円安とセミリタイア



さて、今に始まった話ではないですが、為替がかなりの円安になっております。

 

現在の金融政策の影響が大きいのでしょうが、日本という国の将来の見通しがあまり良くないということも間違いなく影響しているでしょう。

 

物価の上昇も身近に感じられますが、それは日本の経済が成長しているからというよりかは、そもそもモノを輸入してくるコストが上がっているからという影響が大きいと思われます。

 

本来であれば、物価の上昇に合わせて賃金も上昇していき、それによって生活水準が下がりすぎることなく経済の安定やあわよくば成長につながっていく、というのが理想ですが、どうもそうはなっていないというのが実感です。

 

政府も企業も何とかして賃上げを実現しようとは努力しているようですが、その恩恵を受けられていない人というのがまだまだ多くいるのが現実でしょう。




私の資産への影響


 


そんな為替の影響を受けて、私の資産も一部の株式や外貨なんかは日本円換算では資産額が上昇していますが、その一方で例えばドル換算をすると、保有している日本円の価値は下がっているのが実情です。

 

預金金利も微々たるものですから、そこで資産が増えていくこともあまり期待できません。

 

そういう為替リスクを小さくするために、資産は現金で持ちすぎることなく、投資や場合によっては外貨を持つことで対応するべきということはずっと言われていることではありますが、実際問題として資産が目減りしているように見えますので、それは一つの不安の種ではあります。

 

私の場合はまだ会社員として働いていますから、月々のお給料やボーナスによるキャッシュインが期待できますのでそういう意味で資産を増やすこともまた可能ではありますが、もしもリタイアをしてしまってそのキャッシュインが期待できなくなっていたら、今よりも強い不安を覚えるのではないかと思います。




資産が減ることは悪ではない


 


そもそもとして、子孫代々受け継いでいかなければならないとかでなければ、資産は永遠に増やし続けなければならない、増やし続ければいいというものではなくて、資産をしっかりと使いながら楽しく生きるということが大事なのだと思います。

 

相続やらあとに残される人のことをいったん無視すれば、死んでしまう際には自分の資産を使い切っていても何も問題ないわけですから、資産が減ることを過度に恐れる必要はどこにもありません。

 

そうは言っても、資産が減ることをうれしいと思う人はいないでしょうから、ただどんどんと資産が減っていってしまう光景を目にすればそれを不安にも感じるのも無理はないだろうと思います。

 

資産運用のシミュレーションは可能ですが、その通りに行くかどうかも誰にもわかりません。

 

よく、自分は何歳で家族構成はこうで、こういう将来の計画があって、自分はどういう生き方をしたらいいだろうか、リタイアしても大丈夫だろうか、なんていう相談にフィナンシャルプランナーが答えているウェブ記事を目にします。

 

まずは自分で試算してみればいいのにとは思う人もいるかもしれませんが、とはいえ自分だけでは抜けてしまう視点もあると思いますから、いわゆる専門家の意見も聞いてみたいというのは大切なことだと思います。

 

ただし、それでもあくまでもシミュレーションでしかありません。

 

生きていく上で、何かしらの影響で気分が盛り上がったり、あるいは自暴自棄になったりして、予想外の出費が発生してしまうということもあると思いますし、想定したとおりに何事も進んでいくということは人生においてまずあり得ません。




お金があるからお金の心配をする


 


もちろん資産が10億円もあれば、よほどの散財をしない限りは遊んで暮らすことは可能でしょうが、そんな資産を持てる人なんてのはほとんどいないわけですから、結局のところお金の心配というのはついて回ることなのだろうと思います。

 

そしてそれは恐らく、小金持ちというか、資産形成をした経験のある人ほど、お金の大切さや資産を増やすことの難しさを知ってしまう結果、資産が減ることに対してより不安を覚えてしまうということもあるのではないかと思います。

 

逆に、裕福ではなくてもある程度自給自足に近いような形で暮らしていけている人にとっては、その不安は小さいものになるのではないかと勝手に想像しています。

 

後者の場合は、そもそもお金がかからない生活をしているということも大きいかもしれませんね。

 

私自身、自分なりのシミュレーションをしながら、いつぐらいには十分な資産形成ができるのだろうか、いつぐらいまでは働かないといけないだろうかということを定期的に検討しているのですが、最近の円安傾向や物価上昇を見ていて、そのいつまでという時期を後ろ倒しにしなければならないのではないかと思うようになりました。

 

つまるところは、これまで自分が想定していた資産額では自分の人生に対応できないかもしれない、あるいはさらにいって、そもそも自分の資産が減ることに対しての不安が強い、ということを考え、感じているのではないかと思います。

 

もちろん、確実な不正解はあっても、正解はない問いなのですけれどもね。

 

独り身であれば、なにがあっても自己責任で話は片付くのかもしれませんが、家族がいると家族に対する責任もありますから、そのあたりはしっかりと考えないといけませんね。




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田舎への移住理由



ちょうど、会社を退職した先輩の話を書いたので、以前から感じていたことを。

セミリタイアを目指している中で、その願望が特に高まった際に、田舎暮らしとかweb検索して、いわゆる田舎に移住して暮らし始めた人たちの話を目にする機会が多くあります。

