Z世代
省人化と不便さの間で
JRのみどりの窓口の数が減っており、利用しようとする人が長時間待たなければならないなどの不便を感じているというニュース記事を読みました。
JR側の思惑についてはよく分かりませんが、まずコスト削減をしたいというようなことはあるでしょう。
そもそもものすごく需要があれば、利用者が不便を感じるほどに数が減るということは考えにくいので、需要はあるものの、減ってきているというのもあるのかもしれません。
使う機会
私自身、みどりの窓口を利用する機会がないわけではありませんが、その機会はかなり限定されたもので、SUICAのキャンセル・払い戻しや、新幹線の切符の払い戻しくらいのものです。
普通に切符を購入するということは券売機でできるようになっておりますし、今ではインターネットを介しての購入もできるようになっています。
以前は、一部の夜間列車などはみどりの窓口でないと購入できないなどあったような気はしますが、今ではかなりインターネット対応がされているものと思います。
どうしても並びの席が欲しいとか、特別な事情がある場合は、みどりの窓口の係の方に調べてもらってその席を購入する方が手間は省けるのかもしれませんが、私自身の経験としてはそのようなことはありません。
ということは、恐らくですが、まず需要が減っているということがみどりの窓口の数を減らすための動機づけになっているような気はします。
そこに人件費もかけていられないよということです。
価値と対価請求
みどりの窓口で何かをしてもらうならそこに手数料を取りますよということをすれば、みどりの窓口そのものが金銭的に見えるメリットを生む場所になるのでしょうが、それをするとお客様からの評価は下がることも間違いないでしょう。
旅行会社を通して旅行を手配すれば当然に手数料がかかってきますので、そういう意味ではみどりの窓口が手数料をとっても理屈は通るような気もしますが、今まで無料だったものに費用が掛かるというのは世論が感情的に許さないでしょう。
理屈は通るけれども、正しいかどうかというのも正直分かりません。
その状況であれば、みどりの窓口を減らして、券売機やインターネットでの対応を拡充すれば、初期投資はかかるでしょうがランニングコストは下がることになると思いますので、JRとしてはそちらをやりたいということなのでしょう。
とても合理的です。
その分、その余剰になった人員を別の業務につかせることで、何かしらの価値を生んで利益を上げることもできるわけですから。
その一方で、全ての人がインターネットを上手に扱えるとはまだ言えませんし、券売機の操作方法が分からないということもあるかもしれません。
そういう人にとっては、友人対応をしてくれるみどりの窓口は、とてもありがたいサービスになりますから、そのサービスがなくなるのは困るというのも良く分かります。
ただし、自分が困るからということと、企業側がそのサービスを続けてくれるのかどうかということは全くの別問題です。
バスや電車の路線廃止や本数削減なんかと同じです。
そもそもそのサービスを提供することで、企業が利益を上げることができるのであればサービスを継続する、企業が利益を上げられないのであればサービスを終了するという、というのが基本的な考え方のはずです。
もちろん、儲からないサービスであっても、それが何かしら別の価値を生んでいるとか、企業にとっては別のメリットがあるということはあると思いますから、結局のところ、そのサービスを継続することで企業になにかメリットがあるのか、ないのかという点かなと思います。
で、みどりの窓口は、今の数までは要らないだろうという判断がされたのでしょう。
先ほどの議論に戻って、今の数は維持するけれども手数料を取るようにします、と言われると利用者側は文句を言うでしょう。
サービスは受けたいけれども、それは安いコストで受けたいと思うのは当然であって責められることではないとは思いますが、もっとお金を払ってでもそのサービスを受けたい、とまでは思わないのであれば、不満を持つのは自然なことでかまいませんが、だからと言って企業に求めすぎてはいけないよとも思います。
人口減少が進みながら、その一方でAIやテクノロジーの発達がある中では、こういう事例は色々なところで出てくるのかもしれないですね。
