婚活男性の憂い

 



とある記事で、婚活を始めた30代の男性が女性に失望して婚活をあきらめたというものを読みました。

 

記事によれば、この男性はそれまでほぼモテたこともなく、半ば女性と付き合うこともあきらめていたのが、大きな企業で働き年収も1000万円の大台を超えたことで少し自分に自信がつき、合コンやマッチングアプリなどでの出会いを求めたそうです。

 

そして、女性からのアプローチもそれなりにあって、デートに誘って応じてもらうこともあったものの、毎回のように高級な食事に連れていくことを望まれたり、高いプレゼントをねだられたりして、それを断るとフラれてしまうということを繰り返したとのことです。

 

男性は男性なりに、将来のことを考えて倹約生活をしながら貯蓄を増やしていくことが大切だと考えていたために、女性から今を楽しむために経済的に負担になることを求められることには違和感があったということです。

 

そのうち、女性がこの男性に対してお金を出してほしいと思っていることを感じるだけで嫌になってしまい、今では結婚そのものがいいやと思っているということです。




どう考えるか


 


この記事を書いた筆者は、女性に問題があることを指摘もしつつ、男性に対してもアドバイスをしており、女性は経済的に男性に頼りたいと思っている人もいるので、ある程度その部分が求められるのも仕方がないとも言っています。

 

何も知らない記事を読んだだけの私からすれば、この男性を金づるとしか考えていない女性に出会ってしまったこと、これが全てであろうと思います。

 

それまでモテることもなかったということは、残念ながらこの男性はイケメンではないでしょうし、コミュニケーション力がすごくあるというわけでもないでしょうし、女性とのコミュニケーション機会もあまりなかったのでしょう。

 

ある程度経験があれば、この女性はこういう女性だろうな、という自分の中でのカテゴリー分けができているので、この女性は危険そうだなと感じることもありますが、それがないまま、出会ってしまった危険な女性を危険な女性と感じないまま、引っかかってしまったのでしょう。

 

特にこの男性の場合は、女性との真面目なお付き合いを望んでいたのだと思いますので、それを望んでいない、この男性を金づるとしか見ていない危険な女性に出会ってしまったのでしょう。





需要と供給


 



また、この男性がどれだけ真面目な出会いを求めていたとしても、場合によってはそういう会ではないこともあり得ます。

 

例えば、私の体験ではありますが、誰をハブにして合コンを開いてもらうかで全く違うタイプの女性が来るなと思ったことがあります。

 

既に既婚の商社の男性(未婚と偽っている)が開く合コンなのか、未婚である程度結婚を見据えて出会いを求めている人が開く合コンなのか、で全く女性のタイプが違うと思ったこともあります。

 

まあそれはある種、男性側から見ても、遊びなのか真面目なのかで、目的が違っているわけで、もしかしたらこの記事の男性が出会った女性に感じたことと同じような違和感を、私が参加した合コンに出席していた女性が感じていたということもあると思います。

 

男性は女性の体目的なのね、というようなことですね。

 

もちろん、互いに遊び目的で合コンに来ている場合もあると思いますので、その場合は互いの目的がマッチしている会になるとは思いますが、そうではなく一方は真面目な出会いを求めている、一方はそうではないという場合はありえますし、仮に目的が真面目な出会いであったとしても、参加してみて真面目に付き合いたい人はいない、でもちょっと遊ぶにはいいかな、と思う場合もあると思います。

 

まあ、そういう色々あるパターンの中で、変な女性に引っ掛かってしまった、というこれだけだと思います。

 

女性がみんながみんな、この男性が出会った人のような方ではありませんが、将来を真剣に考えているのだとしたら嫌われないようにふるまうはずですから、そうではなかったということは、残念ながらこの男性を金づるとしか考えていない女性に出会ってしまった、というだけだと思います。

 

記事の筆者は、男性に経済的に支えて欲しいと思う女性は多いというようなことを書いていますが、たとえ本音のところでそうであったとしても、将来を真剣に考えている相手であれば、金目当てというのが分かるようには振る舞わないはずですから。

 

男性側も、将来を真剣に考えられる相手に対して、下心丸出しではコミュニケーションしないでしょうし。


ま、結婚したらしたらで苦労はありますし、しなければしないで苦労はあるのです。


自分が体験しないことは本当の意味では理解できないですよね。

 

 

 

 


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不祥事を考える

 



製薬メーカーが販売していた食品が健康被害につながっているのではないかと自主回収を開始したようです。

 

1か月ほど前には関連情報を知っていたが、実際に回収が始まったのは最近ということでそれにも批判の声があるようです。

 

食品ですので体内に入るものということもあり絶対に避けなければならない事象で、会社側もわざとそうしたことをしたわけではないと思いますが、まずはしっかりとした原因究明と対応が求められます。

 

信頼を積み上げるのは時間がかかる地道な作業ですが、信頼を失うのは本当にちょっとしたことが原因でも一瞬で起きてしまいます。

 

すごく変な話ですが、健康被害が出ていないのであれば、まだなにかしら包装に不備があったので回収というのは企業のコストはかさみますし、信頼にも傷はつくでしょうが、それでもその傷は浅くすむと思います。

 

むしろ、回収するなんてなんて真摯な会社なんだ、なんて評価が上がることすらあります。

 

健康被害が出てしまうと、それに対する補償という話ももちろんですが、そもそもそんな製品を販売している会社のものは買いたくないと思う人が当然に出るでしょうから、経営には大打撃です。

 

特に、体内に取り込むものを販売している会社ですから、単純に対象製品だけではなくその他の製品に影響が波及するということも考えられます。





気持ちがわからなくはない



 