 

過疎が進む地域における移住促進のために、自治体のホームページなどでもその地域に移住してきた人たちの動機や経験、その後の生活などを取り上げているページがあると思います。

 

そして、自分の身の回りにも、決して多くはないですがそういう暮らしを選ぶ人が出てきましたし、そういうサイトを読み漁っていると、中学高校時代の同級生が載っているのを発見するなんてこともあって、懐かしく思うこともあります。




違和感

 



移住を決めた動機については人それぞれなのはもちろんなのですが、それなりの頻度で目にするのは、それまで都会で暮らしてきていて、たくさん稼いで、いい車に乗って広い家に住むのが幸せだと思っていた、でもそうではないと思いなおして田舎への移住を決めたという話です。

 

当然に、いい車とは何か、広い家とは何かという定義づけは必要ですが、これらは経済的な価値としてのいい車、広い家、ということで考えるべきでしょう。

 

私はこの手の話を読んでもあまり共感ができません。

 

なぜならば、自分自身、都会と言われるエリアで暮らしてはいるものの、別にいい車に乗って広い家に住むのが幸せだと思ったことがないからです。

 

もちろん、いい車というか自分の乗りたい車に乗りたいとは思っていますし、住みやすい家に住みたいと思っています。

 

お金が腐るほどあれば何も考えずに高級車を買うかもしれませんし、広い家を買うかもしれません。

 

ただ、極端な話、何のために必死に働いてお金を稼いでいるのですが、という問いに対して何と答えるのかと問われた場合に、いい車に乗って広い家に住みたいから、とは私は答えないだろうということです。

 

それはすごく漠然とした答えだからです。

 

しかしながら、ホームページに載っていることを考えるに、世の中にはそういう答えをする人がいるように一見は思えます。




漠然とし過ぎている


 


幸せとは何かというのは人それぞれだと思いますので、好きな高級ブランドを身に付けたいと思う人もいれば、アイドルの推し活をしたいと思う人もいれば、とにかく毎日おいしいものを食べたいと思う人もいるのは分かります。

 

ですので、色々な幸せがあることは理解はできます。

 

で、ここからなのですが、実際に、いい車に乗って広い家に住むのが幸せだと思っていた人たちの中で、実際にどれくらいの人たちがいい車に乗って広い家に住んでいたのだろうか、と思うのです。

 

もう少し分かりやすく言うと、アイドルの推し活をするためにお金を稼いでいますという人は実際に推し活をしているわけで、幸せを感じるということもできています。

 

でも、いい車に乗って広い家に住むのが幸せだと思っていた人は、そもそもいい車に乗って広い家に住んでもいないのではないか、つまりそもそもそれらを保有する幸せを感じていないし、それを保有するために頑張っていたわけでもないのではないか、と思ってしまいます。

 

それなのに、それが移住の動機になるのはちょっと変じゃないか、と思います。

 

家は少し別かもしれませんが、本当に車が好きな人は、どれだけお金がかかっても、なんとかそれを買おうとすると思いますし、買えなかったとしても買いたいという思いは持ち続けるだろうと思います。

 

だからこそ、それまで都会で暮らしてきていて、たくさん稼いで、いい車に乗って広い家に住むのが幸せだと思っていた、でもそうではないと思いなおして田舎への移住を決めた、というのは嘘なのではないか、さすがにそんなに頭の悪い人はいないのではないかと思うのです。

 

ここで透けて見えるのは、お金はそんなに重要なものではない、お金よりも大切なものが移住で手に入るんです、ということを何とかして主張しようとするプロモーション的な姿勢です。




無理矢理な価値観の否定?


 


自身も、お金が人生の全てだとは思いませんが、お金は人生において重要なものだと思っています。

 

なぜならば、お金があることで自分がやれることの選択肢を広げることができることは間違いないからです。

 

お金が全てではないことには完全に同意ですし、移住をすること自体も全く否定はしませんし、色々な形の幸せが世の中に存在していることは間違いありません。

 

何のためにお金を稼ぐのだろう、しかもこんなにストレスをためて、と考えることは多くの人がすることなのかもしれないと思いますが、その場合はやはり、何のためにをはっきり理解していないという状況であって、そういう人は多いかもしれないと思います。

 

しかし、いい車に乗っていい家を買うためにお金を稼ごうという漠然とした目標を持って働いている人、という人はまだ社会人歴が短ければあり得るかもしれませんが、それなりに働いてきた人でそんな人はいないのではないか、と思います。

 

そんな漠然とした目標を持っている人なんてそんなにいないのではないかということで、例えば自分は必ずフェラーリに乗るんだ、と思ってお金を稼いでいる人は、明確な目標がありますからこのカテゴリーには入りません。

 

周りがお金を稼いでいるから自分もお金を稼ぐことがとても大事だと思っていたけれども、そうでないことに気付いた、というのであればもっと真実味があるような気がするのですが、それが急にいい車に乗っていい家に住むことが幸せだと思っていた、というのはちょっと違和感があって共感ができないなと思います。

