ペットの扱い方




飼い主から逃げた犬が人を噛んで怪我をさせたなんてニュースを見ましたが、年始の羽田空港での航空機事故の後に、旅行の移動の際にペットを人間同様に扱うことについての賛否の声が出ました。

 

特に欧米では、ペットを家族の一員として扱う傾向が強く、日本でもよりそのような方向に向かうべきではないかという声が賛成の声だと理解しています。

 

今回のような事故を想定した場合に、ペットを貨物室で運搬するというのはかわいそうではないかということも影響していると思います。

 

貨物室がどのような環境か知りませんが、貨物室に乗るペットはかわいそうな気がするなというのも感じますが。





欧米もいろいろ

 




とはいえ、欧米であっても、航空機内にペットを持ち込んでいる人というのをあまり見た記憶はありませんので、実際問題は客室にペットを持ち込むということは欧米でもされていないのではないかと思っております。

 

バスや電車であればそうしている人を見たことがありますが、まず大前提としてしっかりと躾がされているということがあると思いますし、あまりにも大型の犬を公共交通機関に乗せることについて、支持をする声ばかりかというとそんなこともないという印象です。

 

やはりいくら訓練されていたとしても、いい言葉づかいではありませんが犬は犬ですし、いつ何時、暴れだすかもわからない中で、公共交通機関には体の弱い人や子どもなんかも乗っていて、場合によってはかなり危険というのがあると思います。

 

実際に乗ってきた飼い主と犬を排除しようとまではならないものの、あいつは常識がないな、というようなことを周りの知らない人から私が小声で言われるという経験をしたことがありますし、何事もバランスと言えばバランスなのだと思います。

 

カフェなんかで、ペットフレンドリーなカフェやレストランが日本と比べて多いか少ないか、で言えば、圧倒的に欧米は多いと言えると思っておりますが、であるから全ての面でペットが人間同様レベルの扱いを受けているかと言われれば、そうではないと思っています。

 

旅行に行く際などに利用できる、ペット用のホテルなどの環境が欧米の方が整っているのかなと思うことはありますが、それはあくまでも想定でして実態は良く分かりません。




ペットは家族か

 



そんな私は、大人になってからペットを飼った経験がありませんが、ペットを家族の一員として扱ってほしいという思い自体は理解できます。

 

特に、長い間一緒に時間を共にして可愛がったペットというのは、それだけ愛着もあるでしょうし、他人から見ればただの動物ではありますが、自分から見れば相棒、友人、家族、そういう言葉で表すことのできる対象となっていても何ら不思議ではありません。

 

最近でも能登の震災で、買っていたペットがいなくなり、いつか戻ってくるかもと元々住んでいた場所に居続けた方が、事故でお亡くなりになった、その後ペットは別のところで見つかった、といったニュースを目にしましたが、結果としては不幸以外何物でもないのですが、ペットは帰ってくると信じて待ち続けた飼い主の方を思うと、より悲しく感じられました。

 

もしもの場合に、けがをして、あるいはおなかをすかせて帰ってくるかもしれないペットのことを考えると、その場所に居続けなければならないという風に思ったでしょうし、またペットが帰ってきてくれることを強く願っていたからこそそのような行動に出たのだと想像します。

 

そう考えると、ただただ悲しいニュースです。

 

実際問題として、動物の場合はアレルギーを持っている人の問題もありますから、例え家族の一員として扱いましょう、例えば公共交通機関に乗ることも不通と捉えましょう、ということになったとしても、実際には結構社会的に問題になることはあるだろうと思います。

 

ケースとしてはそんなに多くはないのかもしれませんが、アレルギーの話は下手をしたら命にかかわる問題になりかねませんし、何をどこまで配慮するのかというのはなかなか解決しない問題ではないかと感じます。

 

欧米のバスや電車であるような、ペットを持ち込むことの安全性の問題も議論は必要かもしれませんし、躾がちゃんとされているかどうか、というのもそもそもの問題になりえるでしょう。

 

色々な主張があることはいいことですし、議論がされること自体は何ら悪いことではないと思いますので、もしも今後この話題が熱を帯びるようになったとしても、関わる皆が寛容な態度で意見を交換するということは社会として必要だと思います。

 

なんだかんだで、まずは人間優先という形になるのはある程度仕方がないとは思いますが、どのようなメリットを誰が享受するのか、どのようなリスクを誰が負うのか、という視点でオープンに議論をすればいいのかなと感じます。



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コスパで考える風潮





 

 

 

以前から使われることはあったと思うのですが、最近コスパという言葉が若い世代を中心により使用されるようになっているようです。

 

そもそもの私の考えとして、もちろんコスパを意識して生きていくことは大切なことだとは思うのですが、コスパがいいからする、コスパが悪いからしないという考えで判断をする前提には、コストとパフォーマンスが正確に判断できるということがあると思います。

 




定義づけの問題




まずはそこで言う、コストとパフォーマンスとは何だという問題です。

 

例えばですが、あるファーストフードの朝食はコスパがいい、というコメントがあったとしてですが、そこでいうコストとパフォーマンスというのはいったい何を指しているのか、ということを本来であればちゃんと考えなければいけないのではないかと思っています。

 

300円でおなかいっぱい食べられる、という意味であれば、例えば価格がどうかとか、白米の量がどうかとか、食材の種類はどうか、といったことがコストとパフォーマンスになるのだと思いますし、多くの場合は支払う金額と満腹度でコスパが語られることが多いと思いますし、その視点でのみで語るのであればそれはそれで構いません。

 

ではそこに、栄養バランスや長期的な味覚への影響、といった視点がコストやパフォーマンスとして考慮されているかというと意外とされていないこともあるのではないかと思います。

 

私も学生時代には、なるべく安く、カロリーが多いものを選ぶ傾向がありましたので、そういう意味でコスパがいい食品というのは、健康という視点で考えると、必ずしもコスパがいいとは言えないと思います。




コスパの変動



 

次に、あるモノやサービス、活動などのコスパが、同じものであれば常に同じかと言われるとそうではなくて、特にパフォーマンスは変わりうるということです。

 