個人的には好感を持っている会社ですので、なんとか頑張ってほしいと思いますが、まずはしっかりと被害にあわれた方に向き合って、原因の究明と問題の解決を行なうことが必須でしょう。

 

今回、回収が遅れたというのも、ひいき目に見れば、この対象製品が原因であるということがすぐには分からなかったということがあると思いますので、同情する部分はあります。

 

味が変だからとか、色が変だから、みたいな、すぐに正常ではないと分かる情報がまずあって、さらにそれらを摂取した人に健康被害らしきものがみられるということであれば、まだ因果関係としてとらえられる可能性もあったと思いますが、恐らくそうではなくて、健康被害には他の要因もあるのではないかと考えることもできる部分があったのだと思います。

 

人間だれしも、できれば自分の失敗であって欲しくない、自分の責任であって欲しくないと思うものですし、先ほども述べたように対応をしようとするといろいろとコストもかかるものですから、原因が明らかになるまでは状況を見守ろうと思ってしまうことはあると思います。

 

後になって考えれば、少しでも自分たちの責任であると思える要素があれば、早めに対応をしておけばよかったというのはその通りで、後から、他人から見ればなぜすぐに動かなかったんだと指摘するのは簡単です。

 

しかし、まだはっきりとそう思えない環境下で、実際のその場で物事を考えていた人からすれば、まずはまさか、という思いがあるでしょうし、そうあって欲しくないという思いもあるでしょうし、さらに実際は違いましたなんてことになれば、社内では何をやっているんだと責められることも想定されます。

 

であれば、もちろん対応が後手に回ったことで更なる被害を生んでしまったというのも真実である一方で、当事者が、もう少し事態の推移を見守りたいと思ってしまうのも、結果としては間違いだが、手放しで責めることはできない話なのではないかと思ってしまいます。


実際の被害に遭われた方からしたら、お前こそ他人事でふざけるなと言われると思います。

 

いや、これから会社はいろいろと責められるでしょうし、責められるのは仕方のない話であって、当事者の人たちがそんなことを言ってはいけないことは分かります。

 

しかしながら非常に難しい状況だったのではないか、と想像するのも難しくありません。

 

もしかしたら、当事者の人たちも祈るような気持ちで事態の推移を見守っている中で、徐々に悪化していく状況を見てショックを受けていたのではないかと思いますし、であればもっと早くに別の意思決定をすればよかったとは思うでしょうが、あくまでも後からであればそう思えるという話です。

 

今後、社内の風通しが悪いとか、利益重視の風土だとか、組織としての在り方がいびつだとか、そういう話も出てくるかもしれませんが、それは要因の一つになりえるとは思う反面で、完ぺきな組織なんてものはないのも真実だと思います。

 

事態の推移を見守った結果、結果的にセーフになるということもあると思いますし、消費者に対してコールセンターを設けている企業には、本当に不良品を知らせる電話から、難癖をつけた恐喝まがいの電話もかかってくるでしょう。

 

なにかちょっとでも消費者が言えば商品を即座に回収するなんて対応をするのは正常な企業運営の阻害にしかなりませんし、その線引きも非常に難しいと思います。

 

非常に不幸な事態になってしまっていますが、まずは当該企業はしっかりと説明責任を果たすということが大切です。

 

まだ状況が分かりませんので難しいところではありますが、完全な正義の味方の立場からここぞとばかりにこの企業や関連する人を叩きまくるような世論にならないことを願います。


そして健康被害に遭われた方に対しては真摯な対応が行なわれることをなによりも期待します。


 

 


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上長への怒り



上長にまた詰められました。

 

私が関わっていたあるプロジェクトがすでにいったんの終わりを迎えていまして、一応、成功裡に終了したという評価です。

 

つい先日もブログに書きましたが、今は開発したものの実際の運営フェーズに入っており、主導権は完全に別部署に移りましたので、その別部署が責任を持って意思決定しながら日々の管理をしており、実際の運営については私も、私の部署も主導権を全く持っていません。

 

それが組織としての仕事の進め方で、私も歯痒いですが、他組織の職域を犯すのはいいことではありません。




でも気になる


 


とは言え、私は自分が関わった仕事として今後の状況に興味がありますし、全て丸投げというのはしたくないというのと、間違いなく私が進捗状況をきかれるということも分かっておりましたので、運営管理をしている部署に対して、意思決定には関与しないが、よりよい運営となるように思うことは言わせて欲しいと、定期的な打ち合わせ実施をお願いしています。

 

担当部署としてはそんなことをする義務はありませんし、私の行動はある種の権限逸脱であり、勝手なことをお願いしているのは確かなのですが、相手部署にいる人も、長い間苦労しながら一緒にプロジェクトを進めてきた関係性からなのか、一応打ち合わせを持つことは賛同してくれました。

 

経営への影響で言えば小さいプロジェクトですが、トップマネジメント層が興味を持っていたプロジェクトなので、問い合わせが私にあるかもということも戦友として汲んでくれたのかもしれません。

 

原則論で言えば、既に権限移譲もされているのですから、誰かが何かを問い合わせをするならその担当部署に直接するべき話なのですが、その部署は海外グループ会社の部署で、日本人は所属していません。

 

そして、なぜか多くの日本人はそういう部署に問い合わせをすることを躊躇します。

 

上からの指示とあれば海外の人の方が言葉の通り命懸けで動きますから、実は直接やってもらうのが効果的なのですが、私がプロジェクトをやっていたので、尋ね易そうと思って問い合わせてくるのでしょうか。

