口下手なセミリタイア志願者
バレンタインデーの思い出
バレンタインデーですが、私の場合は男子校ということもあり、あれ、机の中にチョコレートがある!みたいな経験はしませんでした。
大学生時代に彼女ができて、バレンタインデーのたびにチョコはもらいましたが、最初は手作りだったのが、2年目からは市販のものとなり、世の無情を噛み締めながら、男子校時代に培われた女性への幻想が現実的な方向に修正される経験ともなりました。
一番嬉しかったのは、社会人時代にまだ付き合うまでは行っていなかったけどデートもしていた女性に、皆の集まりがあるからと、バレンタインデーの前か後ろかで顔を合わせる機会があり、その帰り際に、これあげる、とチョコレートをもらったことです。
チョコレートの箱についた英語のタグの意味を考えながら、いや、これは売り物だからもともとついていたものだよな、とか、いやもしかしたら特別につけてくれたのだろうか、なんて思考をこらしながらいろいろな想いを巡らせていました。
結局、その人とは残念ながら別れてしまいましたが、かなりドキドキした経験をくれたと思います。
社会人になったら、最初に配属された部署では、バレンタインデーにはフロアの女性社員一同、みたいな感じでチョコレートが配られるので、そのお返しを考えて買い出しに行くのも私の仕事でした。
デパートや人気のスイーツ店に行き、大量のお返しを買って、抱えて帰ったのもいい思い出です。
最近はコロナもあってそういうやりとりはなくなりましたが、コロナ前でももうそんな大規模なことはやらなくなっていたと思います。
そう考えると、新入社員時代はまだ古い体質、わかりやすくあえて表現すると、昭和の体質が残っていたのかなぁなんて思います。
まあ確かに、無駄と言えば無駄ですよね。
プレゼントをもらったら嬉しいですし、コミュニケーションという意味では効果はあるとは思いますが、負担がかかっている人もいるでしょうから。
食欲が落ちたセミリタイア志願者
最近、あまりご飯を食べていないはずなのに、お腹が空いていない、という感覚を覚える日が増えました。
正確に言うと、お腹は空いているのかもしれませんが、食欲がないのだけかもしれません。
朝ごはんを食べず、会社でカフェラテや白湯を飲んで、昼ごはんを軽く食べて、夕方にかけても、カフェラテや白湯を飲んでと、確かに胃には水分はあるのかもしれませんが、固形物はあまり無いはずなのに、あまり夕飯が喉を通らないというか。
夕飯で食べたいものが特に思い浮かばない、というか、それなら食べなくてもいいかと思うというか。
と思ったら、ある程度食べたはずなのに、寝る前にお腹はすいていないけど、無性に食べたくなって、インスタントラーメンを食べた、みたいなこともありますけどね。
ただ、不思議とそれも別に美味しいと思って食べてはいないんですよね。
ストレスかもしれないなと思いつつ、食べたいものが思い浮かばないのは、食欲自体が減退しているのかなと思ったり。
最近食べた美味しいものってなんだろう、あるいはまた食べたいものはなんだろう、と考えても、あまり出てきません。
なんらかの理由で、胃が疲れているのかもしれません。
軽い断食みたいなことをやって、体調を整えた方がいいかなと思い始めました。
正月に飲み食いした影響がでてるなんてことはありますかね。
それならもっと早くに影響が出る気がしますけど。
いずれにせよ、体を労らないといけません。
食欲がないと、つまらないものです。
角ハイボールが好きなセミリタイア志願者
新年早々、お酒を飲むのは控え目にしようかとブログでも書いた私ですが、まあなんだかんだ言って飲んでいます。
ただ、一回に飲む量は減らしました。
というか、あまり量を飲めなくなってきたような気がします。
さて、そんなこんなですが、皆さんはこの飲み物をご存知でしょうか?
