それも一つの人生ですよ。
自分の人生がいかに不幸かとか、こんなに大変だとか、我慢して過ごしている、というような話をすると、それもまた人生です、というような言葉が返ってくるときがあります。
この言葉自体は間違っていないと思っていまして、それもまた一つの人生なのだと思います。
美空ひばりの唄ではないですけど。
100%満足いく人生はない
そもそも、絶対に満足が行く人生なんてないと思っています。
例えば、私はお金を早く貯めてセミリタイアをしたいと思っていますが、お金があれば幸せかどうかを考えてみると、ビジネスで成功した人、プロスポーツ選手、芸能人、親が資産家の人とかいろいろと思い浮かびますが、その人たちはその人たちなりの苦労をしているわけですよね。
嫉妬や妬みを他人から抱かれる、足を引っ張られる、悪口を言われる、過度に期待される、プライベートがない、などなど、ストレス要素が満載です。
ただし、一方で、それも一つの人生ですよという言葉に対して言いたいこともあります。
そんな言葉で片づけないでと。
悩むのは人生が一度きりだから
もしも人生が何回か送れるのであれば、それもまた人生として受け入れられるのかもしれませんが、人生は一度きりです。
一度しかない人生の中で、何が正解で何が不正解なのかは分かりません。
一見正解だと見えることが実は不正解かもしれないし、その逆だってあり得るわけです。
そんな中で、自分は不正解の選択をしているのかもしれない、と感じているからこそ、色々と不満も出るのでしょう。
確かに、自分が不正解だと感じているだけで、実は全知全能の神からすればそれは正解、あるいは一番良い選択の結果なのかもしれません。
ただ、それが分からないからこそ、もっと良い選択をして、良い人生になりえたのではないかと思っているのです。
バタフライエフェクトという映画があります。
個人的にすごく面白い映画なので、もしも観たことがない人がいれば騙されたと思って観てみてください。
過去のある選択が、将来の大きな違いに影響を与える、ということを念頭に、主人公が何度も何度も選択を変える、という映画です。
実際の人生が映画のようなものなのかどうかは分かりませんが、いずれにせよ、あの時にこうしていれば今はよかっただろうに、というのは誰しもが思うことではないでしょうか。
ルーティーン、ジンクス、とかいう言葉も、ある行動が将来の結果に影響を与えがちだと思われているからこそ、生まれているのでしょう。
神頼みに始まって、宗教だってそうかもしれません。
むしろ、宗教の場合は、自分の能力や選択を超えた大きな力が働いているという意味では、どうしようもないという意味合いで、それもまた人生、なのかもしれませんね。
ただし、実際にどうなのかは誰にもわかりません。
ただ、だからと言って、それもまた人生と言ってしまうのは、結構突き放したような言い方だなと感じてしまいます。
誰しもが人生を送る中で選択を重ねながら過ごしているわけで、その上で間違った選択をしているかもしれないなと思っているわけですからね。
もちろん、過去は変えられないので、選択を変えることはできませんが。
では何といえば正解なのかは私には分かりませんけれども、自分の子どもにどういうことを言ってあげられれば、人生が豊かになるのかなと思いながら、ふと思いました。


0 件のコメント:
コメントを投稿