闇バイトを考えるセミリタイア志願者




闇バイトという言葉がにわかに出現してきました。

 

もともと、オレオレ詐欺などは存在していましたし、そのための受け子、出し子、みたいな役割もあったのでしょうけれども、そういう役割を高収入バイトという形で募集して雇うようになっているというのがニュースでも取り上げられるようになり、高収入という言葉につられて応募する人も増えている、というのが背景にある中で、闇バイトという言葉も定着してきたように思います。

 

上手いこと表現したものだなと思いますが、それでも、闇バイトではなくて、違法バイトとした方が正確なんだけれどもなという気もします。

 

闇と言ってしまうと、グレーな部分であるというような印象も出してしまうような気がするのですが、明らかに真っ黒なバイトですから、違法バイトなはずです。



気持ちはわかる



犯罪はだめなことであることは大前提ですが、高収入につられてしまう気持ちはよくわかりますし、特にお金に困っている場合には一度だけでいいからやってみよう、という思いを持つのは分からなくはありません。

 

応募する時点では違法行為だとは気づかないままに応募するのだろうなと思いますし、その時点では単に割のいいバイトという認識しかない可能性も高いのではないかと思います。

 

ニュースを見聞きする限りでは、応募した時点で身分証明書やら個人情報をバッサリ抜かれて、もしもバイト内容を断るようなことがあればそれを元に脅される、みたいな話を聞きますし、気づいた時にはもう遅い、一度はまってしまうと抜け出すことのできない沼のような、そんな感じなのでしょう。

 

個人的に、この手の闇バイトという話がニュースとして多く出てくる背景に、国民生活の経済的な困窮やら定職がなかなか見つからない苦労、みたいな話が出てくるのかなと思いながら記事を見聞きするのですが、知る限りはそういう論調はないですね。

 

ということは、そういう闇バイトに手を染めてしまう人は、単純に楽してお金を稼ぎたいという人が多い、というだけなのでしょうかね。

 

決して犯罪を助長するつもりはないのですが、例えばの話で、やむにやまれず、悪いこととはわかっているけれどもやらなければ誰かが死んでしまう、というような極限状況の中で犯罪を犯してしまって、そのことが明るみに出て、世間でも一部同情の声が出る、みたいなこともあると思います。

 

その犯罪者の置かれた環境を自分に置き換えてみると、ただ責める気にもなれないなあ、というやつです。

 

そいういうのは闇バイトのニュースではほぼ見聞きしないですね。

 

もちろん、生活費に困ってやった、みたいな話は出てきますが、そこで困るまでにもうちょっとやれることはあったんじゃないの、という感じが多いのでしょうかね。

 

やむにやまれず、、という人の場合は、むしろそんな高収入バイトとかにはそもそも惹かれない、ある種、くそ真面目な人なので、そもそもそういう怪しいバイトには応募してこないのかもしれませんけど。

 

勝手な想像です。



お金を稼ぐのは楽じゃない



楽してお金を稼ぎたいという気持ちは大変良く分かりますけれどもね。

 

普通のバイトで10万円稼ごうと思うと大変ですからね。

 

仮に時給1000円がまるまる手取りになったとしても、100時間働くということは、18時間働いても月に13日は働く必要があります。

 

20万円稼ごうと思ったら、その倍ですから、体力的にもきつくなりますね。


ただ、多くの人は、生活費に困っても犯罪に手を出すまではしないわけで、正当化はできません。


 


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阪神岡田監督の発言を考えるセミリタイア志願者



阪神タイガースの岡田監督の取材コメントに、今のプロ野球では選手の休養日を設けるというトレンドもある中で、なぜ選手を休ませなければならないのか、選手は毎日給料をもらっているじゃないか、というものがありました。

その背景にあるのが、ある投手を投げさせなかったからというのがあるようですので、その投手をかばっての発言であるとも受け取れますが、いずれにせよ、説明として使用した、給料をもらっているのになぜ休ませなければならないのか、という意見が興味深いです。

