進歩か倫理か



 

 

遺伝子が改変されて人間への移植用の臓器を持った状態の子ブタが日本で誕生したそうです。

 

本来、種の壁を越えて臓器を移植すると当然に拒絶反応が起きるところを、その拒絶反応を抑えるために、遺伝子レベルでの制御が行なわれているようです。




取り急ぎの印象

 



今、私自身やその近しい関係者が、緊急で何らかの臓器提供を待っているという状況ではありませんので、差し迫った必要性というのはない状態です。

 

ぱっと聞くと、そもそも生のブタを食べてはいけないと言われているのに、ブタから臓器移植をして本当に大丈夫なのかなというのが感想としてあります。

 

当然そのあたりを考慮されての開発であるということは認識しておりますけれども、もしそういうリスクを避けることが可能なのであれば、食べても問題のないレバ刺しの開発というのも可能だということなのだろうか、とつまらない考えにも思いを巡らせています。

 

今後実際に、どのように人間への移植が可能とされる状態に持っていくのか、というのは私にははっきりとはわかりません。

 

つまり、ブタから臓器を提供してもらう形なのか、違う動物を使用するのか、はたまた培養液の中でやるのか、は分かりません。

 

でも、もしブタだとしたら、イスラム教徒の人は当然に嫌がるだろうな、なんて思いますし、宗教に関係なく嫌がる人は当然にいるだろうなと思います。

 

まあ、嫌なのであれば断る権利はある話ですので、決して無理やりにという話ではないのでしょうけれども、ブタではないと思っていたら実は、みたいな話が将来に出てくる可能性はあるだろうなとは思いました。

 

ブタであれば食肉にも活用できるとか、成長が早いとか、色々とブタが選ばれた理由はあるのでしょうから、なぜブタなのかなと素人は思いますが、恐らくそのあたりは合理的に考えられていることなのでしょう。

 




どう考えるか





仮にこの話が成功裏に進んだとして、あとは倫理的、そして心情的にどうかでしょうか。

 

心情的にという話はどこまで行っても出てくる話ですし、例えブタに育ててもらった臓器で生活していますという人がいても、その人がそれで満足、幸せに暮らせているのであれば他人がどうこう言う問題ではないと思います。

 

そして、先ほどもあったように、もしも自分が嫌なのであれば断ればいい話です。

 

倫理的にというのは難しい話かもなと思っています。

 

なにせ、遺伝子改変をして、本来ブタであればというなにかを失わせるわけですから、そのブタはブタの見た目ではありますが、ブタではないなにか、とも言えるわけです。

 

人間の歴史の中で、品種改良や異種交配をさせることで人間のために別のモノを創り出してきたということは事実として存在していますので、それの同じような話であると言えばそういうとらえ方もできるかもしれません。


またこの技術進歩によって救われる人は出てくるでしょうから、ヒトの命を救う観点からはいいことでしょう。



 

 

 


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