 

自分はフェラーリに乗りたいと思ってがむしゃらに頑張ってきた、しかしある時にふと気づいたがそれは違うと思ったから働き方や住む場所を変えてみました、というのであればまだ真実味があるような気がします。

 

まあ、個別ブランド名をそういうところでは出せないというのはあるかもしれませんけれども、フェラーリが欲しい人と思っている人が、あきらめて田舎に移住するとも思えません。

 

単純に、移住をすることで自分が大切な価値観の実現により自分のリソースを使うことができると思ったという訴求の仕方をすればよくて、そこで変に、別の価値観を否定する必要もないのになと思います。

 

そうしようとすることで、むしろそれっぽいけれども違和感のある理由を無理やりひねり出してきているような気がします。

 



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貴重な時間の使い方



昨日のブログとも関係するつぶやきです。


以前にも似たようなことを書いたような気がするのですが、1年に1度しか夏という季節がないのだとしたら、私が今後の人生で感じることのできる夏はあと50回もないかもしれません。

 

夏というのであれば一応、2か月間くらいはあると考えられるかもしれませんので、夏の1日という意味ではもっと日数はあるのだと思いますが、それでもある夏祭りについて考えるのであれば、やはり夏の回数分しか出会えることがないわけです。

 

自分の運命については誰しもが知る由はありませんが、重い病気にかかっているという自覚がない人や何かしらの極限状態にはいない人の場合、今日や明日が自分の人生最後の日であるという認識を持つことは稀でしょう。

 

最後の日かもしれないと思うことはあっても、その可能性は限りなく小さいのではないかと思うのではないかと感じます。

 

かのスティーブジョブズは、朝に鏡を見て、今日が自分の人生最後の日だったとしたらと問いかけていたという話を聞きますし、そういう心構えを持つことは大事なのかもしれませんが、現実問題としては本当にそういうことを真剣に悩み始めると精神状態が持たなくなるでしょうから、むしろそういう風には考えないように脳が働いているのではないかとすら思っています。

 

不安要素でしかないですし、不必要な不安は持たない方が精神衛生上いいはずで、人間の体はそのようになっているのではないかと専門家でもなんでもありませんが思っています。




しかし現実は


 

さて、とはいえですが、今日という日は今日しかない、というのは真実でして、我々自身が少しずつではあるものの最期の時に近づいているというのもまた抗うことのできない真実です。

 

だからこそ、なるべく後悔のないように生きていくことが大切だとは思っています。

 

それは決して、後先を考えずに生きるということでも、自分のやりたいことをとにかくやるということではなく、あくまでもなるべく人生を長く、そして楽しく過ごせるようにするために後悔しないように時間を使うということかと思います。

 

それでも無駄な時間も必要ですし、いつでも何でも生産性やうまく時間を使うということばかりに目を向けて過ごすということではないと思います。

 

例えば趣味の時間などは、他人から見れば無意味な時間に思われることもあるでしょうが、本人にとっては大切で、楽しい時間であり、人生に豊かさを与えてくれる時間であると言えると思います。

 

であれば、確かに、もっと生産的に時間を使えばいいのにと他人が思うことはあるでしょうし、時に自分自身がそう思うこともあるでしょうが、その時間を持つことでもしも幸福度が上がっているのであれば、それが自分の人間性の成長に1㎜もつながっていなかったとしても重要な時間であると思います。




意味のある無駄はある


 


ちょうどコロナの時期で、まだ日本ではマスクマスクと言っていたようなとき、確か2021年だったと思いますが、フットボールの大会、EURO2020が行なわれたと思います。

 

その際、スタジアム一杯に詰めかけたフットボールファンが、当然にマスクをすることもなく、大きな声を出してチームを応援していた光景を見た時のことをよく覚えています。

 

この人たちはコロナがどうこうということよりも、自分たちの人生の楽しみとしてフットボール観戦があって、それを奪われることにこそ悲しみを感じる人たちなのではないか、その人生の楽しみを感じられないのであれば人生の意味がない、コロナになろうがそれは関係ない、という気持ちでスタジアムに詰めかけているのではないか、と感じました。

 

フットボールに何の興味もない人から見れば、無謀であり、ばかげた行為と思われるかもしれませんが、本人たちにとっては人生を豊かにする行為そのものであって、なんならそれがあることで免疫が高まってコロナにならないなんてことすらあるかもしれないと思いました。

 

それこそ感情を爆発させて大きな声を出しながら試合観戦していて、ストレス発散にもなるでしょうし、感情的な揺れ動きの刺激もあるでしょうし、コロナが怖いから家に閉じこもっていますという人に比べてもよほど健康的な生活をしているのではないかとすら感じました。

 

私には医学的な専門知識はありませんが、それでもそういう生き方をしている方が実は健康的に生きられるのではないかと思ったのも事実です。

 