普通に考えたらそりゃそうですよね。

働く前提でお金をもらってるんだから、そうなら働けってことです。

ただ一方で、短期的に考えたらそれでいいですけど、中長期的に考えたら、いい選手を短い期間に使い潰してしまう可能性もあります。

それは、チームが継続的に強いチームであるためにはマイナスかもしれません。

メジャーも注目していると言われる、ロッテの佐々木投手なんかは大切に扱われてきたと思いますが、それは中長期を見据えてのことでしょう。

しかし、プロの世界、試合に出て、活躍してなんぼです。

例え輝ける期間は一瞬でも、その一瞬に輝きたいと思う選手だっているかもしれません。

多くの選手は輝けないまま終わってしまう厳しい世界です。


民間企業ならどうか?


一方で、もしも、今の世の中で、民間企業の社長が、トイレに行く間も惜しんで仕事しろ!始業後60分はトイレに行くな!と社員に言ったら、炎上してしまう気がします。

勤務時間中は仕事しろって言われているなら当然のことではあるはずですし、トイレくらい始業前に行っておけというのはわからなくはない主張だと思いますが。

生理現象としての生産性を持ち出すなら、プロ野球選手だって休んだ方がその後の生産性はあがるばすなのです。

毎日、かなり体を酷使しているでしょうからね。

プロ野球選手とサラリーマンは違う、というのであれば、なぜそこが違うのかを考えてみるのもまた面白そうだなあと思いました。

少なくとも、岡田監督の発言は炎上していません。

残念ながら、サラリーマンはプロではないってことなんでしょうか。

政治家が、税金から給料をもらっている人間は24時間365日、国民のことを考えて働けって言ったら賛同を集めそうですしねえ。




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老後2,000万円問題を考えるセミリタイア志願者




かつてあった、老後2,000万円問題。

要は、年金による収入と生活による支出について、あるモデルをもとに計算すると、2,000万円不足するという話です。

モデルはモデルなので、人によってはもっと不足するかもしれせんし、そんなに不足しないかもしれないのは考えてみると当然なのですが、そういう前提はあまり考えられていないまま、言葉だけがひとり歩きした印象があります。

情報としてはシンプルな方が理解もしやすいですので、その点ではとても分かりやすい表現だと思う反面、シンプル過ぎて逆に不安を煽ってしまった側面はあるでしょう。

確かに説明不足だった部分はあったと思いますが、イメージのしやすさで言うと、かなり良い表現でもあったと思いますので、私個人的にはいい意味で捉えています。

結果として、世の中の話題にはなったわけですので、興味喚起にはなったと思いますし、正確に説明するのも至難の業というか、そうしようとするとむしろ分かりにくくなる気がします。

一応、説明を読むと、モデルが使われていることはわかるわけですが、表面しか見ていない人がこんなにいるのだなと、むしろそちらに衝撃だったというか、それが普通なんだと認識しないといけないんだなという学びというか、そんな感じを受けています。

難しい表現であれば、受け手側も、あれ、どういうことだ?と何回も読んだり、理解を深めようとしますが、簡単な表現であった分、何も考えずに吸収してしまうというか、なるほどね、となってしまう。

これは私の場合も普段の生活でありそうです。

で、簡単に言ったら結局何?というのを知りたがってしまうというか。

たまたま私にとっては、セミリタイアとも関係する話題で、お金が足りないのは努力で一定程度は避けられるはずだという考えでいた中で読んだ話題でしたので、なんで足りなくなるんだと批判的にニュースを読めたので、ああ、モデルケースね、と気づけましたが、そうでない分野のニュースなんかは鵜呑みにしますから。


現実的な解は?