 

確かに私も、誰が何を気にしているのかを把握する助けにはなりますから、ありがたい面もあるのですけど。




上長の態度

 



で、上長もそんな1人で、トップマネジメントからも聞かれることがあることを知ったからでしょうが、今の状況はどうなっている、私はちゃんと状況把握しているのか、そもそもの管理がなっていないなど、10分くらい、一方的に先日の部内会議で詰められました。

 

じっと聞いていて、やっと私の弁明ターンになりましたので、私はちゃんと担当部署と定期やりとりをして状況把握に努めていること、得た情報は部で回覧されている月報に毎月記入していること、その月報は本社の経営企画部門にも共有されていると聞いていることを答えました。

 

上長から、集めている情報の質について言われるなら仕方がないと思うのですが、月報に書いていることすら知らない体での詰められ方でしたので、少し腹は立ちました。

 

上長からは、いや自分も色々と知りたいからさと、またごにょごにょ言われましたが、そのために月報に書いているでしょうという話です。

 

上長から、自分の認識が違った、とか、ちょっと言いすぎた、という一言でもあればいいのですけど、それはありません。

 

私だって、完璧に状況把握できているわけでもないですし、聞いたら全部情報共有されるわけでもありませんので、情報の質や種類について詰められるならまあ仕方がないとも思えます。

 

ただ、状況を考えると、さすがに今回のはないだろうと思いましたし、ただ詰めたいがために難癖つけてきているとしか思えませんでした。

 

上長としてはそういうつもりではなかったと信じたいですが、結果的にそうなったわけですから、そこはちょっと反省してほしいなと思いますが、そういう人ではないので、多分してくれないと思います。

 

 


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我が身を省みる



超有名野球選手の通訳を務めている人が違法賭博に手を染めていたということが問題になっています。

 

誰がどう悪いのかということはいったん置いておいて、この通訳の人の年収は数千万円であり、さらに将来のことを考えればいろいろと経験を活かしたお金儲けの手段もあるという非常に恵まれた状況なのに、どうしてそれを棒に振ってしまうようなことをしたのかという論調も見受けられます。

 

その論調そのものは正しいよなという気が確かにするのですが、実際問題としては我々自身がそこまで合理的でもないというか、誰しもが持っている人間の弱さというか、第三者から見ていることと本人が見ていることにはどうしても差があるとか、そういう話かなと思っています。




誰しもが弱い


 


政治家の裏金問題も話題になっていますが、彼らだって金銭的には恵まれた環境にいて、地位もあるわけでしょうし、そんな中でさらに欲をかいているという話だと思います。

 

大企業の幹部がセクハラやパワハラ、横領をする、幸せな家庭を気づいているように見える一般人が不倫をするという話も、そんな恵まれた環境にいるのにどうして、と第三者は思うかもしれませんが、そんな環境でもしてしまう、あるいはそんな環境にいるからこそしてしまうことというのはあると思います。

 

年収が数千万円もあれば、もしかしたら多少浪費してもすぐに稼げると、気持ちが大きくなるということもあるでしょうし、社会的に地位が高ければそれによって自分は何をしてもいいんだと勘違いしてしまうこともあると思います。

 

幸せな家庭があるからこそちょっと火遊びするくらい大丈夫だろうと思うこともあるのかもしれません。

 

宝くじで高額当選した人がその後の人生で破滅してしまう、という話がありますが、これもまた同じような勘違いをベースに、人間の弱い部分が出てしまう結果ではないかと思います。

 

もちろん、どんな環境に置かれても清廉潔白で、聖人のように振る舞える人もいるとは思いますが、それでも大多数の人は、環境によって自らの弱い部分をさらけ出してしまうのではないでしょうか。

 

不正をする人だって、最初の頃はおっかなびっくり、小さいことから始めて、そのうちに大きな不正を働いてしまう、という傾向があると思います。

 

それはやはり最初の頃の小さな不正がばれなかったから、それを繰り返すうちに感覚がマヒしてきて、もうちょっと大丈夫、もうちょっと大丈夫、となってしまうのですよね。

 

それはどれだけ金銭的に社会的に恵まれているかどうかというのは関係なく、どうしても人間の弱さとして多くの人が持っている特性なのではないかと思います。





我が身を省みる

 



それを実際の行動に移すかどうかというのは確かにまた別問題ではあると思いますし、行動してしまったことを弱さゆえに仕方がないと擁護することもできないと思いますし、今回話題になっている通訳の人の性格を私は知りませんが、今回のニュースを見ていると、ほとんどの人間はみんな弱さを持っているのだろうなと感じましたし、それは決して私自身も例外ではないということを感じずにはいられません。

 

楽できるなら楽をしたい、サボれるのであればサボりたい、車が来ていないなら赤信号でも道路を渡りたい、そんなちょっとしたことですら、多くの人は弱さとして持っているのではないでしょうか。

 

ただ、いざ何かがあった時にはそれは非常に大きな問題として自分に降りかかってくる可能性がありますし、そうなったときにはもう遅いということもあり得るのは怖いところです。

 

まだ挽回は十分に可能ということであれば傷も浅いのでしょうけれども。

 

とはいえ、生きてさえいれば儲けもの、というのもまた真実だと思いますし、例えもう遅い、という状態になったとしてもそこで簡単にあきらめてしまうのはもったいないとも思います。

 

自分の身を振り返って、反省反省の事例になりました。

 

 

 

 

 


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久しぶりの更新



仕事で非常にバタついておりまして、海外出張もありつつでブログの更新もなかなか思うようにいきませんでした。

 