友達と遊びに行く、という活動を例にしてみると、同じ相手と同じ場所に行ったとしても、ある時はすごく楽しいこともあれば、ある時は全く楽しくない時もあるでしょう。

 

もちろん、経験則として、この相手と遊んでも絶対楽しくない、この場所に行っても絶対楽しくない、ということが把握できることはありますし、意外とそういう勘のようなものは当たります。

 

しかしながら、多くの場合は、実際に遊びに行ってみないことにはその経験のパフォーマンスがどうなるかというのは分かりません。

 

その遊びに行くこと自体は全然面白くなかったとして、その状況下で別の異性とたまたま出くわし、その出会いが自分の恋愛につながるとか、毎回そうなる可能性は低いですが、ないとは限りません。

 

複数の友人と一緒に遊びに行っていれば、別で複数できている異性のグループと仲良くなれる可能性もより高まると思っています。

 

なんなら、そこで冷たくあしらわれる経験をしたとしても、それはそれで友達同士の間でのいい思い出になる可能性を秘めています。

 

言ってみれば、何が出るか分からない宝くじみたいなものでしょうかね。

 

さらに言えばその宝くじは、一回引いたその時にすべてのパフォーマンスを享受できるわけでもなくて、長い時間をかけてパフォーマンスを享受するかもしれない可能性があります。

 

これらを考えるに、自分が既によく知っていること、良く経験していることについては比較的コスパを試算、想像しやすいというのは確かな一方で、場合によっては自分がコストとパフォーマンスについてきちんと把握していない場合があったり、場合によっては自分が想像もしていないようなコストとパフォーマンスを経験する場合もあるということです。





コスパの視点は必要だが十分ではない


 


セミリタイアを目指している身としての発言としてはおかしいかもしれませんが、若い世代が結婚も子育てもせずにひたすら40歳くらいまで働いて資産形成をしてFIREをするのがコスパがいいと考えているという記事を読んだ際に、果たしてそこでいうコスパというのは何なのだろうかと考えてしまいました。

 

結婚や子育てをコスパが悪いと思ってしまう理由は何となく想像はつきますが、それってコストやパフォーマンスの内容をちゃんと理解していますかと問いかけたくもなります。

 

もっと言うならば、そのコストやパフォーマンスを全部把握できている人間が若い世代に限らずにこの世の中にいないだろうとすら思っています。

 

確かに世の中には悪いニュースも多いですし、ネガティブな思考になってしまうとどうしてもでコストの事ばかりに目がいってしまいがちなのも良く分かりますし、実際問題、コスパが悪いのかもしれませんけれども、今日の朝に何を食べようかというレベルの選択の重さとは比になりませんから、ちゃんと考えた方がいいですよとアドバイスもしたくなります。

 

仕事をしていても感じることですが、よほど定型化された機械的な業務を除いて、世の中上手くいくことの方が少ないのであって、ほとんどは失敗するとも言えます。

 

そういう意味ではコスパが悪い仕事というのはたくさんありますし、もしかすると、そんな仕事ばかりかもしれません。

 

それでもその仕事を進めていく過程で、関係者の誰かと雑談したことが楽しかったとか、上市の愚痴を言い合って意気投合したとか、そういうことだってあるのが人生です。

 

それは直接的にその仕事をすることのコスパではないかもしれませんが、人生の中で幸せな時間を持ったというメリットがあるのも間違いないと思います。

 

コスパを気にするのは仕方ないですし、大事なことでもありますが、コストとパフォーマンス、そしてそこから生まれる副次的産物も含めて、正確に理解していた上での判断なのか、自分に問いかけてもいいのではないかとも思います。

 

 

 

 


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世代ギャップ



 

 

SNSで送られてくる文章の最後に句点がついていると、それを見た若者が恐怖心を感じるという話が最近少し盛り上がりました。

 

句点をつけることで、会話を終えようとしているとか、怒っているのではないかというように感じる若者もいるようです。

 

チャット文化に慣れ親しんでいる若者の間では句点を使うことが一般的ではなく、句点を使わないか、あるいは文末に顔文字や絵文字を使うとかするそうなのですが、逆に世代が上になると句点をつける傾向にあるためにそのように感じる若者がいるということのようです。




時代遅れでも言いたい

 



時代遅れになりかけている私からすると、そもそも将来にあの件についてどうだったかと確認しようとしても時間がかかる可能性があるのだから、業務関連の話をチャット機能でしてくれるな、という思いがまずあります。

 

昨今は別に若いからとかそういうことでもなく、チャットでの業務指示が来ることもありますが、それが便利だと思う人もいれば、そう思わない人もいるということは理解してほしいなと思います。

 

自覚していますが、これは若者世代からすると、何を古臭いことを言っているんだこのおじさん、という受け取られ方をしても仕方のないことです。

 

その上でなのですが、たまに確かに文末に絵文字を使うこともありますが、句点を使うことが圧倒的に多いですし、なんならそれが正しい日本語だろうという、これまた古臭い考えを持っているというのがあります。

 

中には絵文字だらけのメッセージを送ってくる人がいますが、そもそも読みにくいからやめてくれと思いますが、もしかすると私からしたらその絵文字が雑音に感じる一方で、若い世代からしたらその絵文字はただの飾りというか、するっと読み流せるものなのかもしれません。

 

生まれ育った環境で、同じ音に関して、雑音と感じる人もいれば何も気にならない人もいるというような感じが文字でも起きているのかもなと。




不安もある


  


しかしながら一番は、日本人同士で会話をしているときに絵文字を使うことによる恥ずかしさというか、年齢を考えろよと思われはしないだろうか、という不安、そういう気持ちがあるために絵文字をあえて使っていないということはあるかもなと思います。

 

へえ、若者は文末に句点よりも絵文字の方が心地よいのか、よし、おじさんは理解があるから使っちゃうぞ、とばかりに使用した結果、気持ち悪いおじさんになる可能性も絶対にあるでしょう。

 

だってそもそも、その若者の感度が分からないのですから、そこを理解しないままに方法だけ真似しようとしてもうまく使いこなせるわけがありません。

 

