先日、非常に興味深いセミリタイアに関する主張を読みました。
かなりの固定読者もついているような有名なブロガーの方で、セミリタイアに興味を持っている人なら、誰しも一度くらいはその方のブログを読んだことがあると思います。
個人的な理解
あくまでも私がこのように自分で消化した、という内容になりますが、要するに、社会生活に適合できない、能力の低い人こそがセミリタイアを目指すべき人であって、逆に、能力のある人、お金を稼げる人、ただ今の生活が辛くてから逃げたい人はセミリタイアをするのではなくて、働く場所を変えるとか働き方を変えるといった手段で人生を豊かにしたほうがいい、という主張と受け取りました。
これも私がこのように消化した、ということになりますが、セミリタイア生活はセミリタイア生活で決して楽な生活ではなくて、セミリタイア生活をリタイアする人もかなりの割合でいるのではないか、という主張があって、それがなぜかというと、多くの人は、働いていればお金も稼げるし、小さくてもやりがいを感じることもあるだろうし、それによって生きているという感触を得られるからであろうということかと思っています。
その反面で、どうしても社会生活に適合できなくて、仕事をしていても全く面白くもなくうまくもいかない、という人は、そもそもこの現代社会で労働をして過ごすことに向いていないのであって、であればセミリタイアが、よりその人の幸せにつながるのではないか、という主張と読み取りました。
実際にセミリタイアをしている人の主張として、セミリタイアを手放しでほめたたえるのではなくて、必ずしも誰しもに正しい選択肢ではないかもしれない、という主張かなと思っていまして、納得できる部分も多くあるなと思いました。
私も働きたくないわけではない
何度か書いていますが、私も全く労働をすることが嫌で働きたくないというわけではなくて、あくまでも今のポジションで今の仕事をすることから離れたい、という思いがあって、とはいえ別に何かすごくやりたいことがあるわけでもないので、であればセミリタイアをして細々と働いていく、ということが人生を豊かにするのではないかと思っているのです。
ですので、極端な話をすれば、部門や部署を移動して、少し気楽に働ければいいのになと思っています。
もしかしたら、そうすることで、会社にもより大きな貢献をできるかもしれないと思っています。
そうなるとなったで、もっとやりがいのある仕事をしたい、と思いそうだなと想像できるのがちょっとイマイチなのですけれどもね。
読書をしたい思いがありますが、そうしたら読後に、よし俺もとやる気が出てくるなんてのはよくある話です。
何に時間を使うのか
今は、なるべく子どもとの時間を確保したいなと思う気持ちが強いのですが、子どもが自分一人で遊びに行ったり、同年代の友達と遊んだりし始めたら、休日に私と遊ぶ機会も少なくなるでしょうし、そうなると自然と子どもと過ごす時間が少なくなりますので、そういう時に何をするか、というのもありますから、そういうときのよし仕事をするぞってなるのかどうか、ですね。
なんとなく、今の会社の仕事のために時間を使うということにはならない気がします。
どちらかというと、それが直接子どもとの時間ではなかったとしても、また直接子どもに関わることではなかったとしても、子どものためになる何かに時間を使いたいなという思いがあります。
俺はお前のためにこんなにやってるんだぞ、となってしまうのは良くないですが、長い目で見てほんの少しでもそういう効果があれば信じてやってみる、というのでいいかなと思います。
とはいえ、そんなにうまくはいかないのだろうなあと思います。
私自身が意固地になってしまうところもありますし、俺はこんなにお前のためを思って、って感じるのは感じるのだと思います。
ただし、それを表に出してはいけないですね。
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