さて、そんな老後2,000万円問題ですが、一つの解消手段は70歳まで働いて、給料を得つつ、年金支給タイミングを遅らせつつ、最終的には年金支給を増やすことだ、ということが主張されます。

いや、正論なんです。

全くもって間違いがない、正論です。

しかし、だからこそ、70歳まで働くって大変ですよということを声を大にして言いたいです。

働ける体力や気力のある人ならいいのでしょうけど、みんながみんなそんなスーパーマンじゃないわけです。

いや、働くことで、社会的な接点の確保とか、いい影響はあるでしょうし、できて、やりたいのであればするべきだろうと思います。

しかし、そこまでできる人が果たしてどこまでいるのだろう、という点は無視できません。

老後2,000万円問題に類する問題を抱える可能性がある人は、それまでも必死に働いて貯金しようとしたけど結果的にできなかった人の割合が高まるはずです。

それまでも気力や体力をすり減らしてきているのです。

そんな人に70歳まで働いてね、なんて、簡単に言えないと思いますよ。

数学的な試算の上では、確かにそうなるのでしょうが、はたして、、、と思います。

まあ、だからといって私がよい代替案を出せるわけでもありませんけどね。



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野球の審判と誤審

 


ネットの記事を見ていて、審判は辛いよ、という記事を見かけました。

要は、プロ野球の審判なのですが、リクエスト制度ができて、審判が間違っていたら判定が変えられる、その一方でいくら素晴らしい判定をしても当たり前として捉えられて、褒められることはない、という内容でした。


所感


褒められることは確かにないよなあと思いますので気持ちはわかる反面、よほどの誤審でない限り、リクエストされたビデオを見て判定が変わってもそのこと自体は責められません。

要は、選手も観客も、あのハイスピードで繰り広げられるプレーを全て正確に判断できるとは思っていない中で、もし間違っていたら修正してほしいというだけなのではないでしょうか。

以前は、あるいは今でも基本的に審判は絶対だ、という価値観があった、あるわけですから、褒められることがないのが辛い、というのは勝手な話で、褒められたいなら、存在が絶対だ、なんてのはおこがましいことこの上ない主張です。

しかも、別に審判が間違っていても修正するか、しないかは審判に委ねられて、修正しないことだってあるわけですから、そうなると話は全く異なってくるというか、褒める褒めない以前の問題です。


会社の日陰部署


会社の中で、生産現場に携わっている人とか、原材料を調達している人とか、うまくやって当たり前、失敗したらなにやってんだ、という立場かつ、日が当たりにくい部署で働いている人が言うような、そつなくこなしても褒められない、なにかあったら責められる、というのとはまた随分と訳が違う気はします。

そういう部署はなかなか花形部署になりにくいのですが、基礎の基の部署としてかなり大切な仕事をしています。

そういう部署の人たちが文句を言ってもすんなりと受け入れられる気はします。

なぜなら、彼ら、彼女らはミスをしたら隠せないですし、それを取り返すための努力も強いられます。

判断間違ってたよ、ごめんねでは済まされないわけです。

野球の審判も、ひどい誤審をしたら責任追及はされるみたいですが、誤審して、それをごまかすことで、それは実際にプレーをしている選手や監督の給料に反映されるわけで、それっていかがなものかという気はします。

もちろん、人間ですからミスはありますが、それを踏まえた上でのリクエスト制度なわけですから、むしろ間違えた場合でも他の人の人生には影響を与えずにすんで良い影響があるはずです。

審判の威厳、みたいなことを言うくらいなら、逆に間違っていたら間違っていましたと認めないと、それはただの頑固野郎なわけで、それでいて、責められるのはきつい、いい判定をしても褒められない、というのはなにを言っているんだろう、と思います。

プレーのレベルは上がっているわけで、人間では判断できないことが増えているからこそのリクエスト制度と捉えれば、別にミスを指摘するための制度ではなく、納得度を上げるための制度に過ぎません。

リクエストされて、あきらかな誤審なのに判定を変えないということをやっている以上、審判が文句を言うのも同情はできないなと思います。


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異文化を感じるセミリタイア志願者




異文化コミュニケーションや、みたいなことをいう宇宙人のテレビ広告が十数年前にあった気がします。

 

確か英会話教室の広告だったのではないでしょうか。

 