もちろん、先ほども述べたように、何でもかんでも自分のやりたいように人生を生きるということをしすぎれば、体や精神にもむしろ負担がかかりすぎてしまって、結果として健康ではなくなり、人生を楽しめないということはあると思いますから、何でもかんでも後先考えずにやればいいということではないと思いますが。

 

そして、そういう自分がやりたいことを余裕を持ってやれるようにしたい、というのは、私がセミリタイアを志向する一つの理由でもあります。

 

会社員で働いている以上は、好き勝手に休暇を取って旅行に行くこともできませんし、それができるようになる定年後には体力が落ちていて思うようにできないなんてことはあり得ます。

 

限りある時間をうまく活用するために、働くべきことろは働き、手を抜くべきところは抜き、楽しむべきは楽しむ、それをやりつつ、うまいことセミリタイアに向けての資産形成を進められればいいなと思っています。


 


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セミリタイア後を考える



たまにですが、ママ友とのランチなどの機会で、休日に妻が子どもを連れて出かけることがあります。

 

そうすると私はフリーな時間を得ることになります。

 

その時間というのは別に長時間ではないのですが、おおよそ数時間くらいはフリータイムが得られます。




意外と難しい


 



で、その時間に何をするのかということが非常に難しいなと思うことがあります。

 

旅行に行くとかはできませんし、もちろんできることも限られてはいるのですが、普段食べたいけれども食べられていないものをここぞとばかりに食べるとか、ジョギングをするとか、趣味にどっぷり浸るとか、昼寝をするとか、YouTubeで見たいビデオを見るとか、いろいろと選択肢がなくはないです。

 

で、そういう環境にいざ置かれると、意外と何をすればいいのか良く分からなくなるというのがあります。

 

当然ながらやりたいことの全部はできないですし、食べたいものなんかも全部が食べられるわけではないですし、あれもしたい、これもしたいで結構バタバタと時間だけが過ぎてしまうということが起こります。

 

フリーな時間が何日間もまとまって与えられるのであればもう少し計画性を持っていろいろと考えを練りながら、これをしようあれをしようというのもできるのかもしれませんが、フリータイムがあっても意外となにもできないということを感じることがあります。

 

となると、私が仮にセミリタイアをしたとして、果たしてその創出されたフリーな時間をどこまで有効活用することができるのだろうかと少し不安に思うこともあります。

 

後ほど触れますが、実はこの思考回路は少し変なのですが、しかしそれでもそう思うと思います。




セミリタイア後

 



また、セミリタイアをした後は、あれもしたいこれもしたいをどんどんやっていくということではなくて、なにかじっくりと楽しめる趣味を腰を据えて楽しむということが必要なのではないかと思います。

 

独身の会社員が休日に朝起きてぼーっとして、スーパー銭湯に行って、コンビニで何か買って、テレビやYouTubeを見ながらお酒を飲んでいるとあっという間にその休日が終わってしまうなんてことが自虐交じりに語られることがありますが、私の独身時代を振り返っても、私も似たような環境だったよなと思うことがあります。

 

独身時代だと、買い物に行ったり、クリーニングに服を出したり、掃除洗濯をしたり、というくらいを追加でやっていたくらいでしょうか。

 

もちろん、どこかに出かけることもしてはいましたが、毎週遠出をするのも疲れます。

 

休日ですので、自分の体や心を休めることが大切だと思うのですが、なぜか休日にも生産性のようなものが求められている気がして、ああ今日は何もしていない、なんて夕方になると後悔するという経験もありました。

 

何もしない時間があるというのは実は素晴らしいことだとも思いますが、そんな時間が多くなると不安にもあるというのがあるのかなと思います。

 

社会人になりたての頃に、学生時代は受験という節目があって、そこを一つのゴールとして進んでいけばよかったのに、社会人というのはそういう明確なゴールが設定されているわけではないのだなと感じたことがあります。

 

それでも社会人であれば、何かしら仕事上のゴールとか、自分で作るのか他人から与えられるのかはまちまちでしょうけれども、何かしらのゴール設定が可能なことはあります。

 

しかし、セミリタイアをしてしまうと、そのゴール設定というのもまた難しくなるのかもなと思っており、自分なりにゴールのようなものをつくっていかないと、目標達成によって何かしらの幸福感を得てきた人にとっては苦痛な時間になるのかもしれません。

 

そして、もしもそうなってしまうと、それはセミリタイアをするということが目的になってしまっているのかもしれません。

 

何らかの目的を達成するためにセミリタイアという手段を取る、という流れでであるべきだと思っています。

 

今の私の場合、仕事上での過度なストレスから逃げるためにセミリタイアをするということであれば、その目的が達成された以上は、セミリタイアをしている時間の使い方というのは大きな問題ではないはずなのですが、セミリタイアをしたらしたで、では次にどうしようか、ということを考えざるを得なくなってしまうのかなとは思います。

 

哲学ではないですが、何のために生きているのか、ということは考えてしまうのではないかと思います。

 

でその際に、なにかじっくりと楽しむことのできる趣味をいくつか持っておくというのは大切だと思っています。

 

いや、スポーツ観戦は好きなので、それを趣味として持っておくというのはあるのですが、ひいきのチームが負けるとめちゃくちゃストレスがたまります。

 