スーパーやコンビニで買うことのできる、角ハイボールです。
これが好き
デザインもシンプルでいいですね。
確か、ブームになった後、ハイボールの缶はこの製品が最初にでたのではなかったかな。
他にも各メーカーがハイボールの缶製品を出していますが、私はこの角ハイボールが圧倒的に好きです。
ウイスキー感はありますが、甘すぎず、レモン感も強すぎず、しかし物足りない淡白な味わいではありません。
おつまみの味も邪魔しないし、とても美味しいです。
自分で角瓶の瓶からハイボールをつくることもありますが、色々と試しても、この缶製品のような味わいにはどうしてもなりません。
一つあるとしたら、そこらのチューハイと比べて、価格が高めなことですかね。
ソーダ分があるのでら微差かもしれませんが、瓶から作った方が安上がりというか、長持ちする感じもあります。
濃さも調節できますし。
私は、ビールの他には、ちょっと甘みがあるくらいのハイボールやチューハイが比較的好きで、たまにもっと甘いやつを飲みたくなります。
となると、そのちょっと甘みがある既製品の選択肢があまりなくて、ハイボールの缶を飲むことが多くなります。
フルーツ系の味のやつはどうしてもちょっと甘すぎる時があります。
嫌いではないですが。
大学生の時は、カルピスサワーとか梅酒なんかを好んで飲んでいましたが、味わいの嗜好も変わるんですね。
セミリタイアしても、リタイアしても、お酒を飲みながら美味しいものを食べるというのは一つの趣味のように続けていきたいことです。
仕事で失敗してもいいと思うセミリタイア志願者
10回に1回の法則って聞いたことはありますか?
要は、10回何かをやってみたら、1回は成功する、つまりは9回は失敗するかもしれないということです。
転じて、それくらいの気持ちで仕事しろ、1回でうまく行かなかったからといって、あきらめるな、くよくよするな、ということらしいです。
実際にサラリーマンとして仕事していて、1勝9敗なら全く信用されないと思いますが、言葉のあやというか、大切なのは、いきなり全部がうまく行くわけないだろ、落ち着けってことでしょうね。
そういう姿勢はいいですよね。
言葉を変えると、9連敗しても心を強く持てというのは何気に酷な話かもしれませんが。
失敗してもいい
同じような間違いを毎回していたらどうなんだと思いますが、新しいことや挑戦的なことはそんなに簡単に成功なんてしません。
たとえどれだけ念入りに進めていたとしてもです。
そんなの当たり前で、そんな簡単に成功するなら他の誰かがもうやって成功してますから。
新しいことでもなんでもなくなってますよね。
また、仕事の場合は、途中で修正も可能ですから、成功するまでやり続ければ失敗はないなんて考えもありえるかもしれません。
また、そもそも色々と妥協しないといけないこともありますから、完璧に満足な状況なんて生まれません。
失敗が次の経験に活かせることもありますし。
ただ、そうはいっても、実社会では仕事の失敗ってそんな大目に見てもらえないこともあるんですよ。
特に、平社員の時の失敗はまだしも、上に行くと、失敗するとそれ以上の出世は遅れると思います。
平社員の場合、このままだと失敗するかもな、でも致命傷にならないし、リカバリーもできるだろうから、経験になるかもしれないのでとりあえずやらせてみるか、という場合もあります。
それが上になった時の失敗は、規模も大きければ、会社への負の影響も大きいので仕方ないと言えば仕方ないですが、でも思うんですよね。
その失敗に通じる行動をokしたのは誰ですか?って。
その人達は結局その責任なんてとりませんし、あいつが勝手にやったくらいの考えの場合もあるのではないでしょうか。
それもまあ変な話ですが、そこまでの役職にいったら、自分の後始末は自分でしろってことなのかもしれません。
そうだとしたら、承認プロセスを簡素化すればいいのにと思いますけどね。
それでも失敗してもいい
まあ、そういう失敗をしても、命がなくなるわけではないし、仕事は転職できますし、仕事の失敗がいったいなんだ、くらいの気持ちでいればいい、というのは共感できます。
もちろん、責任感は必要ですけど、自分を追い詰めすぎる必要は無いと思います。
心と体の健康第一です。
健康寿命とセミリタイア
ネットのとある記事からの情報ですが、健康上の問題で日常生活が制約されることなく過ごせる「健康寿命」は男女ともに延び続けている。男性平均は70.42歳(2010年)から72.68歳(2019年)、女性平均は同期間に73.62歳から75.38歳になった、ようです。
折り返し地点、すぎてる
改めて見ると、人生の折り返し地点をとっくに過ぎていることに気付かされます。