で厄介なのは、そういうことをした結果として、今度は絵文字連発、チャットリテラシーのない困ったおじさんに若者が辟易している、なんてネット記事を目にすることになるのです。

 

そんなことになったら、それは話が違うでしょう、と思いますが、可能性は実は結構あると思っています。

 

同世代の人が私と同じような思考を持っているのか、実は違うのかは分かりません。

 

ただ私の心の叫びとしては、もしも本当に句点が苦手だという若者が増えているのであれば、もちろん当然に、私も気を付けるというのはありますが、その一方で、若者にも、私が句点を使うことに対してそんなに苦手意識を持ってくれるな、と言いたいです。

 

若者が句点に対して苦手意識があるのは、それで会話を終わりにしたり、怒っているように思うから、ということであれば、決してそういう目的や意図を持って句点を使っているわけではない、というように認識してくれてもいいじゃないか、ということです。

 

句点を使うことがある種の習慣であり、癖であり、それが古臭いと言われてもそういう価値観の中で生きてきた人間ですから、いきなりそれを変えろと言われても難しいわけです。





融和と歩み寄り

 



つまるところ、一方的にどちらかが譲歩するのではなく、お互いに歩み寄らないか、という提案ですね。

 

まあ、その歩み寄りというのも決してオフィシャルな会談を経て、契約書を作っての歩み寄りということではなくて、普段の何気ない会話やちょっとした雑談の中で、いや実は、というような感じでラフに話し合うような環境の中で、お互いにああそうだったのね、という理解をするというプロセスが理想です。

 

そういう視点から言えば、普段からコミュニケーションを取れる間柄であることが大切なのだろうなと思いますし、もっと言うと普段からコミュニケーションが円滑な相手であれば、私が句点を使ったとしても、そこまでの苦手意識を持たれない可能性はあるのかなと感じます。

 

という意味では、究極的には、普段からの関係性の問題なのかなという気もします。

 

でも昨今ではパワハラやらセクハラやら、もちろん当然に、実際にそういうことをする人がいるから問題なのですが、あまり年下の同僚との距離を近くすると、それらのリスクが高まるということがあり、気を遣ってしまうというか腰が引けるというのも間違いなくあります。

 

そういうのもあって、私はチャットは苦手というのもあります。

 

ただまあ、コミュニケーションの手段は変わり続けるというのが現実でしょうし、ある程度は歩み寄りながら相手に合わせていく姿勢というのは大切なのではないかと思います。

 

 

 


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問題発言

 


 

 

とある男性政治家の女性政治家に対しての発言が批判を受けており、男性政治家はその発言を撤回しました。

 

一方で、女性政治家本人からはその発言に対して批判などのコメントは出されておらず、そのことに対しても議論が巻き起こっています。

 

とにもかくにも、公人である政治家はその発言内容に一層気を付けないといけないことが第一です。

 

公人でなくても気を付けなければいけませんが、会社の中ではおじさん、おばさんといった表現を悪気なく使う人は一定数いますし、その発言に対してもちろん批判的に受け止める人もいますが、受け流している人も多くいます。

 

直接的に本人に言うことはあまりないのではないかと思いますので、今回の政治家の発言のように、本人がいないところで発言しても本人に届く可能性は比較的低い、というのもあるでしょう。

 

容姿を揶揄するというのは、昨今私の周りではあまり聞かなくなりましたが、それでもそういう発言がある職場もあるでしょうし、陰であれば色々と言っている人は絶対いると思います。

 

変な話ではありますが、公にならないのであれば、ある程度どんな表現をしても、それがとがめられる可能性は限りなく低いと思います。

 

本来であれば、とがめられる、とがめられない、という話ではなくて、不適切な発言はどんな場合でもしないようにしましょうというのが正しいのだとは思いますが、現実問題としてはやはりその発言が外に漏れて、問題になるか、ならないか、の方がより重要になってくるのでしょう。

 

別に、1人きりの部屋にこもって、独り言としてどんな差別発言をしていようが、そのことが外に漏れない限りにおいては、誰からも何の批判も受けないでしょう。

 

ということを考えるに、やはり外に対して発言をする際には気を付けないといけないですし、それが世の中の注目を集める人であれば、なお一層の事、気を付けないといけない、ということだと思います。





問題発言への対応

 



その反面で、実際にその言葉を投げかけられた形となった女性政治家が批判のコメントを出さないことに対して、賛否の議論が起こっていますが、ここの問題は結構複雑かもしれないと思っています。

 

一つには、その女性政治家が本当に全く気にしておらず、問題なく受け流せると思っている場合もあると思いますし、本当は批判したいのだけれども今後の関係性のことも考えてあえて受け流しているだけかもしれませんし、実は裏では直接文句は言いつつ、大人の対応で表面上は受け流しているように見せている、などなど、色々な可能性があると思います。

 

本人が気にしていないのだから外野がそれに対してとやかく言うなという論調もあれば、問題視しないような態度が更なる問題を引き起こすので、なぜ批判のコメントを出さないのか理解ができないという論調までいろいろとありますが、ご本人の立場や思いが分からない中では、この意見が唯一正しいというものは私には判断ができません。

 

我々だって普段の生活の中で、色々と思いを巡らしながら、ここでは文句を言おう、ここでは文句を言わないでおこう、ということを決めていると思います。

 

特に政治の世界で、パワーの強い影響もあるであろう世界においては、どういう対応をするのか難しいのではないかと思います。

 

野党の誰かから言われるのか、与党の実力者から言われるのか、で、同じ発言でも対応が異なってくるという可能性も、変な話だとは思いますが、私は理解ができます。

 

ですので、外野がとやかく言うのは勝手ではありますが、外からしか分からない表面上の事だけでは、女性政治家の対応として、何が正しいのかというのはちょっと判断が難しいなという思いです。





悪いのは問題発言

 



なによりも、一番悪い、というか注意が足りていないのは、この表現を使った男性政治家であることは間違いありません。

 

