SNSで送られてくる文章の最後に句点がついていると、それを見た若者が恐怖心を感じるという話が最近少し盛り上がりました。
句点をつけることで、会話を終えようとしているとか、怒っているのではないかというように感じる若者もいるようです。
チャット文化に慣れ親しんでいる若者の間では句点を使うことが一般的ではなく、句点を使わないか、あるいは文末に顔文字や絵文字を使うとかするそうなのですが、逆に世代が上になると句点をつける傾向にあるためにそのように感じる若者がいるということのようです。
時代遅れでも言いたい
時代遅れになりかけている私からすると、そもそも将来にあの件についてどうだったかと確認しようとしても時間がかかる可能性があるのだから、業務関連の話をチャット機能でしてくれるな、という思いがまずあります。
昨今は別に若いからとかそういうことでもなく、チャットでの業務指示が来ることもありますが、それが便利だと思う人もいれば、そう思わない人もいるということは理解してほしいなと思います。
自覚していますが、これは若者世代からすると、何を古臭いことを言っているんだこのおじさん、という受け取られ方をしても仕方のないことです。
その上でなのですが、たまに確かに文末に絵文字を使うこともありますが、句点を使うことが圧倒的に多いですし、なんならそれが正しい日本語だろうという、これまた古臭い考えを持っているというのがあります。
中には絵文字だらけのメッセージを送ってくる人がいますが、そもそも読みにくいからやめてくれと思いますが、もしかすると私からしたらその絵文字が雑音に感じる一方で、若い世代からしたらその絵文字はただの飾りというか、するっと読み流せるものなのかもしれません。
生まれ育った環境で、同じ音に関して、雑音と感じる人もいれば何も気にならない人もいるというような感じが文字でも起きているのかもなと。
不安もある
しかしながら一番は、日本人同士で会話をしているときに絵文字を使うことによる恥ずかしさというか、年齢を考えろよと思われはしないだろうか、という不安、そういう気持ちがあるために絵文字をあえて使っていないということはあるかもなと思います。
へえ、若者は文末に句点よりも絵文字の方が心地よいのか、よし、おじさんは理解があるから使っちゃうぞ、とばかりに使用した結果、気持ち悪いおじさんになる可能性も絶対にあるでしょう。
だってそもそも、その若者の感度が分からないのですから、そこを理解しないままに方法だけ真似しようとしてもうまく使いこなせるわけがありません。
で厄介なのは、そういうことをした結果として、今度は絵文字連発、チャットリテラシーのない困ったおじさんに若者が辟易している、なんてネット記事を目にすることになるのです。
そんなことになったら、それは話が違うでしょう、と思いますが、可能性は実は結構あると思っています。
同世代の人が私と同じような思考を持っているのか、実は違うのかは分かりません。
ただ私の心の叫びとしては、もしも本当に句点が苦手だという若者が増えているのであれば、もちろん当然に、私も気を付けるというのはありますが、その一方で、若者にも、私が句点を使うことに対してそんなに苦手意識を持ってくれるな、と言いたいです。
若者が句点に対して苦手意識があるのは、それで会話を終わりにしたり、怒っているように思うから、ということであれば、決してそういう目的や意図を持って句点を使っているわけではない、というように認識してくれてもいいじゃないか、ということです。
句点を使うことがある種の習慣であり、癖であり、それが古臭いと言われてもそういう価値観の中で生きてきた人間ですから、いきなりそれを変えろと言われても難しいわけです。
融和と歩み寄り
つまるところ、一方的にどちらかが譲歩するのではなく、お互いに歩み寄らないか、という提案ですね。
まあ、その歩み寄りというのも決してオフィシャルな会談を経て、契約書を作っての歩み寄りということではなくて、普段の何気ない会話やちょっとした雑談の中で、いや実は、というような感じでラフに話し合うような環境の中で、お互いにああそうだったのね、という理解をするというプロセスが理想です。
そういう視点から言えば、普段からコミュニケーションを取れる間柄であることが大切なのだろうなと思いますし、もっと言うと普段からコミュニケーションが円滑な相手であれば、私が句点を使ったとしても、そこまでの苦手意識を持たれない可能性はあるのかなと感じます。
という意味では、究極的には、普段からの関係性の問題なのかなという気もします。
でも昨今ではパワハラやらセクハラやら、もちろん当然に、実際にそういうことをする人がいるから問題なのですが、あまり年下の同僚との距離を近くすると、それらのリスクが高まるということがあり、気を遣ってしまうというか腰が引けるというのも間違いなくあります。
そういうのもあって、私はチャットは苦手というのもあります。
ただまあ、コミュニケーションの手段は変わり続けるというのが現実でしょうし、ある程度は歩み寄りながら相手に合わせていく姿勢というのは大切なのではないかと思います。
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