米不足



コメ不足が叫ばれて久しいですが、そんな中で棚田オーナーなる仕組みがあるのを見つけました。

 

家庭菜園の棚田版とでもいうのでしょうか、単純に期待収穫量とそのコストを考えると決して安くはないのですが、自分の手でお米を育てる経験ができるというものです。

 

1口で借りることのできる棚田の広さは決まっていて、何口でも借りられますので、お金と引き換えにある程度のお米を将来的に確保するということは可能そうです。

 

収穫量からみたコストパフォーマンスは決していいものではありませんので、お米が欲しいだけであれば普通にその辺のスーパーで購入したほうが経済的なのは間違いありませんが、一つの経験として、特にお子様を持っておられるご家族ならより一層のこと、きょういくという観点から、非常に興味深い仕組みではないかと思います。

 

これから農家になりたいと言ってこの仕組みを利用する人はいないのではないかとは思いますが、ちょっと畑仕事や田んぼ仕事に興味があって趣味程度にやってみたい、という人にとっても手始めに取り組むのにはいい仕組みだと思います。




知り合いの話



 

私の知り合いには、家庭菜園での趣味が高じて農家に転身された方がいますが、もともとそのつもりはなくとも非常に楽しく感じてそう決断したというように言っておられました。

 

ある程度の職位にまで出世されていましたし、役員にはなれなかったとしてももう少し出世することもできた方だと思うのですが、スパッと会社を辞められたのが印象的です。

 

詳しくは理由を聞くことはありませんでしたが、ある程度の職位になり、毎日のように数字を見ながらいろいろと意思決定をされる仕事の生活に比べて、自分の手で何かを作り上げていく楽しさのようなものも感じられたのではないかと勝手に思っています。

 

勝手に思っているというのは、私がそう感じているからに他なりません。

 

大きなお金が動くダイナミックな仕事というのももちろんやりがいはあると思うのですが、地道にコツコツと積み上げていくような仕事にもやりがいはあります。

 

時に仕事は社内向けの資料作成やレポーティングにもなりがちで、それはそれで大切な仕事でもあるとは思うのですが、何かを生み出している意味のある仕事としては捉えにくくなる状況もあります。

 

それよりかはたとえ地味で小さな仕事、時にはあまり注目されないような仕事であっても、自分が主体的に動けて、自分で育てているかのような感覚を持てる仕事、のほうに楽しみを感じやすいというのはあると思います。

 

作物づくりというのはまさにそれそのものですし、目に見えてダメになることもある一方で、成長を見た眼で実感できるということもあり、自分の作業の成果が非常にわかりやすい、という点はデスクワークに比べれば格段に自分のやったことも結果を感じやすいと思います。

 

それなりのポジションで年収もよかったと思いますが、仕事からくるストレスももちろんあったでしょうし、本社部門におられたのでいわゆる現場からは遠いところにいて、現場のことも分かれとは言われるが、そんな時間はないというような環境の中、趣味の一環であった家庭菜園に面白さを感じていたというのは分からなくはないどころか、よく分かります。

 

もちろん、それを趣味ではなくて農業という仕事にするとなれば、自然を相手にしなければならなくなり、まったくもって楽なことはありませんし、それで生計を立てていくとなればむしろ厳しいことだと思いますが、恐らくは既にガッツリ稼いで資産形成をされていることと思いますし、お子様ももう大きくなっているということなのでそのあたりの一種の保険はあるのだと思います。




農業の可能性

 



私は農業そのものを生業にしたいとは思いませんが、大規模で効率的な農業をできる環境が日本社会に整えば、日本の食料自給率は上がるであろうと思っていますし、もちろん今は過去からのあるいは組織的なしがらみがあって実現することは難しいことであるともわかってはいますが、日本のため、ということを考えるとありえなくはない選択肢だなとも思います。

 

田舎の方に行くと、余らせた耕作地に太陽光発電のパネルを設置している光景も多く見ますし、それで儲かるのであればもちろんなにも否定はできませんが、そういうところでなにかしら効率を上げた大規模農業をすれば、地域の活性化にもつなげながら、日本という国への貢献にもなるのになと思っています。

 

 


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大手製薬会社のリストラ計画



国内大手製薬会社が日本国内でリストラを検討しているというニュースがありました。

 

数年前にも実施している中で今回さらにということのようです。

 

本社は国内にあるものの、売上比率でみれば9割方が海外であり、詳しくは調べていませんが利益を生み出しているのも海外ということなのでしょう。

 

私の古くからの知り合いで非常に優秀な知り合いもこの会社で勤めているのですが、当時から非常に大きい企業でしたし、私が就職活動をしていたころも安定した優良企業という評価であったと思います。

 

特に製薬会社はMRと呼ばれる営業部隊がこれまで活躍をしていた中で、そのMRも人員削減対象になっているようです。

 

話を聞くだけでも、お医者さん先生に対しての営業活動というのは楽ではない仕事だと想像できるのですが、薬の情報提供は対面ではなくてオンラインが手段として台頭するなどしていることもあり、そもそもの業務の必要性のようなものも問われているようです。

 

とはいえ対面の大切さというのは馬鹿にはできないと思うのですが、時代の流れはそうなのでしょう。




経営資源の効率活用


 