内容としては、褒める文脈の中で使用したようにも読み取れますが、だったらいい、というものでもありませんからね。

 

マスメディアだって、あたかも一般の人が言っていますという体で、「増税メガネ」という言葉を公共の電波で流していたわけですし、それに似たようなこともやっていると思います。

 

特に男女の機会平等や、ダイバーシティを大切にしましょうというトレンドの中で、女性を馬鹿にする表現を政治の世界の実力者が言った、という理由でマスメディアが批判をするのはよく分かるのですが、ではマスメディアが誰かを揶揄するような表現を公共の電波に流すことは果たしてどう判断すればいいのだろうかとも思います。

 

もしかしたらマスメディア側は、自分たちがそれを創り出して積極的に広めようとしているのではなくて、あくまでもそういう言葉が世の中にあるということを紹介しただけだという主張をするかもしれませんが、そもそも誰かを揶揄するような表現に対して無批判で公共の電波で流してしまうという態度は問題がないのか、とも思います。

 

誰かを公に批判するならば、同時に我々自身も内省をする必要があると思いますが、マスメディアは決してそうはなっていないので少し違和感があるなとは思います。

 

まあいずれにせよ、問題になりそうな発言はしない、一層発言に気を付ける、これですね。

 



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優秀かどうか



 

 

とあるテーマパークで、購入チケットに関して従業員とトラブルになった客が、その後そのテーマパークの社長が出てきてやり取りが始まり、結果的にこの社長の対応が炎上した件について、とある方が、コラムを書いておられました。

 

パッと見て、ピカピカの経歴を持つこの社長が、自分は正しい、何でもできると思い込んでしまったのではないかという分析で、結果としてまずい対応になってしまったのではないかということでした。

 

そのコラムを読んだ限りにおいては、それはあるのかもなと思いました。

 

私の周りにいる人で、学歴や経歴がピカピカな人は、確かに自分に自信がある人が多いなと思いますし、自分は正しい、という思いも強いなと感じることはあります。

 

別に学歴や経歴がピカピカでない人の中にも、自分に自信がある人や、自分は正しいという強い思いを持っている人もいると思いますので、学歴や経歴がピカピカだから、ということがすべての理由付けにはならないと思いますが、少なくとも、そういう人は困難を努力で乗り越える経験であったり、周りからすごいですねと言われる経験であったり、そういうものが比較的多いのではないかと思いますし、そういう中で自己肯定感を高めて、自分はすごいのだという自信をつけていくというのはあり得ると思いますし、全くもって変なことでもありません。

 

人間は常に謙虚でいなさいというのはその一方で確かで、驕ってはいけない、というのも確かだとは思いますけれども。





ピカピカが悪いわけではない



 


そして、だからと言って、ピカピカの経歴の人は使えない、仕事ができない、ということではありませんので、なにかあるとそういう論調にすぐ飛躍する人もいますが、そうではないということも念のために言っておきたいと思います。

 

むしろ、平均を取れば、基本的な仕事の能力はそういうピカピカの経歴の人が高いと言っても過言ではないと思います。

 

仕事の場合、特にリーダーとして意思決定をする場合にはその合理性みたいなのが求められますが、とかく組織や集団で仕事をする場合に私が思うのは、優秀な人を揃えられるかどうかが一番のカギだと思っています。

 

極端な話、リーダーが一流でメンバーが三流よりかは、リーダーが三流でメンバーが一流である方が、その仕事はうまくいくと思っています。

 

極端な話ですので、リーダーはリーダーなりに尊敬されないといけませんので、三流ではだめなのでしょうが、言いたいのは、優秀なリーダーが一人いるよりも、優秀なメンバーがたくさんいた方がいいということです。

 

という意味では、リーダーだから、責任者だから、という理由で何でもかんでも口を出して、しゃしゃり出てきすぎず、優秀なメンバーの誰かに任した方がいいということでもあります。

 

ある人が、あらゆることに深い知識を持って判断ができるということはほぼあり得ません。

 

得意分野があれば苦手分野もあり、また良く分かっていない分野もあるでしょう。

 

であれば、その苦手な分野や良く分かっていない分野に詳しい優秀なメンバーを周りに置いて意見を聞いた方がいいですし、そうすべきなのだと思います。

 

歴史上においても、名の知れたリーダーの元には、参謀と呼ばれる人や優秀な部下が揃っています。

 

リーダーが優秀であることに越したことはないですが、それよりかはいかに優秀なメンバーを集められるか、ということが、うまく進めるための要因なのではないかというのが私の思いです。

 

という意味では、り―ダーが自分で動かなくてもいいやと思える優秀なメンバーをいかに揃えられるか、あるいはそういう部下を持つことで相対的に自分が低く評価されることの恐怖をどこまで克服できるか、というのも大切な気がしてきます。




自分に置き換える

 



私の場合、部下らしい部下はいませんし、またプロジェクトマネージャーのような形で働く機会が多いので、責任者として自分がしっかり説明しないとと思うこともあるのですが、もしかしたらそう説明も誰か得意な人に任せるというのも一つの手なのかもしれないなと改めて思いました。

 

そういう場面においては、自分が何でも知っていないといけない、自分が何でも説明できないといけない、という思いが強くなるというのは正直なところでして、責任感があると言えば聞こえはいいですが、人に頼ることができない、という状況になっていないというのはあるかもなと思います。

 

そこに至るまでの間であれば、知識も持っている人にたたき台の資料をつくってきてよ、とかいうのはお願いしていますので、自分が何でもやらないといけないというような重症ではないのかもしれませんけれども。

 

それでも責任者として、何か問題が起これば飛び込んで対応をせざるを得ないというのも事実です。

 

このテーマパークの事例に戻れば、社長さんともなればそういう可能性も低いというか、さすがにお客様担当者がどこかにいるだろうという風には思いますので、そうせざるを得なかったのではなく、自ら望んでそこに飛び込んだのかなという気はしますし、もしかしたら過去には同じようなことでうまく言った経験があったのかもしれませんが、結論としてはまあ、慣れないことはするものではありませんね。

 

任せられるのであればその道の専門家に任せるのが一番ですし、そういう人をちゃんと組織においておく、あるいはそこにたどり着くためのコネクションを持っておくというのが大切なのでしょうね。

 

 

 


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海外で活躍!



