貴重な時間の使い方



昨日のブログとも関係するつぶやきです。


以前にも似たようなことを書いたような気がするのですが、1年に1度しか夏という季節がないのだとしたら、私が今後の人生で感じることのできる夏はあと50回もないかもしれません。

 

夏というのであれば一応、2か月間くらいはあると考えられるかもしれませんので、夏の1日という意味ではもっと日数はあるのだと思いますが、それでもある夏祭りについて考えるのであれば、やはり夏の回数分しか出会えることがないわけです。

 

自分の運命については誰しもが知る由はありませんが、重い病気にかかっているという自覚がない人や何かしらの極限状態にはいない人の場合、今日や明日が自分の人生最後の日であるという認識を持つことは稀でしょう。

 

最後の日かもしれないと思うことはあっても、その可能性は限りなく小さいのではないかと思うのではないかと感じます。

 

かのスティーブジョブズは、朝に鏡を見て、今日が自分の人生最後の日だったとしたらと問いかけていたという話を聞きますし、そういう心構えを持つことは大事なのかもしれませんが、現実問題としては本当にそういうことを真剣に悩み始めると精神状態が持たなくなるでしょうから、むしろそういう風には考えないように脳が働いているのではないかとすら思っています。

 

不安要素でしかないですし、不必要な不安は持たない方が精神衛生上いいはずで、人間の体はそのようになっているのではないかと専門家でもなんでもありませんが思っています。




しかし現実は


 

さて、とはいえですが、今日という日は今日しかない、というのは真実でして、我々自身が少しずつではあるものの最期の時に近づいているというのもまた抗うことのできない真実です。

 

だからこそ、なるべく後悔のないように生きていくことが大切だとは思っています。

 

それは決して、後先を考えずに生きるということでも、自分のやりたいことをとにかくやるということではなく、あくまでもなるべく人生を長く、そして楽しく過ごせるようにするために後悔しないように時間を使うということかと思います。

 

それでも無駄な時間も必要ですし、いつでも何でも生産性やうまく時間を使うということばかりに目を向けて過ごすということではないと思います。

 

例えば趣味の時間などは、他人から見れば無意味な時間に思われることもあるでしょうが、本人にとっては大切で、楽しい時間であり、人生に豊かさを与えてくれる時間であると言えると思います。

 

であれば、確かに、もっと生産的に時間を使えばいいのにと他人が思うことはあるでしょうし、時に自分自身がそう思うこともあるでしょうが、その時間を持つことでもしも幸福度が上がっているのであれば、それが自分の人間性の成長に1㎜もつながっていなかったとしても重要な時間であると思います。




意味のある無駄はある


 


ちょうどコロナの時期で、まだ日本ではマスクマスクと言っていたようなとき、確か2021年だったと思いますが、フットボールの大会、EURO2020が行なわれたと思います。

 

その際、スタジアム一杯に詰めかけたフットボールファンが、当然にマスクをすることもなく、大きな声を出してチームを応援していた光景を見た時のことをよく覚えています。

 

この人たちはコロナがどうこうということよりも、自分たちの人生の楽しみとしてフットボール観戦があって、それを奪われることにこそ悲しみを感じる人たちなのではないか、その人生の楽しみを感じられないのであれば人生の意味がない、コロナになろうがそれは関係ない、という気持ちでスタジアムに詰めかけているのではないか、と感じました。

 

フットボールに何の興味もない人から見れば、無謀であり、ばかげた行為と思われるかもしれませんが、本人たちにとっては人生を豊かにする行為そのものであって、なんならそれがあることで免疫が高まってコロナにならないなんてことすらあるかもしれないと思いました。

 

それこそ感情を爆発させて大きな声を出しながら試合観戦していて、ストレス発散にもなるでしょうし、感情的な揺れ動きの刺激もあるでしょうし、コロナが怖いから家に閉じこもっていますという人に比べてもよほど健康的な生活をしているのではないかとすら感じました。

 

私には医学的な専門知識はありませんが、それでもそういう生き方をしている方が実は健康的に生きられるのではないかと思ったのも事実です。

 

もちろん、先ほども述べたように、何でもかんでも自分のやりたいように人生を生きるということをしすぎれば、体や精神にもむしろ負担がかかりすぎてしまって、結果として健康ではなくなり、人生を楽しめないということはあると思いますから、何でもかんでも後先考えずにやればいいということではないと思いますが。

 

そして、そういう自分がやりたいことを余裕を持ってやれるようにしたい、というのは、私がセミリタイアを志向する一つの理由でもあります。

 

会社員で働いている以上は、好き勝手に休暇を取って旅行に行くこともできませんし、それができるようになる定年後には体力が落ちていて思うようにできないなんてことはあり得ます。

 

限りある時間をうまく活用するために、働くべきことろは働き、手を抜くべきところは抜き、楽しむべきは楽しむ、それをやりつつ、うまいことセミリタイアに向けての資産形成を進められればいいなと思っています。


 


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