忙しいのは悪いことではないのですが、移動あり、打合せあり、会食ありと自分の時間がなかなか持てないのは気分的には少し余裕がなくなってしまいますね。

 

バタバタしていたのは、新しいプロジェクトが始まるということで、その事前の資料準備やら根回しやらをしているのと同時並行的に、過去のプロジェクト案件関連でのヘルプ対応などもあったことが要因です。

 

私の業務内容としては基本的に自分で最初から最後までなにかをやり切る、というよりかは、どこかの組織が抱えている課題の解決にむけての提案ということが多くて、途中からは私の手を離れてしまい、実際にその提案がどこまで運用されているのかというところが見えなくなってしまうことがあります。

 

提案そのものが完璧であることは少ないでしょうし、実際の運営下において何かしらの不具合が出てしまうということはありまして、それについての 再提案をすることもあります。

 

時に、運営の仕方そのものに問題があるということもあります。

 

自分にとって一番いいのは、その運営・運用プロセスそのものに私が積極関与するということなのですが、いかんせんその責任自体は担当部署が負っているものですから、私がでしゃばる権限もなければ、でしゃばりすぎるのはよくないというのが正直なところとしてあります。

 

自分にとって一番いいことと他の人にとって一番いいことは決して一緒とは限りません。




思いと姿勢



 

ただそうはいっても、組織的には良くないことであるかもしれませんが、個人的にはスムースに運用が行われるようになるまではなるべく目をかけていたいとは思っていまして、もしも自分が力になれるのであればいつでも協力をしようという姿勢でいます。

 

先ほども言ったように、その姿勢が強すぎるとでしゃばっているというネガティブな評価を受けることにもなりかねませんので、その強弱のバランスのようなものは非常に難しいと思うのが正直なところですが、あくまでも困ったことがあればいつでも言ってほしい、あなたたちのためにサポートするのはいつでも歓迎だという姿勢をどこまで理解してもらえるか、というのがカギになってきます。

 

私自身はあくまでも部外者で、権限もなければ責任もないのですから、その部外者に対して自発的に何かしらの協力を求めてくれるようになるようになるためには、まずもって私自身は決して敵ではないということ、むしろ味方であったり相手側に利益を与えてくれたりする存在であることを何とか理解してもらう必要があります。

 

とはいえ、私自身もそうですが、伝えられ方や態度によっては、たとえどれだけ有用なアドバイスであっても叱責と受け取られることがありますし、特に海外の人には、アドバイスですら自分の業務領域を侵食してくる人間だと受け取られる可能性があり、そうなると私の存在は敵として認識されかねません。

 

究極的には、自分が正しいと思うのであれば例え敵と思われたとしても構わないという態度で臨むという方法もあるとは思いますが、それは自分としてはあまりとりたくない態度ではありますし、そもそも権限がないとそんな態度を取ったところで何の意味もないでしょう。

 

また、仮にそういう態度を取ることが短期的には正解だったとしても、ずっと私が運営に関わり続けることは不可能なわけですから、どこかで誰かにバトンタッチをしなければならず、その際に結局運営方法が元に戻ってしまう、ということになりかねませんので、長期的な持続性という意味ではやはり実際の運営に関わる組織や人に納得してもらった上で進めるのが最善であろうと思っています。 




難しいですけどね


 


ただ、言うは易し、行なうは難しで、これは非常に難しい試みであることはよく知っています。

 

人間関係がある程度あったとしても難しいことですし、それがない中では極めて困難であることです。

 

でも最終的にはその人間関係があるか、ないかで、相手への説得度が変わってくるのは間違いないと思っています。

 

なぜなら、人間関係が良好であるということはすなわち、少なくともこの人は自分の敵ではないと思ってもらえているということだと思うからです。

 

そして、その人間関係を良好なものにしていくためには、何よりも自分自身が相手に歩み寄り、敵ではないこと、さらに一歩進んで味方であることを伝えていく必要があると感じています。

 

周りを見ていると、人間関係の大切さを理解しながらも、相手から歩み寄ってくれるのをただ待っている人もいれば、なぜか不必要に敵を作ってしまう人もいます。

 

私自身も決してうまくそういうことができているわけではないですし、相手から歩み寄ってくれた方が圧倒的に楽なのでそうしてほしいのが本音ではありますが、意外とみんな自分から歩み寄ろうとしないんだよなと思う今日この頃でもあります。

 


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コンサルとの関わり方




 
 
 
今進めているプロジェクトの一つにコンサル出身の社外アドバイザーの人が入っています。
 
プロジェクトを管轄しているトップの人が信頼を置いているということで依頼されていると聞いています。
 
私はコンサルタントの仕事内容の詳細はよくわかりませんが、恐らくそうだろうと思う、間違いなく大切なことの一つに、依頼者や関係者の意見をまずしっかりとヒアリングして自身の理解を深めながらも依頼者の意思を確認してどういう結果やレポートをまとめるのか考えながら動くというのがあるはずだと思っています。
 
なぜなら、最初の依頼を受けるときに、こういう課題があるから解決するサポートをしてほしいと言われているはずで、ではどんな課題がなぜ課題になっていて、それをどう解決するのがいいのかを自身が知らないといけないでしょうし、依頼者が思う課題の背景や理由が、実はよく調べてみたら一部でしかない、ということもありえるでしょうから、であれば解決方法も変わってくるであろうし、そういうところを解き明かしていくのが求められているのではないかと思うからです。
 
まあ、上述の人はコンサルではなくて、正確に言うとコンサル出身の人ですが、それでもコンサル的に働いてほしいと依頼を受けているのでしょうから、そのように動くべきだろうとは思います。