今回、日本にフランス人、スペイン人、イタリア人が出張できており、会食するからと私も駆り出されました。



異文化コミュニケーション

 

普通に考えると、寿司とか焼き鳥とか、安定の中華とか、ちょっと冒険してお好み焼きとか、食事の選択肢は色々とあるのですが、お店を選んだ人は韓国焼肉を選択しました。

 

まあ、肉を焼くスタイルは違えど、グリルした肉を食べる文化は彼らにもありますので、その選択肢自体は間違ってはいないと思いました。

 

特に会食の場合、苦手な食べ物やアレルギーのありなしを尋ねる必要がありますが、最近は、ベジタリアンの人が増えていますので、そこにも気を使わなければならなくなってきていますね。

 

正直面倒ですが、そう言ってはいけません。


ゲテモノ?

 

韓国焼肉ですので、当然のようにキムチやナムルが出てきたのですが、ヨーロッパ出身の彼らからしたらそれがかなりの得体の知れないものに見えたようです。

 

キムチについては、赤い見た目からして辛そうということで、またおそらくは唐辛子の辛さは彼らにとっては苦手な辛さなのか、全く箸が進んでいませんでした。

 

というか食べようとすらしていませんでした。

 

実際に私が食べた感じではほとんど辛くないし、むしろ漬物特有の酸味のようなものの方が強かったのですが、彼らはチャレンジすらしませんでした。

 

ナムルには箸が伸びていましたが、なんなら網で焼こうかという勢いで実際に焼いていましたし、私もそれを見て別に何も言いませんでした。

 

住んできた文化圏が違うと、こうも違うのかという印象を改めて持ちました。

 

我々が欧州圏の食べ物で、トライしたくないと思う食べ物は何でしょうかね。

 

ウズラの丸焼きみたいな料理は気持ち悪いという人もいるかもしれませんし、ブルーチーズのような独特の風味のものも嫌な人はいるかもしれませんね。

 

名前は忘れましたが、北欧には世界一臭い缶詰、というようなものもありますね。

 

それでも、見た目などから箸が進まない、という料理は正直あまりないのではないかなという気はします。

 

英国の料理は味がしないからおいしくない、というような人はいるかもしれませんが、そもそも、箸が進まないかと言われるとどうだろうなという感じです。

 

日本食でいえば、納豆が得意な海外出身の人は少ない印象ですし、ウニとかフグの白子なんかも嫌う人は多いですね。

 

あとは内臓系の食べ物も嫌がりますね。

 

中華料理でも、何が入っているか分からないからと、嫌う人がいるようです。


食で判断できるわけではないが

 

まあ別に、キムチが食べられるからと言って韓国の文化を理解できるかというとそうは思わないですし、納豆が食べられるからと言って日本の文化が理解できるとも思いません。

 

それでも単純に、忌避感を覚えてしまう食べ物があるのだなということが改めて分かって、興味深く思いました。

 

私からしたらおいしいと思う食べ物に、しょっぱなから拒否反応を示す、ということを目の当たりにしたわけです。

 

嫌なものを無理やり食べさせるなんてことはしませんし、自分がおいしいと思うものをおいしいと思ってもらいたいわけでもありませんが単純に文化の違いを肌で感じた体験でした。

 


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マルチビジネスを考えるセミリタイア志願者

 



 

お金が欲しい、お金持ちになりたいというのは多くの人が思うところなのではないでしょうか?

 

既にセミリタイア生活に入られている人の中には、お金なんていらない!お金なんてなくても豊かに暮らせる!と主張されている方もちらほら見かけますが、実際のところ、そういう人たちだってもしも臨時収入で10万円手に入ったら幸せを感じるのではないでしょうか?

