日本企業の中に、負荷はないが成長もない、ゆるい職場が増えた結果として、仕事に関して理想論やあるべき論は語れるが、然るべき業務経験を積んでいないためか、発言にリアリティがなく具体的な企画に落とし込めない30歳が増えているという記事を読みました。
実際に増えているのか、増えていないのかは知りませんが、もし増えているのだとしても、別に今の40歳や50歳ならそれがどこまで具体的にできるのか、というのも謎ですけれどもね。
いや、単調な作業や毎月や毎年発生するような業務であれば、確かに経験さえ詰めば対応できるようになりますし、場数を踏んでいるか踏んでいないかというのが大切だというのもよくわかるのですが、新しい業務になったら、40歳になろうが50歳になろうが、分からないものは分からないんですよね。
そんな中でもしも一日の長があるとしたら、分からないことを誰に尋ねれば、分かりそうかどうかの勘所がある、ということでしょうか。
要は、具体的にする際には、具体的にすることが得意な人に尋ねて、助けてもらうしかないじゃない、という思考回路があって、その上で、その得意そうな人を知っている、というだけです。
しかしながら
むしろ、もしも記事にあるように、30歳にして仕事に関しての理想論やあるべき論が語れるのであれば、実はそれってものすごいことだと思うんですよね。
それこそがリーダーの視点でしょうし、時に管理職の視点だと思うわけです。
以前にやったのと同じようにやればいいや、というのが私のような、具体的には進められるけれども、ビジョンはない人間の思考です。
確かに、30歳という比較的若手が、理想やあるべき論を語っていると、「じゃあ、それを実現するために君は具体的に何をするの?」というのは問わなければならないでしょうし、答えも持っておかないといけないことだと思います。
そういう意味では、理想だけを語って現場のことは何にも分かっていないんだから、とうんざりしたり、あきれたり、するというのも確かにわかります。
「しかし具体的にはここまでしかできないので」とか、「ここまで実現するのは難しいので」とか、「こうすればできると思っている」いう考えを持っていれば、最高だと思います。
でも、一歩引いて考えなければならないのは、では理想やあるべき論を持たずに、具体的に実現可能なことしか考えない人に関して、それはそれでいいのかどうか、です。
それもよくはない、ですよね?
でも、結構そういう人、管理職の中にも多いですよ?
私は、そういう人は必要だと思いますし、だからこそ私もやる仕事があるわけです。
ですので、まったくダメだということではないと思います。
ただ、そこから新しいものは生まれないですよね。
改善はできても、革新はないです。
で、たまに思うのです。
理想論やあるべき論を語る人の意見は確かに、耳障りですし、きれいごと言うなと思いますし、面倒くさいとも思いますし、とにかく別に聞きたくはないのですけれども、時に本質をとらえていて、はっとすることもあるのです。
30歳に限らず、理想論やあるべき論は語るけど、リアリティがない、というのも確かによくはないと思うのですが、具体化はできるけど理想論やあるべき論がない、というのもまたよくないのではないでしょうか?
特に、仕事で出世したいぞーと思うようなビジネスパーソンにとっては。
私は、セミリタイアの理想論を個人的に掲げて、日々頑張っております。
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