セルフレジなんかも最近は増えていますし、その反面で万引きが増えたというのもあるのかもしれませんので、トータルで見た時にどちらが得なのかを企業側は考える必要はありますが、省人化の流れは今後も確実に進んでいくと思います。
左遷された人の話
お給料日になりました。
牛歩ではありますが、コツコツと資産を貯めていくことができています。
ありがたい話
最近は大きく下がる日もありますが、日経平均株価がこれまで上昇を続けていた分、株式などの資産価値は大きく上がっています。
日経平均株価の上昇は円安の影響も大きいと思いますし、物価高もこれからどうなるか分からない中では、日本円ベースで資産が増えていたとしても手放しで喜ぶこともできないというのは事実ではありますが、それでも今の段階で生活に窮することもなく、貯金や資産を増やしていくことができているのは大変ありがたいことです。
私自身の仕事は直接的な数字として会社の利益に貢献する仕事ではありませんので、私の仕事そのものが私がいただくお給料の原資になっているとは言えないと思っています。
実際にその原資となる利益を稼いでくださっている部署の方にも感謝です。
数字のプレッシャーや理不尽な上司からの詰めを受けている部署、あるいはミスが許されない環境で愚直に仕事に取り組んでくれている部署、というのが利益を生み出す源泉になっていると思いますし、そういう意味では私の部署はそういう役割を果たしているわけでは正直ありません。
色々な仕事がある、色々な仕事があっていい、ということではありますし、私自身も任された仕事は責任を持ってやろうと取り組んではいますけれども、頭は下がりますね。
左遷?
さてそんなこんなですが、会社でちょっと不可思議だなと思う人事異動があったことを耳にしました。
別の部署の知っている人なのですが、タイミング的にも、異動先の部署から考えても不思議だなと思う異動です。
背景が良く分からなくて、とはいえ本人に聞くわけにもいかなくてだったのですが、風のうわさでどうも懲罰人事であるということが聞こえてきました。
ちょっといろいろとやらかしてしまったみたいだということです。
本人に聞いたわけではないですが、やらかしてしまってしまったというのはあるでしょうし、一応懲罰人事ということで罰を受けているのも間違いありませんが、でもその行先の部署というのが別に悪い部署ではないと思っています。
確かに、本流ではないかもしれない部署ではありますが、私自身そこに異動と言われたら、うれしいと思うかもしれないなと思います。
一つの業務経験としても興味があると言ってもいいかもしれませんし、部署の業務内容的に過剰なプレッシャーはなく、バランスのとれた働き方もできるのではないかと思います。
しかし、懲罰人事として、その受け入れ先になる部署にいる方は決して面白くはないですよね。
その方々は別に懲罰でそこの部署に異動されたわけではないでしょうし、プライドを持って働かれているかもしれないのに、懲罰人事を受けた人が送られる部署という事実があると、そういう扱いを受ける部署なのか、自分は会社から期待されていないということなのか、と思ってしまいかねません。
その部署で働かれている人のモチベーションという意味では悪い影響を与えかねないのではないでしょうか。
仕事ができる人ではありますし、出世欲も強い人だと聞いたこともありますので、本人の方が今何をどう思っているのかは分かりませんが、考え方によってはこれからは仕事以外のプライベートな生活を充実させることで人生の豊かさを追い求めていくことも可能です。
これは私が第三者的な意見を言えるからそう言えるだけなのかもしれず、本人は悔しくて悔しくてたまらないということもあるとは思いますが、自分がやってしまったことの責任は自分で取らなければなりませんし、もう終わってしまったことはどうしようもありません。
仕事だけが人生ではありませんし、出世だけが人生でもありません。
運が悪かったで終わらせてはいけないと思いますが、実際問題として、色々とやらかしているのに何のお咎めもなく偉くなっていく人もいますから、納得できるできないというのはあるかもしれませんが、だからと言って他人を恨んでも仕方がないです。