不満


 

ただし、実際にプロジェクトを進めていく上で感じるのは、仕方のないことではありますが、そもそも事業内容についてよく知らないというのがありますし、これは問題で、表面だけなぞって理解しようとすらしていないような気もします。
 
というか、依頼者の人の依頼をかなり浅いレベルでしか理解していなくて、なんならちょっと誤解をしているのではないかとすら思います。
 
というのも、プロジェクトのレポートの方向性が一貫していなかったり、突然新しいパーツを入れたレポートにしようという指示がきたりするからです。
 
まあそれが依頼者の指示であるならば100歩譲って仕方のないことなのかなとも思いますが、先日あった中間報告では、結果的に依頼者はそんな指示をしていないし求めてもいないということが分かりました。
 
私にとっていい判断だったなと思ったのは、その新しいパーツというのは私が分析や提案を進めてきた内容ではカバーできない内容だから、もしも急に含めるということであればそのパーツはその元コンサルの人でカバーをして話をしてほしいとお願いをして、私は無駄に手を動かさなかったということです。
 
結果的に、そこに時間をかけても説明する時間の無駄にしかならず、依頼者の人は求めていなかったわけですので、我ながらいい判断をしたと思っています。




依頼する側の問題も


 

ちゃんとコンサルタントとして業務を行なっている人であるならば、今回のようなことは起こらなかったのかなという思いはある半面、一方でこの依頼者の人の進め方にも問題はあるのかなと思っています。
 
なぜならこの人を選んだのは依頼者の人だからです。
 
最終成果が左右されかねないことですし、その人を選んだのは依頼者の人であって他の人ではありませんから、その責任は依頼者の人にあるはずです。
 
もしもその人を活用するつもりであるならば、その人とのコミュニケーションをしっかりとって、何を求めているのかというのを詳細に連携してほしいところですし、それができないのであるならば別の人に依頼するなり、自分自身でリードするなりして、プロジェクト全体をうまくコントロールしてほしいなと思います。
 
依頼者の人自身は、自分がやりたいことが明確にあるはずなので、それを実現するにはどうすればいいのかを考えることには責任があるはずです。
 
もちろん、リソースの問題があるなどで、全部が全部を自分が関わるということには限界があるでしょうし、だからこそコンサルタントを雇うということもあるのでしょうけれども、誰を選ぶのかは重要だと思います。
 
今回コンサルタントの役割で参画している人は、基本的に自分の意思はない人だと思っていまして、それ自体はある種仕方のないことだと思います。
 
そこに自分の意思を持てというのは逆に暴論で、あくまでもコンサルタントは論理的に考えて何が最善策化を考える役割だと思うからです。
 
しかしだからこそ、その意思の部分、さらに言えば依頼者の人の意思の部分を明確にして動くことが大切だと思いますので、それができていないならば、コンサルタント的な人もイマイチですし、依頼者の人もイマイチだよなと思います。
 
今回にいたっては、ちょっとそのコンサルタント的な人の動き方が良くないと思いますので、そのことを、今度、依頼者の人に直接言ってみようかなと思っています。
 
私の負担が増えるのは避けたい反面、自分の仕事が厄介になるのはなるべく避けたいです。
 


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金儲けで騙される



 

 

とあるアクセサリーシェアリングサービスを提供していた会社が突然にそのサービスを終了し、さらにはシェア用に顧客から預かっていたアクセサリーもオークションなどで転売をしていたのではないかと言われている事件ですが、発覚から1か月以上たった今でもまだ全容が見えてこないままです。

 

実は、今回とは全くの別件で、過去に知り合った人が、同じようにシェアリングサービスを提供していて途中でドロンした、ということを問題にしているブログにたまたま出会ったことがあります。

 

そのブログに書かれていたことを今回の事件は少しやり方は異なっているようですが、どちらも詐欺ではないかという印象を持ちます。




発想はいいビジネス


 


シェアリングサービスって、ある種の共有財産として、効率よく資産を使っていきましょうという意味では私はいい発想だと思っているのですが、運営者の意図によってこういう詐欺につながりかねないという点も考えると問題があるビジネスモデルであるとも言えますね。

 

本当に発想自体はすごくいいと思いますし、もしも運営者側が誠実な人であるならうまく回るビジネスモデルであるとも思います。

 

シェアリングサービスの発想を革新的だとほめたたえている書籍もないわけではありません。

 

まあその、信頼できる誠実な人、という点が担保できていないということが問題ではあるのでしょうけれども。




騙された側への批判

 



そんな年利10%、20%の投資サービスなんてあるものかとか、大切なものをなぜ見ず知らずの他人に使用させるのか神経が分からない、といった、騙された側にも問題があるのではないかという論調はありますし、確かにその意見そのものは間違ってはいないと思います。

 

冷静に考えれば、本当にそれだけ儲かる投資やサービスがあるだろうかということは眉唾物です。

 

ただそんな風に思う私も、騙される側の気持ちが分からなくはないです。

 

実際にやってはいませんが、過去に問題になった、牛に投資をするという話をネット広告で見まして、やってみようかなと興味をそそられたことがあります。

 

なぜ思いとどまったのか、その理由ははっきりと覚えてはいませんし、ちょっと怪しいなと思っていたのかもしれませんが、そんなに都合のいい投資話があるわけない、とまでは思っていなかったのではないかと思います。

 

儲かる話というのはやはりそれだけで興味がひかれるのだろうと思いますし、こんなに多くの人が利用していますよとか、今はやりのシェアリングサービスですよ、と言われると安心してもいいのかなと思ってしまう気はします。