 

 

 

以前はサッカーの試合をテレビ観戦することもありましたが、なぜだか最近はあまり観なくなりました。

 

正確に言うと、W杯などの試合は観てみようかなと思うことはありますし、日本代表の試合もW杯であれば観ようと思って観るのですが、そのレベルにならないと観ないという感じです。

 

ちょうど昨年やっていたラグビーのW杯は日本の試合もその他の注目の試合も追っていたのですが、普段テレビでラグビーの試合をやっていても積極的に観ようとは思いませんし、スタジアムにも観に行ったことがありません。

 

そんなこんなで、今、サッカーでアジア杯が行なわれていることも知ってはいますが、試合そのものを観てはいません。

 

当然、今、どういう人が代表選手に選ばれているのかも、何名かしか知らない、名前は分かるけど顔は分からないというような状況です。



 


挑戦している!





というような状態で、そもそも論ですがどういう選手が選ばれているのかなと、目にする機会があったのですが、非常に驚きました。

 

所属チームが書かれていましたが、ほぼすべての選手が、日本国外でプレーをしているのです。

 

どこのチームなのかとか、どこの国なのかなどは全ては分かりませんでしたので、詳しい人から見れば強豪チームもあればそうではないチームもあるのかもしれませんが、そうであっても、以前とは言っても数十年前かもしれませんが、ほとんどの選手は日本のチームから選ばれていて、いわゆるエース格の人は海外のチームに所属していて、という状況を考えるとガラッと変わったなという思いです。

 

もちろん、日本のサッカー選手のレベルが上がったというのはあるとは思いますが、もしかして、一時期はそういう海外移籍が夢であったのが、当然誰でもがというわけにはいきませんが、現在は、上澄みの人たちにとって海外に挑戦しやすくなったのかなというようにも思います。

 

それは当然ながら、これまで海外に移籍して活躍をしてきた先人の努力が反映されている部分もあるでしょうし、より違った、レベルの高い環境でプレーしたいと思ってそれがかなえられる日本人プレイヤーが増えてきたのかもしれません。

 

お金のことは良く分かりませんが、恐らく海外チームの方がお金もいいのではないでしょうか。

 

その分、枠の問題で争いが激しいとか、ダメだったらすぐ首を切られるというようなことも当然あると思いますので、厳しい世界だと思います。

 

サッカーというスキルがあるか、ないかですので、異なる環境に身を置いた時にも共通言語はあって、サッカーができればある程度周りに自分を認めさせることもできるのかもしれませんが、そうであっても生き残るのは難しい世界でしょう。

 

それでも、海外のチームで活躍したいと思ってそれを実現させている日本人サッカープレイヤーがこんなにいるんだ、ということに大変驚きましたし、彼らのことはほとんど知りませんが、そういう挑戦をしているということは素晴らしいなと尊敬します。

 




海外赴任




海外赴任をしている会社員の人に対して、中にはあいつらは遊んでいる、仕事をしていないと愚痴を言う人はいて、まあそれが完全に的外れだと否定もしませんが、時に異なる環境においてのストレスを感じているのも確かだと思います。

 

その一方で、私の周りでも、海外赴任をするとかはもう考えられない選択肢、というような人もいますが、それはそれでもったいないなと思います。

 

会社の負担でそういう経験ができるのであれば、思い切って一度経験してみればいいのにと思います。

 

それで本当にその人には合わないということも当然あるでしょうが、日本を離れると日本のいいところ、そうでないところも自分の中で感じるようになって、なによりも色々な価値観に触れて心が少し広くなるのではないかと思います。

 

そういうのをかさに着て、だから日本はダメなんだ、というようなことを言うと周りの日本人に嫌われますが、言い方、伝え方次第で、自分を含めた周りをいい方向に変化させられる可能性もあります。

 

海外で仕事をするのは、場所が変わるだけではなくて、言語が変わることもあれば、仕事も変わることがありますし、多くの場合は本社と現地の間に挟まれる形になりますので、決して楽なことではないとは思いますが、もう一度言うように、会社の負担でそういう経験ができるわけで、リスクはそこまで高くはありません。

 

海外駐在になれば給料も増えて人生の勝ち組だ、という精神であるとちょっとダメかもしれませんが、リスクは低いけれども挑戦するか、くらいの精神で、機会があれば受ければいいのになといつも思います。

 

私も、無理に大変な仕事に変わったり、そういう環境に身を置いたりというのは好きではありませんが、海外駐在であれば受けたいと思っています。

 

真面目な話、手当がついて、給与も増えますから、その分の対価としてのストレスについても受け入れやすくなりますし、責任感も強まると思います。

 

国の好き嫌いはありますので、赴任する国は選びたいですが。

 

 

 

 

 


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SNSでも心に余裕を




 

 

メールやSNSを通したコミュニケーションは文字だけですから、そもそもの意図や微妙なニュアンスが伝わりにくくて、便利ではありますが使い方は難しいと思うことがあります。


私が古い世代なだけで、若い世代は今のやり方に何の違和感もないのかもしれませんが。

 

私もいくつかのSNSのアカウントを持っていますが、何か自分の主張を書き込むアカウントは旧Twitterと、このブログだけです。

 

Twitterについては匿名で、自分の興味がある、ある1つの特定の事柄に対してのみ書き込むようにしていまして、それ以外はリツイートもしませんし、フォロワーもその事柄関連をつぶやいている人のみにしていますし、そのフォロワーの方があまりにもいろいろなことにつぶやく人なら、表示頻度を下げるような対応を取ります。

 

もちろん、Twitter上で、まったく興味のない事柄が表示されることはありますし、それを読むこともありますが、それに対して何か意見表明をして誰かと議論をするというようなことはありません。




ブログ開設理由




 

このブログを開設したのは、仕事でたまりにたまったストレスのはけ口がどこかにないとまずい、という理由が背景にありまして、それが徐々に自分の考えを整理したり、深く考えずにとりとめもなく書いたりするために書くようになっています。