他にも、適度に運動をしたり、凝った料理を作ってみたり、旅行に行ったりと、いろいろとやりたいことがないわけではないですが、それらも含めて、自分って生きてるなあと思えるような何か、そういう刺激がないと結構辛いのではないかと思ってしまいます。

 

改めてですが、無駄な時間があることは決して悪いことではないと思っているのですが、自分の人生が無駄だなと感じてしまったら、精神的に病みそうですからね。

 

かといって、予定を詰め込んで、無理に忙しくすることがいいとも思いませんけれども。

 

ないものねだりでしょうかね。




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会社を辞めた先輩



私が勤める会社の同僚で、まあそこそこ順調に出世もしていた人が会社を辞めました。

 

そもそもがご夫婦でお子さんもいて、東京で暮らしていたのをお二人で話し合って自然の豊かな近隣県で移住のような形で暮らすようになっており、その方は引き続き東京に遠距離通勤をされていたのですが、この度単身赴任を伴う転勤になったということでそれは嫌だと退職されました。

 

ご夫婦で話し合われた結果として、移住を決断されたのも、仕事場が東京であるから東京で暮らす必要はないんじゃないかということがあったようなので、単身赴任を伴う異動というのは恐らく我慢もできなかったのでしょう。

 

そもそもの価値観の話ですね。




気になる会社の対応


 


この話を聞いたときに、会社としてなぜ単身赴任を伴うような辞令を出したのだろうかというのはまず気になりました。

 

もちろん、会社が一社員の思いを全てくみ取ってかなえていくことは不可能ですので、誰かを特別扱いするということが難しいというのは良く分かります。

 

人事異動も玉突きで起こる場合がありますから、その流れの中で致し方なく、単身赴任を伴う辞令になってしまったのかもしれません。

 

ただその一方で、遠距離通勤をしてくるその方に対して、仕事云々ではなくて、遠距離通勤という点に全ての人がいい心象を持っているわけではなかったという話を聞きますので、その当てつけとしての人事だったのではないかという気もしなくはありません。

 

ご本人としても、遠距離通勤は大変そうではあったというのも確かですが。

 

最近は働き方改革であるとか、柔軟なワークスタイルと推進だとか言われますが、そうは言っても全てをその言葉で片づけるのは難しいのでしょう。

 

オンライン経由で仕事をすることは確かにできますけれども、やはり場合によっては物理的に会うことでの会話の方がより便利で効果的なことはあると思っています。

 

現場主義というのは大切なことであると、私も良く分かりますし感じますし、全ての仕事がオンライン経由で効果的にできるとは言えないと思います。




変わる時代

 



それはそうとして、今回の話を聞いて思ったのは、10数年前であれば、単身赴任になるからという理由で会社を辞める人はもっと少なかったのではないかということです。

 

家族を養うためには仕方がない、と考える人が多かったのではないでしょうか。

 

この方の場合もともと、思うところがあって東京から移住をされていたという背景もあって、そもそもそこの心持ちから違っていたという事例とも言えるかもしれませんが、同じような考え方をする人が最近増えていたとしてもそれは不思議ではないとも思います。

 

いい悪いということではなくて、働き方に対するマインドが変わってきている、と言ってもいいのかもしれません。

 

特にやはりコロナ禍の影響が大きいのでしょうか。

 

当時も、どうせ出社しないならばと、大都市圏から離れて住む決断をする人がニュース記事になる機会を何度か見た記憶があります。

 

また、リモートワーク環境に強制的に入らざるを得なかったことで、家族の形について考える機会が増えたという人や、自分らしく生きるとはどういうことかを考えるきっかけになったという人も知っています。

 

仕事は人生の全てではなくて、一部に過ぎないということをこれまでよりも強く思う人が増えた結果として、働き方について考えて、より柔軟な働き方を志向する人が増えたとしても不思議ではありません。

 

家庭を持っている人でも、その家族の了解があれば従来こうあるべきだと思われていた働き方に従わないということも可能ですし、家族でいろいろと考えるきっかけの一つがコロナ禍だったのかもしれません。

 

とはいえ、周りにそういう人がいるとはいえ、多数派なのかと言われると、まだまだそこまで多くはないなという印象は持ちます。

 

なんだかんだで、最近では満員電車で通勤をして、オフィスに出社して働くスタイルが戻ってきていますし、むしろそういうスタイルの方が心地よいという思いを持っている人も多いのではないかと感じます。

 

嫌な上司を顔を合わせたくないから家で働きたいと思うのももっともだと思いますし、家で働いていればサボっていてもばれないからいい、というのももっともだと思います。

 

人間はそんなものです。

 

その一方で、ある程度は社会性が感じられる環境に身を置きたいと思うのもまたもっともだと思いますし、ちょっとした相談はその場でパパっとできた方が効率的ですので、オフィスに出社して働きたいと思う人がいるのも不思議ではありません。

 

色々な働き方の選択肢があっていいと思いますが、そもそもその背景にあるのは、色々な生き方の選択肢があっていいという空気感が世の中にできてきているからなのかなと感じます。

