組織の壁を越える





 

 

 

仕事をしていますと、組織としては組織のルールで動かないといけない、ものだと思います。

 

一方で、たまに組織のルールと個人の意思のはざまで揺れ動く人に出会います。

 

それは決して、組織のルールに従わない無法者ということではなくて、組織のルールがそうなっていることは理解しているが、よりよい形を目指すためにはそのルールから少し逸脱しなければならないのではないかという揺れ動きをしているということです。


尊敬

 


私としては、そういう考えをする、できる人はすごいな、と思います。

 

中には、かなりドライに、それは自分の部署の、あるいは自分の守備範囲ではないというように杓子定規にバッサリいったり、決めてくれたら動くから決めてくれ、という主張をしたりする人もいます。

 

確かにその方が効率的であったり、明確であったりするというのはあると思いますし、だからこそ欧米ではジョブディスクリプションが明確に定められているということもあるのでしょう。

 

それはそれとして理解はするし、自分の守備範囲ではないのかもしれないけれども、自分が負担をすることで、よりよいものができるのではあればその苦労はいとわない、という姿勢そのものは尊敬します。

 


デメリットもある



もしかしたら、中には、自分が得意・思い入れのある業務を引き続きしていたいから、そのような主張をする人がいるかもしれませんので、その場合はよくないとは思います。

 

また、たとえそうでなくても、デメリットはありまして、その人はそれでいいかもしれないしそれができるかもしれないけれども、組織としての継続性が担保はできない、つまりもし後任の人が来た場合に、その人が同じような業務はできない可能性があります。

 

そうなると、もしも仮に前任の人はそうしていたのだから、後任の人も同じようにしてください、となると対応できなくなってしまうということがあり得て、そのことが何かしらのひずみを生んでしまうということもあり得るわけです。

 

まあ、だからこそ人の入れ替わりが比較的流動的な欧米企業では、ジョブディスクリプションによる業務の明確化を図ることで、継続性の方を重視しようとするのかもしれません。

 

翻ってそのことが、属人的な業務を減らすことにも貢献しているのかもしれませんし、責任権限の明確化にもつながっているのかもしれません。


 

応援してしまった



私の場合、決めてくれたら動きますよという姿勢でいたり、業務をできるだけ任せたりした方が楽ですし、ストレスも少なくていいかなと思っています。

 

ただし、能動的に動いた方が業務そのものが面白くなることも理解しています。

 

ただ、いたずらに負担は増やしたくないですし、多くの人が同じように思っているのではないかと思う中で、組織のルールに少し逸脱してでも、自分が貢献することでよりよい結果を追い求めたいという意見はシンプルに尊敬します。

 

もしもやり方に筋を通す、例えば個人で突っ走るのではなくて、根回しをして周りの同意を取りながらその人がかかわれる仕組みをつくる、とか、周りを説得して進めるのであれば、そういう姿勢は応援したいなと思います。

 

まあ、その人が優秀な人であるというのは大前提ですけれどもね。

 

もしもそうでないと、ただ単に業務をかき乱すだけになってしまいますから、絶対によくありません。

 

今日、そういう人にたまたま出会いまして、自分にできることであればサポートしますよとついつい言ってしまいましたが、その人の話を聞いていて、尊敬と共になんだか少しうれしい気持ちにもなりました。



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