親ガチャを考える



昨日に引き続き、親ガチャの話です。

要は、子は親を選べない反面、親次第で子の運命が決まってしまう、という話です。

確かに、親の経済力や子育てへの関心、考え方などは確実に子どもの人生に影響するでしょう。

そういう意味では、親ガチャって言い得て妙だなと思いますし、私は間違いなく当たった方でしょうね。

人生の成功を何を持ってそう定義するのかは知りませんが、人生は後になる方が逆転は難しくなるとは思います。

特に、学歴というもので進路の幅がある程度決まってしまう社会において、ああもっと勉強していい大学に入っておけばよかったって大人になってから思うこともあるのでしょう。


世間の受け止め


面白いなと思うのは、私が20代くらいのときは、いい大学に行けば幸せな人生を送れるなんてもはや幻想だ、みたいな論調があったんですよね。

今必死に勉強して、いい大学に入ったらいい会社に入れて、そうしたら幸せな人生が送れる。

そんなことはないですよ、会社は潰れるかもしれないし、リストラされるかもしれないし、いい大学に入る意味ってなんですか?みたいな論調は確かにありました。

いい大学に行っていい会社に入れば幸せだなんて常識を疑え、ってな風潮は確実にありました。

10年くらい前には、著名YouTuberが、好きなことをして生きていく、みたいなことを言う広告が流れていたこともありました。

世間においてはそれらの価値観が確かにあって、それも正しいかもしれない、とされていたのも間違いありません。

で、今となっても何が正しいかはよくわかりません。

ただ確かなのは、それなりの学歴があった方が、世間に名の知れた会社には入りやすいのはこの20年くらいは変わっていないということです。

親がもっとこうしてくれていたらよかったのに、と文句を言う人はいますが、そういう判断も含めて親ガチャと言われたらそうかもしれませんが、それって本当に誰もわからない世界ですから、完全に親のせいでもないよなと思うんですよね。

虐待されていたとか、機会すら与えられなかったというなら、親のせいだとは思いますが。

そんなことを言えるのは、私が親ガチャに当たったからだ、という批判はあるでしょうし、それはそうかもしれませんけどね。


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