 

自分の投資戦績を披露するというようなことはしていませんが、セミリタイアを目指していますので、それについての考えや学びなんかも気づいたときには書くようにしています。

 

もちろん誰かに読んでほしい、共感してほしいという思いはありますし、こういう話題はなんだか閲覧数が多いなとか、こういう話題は求められていないのね、などと感じはしますが、閲覧数を増やすためだけに書いているというわけではありませんし、自分の意見を世の中に問う、なんてことも別に思っていません。

 

まあ、許容されるであろうと勝手に思う範囲内で悪口を書いたり、世間でたたかれている人に対して意見を書いたりすることはありますが、直接的にあいつがダメだとか、絶対許さない、というような一方的な正義を振りかざすのは、なるべく避けようと思っているのと、バランスも大事だなと思いながら書いています。

 

そう思っているのは自分だけで、個人攻撃になっていることもあるかもしれませんけれども。

 

まあ、そんなに見ている人もいない、影響力のないブログなので、あまり気にしないでおこうかという思いがあるというのも確かなところですが、文字だけだとやはり本心の本心は伝わりにくいところがあるのは間違いないです。

 

ただ言いたいこと、思ったことをつらつらと書いているだけですので、あまり深いことを気にしなくてもいいのかもしれませんが。




攻撃性

 



ただ世の中には、そういったSNSの怖さをあえて気にせずなのか、あるいはむしろ活用してなのか、いやもしかしたらSNSに限った話ではなくて普段のコミュニケーションでも言えることだとは思いますが、正義を振りかざして他人を攻撃する人たちがいます。

 

私が厄介だなと思うのは、一見攻撃していないように見せかけて、攻撃している言葉遣いをする人です。

 

分かりやすく攻撃をしている人はそういう意味では、まだ対処のしようがありますし、究極的には、また吠えているなあ、くらいで思っておけばいいのです。

 

攻撃していないように見せかけて攻撃している人は、その攻撃性や敵意を全く隠していないのに、あたかもそんなつもりではありませんよ、何なら自分が悪いところもありますよね、というような言い訳の余地を残してきつつ、自分が被害者だというようなことをアピールしてくるので、非常に厄介なのです。

 

まあ、それは性格が悪いという一言で片づけられることなのかもしれませんが、SNSの場になると、ああこの人は被害者でかわいそうと思う人も出てきて、その結果としてその場合の加害者を、一方的な正義でたたく人も出てきてしまうのです。

 

それってなんだかいびつな感じがしますし、決して正義のあることではないような気がするのですが、被害者だとされる人が周りをたきつけて周りが正義を振りかざす、そういうことが起きています。

 

不特定多数にそうやって叩かれるのは、叩かれる側からしたらすごくしんどいですし、SNSではそれが匿名でされるわけですから、まあえげつないなと思います。

 

まさに、自分は安全なところから、一方的な正義を振りかざして、悪いと認定された人をたたきまくるわけです。

 

それをしてあなたの人生に何の得があるのですかと言いたいところですが、正義である以上正しい、ということでの優越感であったり、そのコメントが他者からも許容されやすいために承認欲求を満たせるというのもあるのでしょうかね。

 

別に賛同する人が多いから正しい、そうではないから間違い、ということではありませんし、唯一正しい答えが常にあるわけでもありませんし、相手をやり込めるコミュニケーションそのものがあまりよくないと思いますし、みんなもっと寛容になって肩の力を抜きなさいよ、と思います。

 

安全なところから、独善的な正義を振りかざして特定の誰かをたたきまくること自体があまりかっこいいことでもないですしね。

 

 


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経済ショックが来るのか?


 

 


 

経営再建中の中国不動産大手会社に対して、香港の高裁が法的整理の手続きを始めたそうです。

 

香港では他の中国の都市に比べて、その歴史的な背景からか、比較的公平性を重視する文化があると評価されているようで、恐らく法務視点だとは思いますが、中国政府の意向や判断基準よりかは公平性があると評価されているということだとは思いますが、債権回収手続きを始めたい海外債権者が申したてをして、それが認められたようです。

 

それでも実際にどうなるのかは中国当局の裁量次第ということのようですが。




どう対処するのか


 


まず、この不動産大手会社が抱える債務の規模が甚大ではなく大きいと言われておりますので、その債務が回収できないということになると、多くの債権者に被害が及ぶことが予想されるばかりか、その影響度合いも計り知れない一方で、恐らく大きく資産を減らしていることが予想されますので、実際に債権回収が始まっても多くの債権者は泣き寝入りしなければならない可能性があると予測します。

 

そもそも既に会社としての体をなしていなさそうな会社の債権回収手続きを始めさせないのは、債権回収の実現可能性が一部にとどまるために、もしそうなった場合の影響がコントロールできない、だから会社の清算手続きそのものを開始できない、ということなのではないかと予想しています。

 

さらには、経営危機に陥っている会社は1社だけではなく、複数あると噂されている中で、1社の清算手続きを進めてしまうと、他にもという波及効果が出るでしょうし、そうなればよりコントロールが効かない、カオス状況に陥るということが予想されますので、そもそも最初の一歩を踏み出せないという状況もあるのではないかと予想しています。




どうなる世界経済

 



引き続き、中国は市場規模は大きく、富裕層も多いと市場ですので、中国の市場としての魅力は決して低くはないとは思いますが、これらの状況やその背景を鑑みるに、実際に中国で事業をやることのリスクもまた再認識されたというのが正直なところではないでしょうか。

 

指をくわえて見ているにはもったいないが、いざ入り込んでいくとそのリスクの大きさも実感する、そういうちょっと複雑な環境下に置かれた市場でしょうが、こと投資家という目線に立った際、今後海外投資家が中国をどのような目線で見るのかというのは気になります。

 

変な話ですが、それに比べると日本市場は成長性は低いですが安定しています。

 