 

 

 

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中年層のキャリア



仕事をしていれば多くの人が、自分のキャリアについて悩むことがあるとは思いますが、管理職であろうがなかろうがその傾向はあって、特に50代前半の会社員の場合はその傾向が強くなると聞くことがあります。

 

私の肌感覚では、実際にはもう少し早く、40代になるころには悩み始める人が増えてくると感じています。

 

それで何年間か悩んで、会社に残ることを選ぶ人もいれば、転職をする人もいいるという印象です。



日本企業の特徴要因


 


個人的な印象も含めての話ではありますが、日本企業の場合、20代や30代前半では同年齢、あるいは同期の間でもあまり給与にも差がつきませんが、30代後半から管理職になる人が徐々に増え始めて、徐々に差もついてきます。

 

40歳代に入ると部長クラスになる人もでてきますので、管理職かそうでないかという差に加えて、管理職の中でも差が出てくるということが起きます。


また、日本企業の場合は、会社の中で部署をまたいでの異動が起きることも多いですが、おおよそ40代にもなってくるとそれまでの経験や評価を考慮した異動先となる傾向がより強まる印象です。

 

つまりは、20代の若いころであれば、別の部署で成果を出した結果として花形部署に異動ということも、その人の可能性を信じた上でそれなりにありえるわけですが、40代になっていきなりその花形部署に来る人というのはよほどの何かがある人に限られる印象です。

 

結果としてですが、20代の頃はこういう部署に異動したい、こういう仕事がしたいという思い、あるいはずっとこの部署にいたくない、という思いが強めにある中での異動希望が生まれていたとしても、40代にもなってくると、自分がどれくらいの出世をするのか、自分の今後のキャリアがどのようになっていくのかというのがなんとなく想像できるようになってきている上で、どうしようかを考えられるようになってきます。

 

50代が近づくころにはより一層、確度の上がった想像ができるようになりますので、今のまま会社にいたとしたら、定年までに自分はこういうポジションまでは行ける可能性があるだろう、こういう仕事をすることになるだろう、がより見えるようになってきます。




中年層の一発逆転は少ない


 


人事は自分で決めることはできませんから、決定権のある人に委ねなければなりませんが、40代や50代にもなると、サプライズ人事というものはほぼ存在しないと思います。

 

20代や30代前半であれば、まだ可能性にかけてのサプライズ人事は発生すると思いますし、それはまた人事決定権のある人が、意図してしなければいけないことだと思います。

 

若い時代であれば、この人の可能性に賭けて、何とかして優先してこの人をこの部署に異動させたい、という思惑が働くということです。

 

しかしある程度社会人経験を経てきて、過去の事例が多くあって、周りの評価も固まってきた段階では、人事決定権のある人もなるべく無難に、安全な人事をすることが多くなると思います。

 

色々な人事異動が固まってきた後で、玉突き人事のような調整弁になる傾向が大きいと思います。

 

とは言っても、たとえ40代であれ50代であれ、何か大きな成果を出してきた人であれば抜擢人事やサプライズ人事は十分にあり得ると思いますが、それはあくまでも、誰しもが認める大きな成果を伴っているという状況においてですし、そんな状況に入れる人というのは稀です。




想像できるから悩む



 

だから、年齢を重ねてきた会社員にとって、会社人生の折り返し地点くらいでは自分の今後が見えるようになってきてしまい、だからこそモチベーションが低下することもあれば、キャリアに悩むという機会も多くなるのでしょう。

 

私の場合も、次の異動でこういう部署には絶対に行かないだろうなという部署は容易に想像できますし、以前も書いたように思いますが、次にこういう部署に行ってしまうと自分のキャリアはこういう方向に進むことになるだろうな、その可能性が高いのだけれどもそれは自分にとって幸せなのかな、と考える機会も多くなります。

 

だからこそ、仕事のプレッシャーやストレスもあるだろう中で、さらに自分がやりたいと思わない仕事をするくらいであれば、いっそのことセミリタイアをして、もう少し楽に生きてもいいのではないか、と思うわけです。

 

50代にもなると、自分のキャリアや自分の人生を見つめなおす機会が多くなるというのは、自分のその後が想像しやすくなるからそれでいいのかどうかを悩むようになるということであろうと思いますし、またもしも何か新たな挑戦をするのであれば本当に最後のチャンスになるかもしれませんので悩む、というのはとても良く分かります。

 

今のままでいい、自分は幸せだと思うのであればそのままその会社で会社員人生を全うするというのもいい選択肢だと思いますし、そうではない、もっと違うことがやりたいと思うのであればそれに挑戦をするのもまた選択肢の一つなのでしょう。

 

すんなりいかないのは、その挑戦したいことも、実際にはそれまでの経験などに基づいて挑戦できそうかどうかが決まる可能性があるということです。

 

例えば、50歳になるまで営業一筋25年という人がいたとして、いや自分は本当はマーケティングがやりたいんだと思っていたとしても、その時点から他社でマーケティング業務にはつけないと思います。