そんな中で、経営上、数字へのインパクトが小さい日本国内において、人員リソースを抱えているのは非効率的だという見方は出てきていたでしょうし、だからこそのリストラ策なのでしょう。

 

日本の重要度が下がっている、という点は、日本人としては少し寂しい思いがありますが、企業として日本国内だけでは生き残っていけないと判断したからこそのグローバル拡大であったでしょうし、その意思決定そのものが間違っているとは思いません。

 

MRでの営業の経験や知見はほかの業界でもそのまま活かせるところはあるだろうと思っているのですが、そういう転職ができたとしても年収ダウンなどは避けられないということもあるようです。

 

これは単純に本人の能力云々というだけではなくて、どの業界、どの企業で勤めているのか、で年収が左右されるのと同じですね。




特別加算金


 


その一方で、特別加算金として最大60か月分の給与が支給されるという情報もあり、管理職であればかなりの額が加算されるのではないかということも書かれてありました。

 

それだけ加算金を払ってでも人員を削減する方が中長期でコスト抑制の効果があるということですが、それでも退職する人にとってはかなりの額をもらえる人も出てくるということです。

 

確かに、今から10年間勤めていれば10年後に振り返った際にはその倍くらいの金額をもらえるということは確かにありますが、そうであっても今貰える金額だけを考えるとうらやましいと思う部分はありますね。

 

記事の中では8000万円くらいもらえる人もいるのではないか、ということが書かれていましたが、それだけあれば単純に80%の現金が手に入るとしても6000万円くらい手に入るわけです。

 

それを投資に回せば、ほぼ確実に年間で100万円以上の不労所得を得られるようにはなるでしょう。

 

それまで全く資産を持っていない人であれば、それだけではとても生活していけないという風にはなるでしょうが、逆にそれまである程度資産を作ってきた人であれば、かなり生活の足しになる不労所得増につながるわけです。

 

であれば、転職によって年収ダウンが起きたとしても、それによって焦る必要もそこまでないのではないかと思います。

 

もちろん、普段からの生活コストが高い人や、ローンを抱えている人にとっては十分なお金ではないかもしれませんし、こういう大手企業の場合、社宅に住んでいる人なんかもいるでしょうから、福利厚生などでかなりいい待遇を得ていたのがなくなってしまうダメージというのはあるかもしれません。

 

また、今あるもの待遇を失ってもいいやと飛び出せる人はまだ若いとか、優秀ですぐに他社での職にありつけるとか、あるいはもう十分に資産形成したとか、そういう人に限られてしまうというのも確かであって、そうではない層の人たちはいきなり放り出されても苦労をするのも確かなのかもしれません。

 

うちの会社、やばいのかな、と残った人の気持ちに不安を与えることもあるでしょう。

 

もちろん、そんな加算金すらもらえずにかつかつの中で日々の生活を送っている人も多くいるでしょうから、単純にうらやましい、という思いを持つ人もいるのはいるでしょうけれどもね。

 

 

 


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手取り15万円論争



手取り15万円で普通に生活できるか?ということが少し話題になっています。

 

私なら、普通をどう定義するか次第ではあるが、できるかできないかの答えであればできる、と思います。

 

それは、毎日朝6時前に起きる日をずっと続けることはできると思うか、という問いに対してと同じであって、あくまでも可能性の問題であれば、できないことはない、と思うからです。




普通とは何か


 


しかしながら、やはりそもそも、では普通とは何かということに突き当たるかなという気はします。

 

手取りでという条件がありますので、社会人でなにかしら働いてお金を稼いでいる、そして恐らくはその手取り額はすべて自由に使用用途を決められるということだと思います。

 

借金があるのかどうかは分かりませんが、仮にないとしましょう。

 

また生活基盤を整えるための初期投資ができるだけの貯金はあるものと考えましょう。

 

住環境については都内であっても、場所や部屋の大きさを注意深く選べば月に5万円以内で住むことも可能です。

 

電気水道光熱費を月に1万円としても、そうなると月に9万円は手元に残ります。

 

そこから衣食の費用をメインに拠出するとしても、よほどの贅沢をしなければ十分暮らしていけると思いますし、スマホを持つこともできるでしょうし、何なら貯金に回すことももできると思います。

 

実際に私の周りでも、一人暮らしでアルバイトをメインに生計を立てている人はいますし、できるか、できないかという点においてはできるのは間違いないと思いますので、できない、という人は努力が足りないと思ってしまいます。

 




できる、か、したい、か




しかし、それをずっとやり続けたいか、あるいはそもそも持続可能か、と問われると、そうしたいとは思わないと答えるだろうと思います。

 

あくまでも、やむなくそうせざるを得ないのであれば、やるだろうし、結果としてはできることではあると思うが、それで満足、それで幸せ、という風には思わない、ということです。

 

そしてそもそも、今からずっとその月に手取り15万円生活が続くとしたら、それは嫌だと思っているとすら言えるかもしれません。

 

ある時点を取り出してその条件であれば別に構いませんが、それが未来永劫ずっと続くということであれば我慢できないということです。

 

実際のところ、私の場合、ほぼ家賃と教育費だけでも、1か月間で生活費を15万円以上使っていますが、もちろん通勤時間や子どもの生活環境などいろいろと考えてはいますが、別に特段の贅沢をしているわけではなく、お財布と生活環境のバランスを取りながらそうしている、ということに他なりません。