 

大切なものをなぜ見ず知らずの他人に使用させるのか、というのは確かにそれはそうなのかもしれませんが、あくまでもコレクションとして収集している限りでは、資産価値も上がっていく可能性もあるとは思いますが、フローとしてお金が入ってくるわけではありません。

 

何台もの時計を同時に使用するわけでもありませんので、使用していない時計というのは確実に存在していて、では棚に飾っているだけではなくてキャッシュを生んでくれる資産として活用しようかと思うのもまた無理はないかと感じます。

 

この、今はキャッシュを生んでくれていない資産を活用して、高い利回りで運用ができるのであれば、オーナー側からしたらありがたいという話でしかありません。

 

もしかしたら当然に、オーナーの中にもレンタルによって傷つけられたらどうしようと考えていた人はいたと思いますが、例えば保障があるとか、あるいはそういうのを借りる人は感度が高いので大切に扱ってくれますよとか、なんだかんだ吹き込んで納得させていたのかななんて勝手に想像しています。





いつも冷静ではいられない


 



そういう、儲けたいという人の心理にうまくつけこんで、今回のような話が生まれたのだろうなと思います。

 

外から客観的に観ている人にとっては、なんでそんな話に騙されるのと思うようなことでも、当の本人たちにとっては魅力的に映ってしまうなんてのはよくあることだと思いますし、もしもみんなが本当に冷静に判断できるのであれば宝くじなんて売れないはずですし、マルチに引っ掛かる人もいないはずですからね。

 

まあ一応、宝くじは国が運営しているというのもあっての安心感はあるのでしょうから、今回の話とはまたちょっと違った背景を持っているとは思いますけれども、私が言いたいのは、我々一人一人がいつも冷静で合理的な判断をすることなんてのはないということです。

 

しかしながら例えそうであったとしても、我々は騙されやすいのだからうまい話は眉唾で聞いておく、という心構えを持つことは大事なのだと思います。

 

そんなに簡単に儲かるならば誰でもすぐに億万長者になれるはずですが、世の中そういう話で億万長者になった人なんて数えるくらいしかいないと思います。

 

まあ、私も部外者だから冷静に言えるのでしょうけれどもね。

 

 

 


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子を持つ親をサポートする仕組みはいるな



 

普段、私は仕事帰りに家に着くのが遅めで、その頃の時間には子どもはもう寝ている、ということが多くあります。

 

以前、お子さんがいる同僚と話をしているときに、中途半端な時間に帰ると子どもが起きるから、そういう時間に帰るくらいならどこかで飲んできて遅く帰ってきてほしいと奥さんから言われているなんて話を聞くと、そんなものなのかなと思っていました。

 

実際に自分の場合、平日はなかなか会えない私が、平日の夜に普段よりも少し早く帰ってくると子どもが興奮して、すでにベッドにいたのに起きてきて、遊んでほしいとねだってくる、ということがあります。

 

本当に、次に子どもが眠いから寝るといった時は、ベッドに行って5秒で寝るくらい、限界の限界まで遊びます。

 

寝起きの時なんかはママ、ママで、私のことは視界からどいて欲しいくらいの対応をされるのですが、夜はそんな感じです。

 

そして私が恐らく幸運なのは、だからといって、もっと遅く帰ってきてほしいと妻には言われないことでしょう。

 

子どもにも翌日のことがありますから、あまりそういうことが頻繁にあると言われてしまう可能性はあるとは思いますが、少なくとも今のところは言われていません。




子どもは敏感


 


まあ、私も疲れていることがありますし、やりたいことがあることもありますし、子どもに遊んでと言われてうれしい気持ちがある反面、ちょっと面倒くさいなと思うのも正直なところです。

 

しかし、そういう態度を取っていると子どもは敏感にそれを感じ取って、何とか私の機嫌を取ろうとしているのかなと思う行動をしてくることがあり、それを見るとなんだか非常に申し訳なくなって、ここはもう割り切って遊ぶか、という気持ちになります。

 

そうは言いつつ私も、チャンスがあるなら自分のやりたいことを優先したいという思いは常にあるのですが、そうは言っても子どもが親の顔色を見て、実際にそうやって気を遣ってくることは、少なくともまだ幼い時期には決して良いことではないと感じています。

 




悲しくてひどいニュース





でそんなことを考えているときに、両親がわが子を虐待したとか、死に至らしめたなんてニュースをまた見ましたし、だからいい悪いという話ではないですが、その両親は裕福な家庭の資産家で何の不自由なく生活しているということが付随情報として入ってくると、実際にその両親がどういう心境で、どういう環境にさらされていたのかということは分かりませんし、もちろんすごく追い込まれていたのかもしれませんが、なんだかなあという気がします。

 

さらに、子どもを死に至らしめたのもなかなか狡猾というか、子どもの特性をうまく利用したというか、大人のずる賢さが見え隠れするのも非常に嫌です。

 

いえ、私も大人のずる賢さを利用しながら子どもに接することはあります。

 

お菓子を食べているのに食べていないふり、スマホで別のことをしているのに子どもに集中しているふり、そういうことは確かにします。

 

しかしながらそれは程度問題の話でもあるだろうとも思います。

 

何を大人が本気になってその狡猾さを発揮しつつ、さらに子どもを死に至らしめているんだ、というのはちょっと許せません。

 

ニュース記事を読む限りですが、恐らく子どもの方は親の顔色をうかがいながら、親の機嫌をなるべく損ねないように過ごしていたのだろうと思われますし、それは後で親から自分が怒られないようにのための自己防衛から来るものであったと思われます。