しかしながら、人の振り見て我が振り直せでして、自分がどう思うかではなく他人がどう思うかでいろいろと問題が起きるわけで、そのあたりは少し自分自身も気を付けないといけないなと思いました。
ちょっとした発言なんかも、自分にはそういうつもりがなかったとしても、不快に思う人がいる可能性はありますから。
アドバイスが偏重する
さて、セミリタイアをしたいというのが私の変わらぬ思いなわけです。
また後日書こうと思いますが、私の場合、仕事をすること自体が嫌なわけではありません。
学生時代の飲食店バイトで、月に25日くらい、毎日6時間以上働いたこともありまして、その時はお金が欲しいということもありそうしていましたが、バイトそのものも楽しんでいたと思います。
今でも、労働をすること自体から逃げたいというわけではないのです。
むしろ、少しくらいは労働していたいとすら思います。
しかしその一方で、労働だけが人生ではない、労働は人生の一部にしか過ぎないというのは強く信じていまして、だからこそ、労働から感じる不要なストレスからは逃げたいわけです。
他人との会話への影響
というようなことを信念として持っていると、他人と話すときの内容に影響があることはよく分かります。
それがいいのか悪いのかは正直分かりません。
例えば私の同僚で、仕事量が多く、また海外とやり取りする機会も多い人で、時差の関係で日本の就業時間には収まらない範囲で働いている人がいます。
その人と軽く話している場で、その人から、結構無理があるかもということを聞くことがあります。
その人自身は、私が思う限りは真面目で、働くことが好きで、また能力もある人です。
恐らくですが、会社が無茶な働き方をしろと言えばしますし、耐性はあると思います。
ただ、私はそういう話を聞くと、健康第一だから絶対に無理をするな、今は対応できても蓄積されたストレスが一気に爆発することがあるから早めにSOSを出せ、絶対に無理をするな、という話をしてしまいます。
私は、仕事が全てではないという価値観で話をするわけです。
で、そういう話をしていて、その一方でその価値観が普遍的なものでもないのは感じています。
つまり、もしもその人が仕事が全てで大切なものだと感じていたとしたら、私の発言はその人に寄り添ったものではありません。
私は間接的に、あなたの考えは違いますよと醸し出しているかもしれません。
私はそれでいいのですが、もしかしたらその人は違った考えを持って、信じていて、その背中を押して欲しいだけなのに、私は押せていないかもと思う時があります。
もしかしたらですが、その人からすれば、私は仕事への真剣度が足りない人に見えているかもしれません。
私も海外とやり取りする機会がありますから、いかに時差をマネジメントするかを聞きたいと思っているかもしれないのに、無理はダメ、絶対という言葉が返ってくるわけですから、そうなると期待には応えられていないですよね。
私は、自分がセミリタイアしたいと公言はしていませんし、周りの人もそうは捉えていないのではないかと思っています。
で、そんな環境で、私は内面から来る信念で主張する意見が、果たして周りの人のためになっているのかどうか、これが分かりません。
まあ、愚痴を言われるということは、無邪気に背中を押して欲しいということではないだろうとは思っていますが、もしかしたらポジティブなことを言って欲しいと思っているのに全然違うことを私が言っている可能性もあるな、と感じることがあります。
究極的には、だったらなんだ、ということかもしれませんが、実は求められていることと違ったコメントをしていたら申し訳ないなとは思います。
ただ、私の基本的な価値観として、仕事そのものは人生ではないと思っていますから、そうなると今の仕事環境を乗り越えたところに成長があるとか、それに類するようなことは頭の中にはありません。
問題がある可能性
で、これは結構問題でもあるかなとも思っています。
特に、もしも新入社員など若手の社員に同じようなことを言われたときに、自分は何をいうのだろうかと思います。
上述した人は、ある程度社歴もあって、仕事も出来る人で、仕事を頑張る人だからこそ、長く元気に働いて欲しいとも思います。