 

セミリタイアをした後、配当所得などで月に15万円自由に使えるお金があればかなり楽ではないかと思うのは正直なところですが、それでも別に軽く働いていくらか稼いだうえでの追加の15万円ということになると思いますので、結局のところは25万円くらいを生活費として考えると思いますので、それは私が月に15万円では自分が思う普通の生活はできないと思っているからなのだろうと思いますし、なによりも積み上げた資産があるからこその安心感というのも間違いなく心理的に働いていると思います。

 

恐らくは私以外の多くの人も、可能であれば月の手取りは15万円よりももっと多くあってほしいと思うだろうと思いますし、多ければ多いほどうれしいと思うのではないでしょうか。

 

しかしながら、普通という言葉を、生きていくための最低限は確保された上で少しくらいは余裕があると定義すれば、月に15万円でも生きていくことは可能ですし、月に30万円あれば結婚生活も送ることができると思いますし、子育てだって可能だと思います。




議論の前提



 

ただし、その場合でも、前提はあくまでも今の日本の経済環境においては、という但し書きがつくと思います。

 

この議論の中で、まじめに働いてさえいれば月に15万円以上を稼げる世の中が普通であるべきだという主張はなされており、私もそれにはうなづけるのですが、その主張が見落としているかもしれないと思うのは、月に手取りが20万円が当たり前の世の中になれば、それに応じて物価は上がるだろうということです。

 

実際に、月の手取りが30万円であっても暮らしていくのには困る社会は存在していますし、たとえ日本社会においても、手取りが増えればその増額分は未来永劫貯蓄に回せるとも言えないということです。

 

とはいえ、やはり手取りが増えるに越したことはありませんし、少なくとも今余裕があれば将来のための貯蓄に回せると思いますので、15万円で十分だから我慢しろ、という主張を聞いて、そのままうなづくことは難しいです。

 

どちらかというと手取りを上げてくれ、というほうに賛同しますかね。



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自動車大手の工場閉鎖



ドイツ自動車大手がドイツでの工場閉鎖を検討しているというニュースがありました。

 

ドイツと言えば、自動車産業が盛んで、私も子どもの頃からいくつかのドイツ車の車種名を知っていました。

 

特にEUが成立し、ユーロが導入されてからは、その恩恵を受けたドイツの自動車産業が一層勢いを増すというようなこともありましたが、競争力が維持できなくなってきたということなのでしょうか。

 

EUの場合、環境規制が厳しい、あるいはそういう方針をとろうとしていることでも知られていますが、自動車に関して言えば、電気自動車の導入、100%切り替えを目指した政策をとろうとしていました。

 

背景にある当時の思惑としては、競争力のある日本車のシェアを落とし、欧州内自動車メーカーのシェアを上げるというものが言われていました。

 

しかし実態としては、既にEV大国である中国の自動車メーカーが進出してきてしまい、欧州系の自動車メーカーからシェアを奪っているという話を聞きます。

 

そもそもドイツに限って言えば、ドイツ車の主要な市場は中国市場であり、中国での攻勢をかけつつ、時には中国車がEU内に輸入される際の関税の引き下げをドイツの自動車業界団体が求めるというようなこともありました。

 

そのような意味では、ある種、してやられた、という状況であるともいえるかもしれません。




多くの雇用を生む自動車産業 

 



自動車産業は一般的に、多くの部品を必要とする産業であり、そこで働く人たちの雇用を多く生み出していると言われています。

 

そしてそれがEV化すると必要とされる部品の数が少なくなり、雇用まで失われるということもよく言われています。

 

失われるような雇用であればそれはそもそもがいらない仕事なのだということを主張する人もいまして、一理あるのは間違いないのですが、実際にそういう業界や会社で働いている人からすればたまったものではないというのも間違いありません。

 

雇用を守るためにEV化を進めないのは本末転倒だというような主張も聞きますが、そのあたりもまだ整理する必要はあるのかなと思います。

 

そもそもEV化を進めるべきなのか、雇用を守るべきなのかというのは少し別の軸の話であって、本当であれば、なぜEV化を進めなくてはならないのか、EV化を進める必要があるのか、というところからスタートしてその上で、では雇用はどうするのかというのを考えるべきなのではないかと思います。

 

EV化を進めることがどう考えても社会的なメリットが大きいという話であれば、それはある程度の雇用を犠牲にしてでも進めた方がいいかもしれないとなるのは個人的にはうなずけます。

 

その場合でも対象となる人からしたらたまったものではないのですけれどもね。

 

素人の私からすれば、なにかしら培った知識や経験は必ず別の業界や別の業界のためのビジネスで活きるはずだと思いますが、そんな簡単に言ってくれるなよと思われる内情知らずの意見なのでしょう。

 

ドラマの中であればそういうことも起こるのでしょうけれども、あれはあくまでもドラマの世界だからなのでしょうか。

 

自動車という、安全性や正確性が求められているモノに部品を供給しているということは、技術力は必ずあると思いますので、その技術を別の何かに転用するということ不可能ではないのではないかと思います。

 

私は専門家ではありませんので詳細は分かりませんが、マッチング次第で絶対に新しい可能性があるのではないかと思います。

 

私のように技術を持っておらず、机の上での経験、知見をもとにしか仕事ができない人間よりかははるかに強み、能力がある人材が揃っていると思います。

 

話を戻すと、そういった、自動車産業に関連する業界や会社に雇用されている人に対して、今回のドイツ自動車メーカーの動きが影響を与えていくのでしょう。

 

私が知る限りは部品メーカーなどはドイツ国内にあるだけではなくて、東欧などの国にあるようですので、ドイツ国内だけではなくてEU、欧州内に影響を与えかねない動きなのでしょうね。

 

それが弱肉強食、資本主義社会の理だと言われればそうなのでしょうが、それは外野からの意見だからでしょうね。

 

 

 

 


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性差別?