 

その挑戦はさすがに遅すぎるのです。

 

ですから、本当にそういう挑戦がしたいのであれば、もう少し早い段階、つまりは40代などでその挑戦を開始する必要があります。

 

それでもちょっと遅いと思いますけれども、そういうのが既に40代になるころには見え始めますので、50代ではなくてもう少し早い40代になるころにはキャリアに悩み始めるということなのではないかと思います。

 

 

 


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ミスはつきもの、どう対応するか



あるミスと、それに対する周囲の反応を目撃する機会がありました。

ミスすることを何とも思わないというのはいけないのですが、ミスをすることをあまりにも怖がるあまりにミスが連鎖する、というのもいけません。




私の経験


 


学生時代の部活動でそれを痛感しました。

 

プレイの中で何かミスをした際に、それが明らかに自分の怠慢や不注意である場合は、素早くさっと切り替えることもできました。

 

しかし、自分なりに必死にやっているつもりのに、ちょっとうまくいかないようなプレーになる、そしてそれによって怒られる、ということを経験すると、ミスの連鎖が起きやすかったです。

 

要するに、そのミスの要因がはっきりしていればそれに注意をするということで次からのミスは防げる可能性があるわけで、さっきのはここが悪かったので次からは直そう、という切り替えがしやすいのです。

 

一方で、そのミスの要因がはっきりしていなくて、なぜ自分はミスをしてしまったのだろうかもよく分からないままでいると、今度はうまくいきますようにという祈るような気持ちで、次のプレーをしてしまいます。

 

結果として、偶然にもうまくいく場合ももちろんあるでしょうけれども、ミスはしないようにミスはしないようにという気持ちでプレーをしますので、思い切ったプレーがなかなかできない結果、同じようなミスをしてしまうということがありました。

 

で、また怒られて縮こまるって、またミスを恐れてしまうというところまでがセットです。

 

あるいは、何かプレーの中でミスをしてしまった場合に、それを取り返そうとはするものの焦ってしまうことで、次のプレーが雑になったけっか、ミスがミスを呼ぶということもありました。

 

別に本人としてはそのミスをしようと思ってしているわけではなく、ミスをしてしまった、取り返さなきゃという思いで次のプレーをしているだけなのです。

 

冷静になって考えれば、ミスをしてしまった以上そのミスを取り返すことは非常に難しく、であればそのミスによる傷口を広げないように慎重に次のプレーをするというのが正解なのでしょうが、なかなかそんなに冷静に状況を分析してられないというのが本人の心中です。

 

プロのスポーツ選手を見ていても、たまにそういうミスがミスを呼んでいるようなプレーを見ることがあります。

 

何度も反復練習をしながら素晴らしい技術を持っているプロであっても、状況によってはそうなってしまうということなのだろうと思います。

 

まあそれこそが、メンタルが大事と言われる理由であり、また人間がやることの怖さであり面白さでもあるのでしょう。

 




我々の人生そのもの




こういうことはもちろん、スポーツの世界に限ったことではなく、会社員として働いている上でも起こりえることですし、普段何気なく生活をしているだけでも起こりえることです。

 

資産形成のための投資活動などをしている人であれば、人が損をした時に、次はその損失を取り戻すくらい大きく儲けてやろうとした結果として、より損失を拡大させるなんて話も聞いたことがあるはずです。

 

それもまた冷静に状況を見られていないことから起こってしまうことなのではないかと思います。

 

最初の損失の時点で止めておけば、そこで損失はいったん止まるのに、そこで焦って取り返そうとするからより損失が拡大するというのは、ミスがミスを呼ぶということに他なりません。

 

そういうのを避けるためにも、投資は短期目線ではなく、長期目線でというのも、短期的な損失は気絶して忘れておけばむしろ損失規模は小さくなる、むしろ利益になるかもしれないんだから短期で一喜一憂するなということなのかなと思っています。

 

まあ、最初の入りを間違えてしまうと利益を生むことは難しいのかもしれませんけれども。

 

人間ですのでミスはしますし、場合によってはそう意図していなくてもミスがミスをよんでしまうこともあります。

 

ミスをするということは何か動いているということだと思いますので、いったんその動きを止めて冷静になってみる、ということが大切なのは間違いありませんが、組織の一員として働いているのであれば周りに相談をしてみるというのも非常に効果的です。

 

自分は大きなミスだと思っていても、周りからしてみればよくあることで焦らなくていいミスであることもあるでしょうし、ミスの挽回策を知っている人がいるかもしれません。

 

そういうのもありますので、組織で動く以上は、ミスをした人がそれを隠してしまうような環境ではなくて、積極的にそのミスを開示してくれるような環境にしないといけないというのは正しいのでしょう。

 

ミスをすると怒られる、詰められる、それが恐怖になっているという環境では、ミスをしたことを他人に共有したいと思う人は少なくなるのは間違いありません。

 

ミスをしないに越したことはありませんが、ミスをしたとしても、それをしっかりと周りに公表できる環境づくりをするというのが組織のメンバーや、特に上層部の人には求められるのかもしれませんね。

