退職とセミリタイアと日常生活




 


私の勤める会社で、何かしらの人事制度の動きがあるのではないかと推測している中、私が働いているのとは別の企業で勤務されて、定年退職をした人とお話をする機会がありました。

 

数年前にひょんなことで知り合いになりまして意気投合し、それ以来定期的にグループで飲み会をしているような仲です。


年齢層は私が若手になるくらいのグループで、社外の方とのコネクションという意味でも貴重なつながりです。

 

その方と知り合いになったのは、その方がまだ50代であった時期でしたが、その頃から、何歳になっても学びなどの自己投資をしている方だという印象を私は受けていました。

 

数年前には既にお子さんも大学を卒業されており、配偶者の方も働かれているということでしたが、無事に定年退職をした後の生活についても話を聞く機会となりました。




張り合いがないみたい

 



基本的に、暇なようです。

 

趣味は色々と持たれているようで、それを楽しむということはできているようなのですが、基本的に暇であるということで、会社員の頃に比べて生活に張り合いがなかなかないということをおっしゃっていました。

 

会社員として長年勤めあげられて、特に疑問に思うこともなく毎日のように会社に行き、時には土日も接待などに繰り出し、なんだかんだでやることがあった日々から、いきなり時間はあるけれども、やらなくてはならないことはない生活に変わったことで、逆に何をしようかが分からなくなり、結果として暇になったと思われているようでした。


この数年は大きな仕事は任されることなく、忙しくはない会社員生活にはなれていたと思っていたのが、さらにやることが少なくなった感じとのことです。

 

とはいえ、今からまたどこかの会社で働き始めるというわけにもなかなかいかないよな、という感じらしい一方で、急に自分が社会から必要とされなくなったような印象を受ける、とおっしゃっていました。

 



他人からの承認欲求は大切




究極的に言えば、社会から本当に必要とされている人なんて本当の一握りで、ほとんどの人は大きな意味での社会からは必要とはされていないはずだと思います。

 

もちろん、人類の種の存続のためには、どんな人であれ必要な存在ではあるのですが、もしも神の視点から個体の入れ替えが可能であったとした場合に、必要とされる人なんてのはほとんどいないでしょう。

 

ただし、もちろんもう少し小さな意味での社会、例えば家族、というような点からいえば、ほとんどの人が必要とされているのだと思いますが、それでも会社員で頑張ってきた人にとっては、会社の中で認められる、という経験を長年してきたがために、会社を離れてしまうと急に誰からも必要とされていない、認められていないというように感じてしまうというのはあるのかもしれません。


中には、そういう境地を脱している方もいるでしょうが、私は、誰かに必要とされていれば、うれしいですし、それが日々のモチベーションになるのはよくわかります。




セミリタイアでも同じ経験?




これはたまたま定年退職をした人の話から伺った話ではありますが、セミリタイアをした後にも似たように感じることはあるのかもしれません。

 

セミリタイアの場合はまだ緩く働くことは前提ですので、そういう意味ではいきなりさみしい思いをすることはないのだろうとは思いますが、会社員として働いてきた人がセミリタイアをした場合でも、もっと頑張りたい、周りに貢献しなければという思いが働いて、セミリタイアをしたのに頑張って働いてしまう、ということが起こりえるのではないか、もっと言えば、私がセミリタイアをした後にそう感じる可能性が高いのではないか、と思ってしまいました。

 

まあ、生きることに張り合いが出るのはいいことだと思うのですが、もしそういう思考回路になってしまうのであれば、それってセミリタイアする意味があるのかな、とも思います。

 

不必要なストレスから逃れることでセミリタイアをしたいと思っているのに、張り合いがないとそれがストレスになることもあるのだろうか、果たしてどちらのストレスがより健全なのだろうか、考えてしまいました。

 

 

 

 

 


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1 件のコメント:

  1. 社会貢献ならボランティアの方が満たせるんじゃないかな

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