なんだか最近、男性を下に見ているような表現などに対して、男女平等であるべきだ、差別を許さないというような主張を特に見かけるようになりました。

 

これまではどちらかというと女性側からそのような主張が挙がることが多かったように思うのですが、それが男性側から挙がるようにもなったということでしょうか。

 

実際に、その主張が男性側からされているのか、女性が分からされているのかについては私はよく分かりませんが、印象としてはやはり男性側からが多いのかなという気はします。

 

男女平等というのは私の小さいな頃からずっと言われてきていますが、その流れがそもそも強まっているということに加えて、SNSなどで個人がいとも簡単に声を挙げられるということもこれらの最近の風潮には寄与しているのでしょうか。

 

そして、この男女平等を叫ぶ風潮を見ていると、中には確かに男性を攻撃している、男性を馬鹿にしている表現や取り組みに対してのものであることもあれば、とある企業の女性優先のサービス対応に対してのものもあります。




正直なところ


 


私個人としては、これらのことに対して男女差別ということをどこまで主張するのが正しいのだろうかと思うというのが正直なところです。

 

性別を理由として不当に誹謗中傷をするとか、不当な扱いを受けるとかということは確かに性差別であると思いますので、それに対して声を挙げるのは大切なことだと思います。

 

その一方で、性別を理由としてサービス提供価格に差をつけるというようなことについては、実はこの世にはありふれていることだと思いますし、似たような話もまたいろいろとあるのではないかと思います。

 

例えばですが、これまでもずっと、レディースデーはあるのにメンズデーがないのはなぜかというような意見を聞くことがありました。

 

レディースランチを男性が頼めるのかどうかということが少し話題になったことも記憶しています。

 

それらが性差別なのかどうかという主張に対しては、確かに性別の違いを理由としてどちらかが優遇処置を受けている、というのは確かにそうで、分からなくはありません。

 

その一方で、それはある種のマーケティング戦略として、どちらかの性の人を取り込みたいからこそメリットを提案しているのであって、別の性別に対して不当な扱いをしているのではない、という捉え方もできると思います。

 

例を出すと、女性客をもっと取り込みたい、あるいは家族連れを取り込みたいから、女性にメリットを出すことで誘引しようという戦略であって、そこには男性を不当に扱おう、男性へのサービス提供価格をぼったくってやろう、という意図がないことは皆わかるのではないかと思います。

 

結果的にどちらかの性別になにかデメリットがあれば性差別であるとか、どちらの性も平等に取り扱わなければならないという主張に対しては上記の捉え方では戦えないというのはありますが、なんだか社会に余裕がないよなというようには思います。

 

もちろん、議論をすること自体はとても良いことだと思いますし、変える必要があるのであれば変えればいいと思うのですが、それでいったい誰が何の得をするのかを考えた場合に、気持ちの上でちょっと消化される分はあったとしても、目的達成という点では誰も得しないこともあると思います。




世の傾向


 


しかしながら、世の流れ的にはそうとも言ってはいられない状況になっているのかもしれません。

 

では、人種を理由にサービス提供価格に差を付けたらどうなるかを考えると、これは間違いなく人種差別だとして非難されるでしょう。

 

いや、自分は白人のお客様をもっと取り込みたいと思っていて、と主張したとして、絶対に人種差別だと非難されますし、もしかしたらこれまでもそのような隠れ蓑が多く使われていたというのもあるかもしれません。

 

女性専用車両はどうなのか、あれは女性を優遇しているのかどうか、というのも議論に巻き込まれたら結構ややこしいなとは思います。

 

私なんかは、頼むから女性はできるだけ女性専用車両に乗ってくれ、と思いますけれどもね。

 

時代は変わっているということでしょうかね。

 

 

 

 


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やらせかエンタメか



1日以上の時間をかけて長距離を走るチャリティーマラソンが今年もテレビ番組で行なわれました。

 

私は小さいころからあまりこの手のテレビ番組を見せてもらう機会が少なく、またそもそも自分の見たくもない、興味もない番組や出演者も見なければならないというのもあって、自身としてもあまり興味がなく、結果として大人になってからも観る機会はないという状況です。




外野の声

 



そのチャリティーマラソンをめぐっていろいろと声があるようです。

 

そういうチャレンジ物が1つのプログラムになるのは分かりますし、過去にチラ見したこともあります。

 

今回は見ていないので状況をよく分からない中ではありますが、いろいろと声があるようです。

 

とはいっても基本的にはSNSの中で発せられる声なので、基本的には過激なものが多いのだろうなとは思いますので、必ずしも正しい意見だとはおもわないほうがいいだろうというのはあります。

 