 

そこで、いや、自分にはお金なんかいらないから、この臨時収入は困っている人のための募金に使おう、なんてことにはならないのではないかと、意地悪な考えかもしれませんが思ってしまいます。

 

究極的には、お金がなくても幸せになれますし、お金があったら幸せになれるわけでもありませんが、この資本主義の世界において、お金があって困ることはありません。

 


マルチビジネス



なぜだかよくわかりませんが、最近特にマルチ商法関連のニュースを目にすることが増えました。

 

もしかしたら私がそういうニュース記事を見ることを選んでいる結果かもしれませんが。

 

簡単にお金が稼げる、というのが常套の勧誘文句になっているようですね。

 

よく言われるのは、簡単にお金が稼げるノウハウを他人に教える人はいない、ということで、それはその通りなのですけれども、やはりお金が欲しいと思う人の心がある以上、この話だけは本当なのではないか、この話を逃したらチャンスをみすみす逃すことになるのではないか、というように思ってしまうのかもしれないですね。

 

私もまあいい儲け話があれば乗りたいなと思う気持ちはありますし、詐欺のような感じでニュースになっていましたけれども、牛に投資するとかいう儲け話に、興味を持ったこともあります。

 

結果的に投資しませんでしたが、確かに興味は持っていましたし、当時は怪しいなともそこまで思っていなかったのではないかと思います。

 

牛という目に見える資産があるから比較的大丈夫、というように思っていたのかもしれません。

 

会社にかかってくる不動産投資の勧誘電話は、時間をおかずに怪しい、と思うのに、ある別の似たような話にはそう思わないということが私自身でもあるわけですから、人のことはあまり言えないなと思います。



楽に儲かることはない

 


ただ、確実に言えることは、確かに、そんな簡単な儲け話はないということです。

 

もっと言うならば、リスクなくリターンを得られる儲け話はない、ということでしょうか。

 

自分で言っていて、夢がないなと思いますけれども、現実なのですから仕方ないです。

 

投資で儲けている人たちも、かなり勉強をした上で儲けているはずですし、素人が何も勉強せずに簡単に儲けられるようなことは残念ながらほんんどないのです。

 

でもいまだに多くの人が引っかかるわけですから、不思議なものですね。

 

こうは言っている私も、そのうち引っかかるかもしれません。


 


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鶏卵が足りない?



卵の品不足、値上げのニュースが話題になっています。

 

飼料の高騰に加えて、鳥インフルエンザの流行によって需給バランスが崩れているようです。

 

卵と言えば、従来スーパーでは不当とも思われるくらい安い値段で販売されていて、ある種の客寄せ的なプロモーションのために使われていました。

 

お得な卵でお客を呼んで、他のものも買ってもらおうという戦略です。

 

鶏卵業者の人からしたら大変だろうなということは理解できる一方で、1消費者としては、生活を送る上で大変助かっていたというのは正直なところです。

 

栄養価もかなり高いので、簡単な朝食にしたり、ちょっと何かを口にしたい時などもお菓子ではなくてゆで卵をなんてこともやっています。


値上げのいい機会か


 

日本の卵は、生食が多い分、衛生面でもかなり気を遣っていると思いますし、コストもそれなりにかかるところを、力関係ではスーパーや量販店が持っている中で、なかなかコスト転嫁できずにいたというのがこれまでの実情ではないかと思いますし、これを機に少し価格を上げることを消費者が受け入れてくれるといいなというところもありますが、たぶん、それはそれで難しいのでしょうね。

 

のどもと過ぎればなんとやら、で、そのうち、消費者は卵が高すぎる!卵すら変えない貧困層みたいな感じの論調がでないとも限りません。

 

セミリタイアを目指している私としても、食費が上がったり、栄養価の高い製品が買いにくくなったりというのは、どちらかと言えばネガティブなニュースであることは確かですし。

 

本来であれば、日本の食糧需給のリスク要因があぶりだされたことでもありますので、これを機に何かを変えていこうという機運があってもいいと思うのですが、そういう感じにもならなさそうですよね。

 

鶏卵に限らず、食糧の安定需給の確保はこれからの日本の課題になる、というか既に長年なっている、と思います。

 

そこまで言うならお前がやれという声は聞こえてきそうですが。。。

 