もっと言うと、安定してじわじわ衰退しているという状況ですので、決して良い状況ではないのですけれども、悪い意味ではあっても安定はしている状況ですので、海外投資家や海外企業にとって魅力的かどうかは分かりませんが、リスクが小さい市場です。

 

まあ、成長可能性が低いなら、投資する優先度としては決して高くはないとは思いますけれども、昨今はロシアも含めて地政学リスクというのが改めて認識されていますし、中国もどうなるかというのは注目です。

 

中国本土にいる、知り合いの中国人にきいても、やはり経済環境は良くはないということを聞きますが、それでもまだ市民生活は送れる状況ではあって、暴動が起きるとかという状況ではないと聞きます。

 

ただ中には、給料が下がっているというように、実際の生活に影響が出てきているとという話も聞きます。

 

一方で、日本に来る中国人観光客の数が増えているという話や、これから来る旧正月でもさらにその数が増えるかもしれないと言われていますので、お金を持っている人というのは引き続き持っているというのが正直なところなのでしょうし、ある種の格差がすごいことになっているだけなのかもしれません。

 

いずれにせよ、以前にも書きましたが、中国経済がダメージを受ければ、それは日本も含めたグローバル経済のダメージとして跳ね返ってきます。

 

これだけ色々な国が複雑に絡み合っている経済環境下では、日本も必ずダメージを受けてしまいます。

 

誠に自分勝手な発想ではありますが、確かにこれまではその恩恵をほぼ無償で受けていたのかもしれませんが、普段真面目に働いている日本人の人が突然の派遣切りなどにあって困窮しないように願うばかりです。

 

正社員はまだ雇用は守られていますし、その意味では私の雇用も一定程度守られてはいますし、贅沢しなければ生きていけるだけの貯えもありますが、こういう時に影響を受けるのは立場の弱い人たちからです。

 

自然災害に対してなら、ちゃんとした大きな組織に募金をして活用を願う、というのもやりやすいですが、経済的な問題を発端にしたマイナスの影響に対しては、NPOなどの小さな組織がメインに動きますので、なかなか支援する方法も分からないというのが正直なところです。

 

困ったときは助け合い、の精神は大切だと思いますし、実際に子ども食堂の運営やホームレスの方への配膳など、サポートしているNPOは周りにもありますので、興味のある方はそういう情報も検索してみてください。

 

有象無象ありすぎて、結局良く分からなくなっている、というのもある気はしますので、それはそれで問題だなという気もしますけれども。

 

 


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企業の不祥事



とある大手自動車会社グループで、認証に関わる不正が色々と見つかっています。

 

世界的なグループで、その経営手法はビジネススクールのケーススタディの題材になるくらい、世界でも興味を持たれていて、また尊敬もされており、そのグループ発の日本語がそのまま英語でも使用されるというくらいですし、業績も株価も右肩上がりです。

 

内情は知りませんが、これまでも、その巨大な購買力と影響力を駆使して、サプライヤーや下請けに対しては厳しい要求を課して、それによって元受けが利益を上げているというような話を聞くことはありました。

 

その業界で力を持っている会社というのは、それを競争優位として利益を上げようとするのが資本主義だと思いますので、例えそうしていたとしても不思議には思いませんし、どこの業界でも力を持っていればそのようなことは必ず起きているのがこの世の中の仕組みだと思います。

 

普段我々が生活のために買い物をするスーパーにしても、我々は安くてうれしいなと思う製品について、それは本当にスーパー側が利幅を削って我々に提供をしてくれているのかどうか、考えてみれば分かると思います。

 

まあ、利益額を上げるために、スーパー側としても少しは自己犠牲を払って利益率を下げていることはあるとは思いますが、その負担をしているのは果たして誰なのか、もちろん誰かがその負担をしたとしても、売上を取れるなどのメリットがあるからそうしているのでしょうが、パワーを持っているのは誰なのか、ということを考えれば、そのパワーをどのように行使しているのかも想像は容易だと思います。





パワーの影響は避けられない




 

でも、そういうものなのですよね。

 

パワハラやセクハラ、その他諸々のスキャンダル、多くの場合はパワーを持っている人がそれを濫用する、それを笠に着て弱い人を従わせることで起きているのであって、残念ながらそれが社会の縮図でもあります。

 

パワーがあると、よほど気を付けないと、それによって自分が偉い人間だ、上の人間だと勘違いもしやすくなるのでしょう。

 

しかし、色々と問題が発覚してくると、今までがやりすぎだったのではないか、という話も当然に出てきます。





企業体質か本質の誤解か


 



今回の大手自動車会社グループの話でも、その効率性の高さや利益を生み出す力がこれまでは褒め称えられることもありましたが、それを追求しすぎた結果として、納期を遅らせられない、認証をいつまでに取らなければならないというプレッシャーがある職場環境になり、それが結果的に不正に手を染めることにつながってしまう、というような論調が増えるかもしれないなと思います。

 

実際問題、何が原因なのかはよく分かりませんが、当然にそのような企業風土は影響することもあるでしょうし、それは特に上からのプレッシャーが強いと起こりやすくなります。

 

私も、トップダウンというのは必要だと思っていますし、何もそれは悪いことではないと思っています。

 

サラリーマンとしていても、これについてはもっと上の人が決めてくれないととか、会社の方針が見えないとか、そういう不満を言う機会、聞く機会がありまして、それはトップで意思決定をしてほしいということですし、それが求められることも確かにあります。

 

しかし、方向性を示してほしいという思いがある一方で、トップの言うことが全て正しいとは限らないわけですし、トップが関与しすぎるとおかしなことになることがあるというのも間違いありません。

 

実際に、トップは何も現場のことを分かっていないんだよな、ということを言う、耳にする機会もあるはずで、それはつまりトップが現場の内情を分かってないということですし、その状態で判断をするというのもまたリスクがあるということです。

 

現場のことは知らんがこれが大方針なんだという意味でのトップダウンも効果がないことはないですし、それがブレークスルーにつながることもありますから、難しいところです。

 

一方で、我々がトップの意思を勝手に間違って理解してしまって、あるいはその本質をとらえないまま理解してしまって、それに基づいた行動をするので結果がおかしくなるということはあり得ると思います。