こういうチャレンジ物に対して言われるのは、感動の押し売りというものです。

 

別にメディアに乗せなくても、チャレンジしたいなら勝手にやればいいじゃないかというのもその通りではあって、興味のない人がそれを見せられても別に感動もしないものなのですが、そういう声を発すること自体が人間としていかがなものかと思われるようなそんな空気感もある中で、プログラムそのものに批判が集まるというものかと理解しています。

 

ただメディアとしては、そういう内容を取り扱うことでスポンサーがつくとか、メディアとしての寄り添う姿勢を見せるとか、そういうこともあるでしょうし、そもそもそれで視聴率が稼げるというようなこともあるのだと思います。

 

実際に、なんだかんだでメディアの力というのはあると思っていますし、その力をうまく使うことで、なかなか普段は日が当たらない社会的弱者のことを世間一般の人に考えてもらうとか、自分たちならば何ができるのかを自問させる機会にするということは可能だと思いますので、正しく使えば社会に対して非常にいいきっかけを与えることができると考えます。

 

ジャーナリズムというのもは本来そのような役目をはたしている活動でしょうし、プログラムそのものが悪いということは決してないと思っています。

 

ただどうしてもこういうエンタメ系の番組においては、演出が過剰になりがちであったり、無理により感動させようとしたりということがありがちなので、見ている側としても作られたストーリー感を感じてしまうというものがあるのでしょう。

 

まあ、そういう目線、つまりはエンタメであり演出なのであるという大前提に立ってプログラムを観ればそんなに鼻につくということもないのではないかと思いますが、テレビ局側はこれは完全なフィクションだという体で放送してしまっているというのももしかしたらあるのかもしれません。





どういう視点で観るか


 


チャリティーマラソンにしても、何時間もかけて長距離を走ったことを科学的に分析して、実は全然速くないとか、楽をしているというような批判的な論調があるのを目にしました。

 

確かに、検証されているその平均速度が真実だとすれば、速度自体はそんなに速くはないなと私も思います。

 

それをずっと続けるというのはすごいことなのではないかとは思いますが。

 

ただその批判的な論調の人たちも、ではかなり真剣にしんどい思いをして、まさにウルトラマラソンを走るかのように限界まで挑戦して、ボロボロになりながら走り切るという絵が見たいのかと問われれば、そんなことはないのではないかと思いますし、何ならいったい何を観せられているんだ、虐待だとすら言い出しかねないなと思います。

 

なんならば、あまりにも過酷であれば観ていられない、という事態も起きかねないでしょう。

 

そもそも、あれを真剣な取り組みなんだと思って観ている人は果たしてどれくらいいるのだろうというのも正直思うところではあります。

 

であれば、我々みんなに求められているのは、これはあくまでもエンタメなんですよということを大前提とすることへの理解なのではないかとすら思います。

 

そして、それはまず伝える側に求められていることなのだと思うのですが、そういう流れにはなかなかならない可能性はあります。

 

もしかするとチャリティー活動として募金を集めるにあたって、エンタメである、変な話はヤラセである、ということを告知するというのはあまりしたくないことなのかもしれませんし、その気持ちは分からなくはありません。

 

となると、いや、これは真剣、真実なのであると気持ちで楽しむエンタメなんです、というような空気を読む、という感じが観る側に求められているのでしょうか。

 

そうなるとそれはそれで、受け取り手にその判断をゆだねるなという批判の声がでそうですね。

 

しかしながら、もしも科学的にはそんなに速いスピードで走っていなかったからとして、いったい何が問題なんだろうか、というのは私は思います。

 

観たくないなら観ないでいいわけですから。

 

真剣に挑戦していると思っていたのにしていなくてがっかりだということなのかもしれませんが、そこはおおらかな気持ちで楽しめばいいのではないかと勝手に考えています。

 

 

 


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人間関係ガチャ




親ガチャという言葉があることについて、一度ブログを書いたことがありますが、表現は適切ではありませんが、親はそもそも子ガチャをしているんだよな、と思います。

 

というか人間関係は基本的にガチャだよなと思いますけれどもね。




当たりはずれ



 

で、そのガチャなんですけれども、結局のところ何を持ってアタリで、何を持ってハズレなのか、というのは何となくあるようでないなと思っています。

 

ある人の、この部分はアタリ、この部分はハズレ、というのはあると思いますし、全部ハズレはあったとしても、全部アタリというのもないだろうなと思います。

 

で総じて考えて、例えば75%以上がアタリなら人ガチャはアタリと判断しましょうかくらいの判断基準なのではないだろうかと考えています。

 

ただし、その判定が難しいというのもまた事実ではないでしょうか。

 

例えば私の上長については、私は総じてハズレだと思っていますが、それは恐らく私と上長との業務上でのつながりが強い、上長が私の上司だから私は特にそう思うのだと思っています。

 

その一方で、恐らくですが、そこまで業務上のつながりが強くない人、直接の上司部下の関係にない人からすれば、上長はアタリだと思っている人はいると思っています。

 

また、今、私の所属する部署のトップの人のことは私は以前から知ってはいましたが、直接に仕事をする機会はあまりありませんで、傍目でその人を見ていました。

 

その時の私の印象は、トップの人は確実にアタリだ、というものでしたが、実際に直接に仕事をするようになると、この部分は完全なハズレだなということもはっきりと感じてきます。