寿命という点ではまだ折り返し地点ではないかもしれない、でも、健康寿命という点では、後半戦は始まっています。
むしろ、前半に酷使された頭と体があることを考えると、出せるパワーは前半と同じというわけにはいきません。
50代くらいになって、驚くほどグッと老けてしまう人は、前半にオーバーワークをしてしまったからかもしれません。
勝手な想像ですけど。
若い時には時間は無限にあると思っていましたが、そうですね、我々は1秒1秒、終末に向かっているのです。
私は両親が比較的年齢を重ねてからの子どもですが、両親はそうやって元気が衰えていく中で私を必死に育ててくれたのでしょうね。
改めて思うとありがたいことです。
息子として立派に育っているのか、誇れるのか、尋ねてみたいところでもあります。
随分と迷惑をかけたような気はしますが。
さて、ますます、1日1日を大切にして生きていきたいなと思いました。
セミリタイアをして、精神的なストレスを緩和するのも大切ですが、そればかりに気を取られて、今を生きることを楽しめないというのもイマイチですから。
子どもと過ごす時間、自分の趣味の時間、自分が幸せに感じられる時間が少しでも多くなるように心がけたいものです。
親ガチャを考える
昨日に引き続き、親ガチャの話です。
要は、子は親を選べない反面、親次第で子の運命が決まってしまう、という話です。
確かに、親の経済力や子育てへの関心、考え方などは確実に子どもの人生に影響するでしょう。
そういう意味では、親ガチャって言い得て妙だなと思いますし、私は間違いなく当たった方でしょうね。
人生の成功を何を持ってそう定義するのかは知りませんが、人生は後になる方が逆転は難しくなるとは思います。
特に、学歴というもので進路の幅がある程度決まってしまう社会において、ああもっと勉強していい大学に入っておけばよかったって大人になってから思うこともあるのでしょう。
世間の受け止め
面白いなと思うのは、私が20代くらいのときは、いい大学に行けば幸せな人生を送れるなんてもはや幻想だ、みたいな論調があったんですよね。
今必死に勉強して、いい大学に入ったらいい会社に入れて、そうしたら幸せな人生が送れる。
そんなことはないですよ、会社は潰れるかもしれないし、リストラされるかもしれないし、いい大学に入る意味ってなんですか?みたいな論調は確かにありました。
いい大学に行っていい会社に入れば幸せだなんて常識を疑え、ってな風潮は確実にありました。
10年くらい前には、著名YouTuberが、好きなことをして生きていく、みたいなことを言う広告が流れていたこともありました。
世間においてはそれらの価値観が確かにあって、それも正しいかもしれない、とされていたのも間違いありません。
で、今となっても何が正しいかはよくわかりません。
ただ確かなのは、それなりの学歴があった方が、世間に名の知れた会社には入りやすいのはこの20年くらいは変わっていないということです。
親がもっとこうしてくれていたらよかったのに、と文句を言う人はいますが、そういう判断も含めて親ガチャと言われたらそうかもしれませんが、それって本当に誰もわからない世界ですから、完全に親のせいでもないよなと思うんですよね。
虐待されていたとか、機会すら与えられなかったというなら、親のせいだとは思いますが。
そんなことを言えるのは、私が親ガチャに当たったからだ、という批判はあるでしょうし、それはそうかもしれませんけどね。
親ガチャを考えるセミリタイア志願者
親ガチャって言葉がありますね。
私も一時期、ブラウザゲームをやっていた時期がありますので、ガチャはイメージつきます。
ブラウザゲームもただのゲームですが、なんかネット上でのつながりも心地よくて、結局10年くらい続けていました。
20万円くらいは注ぎ込んだかも。
以前は、お金かけなくても時間をかけていれば対人戦でも勝てたのですが、だんだんお金をかけないと手も足も出なくなってきたのと、単純に飽きたのもあって、今ではすっぱりとやめました。
逆によく、10年もあんな単調なゲームをしていたなあと感心します。
でも、なんだか楽しかったんですよね。
遅い時は深夜2時くらいまで遊んでいました。
翌日も会社あるのに。
よく体力持ったなと思います。
時間の使い方
いい暇つぶしにはなりましたが、よく考えると、時間の無駄でもあったかもしれません。
土日もパソコンの前で張り付いて、みたいな週末を何度も過ごしたような気がします。
あの時間をもっと有意義に使えなかったかと、今思えば使えたと思いますが、当時はそれが有意義な時間だったのです。
ある種、お金のかからない趣味だったとも言えます。
今でも、電車の通勤通学時間帯に、スマホでぽちぽちゲームやっている人、いますよね?