 

今回の場合も、トップは不正をしてでも納期を守れ、とは思っていないはずで、そんな指示も絶対にしていないと思います。

 

ですので、不正に手を染めたのは現場の判断だと思っていますが、現場としてもそうしたかったわけでは絶対になくて、避けられるなら絶対に避けたと思います。

 

そんな中で、その不正に手を染めざるを得なかった、その判断につながったなにかは、間違いなく、誰かがトップの指示内容の本質を誤って捉えて、それを守ることに必死になったからではないかと思っています。


部下の相談に対して真摯に向き合わないという体質も問題ですし、不正しろとは指示していないと言い訳するかもしれませんが、そもそもそういう体質は本質の誤解から生まれるのではないかと考えます。

 

そういう意味では、トップの指示、上に立つ人の指示というのは非常に重要で、影響力があり、一言一句に気を付けなければならないということなのでしょう。

 

効率を上げていきましょう、それによって世界一の販売を目指しましょう、という指示があったとして、それは不正をして、消費者を危険にさらしてでも達成したい目的ではないはずだというのは普通に考えれば分かると思いますし、全ての経営層や従業員もそう思っていたと私は信じます。

 

ただ、なぜかどこかで、効率を落とせない、世界一にならないといけない、という目標だけが守らなければならない絶対のものになってしまった、それがトップの指示だと誤って理解をしてしまった、ということなのではないかと思います。

 

そして厄介なことに、そういう誤った理解のもとになっているのは、根拠のないうわさであったり、勝手な思い込みによって、トップはこういう人だ、トップはこう考えているんだ、ということが誤って強調される一方で、多くの人はそれを直接に確かめる手段がありませんから、それが正解なんだと信じてしまうということがあると思います。

 

そしてこれはどんな組織であっても、人の数が大きくなれば起こりえることなのだと思いますし、私が勤める会社でも起こっているなということは感じます。

 

風通しを良くする、という一言は便利な言葉ではありますが、トップの本来の意図を明確に伝えるという意味では馬鹿にはできない言葉なのだろうと思います。

 

 


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指名手配犯の続報



 

 

 

さて、先日ブログにも書きましたが、死の間際に本名を明かした指名手配犯の続報ニュースが入ってきました。

 

それらを見ていると、これは決して勝ち逃げをしたわけではないな、という気がします。

 

医療サービスを受ける際に偽名を使用していたことは間違いなさそうですが、保険証を持っていなかったという情報もありますので、保険適用なくすべて自費で支払いをしていたのかもしれません。

 

当然、協力者が資金サポートをしていた可能性はありますが、本人は土木関係の仕事に約40年もの間ついていて、同じ会社で働き続けて、小さい散らかった部屋で生活をしてたそうです。

 

近くにあるバーでお酒を飲んで音楽を聴きながら楽しむ様子も目撃されていたようですが、少なくともここ最近についていえば、暮らしは楽ではなかったのだろうと思われます。




勝ち逃げではないな


 


もちろん、指名手配をされながらも捕まらずに逃げおおせたという意味では勝ち逃げではありますし、現在に至るまでにどういう暮らしをしてきたのかは分かりませんので、もしかしたらいい暮らしをしていた期間がある可能性もありますが、なんとなくその可能性はそこまで高くなさそうだなというか、苦労をして生き延びてきたのであろうかという気がします。

 

まあ、本来であれば刑罰を受けなければならない立場ですので、そこから逃げてきたという事実に関して言えば全くもって擁護もできませんし、仮に極貧の暮らしをしていたとしてもそれをかわいそうだとも思えないですし、自費で医療サービスを利用していたと聞いて負担が大きくて大変ですねとも思いません。




人生の選択肢

 



人間ですので、常に100%の清廉潔白さでは人生を過ごせないとは思いますが、もしも真っ当に生きていれば違った人生はあったはずですし、この指名手配犯は大学にも通っていたということで、その違った人生は、50年近く逃げ隠れする人生よりか満足度は高かったのではないかと思います。

 

もちろん、生きていればなんでもある世の中ですから、違う人生を歩んだところで、別のストレスに悩まされることもあれば、不幸に感じる出来事にも見舞われれば、こんなことであれば、と思うことも当然にあるとは思いますし、やり直さない限りどの選択肢が正しかったのかが分からないのが正直なところです。

 

昔あったドラマで、2つのうち、どちらの選択肢を選ぶかで主人公のその後を描くドラマがありました。

 

基本的にはどちらかの選択肢が幸せにつながっていて、その一方が不幸につながっているのですが、場合によってはどちらの選択肢も不幸につながっているなんてこともあり、そういう運命でした、というシナリオもありました。

 

ただ、例えどちらの選択肢を選んだにせよ、別の選択肢の方が正しかったかどうかは分からないのが人生です。

 

真っ当に生きていない政治家が私服を肥やしていたなんていう話がある今日この頃ではありますが、だからこそばれたときには責められているのでしょうし、人によってはもう議員再選の芽が摘まれてしまう人も出てくると思います。

 

それでも生き残れる人がいるところ、持つものと持たざるものの存在があるところ、この世の中が不公平だなと思う点ではありますけれどもね。

 

政治家と庶民を比べれば政治家は恵まれているかもしれませんが、政治家の中ではまた勝ち組とそうでない人が存在しているということです。

 

しかしながら、一般的に言えば、より真っ当に生きていれば、より幸せな人生を送れる可能性は高いのではないかとも思いますので、今回の指名手配犯については道を間違えたのではないかと思ってしまいます。

 

人生を棒に振るまでのことを若いころにして、人生の後年においてはそれをどう考えていたのか、というのは少し興味があるところではあります。

 

少しは考え方も丸くなって、間違った手法を取ったとか、違う方法もあったと今になれば思うとか、そういうことを思っていて欲しくはありますが、今となっては誰にもわかりません。

 

逃げ続けて逃げ続けて、結果として彼が得たものが何だったのも気になるところですが、逃げ勝ちではあって欲しくはないですし、そうではなかったのではないかと思います。

 


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