 

そのハズレの部分を感じるときはむしろイライラするときもありますが、アタリの部分も間違いなくあって、総じてアタリと考えていいのではないかと感じています。

 

で、私が私の上長や組織のトップの人に感じるハズレ部分は、上長に対してはパワハラ気味、自分が正しいと思って人の意見を聞かない、というものですが、組織のトップの人に対しては、仕事をしない、お願いしてもやってくれない、というものです。

 

ただこの組織のトップの人は、承認作業などは事前に説明しておけばややこしいことを言わずにやってくれますし、こちらが提案をしてこちらが主体的に動くということであれば、まあ基本的に承認されますし、マイクロマネジメントもされません。

 

自ら動くことはほぼないですし、環境を整えなければいけないという意味では大変ではありますし、ガイドをしっかりしないと思ってもいない方向の説明をしだしてしまうなど、ネガティブな面はありますので、この部分のガチャはハズレです。

 

その一方で、周りをかき乱すことはしないですし、パワハラ気味なこともしませんし、良く言えば部下に任せる、部下を信じるという意味で部下としての裁量は大きくなりますので、この部分のガチャはアタリです。

 

ですので、ある部分を抜き出せばハズレのところもあるでしょうし、その他の部分にはアタリの部分があって、それを全て踏まえた上で、ガチャがアタリなのかハズレなのか、と問われれば、アタリではないかと私は感じています。

 

これくらいは自分で考えて動いてよ、と思うことはありますし、もしかすると業務的には負荷がかかっている部分はあるだろうと思います。

 

ハズレの部分から感じる精神的ストレスも確かにあるものの、アタリの部分から来る精神的な健康感というのは間違いなくありまして、総じて健康観の方が勝つのではないかと思っています。

 

ただこれもまた私の場合という話であって、例えば細かく指示が欲しい人や強烈なリーダーシップを持っている人の下で働きたい人からすれば、ややもするとぬるい環境とも言えるわけで、それをガチャはハズレだと思う人もいるかもしれません。

 

もしかするとさらに上司になる人は、この部下はハズレだと思っているかもしれません。

 

要するに、立場や個々人のとらえ方によって、ガチャのアタリ、ハズレは異なってくる可能性もあるわけです。

 

また、その判断軸は、自分にとってどうか、という視点で考えることが多いと思うのですが、では自分にとってアタリであれば正しいのか、というのはまた別問題だろうと思います。

 

もちろん、大多数の人が同じ意見を持つ可能性はあって、その場合はアタリか、ハズレかというのが客観的な目線でおおよそはっきりするのだろうとは思いますけれども、それでも人間である以上は完全にアタリの人なんてほぼいないだろうと思います。

 

人間関係である以上、うまく色々な人と付き合っていく必要がありますね。


 

 

 

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退職後の浪費



最高月収が150万円にも達した男性が、70代になって日雇い派遣をしているという記事を読みました。

 

内容を読んでいて、正直創作っぽいなと思ったのですが、アプリで出会った若い女性に貢いだためにお金が無くなったことが理由のようです。

 

創作っぽいなとは思ったのですが、事実は小説よりも奇なり、でして、実際にないとも言い切れない話でもあります。

 




詐欺はある 




実際に、高齢者の方を狙った詐欺というのは多く存在しているわけですし、中にはそんなにお金を詐欺でとられるということはそんなに持っていたということですね、という額の被害にあっている人もいます。

 

会社で役職についていて、他社からのある程度承認もあって、それが退職した後になくなって、そんなときに自分を(金づるとして)必要としてくれる、しかも若い女性に出会って入れ込んでしまったというのは、自分にも起こりえるかもしれないというのは思います。

 

特に、自分に資産があれば多少浪費しても大丈夫だろうという思いとか、そういう余裕を見せつけてやろうという見栄みたいなものがあっても不思議ではないなと思います。

 

後生大事にお金を持ち続けてもそれはそれで意味はないことでもありますので、何かのタイミングで使ってみよう、それは自分の人生にとっての投資みたいなものだ、と思う気持ちもあるかもしれません。

 

さらには若い女性が関わってくるのであれば、男性としては下心も絡んできて、コロっといってしまう危険性はあります。

 

第三者目線であれば、絶対騙されているでしょうという案件でも、本人からすれば自分に限ってそんなことはない、という意識を持つでしょうし、実際にそれまでお金をつぎ込んでしまっていれば、今やめたら今までの「投資」が水の泡になってしまう、という状態になってしまいやすいとも思います。

 

果たしてそれは「投資」なのだろうかというのは冷静になれば思うでしょうが、もう一押しすれば何とかなるのではないか、という下心を巧みに利用されるのでしょうね。

 

私はやったことはありませんが、パチンコなどももうちょっとでアタリが来る、という心理が働くと言いますし、ギャンブルというのは得てしてそうなのかもしれないことを考えると、これは「投資」ではなくて「ギャンブル」なのでしょうね。

 

ギャンブルと考えると、それにお金を注ぎ込むというのは、特に退職後などのキャッシュインが少なくなった状態でのめりこむのは問題ですね。

 

キャッシュインがあればのめりこんでもいいというものでもありませんが。




適切な趣味の大切さ



 

普段の生活から、お金がそんなにかからないけれども長く楽しめる趣味を持つ、というのが精神衛生上も、また金銭面でも好ましいですね。

 