 

本当に自分を守るためであれば、助けてほしいというサインを外部に送るべきなのでしょうが、子どもにそんなことを求めるのはとても酷です。




周りも危険を感じていた

 




今回、耳にしたニュースの場合、周りも兆候を感じていたというようなことが読み取れますし、助けようともしていたのだと思いますが、残念ながら力及ばずという事態になってしまったようです。

 

この両親を擁護することはできませんが、親も人間である以上はこういう事象はどれだけ対策をしても必ず起きてしまうでしょう。

 

また、なんだかんだで子どもは親元で過ごした方がいいのではないかという観念はありますし、子どもの方も誰かから尋ねられれば、なんだかんだで親と一緒にいたいと答える可能性が高いのではないかと思います。

 

ただ、親が子どもに恐怖によって本当のことを言わさないようにしていることもありますし、例え子どもが何かを訴えても親の方が論理的な説明ができることでうやむやにされることもあるでしょう。

 




親も人間




当然に、虐待をしている親の方は、その事実が明らかになることを恐れるでしょうし、広く子育てに悩んでいる多くの親も自分自身の能力にも悩んでいることでしょう。

 

そもそも子育てに悩んでいる、うまく子育てができないということを公にすると、親としての資質を疑われるのではないかという不安や恐怖もあると思います。

 

一時的にでも、問題がありそうな親からは子どもを強制的に隔離させる施策やルール作りを強化すれば、このような悲しい事象の抑止には効くのかなとも思いますが、そうすると世間的を傷つけられたとより反発をする親も出てくるかもしれないなとも思います。

 

またになりますが親も人間で感情はありますし、全員が全員、子育てがうまくいくわけでもなく、運の要素が多分に絡んでくるとも思いますので、ちょっと子育てでつまずいたところでそれが人間失格のサインかと言われるとそうではないと思います。

 

その一方で、子どもを全員東大に入れた母親の教育方法、なんてのが持て囃されて、すごいと称賛されているのも確かではありますし、子どものステータスが親のステータスのように見られているというのも確かだなと思います。

 

子どもにとって何が一番幸せなのか、何が不幸なのかははっきりとはわかりませんが、少なくとも、子どもが千差万別なように親だって千差万別で、であるからして子育てに悩むなんて当然で、いつでも外部のサポートをお願いしてよい、周りはなるべくサポートする、子どもは社会で育てるというような認識がまず広がって欲しいと思いますし、今回のように、色々な関係者が危ないと思っている事例においては強制力を持って子どもを親から引き離す、ということも、やり方の検討は必要でしょうが、もっと考えてもいいのかなと思いました。 

 

 


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進歩か倫理か



 

 

遺伝子が改変されて人間への移植用の臓器を持った状態の子ブタが日本で誕生したそうです。

 

本来、種の壁を越えて臓器を移植すると当然に拒絶反応が起きるところを、その拒絶反応を抑えるために、遺伝子レベルでの制御が行なわれているようです。




取り急ぎの印象

 



今、私自身やその近しい関係者が、緊急で何らかの臓器提供を待っているという状況ではありませんので、差し迫った必要性というのはない状態です。

 

ぱっと聞くと、そもそも生のブタを食べてはいけないと言われているのに、ブタから臓器移植をして本当に大丈夫なのかなというのが感想としてあります。

 

当然そのあたりを考慮されての開発であるということは認識しておりますけれども、もしそういうリスクを避けることが可能なのであれば、食べても問題のないレバ刺しの開発というのも可能だということなのだろうか、とつまらない考えにも思いを巡らせています。

 

今後実際に、どのように人間への移植が可能とされる状態に持っていくのか、というのは私にははっきりとはわかりません。

 

つまり、ブタから臓器を提供してもらう形なのか、違う動物を使用するのか、はたまた培養液の中でやるのか、は分かりません。

 

でも、もしブタだとしたら、イスラム教徒の人は当然に嫌がるだろうな、なんて思いますし、宗教に関係なく嫌がる人は当然にいるだろうなと思います。

 

まあ、嫌なのであれば断る権利はある話ですので、決して無理やりにという話ではないのでしょうけれども、ブタではないと思っていたら実は、みたいな話が将来に出てくる可能性はあるだろうなとは思いました。

 

ブタであれば食肉にも活用できるとか、成長が早いとか、色々とブタが選ばれた理由はあるのでしょうから、なぜブタなのかなと素人は思いますが、恐らくそのあたりは合理的に考えられていることなのでしょう。

 




どう考えるか





仮にこの話が成功裏に進んだとして、あとは倫理的、そして心情的にどうかでしょうか。

 

心情的にという話はどこまで行っても出てくる話ですし、例えブタに育ててもらった臓器で生活していますという人がいても、その人がそれで満足、幸せに暮らせているのであれば他人がどうこう言う問題ではないと思います。

 

そして、先ほどもあったように、もしも自分が嫌なのであれば断ればいい話です。

 

倫理的にというのは難しい話かもなと思っています。

 

なにせ、遺伝子改変をして、本来ブタであればというなにかを失わせるわけですから、そのブタはブタの見た目ではありますが、ブタではないなにか、とも言えるわけです。

 

人間の歴史の中で、品種改良や異種交配をさせることで人間のために別のモノを創り出してきたということは事実として存在していますので、それの同じような話であると言えばそういうとらえ方もできるかもしれません。


またこの技術進歩によって救われる人は出てくるでしょうから、ヒトの命を救う観点からはいいことでしょう。



 

 

 