何かしら貢献できるならしてみたい、という思いはありますけれどもね。

 

こういうやってはみたいがノウハウも何もないからできません、みたいなのが一番よくないのかもしれませんけれども、なにかできないかなという思いは常にあります。

 

セミリタイアをしてストレスから逃れたい気持ちとは裏腹に、なにかしら他人に貢献したいという思いはあるのです。

 



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資産相続について考えるセミリタイア志願者



平日の昼下がりから、都心のおしゃれなカフェでゆったりと時間を楽しんでいる、比較的若い層を見かける、彼らこそ、親が資産家で既に安定したキャッシュインがあるために、無理して働く必要もない世代なのだ!

 

という記事を読みました。

 

そんな単純な話だろうか?と正直思います。

 

サラリーマンをしていると、平日の昼間から私服でゆったりしている人、何ならお酒を飲んでいる人はいったい何者なんだ、と確かに思うのですが、よく考えると別に平日は仕事で週末はお休みです、という人ばかりではありませんからね。

 

当然、週末に働いて、その分を平日に休みを取っている人というのは普通にいるわけですので、そういう人が都心に出てきてお茶しているだけかもしれません。

 

もちろん親が資産家で、無理して働く必要がない人たちもいるでしょうが、そんな人ばかりではないというのが正確なところではないでしょうか。

 

まあ、センセーショナルな記事にするためにはそういう論調にしたほうがよりインパクトがあるのは分かりますけど。

 

しかしながら、もしも自分の親が資産家だったらなあ、という妄想は、そうではない誰しもがしたことがあるのではないでしょうか。



後世に資産を引き継ぐ

 


また、確かに自分一代では土台を築くことしかできないかもしれませんが、いくばくかの資産を築いて、子どもや孫の世代に受け継がせていきつつ、子孫にとっての資産を残していこうと考える人もいるかもしれません。

 

自分が苦労した分、後世の世代には楽をさせてあげたいという親心、爺心、みたいな感じです。

 

私もそういう考えをまだ持っています。

 

その試みが上手くいくといいのですが、実際問題は自分がなくなった後はコントロールは効きませんし、子どもや孫の誰かが浪費家だったらその時点でこの引継ぎは終わってしまいます。。。

 

そう考えると、それならまずは自分の楽しみのためにお金を使って、幸運にも余った分は相続させていけばいいのかなという気分になりますので、どちらがいいかなあと決めあぐねている状況です。

 

中国の故事かなんかに、後世の世代のためには整備しきっていない、状態の悪い畑を残しておく方がいい、というものがあったなあというのもふと思い出します。

 

苦労しないと、今持っている資産の価値なんてわからないよ、という教えだったかと思います。

 

それもそうだよなあ、なんて思いますので、また悩みます。


 


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業務引き継ぎの時期がやってきた

 



 

 

さて、異動の時期になってまいりました。

 

転勤になる人もいれば、同じオフィス内で部署が変わる人もいるでしょうし、部署などは変わらなくても担当が変わる人もいるでしょう。

 

誰かに引継いだり、誰かに引き継がれたり、限りある時間の中で行なうのはなかなか大変ではあります。


担当変更後の新担当


 

担当が変わって引継ぎをした以上、そこからは基本的に新担当が該当業務を行なうべきであって、旧担当が何か手を動かすというのは基本的にしてはいけないことだと思いますが、日本人の場合、なあなあで旧担当に依頼をするということが起こります。

 

もちろん、不明点について旧担当に尋ねるというのはある程度仕方がないと思いますし、活用できるならするべきだと思いますが、本来であれば、旧担当に依頼をしてはいけないのです。

 

部署内で担当が変わっただけ、などであれば、アドバイスをもらいながら業務を進めることはあったとしても、あくまでも担当は新担当として進めるのが正しいのだろうと思います。

 

逆に旧担当側も、いつまでもずるずると旧業務に関わっていてはいけません。

 

ここまでが新担当について起こりえる問題。



旧担当側

 