言うは易しで意外と難しい話ではありますが。

 

例えば、私は趣味としてジョギングをしますが、それで半日時間をつぶせるかと言われるとつぶせません。

 

ジムに行くとしても、3‐4時間が限度かなという気が個人的にはします。

 

登山なんかであれば移動時間も含めれば1日がかりですので、もしかしたら可能性はあるかもしれませんね。

 

しかしそれも毎日というわけにはいかないでしょう。

 

今の私ができる範囲であれば、読書やゲームであればある程度は時間がつぶせる気はしますが、どこかのタイミングで、せっかく時間を費やすならば少しでいいからお金を稼ぎたいなと思うような気はします。

 

これまでも何度かブログ記事にしていますが、私は別に働くことが嫌なのではなくて、あくまでも必要以上にストレスを感じながら働くのが嫌なのです。

 

接客業も別に嫌いではありませんし、体力が持つのであれば体力仕事も嫌いではありません。

 

となると、実はわたくしにとって、時間をつぶせる趣味というのは意外とコンビニアルバイトとかも当てはまるのではないかというような気がします。

 

なんだか、今日はアルバイトしたから少しは贅沢してもいいだろうとか言い出して、そのあたりの居酒屋で一杯飲み始めて、収支はトントンなんてことにもなりそうですが。

 

そして、そんなことをやっていると、その居酒屋で出会った女性と会話を楽しんでいるうちに、なんだかころっと騙されてお金をむしり取られる、なんてこともあるのかもしれません。

 

お店の方はあくまでもサービスとして優しく会話をしてくださっているのであるのに、それを個人的な好意と勘違いするなんてことも可能性はゼロではありません。

 

そうやって馬鹿な男は騙されていくのかもしれません。


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基本給は大切



とある引越サービスの提供会社が社員から訴えられた案件で、基本給が月に6万円というニュース記事を読みました。

 

時間外の割増賃金を抑制するために基本給が低く抑えられているということでした。

 

どのような仕組みなのか、はっきりと理解しているわけではないのですが、割増賃金は基本給に基づいてという計算をする際に、全体の額を抑えるためにベースとなる基本給を抑えているということでしょう。

 



就活中の経験




私が就職活動をしているころ、特に初期ですが、とりあえずは勉強のためにといろいろな会社の説明会に伺いました。

 

そのうちの一つで今も強く覚えている言葉があります。

 

ある会社の説明会でのことでしたが、それは以下のようなものです。

 

いろいろな会社が初任給はいくらだという話をして、さらに初任給を高く見せるということをする、ただし、その初任給にはいろいろな手当てが含まれてカサ増しされていることもある。

 

大切なのは基本給がいくらかで、実はボーナスも基本給をベースに計算されている。

 

だから我々の会社では初任給がいくらという話をせずに、しっかりと基本給がいくらからというところから情報公開をします。

 

その上で手当ても積み重なるとこの額が初任給ですが、実は初任給も高いのですよ。

 

ということでした。

 

社会の仕組みをさっぱりわかっていなかった私は、なるほど、と思いながら聞いていました。

 

その会社そのものには私はさっぱり興味をひかれませんでしたし、あとから調べたところ、人材確保には苦労はするであろう企業でして、親切な姿勢を見せながらも初任給の高さも見せて、何とか新卒社員を取り込もうとしていたのではないかと勘繰っています。

 

長年サラリーマンをやっていますと、確かに初任給の高さというのは魅力的ではありますが、その初任給からどれくらい賃金上昇があるのか、という視点の方が、稼ぐという意味では圧倒的に大切だということが分かります。

 

しかし就職活動をしているころですと、10年後20年後の話よりかは1年後の話の方が想像しやすいですし、初任給というものへの意識の度合いの強さはあるでしょう。

 

今であればそのようなこともなんとなくわかります。

 

いずれにせよ、私はその会社自体には全く魅かれませんでしたが、この説明会で聞いた基本給という考え方は新しい学びで、非常に自分のためにもなった経験でした。




会社にとってはコスト


 


長く働いていると、なるほど基本給を上げるということは会社にとっては固定費を上げるのと同じような影響があるのだな、とか、今はトーンが少し弱まっているかもしれませんが、春闘、ベースアップ、というような話がなぜ出てくるのか、ポイントは何なのか、ということも背景と共に理解できるようになります。

 

ですから、労働者としては基本給を上げさせる、ということは大切なことで、もっと真剣に経営者側に求めていく必要があることなのではないかと思いますし、ある種経営者の基本給を上げることを拒む姿勢には戦う意思を持つということも必要なのではないかと思います。

 

経営者と議論していて、経営環境が厳しいから仕方がないですね、ということを労働者側が言ってしまっては本来いけないのだと思います。

 

とはいえ労働者にとっても、短期長期の視点で、どういう判断をすれば一番利益が増えそうかという計算も大事でしょうし、一概にだめだとは言い切れませんが、もしも労働者側が頑張って利益を上げているのであれば、その対価をもらうための主張は大切です。

 

それに対して会社側は一時金として対応するなんてのもある話でしょうけれども。

 

一時金でもそうやって対応してくれるだけでもマシという考え方ももしかしたらあるかもしれません。

 

