかと思いましたし、そもそも、なぜそんなに大名行列みたいな集団で出張に来ているんだ、ということも謎です。

 

これこそが無駄な管理費なのではないかと正直に思いまして、せめて参加する人数を減らすとか、近隣の別ホテルに泊まるようにするとかすればいいのになと思ったわけです。

 

別にみんながみんな、やる気満々で仕事の出張をしているわけでもない、遊び半分の人もいるだろう、と思うのでなおさらです。

 

別にその人たちはいいホテルに泊まれてそれでいいのかもしれませんが、もしもそれを他の部門や部署の人が知った場合、いったいどういうことを感じるだろうかという想像する力がないのかなと思いました。

 

さすがにそういうのはないよなあ、と正直に思いましたね。


で、さすがに安ホテルを予約しました。

 

 

 


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リーダーシップの発揮



会社でより職位が上がり、意思決定をする立場になると、基本的には自分で手を動かすことは少なくなります。

 

ですので、何かを進めようとした際には、基本的には部下含めて誰かに手を動かしてもらわなければならなくなりますし、またそれをさせるようにするのが職位が上の人の仕事なのでしょう。



リーダーシップとマネジメント

 


で、よく言われることではありますが、マネジメントとリーダーシップ、この違いについて、最近、実感として少しわかるようになってきました。

 

つまるところで簡単に言うと、マネジメントというのは決められたことを管理することであり、リーダーシップというのは自分で道を拓きながら時にチームを率いる、ということだと理解をしています。

 

例えばですが、おやつの予算が300円と言われて、その予算内でなんとかやりくりしようとするのはマネジメントでしょう。

 

時に、もっとおやつの予算が必要なのでそれをなんとかして取りに行く、あるいはもっと大胆に、別のところに予算を使うべきだと提言する、それがリーダーシップでしょうか。

 

マネジメントの能力、リーダーシップの能力はともに大切だと思いますが、基本的にまともな人であれば、みなマネジメントの能力はそれなりにあると思います。

 

そうでないと、日常生活に支障をきたすでしょうからね。

 

だからこそ、マネジメントそのものは再現性も比較的高いのかなと思いますし、正解に近いスタイルもあるのだと思います。

 

一方で、リーダーシップの能力というのは結構人によりけりなのだと思います。

 

そもそも、どういうスタイルを取るのか、というのも人それぞれでしょうし、どれが正解というスタイルもないでしょうから。

 

私が最近思うのは、優秀な部下がいれば、その上の人間は高いマネジメント能力を発揮していれば、ある程度チームとしても成果を出せますが、その分、その上の人間がリーダーシップを訓練する機会が少なくなるのではないか、ということです。

 

結果として、チームとして成果を出したので優秀なリーダーだということで別の場所に行った際にも、これまでと同じようにマネジメント能力で何とかしようとするので、本来であればリーダーシップが必要とされる場面でもそれが発揮できない、ということが起こりえるのだろうなと思います。

 

もちろん、先ほども述べたように、マネジメント能力が高い人にリソースをふんだんに与えれば、確実に成果を出すと思います。

 

なぜならば、優秀な部下がそろっていれば、そもそも意思決定を求められる時点である程度まともな案が出てくるわけですので、あとはより判断の精度を高めればいいわけです。

 

逆に言えば、そのような状況に慣れてしまった人は、自分で手を動かして案を考える機会がなくなりますので、リソースがなくて自分で案を考えるとなると、とたんにスタックしてしまうこともあるのだろうと思います。



 要するに



要は、自分は机上に挙げられた選択肢の中から意思決定をするのが仕事だと思ってしまうと、そもそもの意思について考える機会が減ってしまうのではないか、ということです。

 

もちろん、そのような人でも、意思決定をする際に、部下に対して、「あなたはどうしたいの?」と意思を問うことはあります。

 

ただこれも、それが正しそうか、正しくなさそうか、を判断するための質問であって、あくまでもマネジメントです。

 

リーダーシップというのは、むしろその意思を自分で考えて、時に人を説得して動いて実現してもらうことだと思うからです。

 

最近やりとりをすることのある方で、職位が上の方がいらっしゃるのですが、その方のやり取りを見ていて、すごく評価されてきた人なのに、あまり意思がない人なのだなと思うことがあり、ふとここに書いたように感じました。

 

私もどちらかというと、マネジメントの方が強い人間でして、リーダーシップというものは弱いかもしれません。

 

ただ最近は、自分で考えて方向を決めないといけない事案が多すぎて、徐々に、人に動いてもらうというのはこういうことか、ということがようやく分かり始めました。

 

人に比べたら遅いと思いますけど、自分がやりたいことなんて特にないんですから、仕方ないよな、とも思います。



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驚きのニュース




自宅で捌いた魚の骨を海に不法投棄した人が書類送検されたという記事を読みました。

 

魚の骨などを550グラム、とありますので、重さを考えてももしかしたら魚の骨だけではないのかもしれませんし、生活ごみをどさっと捨てたのかもしれませんが、容疑は廃棄物処理法違反容疑だそうです。

 

ポイ捨てして書類送検されたという人の話は聞いたことがないですが、恐らくポイ捨てもそれに該当する行為で書類送検されても文句を言えないのでしょうね。

 

山林などで、家電やバイクなんかが捨てられているのは不法投棄と呼ばれますから、そういうことが違法行為であるという認識はもちろんありました。

 



でも、驚き



しかし、魚の骨を海に捨てたら書類送検されるということには少し驚きました。

 

だって、魚の骨は人間が海に捨てなくても海の中にはたくさんあるはずですから。

 

川で水切り、みたいな遊びをしたことがある人もいると思いますが、あれは川に向かって石を投げます。

 

石だから廃棄物ではないので、その行為自体が何らかの犯罪行為であるとは思いません。

 

では、川で魚を釣って、焼いて食べた食べかすをそのまま川に捨てたら、それは廃棄物処理法違反になるのでしょうか。

 

ということは、海の上で魚を釣って、捌いて刺身にして新鮮でおいしい、とか言っている人たちも、その捌かれた魚の食べ残し部分を海には捨てていないということなのでしょうか?

 

いや、厳密に言えば、海に捨てているのではないかと思っているのですが、その行為自体は実は違法行為で、ただしその行為を告発されていない、あるいは目撃されていないので法をすり抜けているだけなのでしょうか。

 

もしも海に捨てていないのだとしたら、私の勘違いですので、謝らないといけませんね。

 

もしも魚を釣るためのエサを故意に川や海に捨てたら、それも廃棄物処理法違反になるのでしょうか。

 

鳩に餌をあげるためにパンの切れ端を路上に投げている人がたまにいますが、あれは違法行為なのでしょうか。

 

確実に故意ですよね。

 

もしかしたら、鳩がきれいに食べたらセーフで、お残しをしたら廃棄物処理法違反になってしまうのでしょうか。

 

パンの切れ端はセーフなんだけれども、魚の骨を鳩に与えようとしたら廃棄物処理法違反なのでしょうか。

 

なぜ鯉のえさを買って、池の中の鯉に投げ与えることは許されているのでしょうか。



 

世の中は不思議




よくよく考えると、世の中って不思議にあふれているなと感じてしまうニュースですね。

 

まあ、たぶんですけれども、冒頭に出てきた人はなにか別の変なものを捨てていたのではないか、そうでなければさすがに書類送検まではされないだろう、と思うのですけれども、記事には魚の骨を海に不法投棄したとしか書かれていません。

 

そんなことって本当にあるのかな、と疑問を抱かざるを得ないですが、本当にあったのでしょうから、奇妙な話ですね。

 



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