やらない人から見たら無駄に見えるかもしれませんが、人生における息抜きや楽しみになっているなら、他人に迷惑をかけていないのであればとやかく言うことでもないでしょう。
例えば私は、大人でメダルゲームにハマっている人とかも理解はできませんよ。
メダル増やしても、資産は増えないよね?って思います。
パチンコやスロット、競馬もやりませんし、面白さもよくわかりません。
でも、本人が楽しんでいるならいいんでしょう。
それで他人に迷惑かけたら絶対ダメですけどね!
お金との付き合いを考えるセミリタイア志願者
大学生時代
お金持ちになりたかった?
30歳は仕事の具体化ができない?
日本企業の中に、負荷はないが成長もない、ゆるい職場が増えた結果として、仕事に関して理想論やあるべき論は語れるが、然るべき業務経験を積んでいないためか、発言にリアリティがなく具体的な企画に落とし込めない30歳が増えているという記事を読みました。
実際に増えているのか、増えていないのかは知りませんが、もし増えているのだとしても、別に今の40歳や50歳ならそれがどこまで具体的にできるのか、というのも謎ですけれどもね。
いや、単調な作業や毎月や毎年発生するような業務であれば、確かに経験さえ詰めば対応できるようになりますし、場数を踏んでいるか踏んでいないかというのが大切だというのもよくわかるのですが、新しい業務になったら、40歳になろうが50歳になろうが、分からないものは分からないんですよね。
そんな中でもしも一日の長があるとしたら、分からないことを誰に尋ねれば、分かりそうかどうかの勘所がある、ということでしょうか。
要は、具体的にする際には、具体的にすることが得意な人に尋ねて、助けてもらうしかないじゃない、という思考回路があって、その上で、その得意そうな人を知っている、というだけです。
しかしながら
むしろ、もしも記事にあるように、30歳にして仕事に関しての理想論やあるべき論が語れるのであれば、実はそれってものすごいことだと思うんですよね。
それこそがリーダーの視点でしょうし、時に管理職の視点だと思うわけです。
以前にやったのと同じようにやればいいや、というのが私のような、具体的には進められるけれども、ビジョンはない人間の思考です。
確かに、30歳という比較的若手が、理想やあるべき論を語っていると、「じゃあ、それを実現するために君は具体的に何をするの?」というのは問わなければならないでしょうし、答えも持っておかないといけないことだと思います。
そういう意味では、理想だけを語って現場のことは何にも分かっていないんだから、とうんざりしたり、あきれたり、するというのも確かにわかります。
「しかし具体的にはここまでしかできないので」とか、「ここまで実現するのは難しいので」とか、「こうすればできると思っている」いう考えを持っていれば、最高だと思います。
でも、一歩引いて考えなければならないのは、では理想やあるべき論を持たずに、具体的に実現可能なことしか考えない人に関して、それはそれでいいのかどうか、です。
それもよくはない、ですよね?
でも、結構そういう人、管理職の中にも多いですよ?
私は、そういう人は必要だと思いますし、だからこそ私もやる仕事があるわけです。
ですので、まったくダメだということではないと思います。
ただ、そこから新しいものは生まれないですよね。
改善はできても、革新はないです。
で、たまに思うのです。
理想論やあるべき論を語る人の意見は確かに、耳障りですし、きれいごと言うなと思いますし、面倒くさいとも思いますし、とにかく別に聞きたくはないのですけれども、時に本質をとらえていて、はっとすることもあるのです。
30歳に限らず、理想論やあるべき論は語るけど、リアリティがない、というのも確かによくはないと思うのですが、具体化はできるけど理想論やあるべき論がない、というのもまたよくないのではないでしょうか?
特に、仕事で出世したいぞーと思うようなビジネスパーソンにとっては。
私は、セミリタイアの理想論を個人的に掲げて、日々頑張っております。
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