かつてあった、老後2,000万円問題。
要は、年金による収入と生活による支出について、あるモデルをもとに計算すると、2,000万円不足するという話です。
モデルはモデルなので、人によってはもっと不足するかもしれせんし、そんなに不足しないかもしれないのは考えてみると当然なのですが、そういう前提はあまり考えられていないまま、言葉だけがひとり歩きした印象があります。
情報としてはシンプルな方が理解もしやすいですので、その点ではとても分かりやすい表現だと思う反面、シンプル過ぎて逆に不安を煽ってしまった側面はあるでしょう。
確かに説明不足だった部分はあったと思いますが、イメージのしやすさで言うと、かなり良い表現でもあったと思いますので、私個人的にはいい意味で捉えています。
結果として、世の中の話題にはなったわけですので、興味喚起にはなったと思いますし、正確に説明するのも至難の業というか、そうしようとするとむしろ分かりにくくなる気がします。
一応、説明を読むと、モデルが使われていることはわかるわけですが、表面しか見ていない人がこんなにいるのだなと、むしろそちらに衝撃だったというか、それが普通なんだと認識しないといけないんだなという学びというか、そんな感じを受けています。
難しい表現であれば、受け手側も、あれ、どういうことだ?と何回も読んだり、理解を深めようとしますが、簡単な表現であった分、何も考えずに吸収してしまうというか、なるほどね、となってしまう。
これは私の場合も普段の生活でありそうです。
で、簡単に言ったら結局何?というのを知りたがってしまうというか。
たまたま私にとっては、セミリタイアとも関係する話題で、お金が足りないのは努力で一定程度は避けられるはずだという考えでいた中で読んだ話題でしたので、なんで足りなくなるんだと批判的にニュースを読めたので、ああ、モデルケースね、と気づけましたが、そうでない分野のニュースなんかは鵜呑みにしますから。
現実的な解は?
さて、そんな老後2,000万円問題ですが、一つの解消手段は70歳まで働いて、給料を得つつ、年金支給タイミングを遅らせつつ、最終的には年金支給を増やすことだ、ということが主張されます。
いや、正論なんです。
全くもって間違いがない、正論です。
しかし、だからこそ、70歳まで働くって大変ですよということを声を大にして言いたいです。
働ける体力や気力のある人ならいいのでしょうけど、みんながみんなそんなスーパーマンじゃないわけです。
いや、働くことで、社会的な接点の確保とか、いい影響はあるでしょうし、できて、やりたいのであればするべきだろうと思います。
しかし、そこまでできる人が果たしてどこまでいるのだろう、という点は無視できません。
老後2,000万円問題に類する問題を抱える可能性がある人は、それまでも必死に働いて貯金しようとしたけど結果的にできなかった人の割合が高まるはずです。
それまでも気力や体力をすり減らしてきているのです。
そんな人に70歳まで働いてね、なんて、簡単に言えないと思いますよ。
数学的な試算の上では、確かにそうなるのでしょうが、はたして、、、と思います。
まあ、だからといって私がよい代替案を出せるわけでもありませんけどね。
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