 

ミスそのものを責めることは必要ですが、ミスを隠したくなるような環境は良くありません。



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セミリタイア後の過ごし方




よく話題になっていることのような気がしますが、定年後の退職金を銀行員に言われるがままに投資信託などに投入し、含み損が出ていて困ったというようなニュースがあります。

 

聞いた話ですが、退職金が口座に振り込まれたら、当然に銀行はすぐにわかるみたいで、支店長から挨拶をしたいなんて電話がかかってきて、個室に招かれて特別扱いを受けている感覚を持ったまま、あれよあれよと銀行側に話をまとめられて結果として勧められるがままに投資信託を購入してしまうということはまあそれなりにあるみたいです。

 

銀行側が勧める投資信託が実際に上がるのか下がるのかというのは運もありますから、一概に銀行が損をする投資信託を進めているとは言えないと思いますが、それらの商品は手数料が高めで、銀行が儲かる仕組みになっている、ということは耳にします。

 

本来であれば、手数料が多少高かったとしても、それを購入しているお客側も儲けることができていて、ある種のWin-Win関係性をつくることが理想なのだと思いますが、そこに銀行側のノルマみたいな話が出てくると多少お客が損をしても構わない、銀行が儲けられたらそれでいいという思考が入ってしまうのでしょうか。

 

投資信託の価値が下がっているから、何が起きているのか知りたい、運用商品を変えたいと銀行側に問い合わせても、担当者が異動したとか、もう少し待てば大丈夫なんて言葉でのらりくらりと交わされるという話もよく耳にします。

 

それがすべて真実かどうかは分かりませんけれども、仮に真実だったとして、背後にあるのは知識や情報の差なのだろうなと思います。




退職に向けた準備

 



そもそも退職金を手に入れるまで、投資について何も経験がないから、専門知識のありそうな銀行が勧めるがままに投資信託を購入するということが起きるのだと思います。

 

老後資金が心配という気持ちは分かりますし、恐らく銀行側もその不安をあおるような形で、では退職金を元手に増やしましょうという勧誘をするのだと思いますが、もしもその退職時点で老後資金が心配なのであるならば、退職金は虎の子であり、絶対に減らしてはいけない、注意深く使っていかなければいけないお金のはずです。

 

それを増えるかもという可能性に賭けてしまうのはちょっとギャンブルが過ぎるよなと思います。

 

要は、老後資金が心配ということは前々からわかっていることであるはずなので、もっと前から投資についてはある程度の経験や勉強をしておくべきところをしなかったツケだったり、それまで資産形成をしてこなかったことが、退職金の使い道を銀行に一任してしまうということにつながってしまうのではないかと思います。

 

いえ、もちろん、長年真面目に働いて人生を過ごしてきて、それでも老後資金に不安を覚えることがあるのは分かりますし、その真面目さを否定することもできないですし、自分たちの手数料欲しさに商品を進める側がより悪いと言えばそうなのですけれども。

 

ただ、いざその時になってバタバタするのはあまり良いことではないですよ、というのは思います。

 

そんなことを言う私が、じゃあ保険についてはどう考えているんだとか、人生のリスクヘッジ戦略はどうなっているんだということを尋ねられるとほとんど何も準備していませんから、偉そうに言う資格はないのかもしれませんけれどもね。



 

お金の話


 


確かに日本人はお金について大っぴらに議論を交わすことがあまり美徳ではないと思っている節はあり、上司や同僚との間での資産形成具合の情報交換もあまりしないということも知識不足に拍車をかけているかもしれません。

 

まあ、個人的にも上司や同僚とするのに、あまり面白い話でもないかもしれないとは思っています。

 

話をしていて、今の自分の資産はいくらでと得意げに話をする人はいますが、それを聞いていても面白くはないですからね。

 

同じ年代の相手の方が自分よりも資産形成が進んでいるじゃないかと感じた日にはそれこそ面白くないです。

 

それって、ただのつまらないプライドの話でしかなくて、別に資産が多ければ偉いというわけではないというのは分かっていますけれども、やっぱりそこには競い合いの変な気持ちが入ってきてしまいます。

 

なんというか、もしも自分の資産が10億円だったとしたら、それはもう十分な資産規模なのですけれども、他の人が15億円持っていますという話を聞くと、悔しいというか、負けたと感じるというか、そんなイメージです。

 

そこでたとえ負けていたとしても、自分の人生においては十分すぎるほど十分な資産規模で合って何の問題もないと思うのですけれども、なぜだかその満足感よりも、敗北感を感じてしまうということです。

 

そういう気持ちになる人が果たして多いのか少ないのか、よくわかりませんが、少なくとも私の場合は敗北感を感じてしまいそうで、であれば情報交換もしないでいいかとなってしまいそうです。

 

それでも今は、インターネットでいろいろと情報がとれる時代で、顔も名前も知らない赤の他人の資産状況については敗北感を感じることもありませんので、それらで学びながら自分でも試行錯誤をして資産形成をする、ということが良さそうです。

 

 

 

 


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