いずれにせよ、基本給が月6万円というのはかなり衝撃でした。

 

むしろどれくらい残業が発生しているのか、働いている人がどれくらい無理をしてくれているのか、というのも驚愕です。

 

確かに私が以前に依頼した際もすごくてきぱきと作業をしていただきましたが、あれはもう夕方遅かったのにもう1件どこかの引っ越しを抱えているなどあったのでしょうか。

 

基本給を抑えていることについて、そもそもがそんなに儲からないからというのも背景にはあるのでしょうし、そこにコストをかけすぎるとサービス価格が上がってしまって競争に負けてしまう、というのは会社側の論理としてはあるのかもしれません。

 

サービスの受領者としては安い価格でサービスをしてくれると嬉しいというのは偽らざる本音ですが、それによって社会全体が疲弊してしまっている、無理をしている人がいるというのも問題だと思います。

 

かといって、サービス提供側がせーので値上げすると、カルテルやっているんじゃないかと言われるというのも事実でしょう。

 

実際にはレベル感の強度はいろいろだとは思いますが、なんだかんだで緩くはやっていると思いますし、むしろ労働者に変な負担がかかるくらいならばやっててくれとすら思いますが、やりすぎると新規参入者が入ってきてまた価格破壊が起きてということの繰り返しなのでしょう。

 


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イギリス人からの学び




引き続き、なかなか暑い日が続いております。

 

イギリスに住んでいるイギリス人の友人が日本に旅行にくることになり、夕食を共にする機会がありました。

 

そんなに高くはないけれども、カウンターでも食べられるお寿司屋さんに一緒に行ったのですが、嫌いなもの・食べられないもの以外は基本的に注文は任せるということで、注文を任されました。

 

そんなにバカ高いものは頼みませんでしたが、お酒類に始まり、一品もの、刺身系、そして握りとまあ一通りは楽しみまして、ではお会計をというところでレシートをもらいました。

 

決して安くはない金額ではありました。

 

しかし、そのイギリス人曰く、あれだけ飲み食いをして非常に安い、ロンドンなら2倍以上は取られる、ということを言っていました。

 

日本は暑くて、湿気が多くて、非常に過ごしにくい、また電車の路線はよくわからない、とは言っていましたが、物価はかなり安いと驚いていました。

 

航空券代は決して安くはないということでしたが、いざ日本に来てみるとホテル代も含めて物価は非常に安い、そのうえでサービス品質は高いと驚いていました。

 

あと、道行く車が非常にきれいだとも驚いていまして、特に、工事用トラックやバスなんかは、そんなにきれいである必要があるのか、という疑問を抱くくらいきれいだと思ったようです。

 

恐らく毎日、洗車しているんだよということを伝えたところ、外見は汚くなるのが普通できれいにする必要はないのになあと結構不思議そうにしていました。

 

さらに不思議そうにしていたのは、マンションの横幅の狭さでしょうか。

 

あのマンションはすごく狭く見えるが、あれはどういうことなのかと質問されて、あれは単身用のマンションで、ホテルのシングルルームくらいの広さしかない、私も独身時代はああいうマンションに住んでいたよ、というように答えました。

 

日本人からしたら東京都内は家賃も高いんだ、と伝えましたが、ロンドンの不動産価格を知っているその人からすれば非常に安い価格のようでした。




いい国なんだな


 


改めてですが、気候は不快に感じているようで、決してすべてが満足ということではないみたいなのですが、それさえ除けばかなりいい国だなという印象を抱いたようでした。

 

10数年前に我々が東南アジアの国に旅行に行った際に抱いていたような印象をその旅行者の人は抱いたのでしょうか。

 

治安の良さや町のきれいさという身では、それ以上のプラスの印象を抱いたのかもしれません。

 

政治の状況や経済の状況など日本には課題もあるという話についても、そんな話はレベルの差はあれどどんな国にもあるし、すべてが完ぺきな国なんてのはどこにもない、ということも言っていました。

 

とかく日本人の我々は、自国のことを少し卑下したような形で表現することが多いですし、まあそれが一つの礼儀のようにもなっているような気がしますが、その人の言葉からは、課題がある状況を良いとは言えないけれども、課題が明らかならその解決に向けて何とかすればいいのだし、どの国にだって課題はあるのだからという非常に客観的な指摘なのかなという気はしました。

 

日本人の場合は、政治に課題があるからと実際の課題解決のための行動には結び付きにくいというのはあるのかもしれませんけれども、あれがダメ、これがダメ、と日本人自身が思うほどには日本は悪い国ではないし、自分たち次第でまだまだ良くなる可能性はあるのではないかと思われたのかなと感じました。




気温は心配


 


しかし、今の暑さは本当にすごいですね。

 

気温が30度台後半が当たり前の暑さになってきていますし、さらに蒸し暑いので、ずっとサウナの中にいるような状態です。

 

知らぬ間に体力が削られていくということもあると思いますし、水分補給や栄養補給をしっかりとして、無理せずに過ごしていきたいところですね。

 

あと、子どものときの気温を鑑みるに、今後さらに10数年後にどんな気温になってしまっているのかが非常に気になります。

 

私も体力が落ちれば、さらに高い気温がしんどいということがあるでしょうが、何よりも自分の子どもがどんな環境の中で生活をしなければならなくなるのか、非常に心配です。




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