一方で、旧担当も、自分の担当期間中は自身の責任範囲であることを認識して、それに基づいて担当業務を行なう必要があります。

 

引継ぎをもうしたから、それ以降は新担当がやってくださいね、という話ではなくて、切り替わるのは正式な担当変更が発生するタイミングです。

 

で、意外と旧担当の人で、引継ぎが、それが切り替わるタイミングだと勘違いをしている人がいるのもこれまた時に見かけられます。

 

もう知らないよ、とばかりに責任放棄をしてしまう人がいるのはとても残念ですし、失礼な人だなと思います。

 

一刻も早く旧業務から離れたい、という気持ちがあるのかもしれませんが、いかがなものかなあと思います。

 

せめて新担当と一緒に、期限までは色々とやるのが基本なのではないかと感じるのですが、性格もあると思いますので、気にしすぎてもだめかもしれないですね。

 

異動の時期はなんだかんだで常々起こる問題だなと感じます。

 

 


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目的が曖昧だとストレスも高まる?




私の場合、ほぼ全ての社外人と同様に、定期的な会議をいくつか持っています。

関係者への進捗や課題の共有、対応策の議論などなど、話し合うわけですが、私が回さないといけない会議もいくつかあります。

私が回すというか、基本的には私よりも上のクラスの人への報告、意志確認みたいな位置付けで、いわゆる同僚も出席せずで、資料準備から報告まで、全て私がしなければなりません。

上のクラスの人というのもいくつかの部署にまたがっていますので、みな考えが違ったりしていて、これがまた対応が大変です。


疲弊する


そうすると、会議の準備や回し終わった後、結構疲弊するのです。

確かに、結果として、上の人の考えが聞けるというのはいいことだと思っています。

全てを受け入れる必要はないと思っていますが、そういう意見を反映すべきかどうかや、どうやったら上手く反映できるかを考えるきっかけになります。

もちろん、他人の意見を聞かせてもらうのは、耳が痛いことも多いですし、そんなことを言われてもなあと思ったり、面倒くさいなあと思ったりもします。

別に上の人が言うことが常に正解でもないですが、何が正しいかは誰にも分かりませんから、反証できないと力関係で押し切られることもあります。

まあ、押し切られても、検討はします、で流すことも多いですが。

また、私に指導してあげようとしている上の人たちにとっては、言うことが大切なのでしょうし、そのこと自体は良い面もあると思います。

しかし、どうしても、対応には疲弊します。

さらに、頻度が毎週とかだと、準備も大変ですし、1週間でそんなに進捗ないから報告することもないし、みたいな事もおきます。


偶然の産物


そんなことが積もり積もった先日、さらに言えば、報告だけなら別にメールでいいんじゃないかと思ったので、会議はキャンセルした上で、進捗だけメールで送りました。

すると、1人の人からしか返信がありませんで、内容もまあまあ普通のことでした。

それ以来、特に会議で報告必要なしと思えば、会議をキャンセルするようにしました。

上の人からは特に反応なしです。

そこで気づいたのは、あれ、私は会議をするために会議を設定していたのかな、ということです。

確かに、当初に会議を定期的に設定したのは、上の人に定期的な報告、方向性確認をしながら仕事の勢いをキープするためで、当時は動きもたくさんありましたし、適宜フィードバックをもらうことにも意味がありました。

それが徐々に、方向性は固まってきて、細かい部分の話になってくると、後は現場でお願い、という事も増えてきて、上の人の意見は意思決定ではなく、アドバイスの様相が強まってきました。

当然に、定期的な情報共有の手段は何かしら必要だと思いますが、場面場面で頻度を変えることは必要だったのに私がしていなかったのかな、と思ったのです。

つまり、目的を明確にしていなかった分、実は自分で自分を苦しめていたのかもしれないと。

これは、会議に限らず、仕事全体において言えることですし、改めてになりますが、セミリタイアについても、目的がなにかを明確にしておかないと、要らぬストレスを受けてしまうということなのでしょうね。

必要以上に追い詰められるとか。



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