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勘違いするおじさん




月に1回くらい顔を出す居酒屋があるのですが、お店を切り盛りしているのは私よりかはちょっと年配の女性と、私よりもちょっと若めの女性がメインの小さな居酒屋です。

 

値段は決して安くはないのですが、そこまで高いわけでもなく、一人で行ってもその店員さんと時に会話を楽しみながら飲み食いできます。




居心地

 



まあせっかくしゃべるなら男性よりも女性の方がいいというのが私としても正直なところですし、だからこそお店に伺うと年配の男性の方で来られている方もよくいらっしゃいます。

 

まあ、最近はちょっとゆっくり飲みながらほっとしたいのに、店員さんが私と他のお客様を繋ごうとしてくださることが増えてきまして、そうなるとちょっと煩わしいというか、もう少し距離感がある方がいいんだよなと思い始めております。

 

常連になってきているという言い方もできるかもしれませんが、そのために居心地が時に良くないお店になってしまっておりまして、せっかくいいお店を見つけたと思っていたからこそ、ちょっと残念でもあります。

 

中には常連と認識されることがうれしいと思われる人もいると思いますし、私もお店の人に常連と思われること自体は決して悪い気はしないのですが、だからといって他のお客様を紹介されるようになってしまうと、その空間はもう私がゆっくりする空間ではなく、積極的に他人とコミュニケーションを取らないといけない空間になってしまいますので、それがちょっと嫌なのです。

 

ネットなんかで、よく行くお店からの帰り際に、「いつもありがとうございます」という、「いつも」という言葉を言われると急にそのお店に行きづらくなる、という人もいまして、私はそこまでではないのですが、程度によってはその気持ちも分かるなという感じです。

 

もちろん、お店の人は良かれと思って他のお客様に紹介してくれているのは分かりますので、私からしたら冷たく無下にもできません。

 

お店の方自身が、来られているお客様といい関係性を築いているということもあると思います。




相談されたこと

 



で、最近、そのお店の人から相談というか、ちょっと話を聞いてほしいというようなトーンで話しかけられたことがあります。

 

要は、常連の男性のお客様の1人が帰り際、お店の方に無理やりに激しいボディタッチをしようとしたことがあったらしく、なぜそんなことをするのだろうかという内容でした。

 

まず大前提として、そういう行為をする人はどう考えても悪いのは間違いありません。

 

その上で私が感じたのは、お酒に酔っているということもあるとは思いますが、その男性のお客様は単純に勘違いをしたのだろうということです。

 

つまりは、いつもニコニコ接客をしてくれる女性のお店の方は、自分に好意があるのではないか、自分が多少強引に事を進めても受け入れてくれるのではないか、いやむしろそうすることを望んでいるのではないか、と勘違いをしたのではないかということです。

 

そして、例えばクラブなどであれば特に営業目的でコミュニケーションを取ってくる女性がいるのは普通ですが、ただの居酒屋で女性の店員さんが自分に仲良く話しかけてくれるというシチュエーションはそれとはまた違っていて、より男性が勘違いをしやすい状況にはなっているのではないかと思います。

 

恐らく、普通よりかは少しフレンドリーな接客をしているだけでしかないのですが、全てのお店がそういう接客対応をしているわけではありませんので、より距離の近い積極対応をしてくれる人は自分に好意があるからそうしているのではないかという勘違いをしているのです。

 

逆に男性から言わせると、勘違いさせるような言動を取られた、という言い訳も出るかもしれません。

 

勘違いをさせてしまう行動にももしかしたら問題はあるかもしれませんが、ちょっとフレンドリーなくらいでそんな勘違いをするなとは思います。




勘違いであることを認識しよう


 


で、私としては、男性としてそういう勘違いをしてしまうことそのものは仕方がないと思いますし、私だってそういう勘違いをすることがあります。

 

職場にいる若い後輩女性や同年代の女性から、飲みに連れて行ってください、と何度もお願いされて飲みに行っていると、あれ、自分はイケているんじゃないかと思うことはあります。

 

そうして会話をしていると、「すごいですね」「尊敬します」なんて言葉もかけられるわけです。


誇ることではないですが、当然に私に下心はありますから、イケるならイったろか、の姿勢は程度の大小はあれ、あります。

 

で、当然私も勘違いをする気持ちにはなるのですが、そこでもう一歩大切にしているのは、「これは勘違いであると肝に銘じよ」ということです。

 

個人の嗜好にも関わってきますのでもちろん一概には言えませんが、自分が20代後半、30代前半だった頃に、10歳、15歳上の女性にどこまで魅力を感じていただろうか、ということを考えて、今はその逆のシチュエーションが起きているだけだとすれば、相手が自分に対してどういうことを思っているのか、はなんとなく想像できるはずです。

 

誰かとの関係性を敢えて悪化させようとする人は少ないでしょうし、先輩と後輩、お客とお店、といった関係性も踏まえれば、多少のリップサービスはあって当然です。

 

もしかしたら本当に好意を持たれていることもあるかもしれませんが、その可能性は限りなく低いと考えた方が間違いなく正しいでしょうから、今自分は勘違いをしている、ということをちゃんと認識できた方がいいと思ってそうしています。

 

なにより、そんな勘違いを基にした軽率な行動で訴えられて、人生を棒に振ることなんてあったらそれこそもったいないですよね。

 

もしもどうしても我慢できなかったら、しかるべきサービスを受けられるお店に行った方が、みんなが幸せになると思います。


私はこのお店の人の話を聞くだけで、アドバイスはしませんでしたが、まあ、勘違いした人が悪いと思います。

 

 


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