それが、あまり経験もなく、実績もない人から、仕事が大変でと言われたら、私はそんな負担は大したこともないだろうと言うのか、それとも同じように仕事は人生ではないと言うのか。
自分としては、ある程度の能力をつけるのには無理をする期間は必要だとも思っていて、であれば、甘いんだよバカやろーと言ってあげることも必要かなと思っていますが、今の私は、辛いなら逃げちゃえと誰にでも言ってしまいそうです。
しかし、それって、実は本人のためにはなっていないよな、と感じます。
もうちょっと頑張ってみろ、逃げるのはそれからでも遅くない、あなたのレベルの悩みや課題なら解決策は出せるから言ってみな、というのが、本人にとってはいいのではないかと思いますが、そうしない可能性が高いと自分で思うくらい、自分の価値観がセミリタイア実現に寄っている気がします。
果たして、それがいいのかと自身に問いかけると、正直違うかもしれないと思うことはあります。
私はいいのです。
ただ、相手の人生を狂わせる可能性はあります。
相手が、私のアドバイスは意味がないと思う方がまだよくて、あまりに感化されると、むしろマイナスに働く可能性があるなと思います。
そんなに感化できているようにも思いませんけどね。
理想は相手の状況や思いに寄り添ったアドバイスができるといいのですが、なかなか今は難しいなと思います。
管理職にしたらダメな人
「管理職にしたら絶対マズい人」を見抜く“シンプルな方法”という面白いネット記事を読みました。
特に面白いと感じた点ですが、部下は管理職やリーダーの良いところではなくて、悪いところに合わせるという話が書かれていまして、リーダーを選ぶ際にはその人の強みの強度で選ぶのではなくて、一番悪いところがどれだけましかを見極めるということが述べられていました。
リーダーと管理職がごちゃ混ぜになっているという話は一つ違和感を感じたところではあるのですが、恐らく管理職=リーダーとしてとらえているのだろうという前提で読んでいました。
不適切項目
そして、以下のポイントの一つでも当てはまったら、リーダーとしては不適切だということで述べられていました。
- すぐにあきらめる
- できない言い訳をする
- 危機感がない
- 成果が出ない理由を外部要因にする
- やるべきことを「自分がやらなくていい理由」を見つけてやらない
- ミスをしても謝らない
- ミスをしても、バレないようにごまかす
- 人が見ていないところでサボる
- うそをついてごまかす
- トラブルから逃げる
まあ読んでいまして、あてはまるやつがあるなあ、私は管理職になってはいけないのだな、と思いながら読んでいました。
なんとなく、強弱ありつつ、複数当てはまるなと思っていましたが、特に当てはまるなと思ったのは、できない言い訳をする、成果が出ない理由を外部要因にする、人が見ていないところでサボる、ですね。
特に前2つは、公式の報告の際には避けますが、例えば自分の部署のトップの人とキャッチアップMTGをする場合などに、巧妙に、自分はここまでやろうとしているんですけれどもね、担当部署の動きがいまいちでね、という報告をすることがあります。
そこに、できれば組織のトップ同士で話てプレッシャーをかけてくれませんかね、なんなら打ち合わせを設定しましょうか、というお願いをセットでしますので、そういう意味でいいのか悪いのかは分かりませんが、少なくとも他人に責任をかぶせる形の言い訳はします。
というか、自分でできる範囲の事であればやりますが、他の組織のことに口出ししに行くというのは正直なかなか難しくて、私が口出しをして意見をいったん聞いてくれても、従う必要は他の組織にはないわけですから、それはそれね、という対応をされることは実際にあります。
そういう対応をされるからと、じゃあ自分のところでその仕事は全部引き受けます、ということもできないので、任せるしかない仕事もたくさんあるというのが正直なところです。
というように、とりあえずこれって正当な理由ですよね、仕方がないですよね、ということを醸し出しつつ、それを言い訳材料にする、ということを私は確実にやっています。
このネット記事の内容に沿うのであれば、私はリーダーとしては不適格、ということですね。
できない理由を探すのではなく、どうすればできるのかを考える、みたいな標語を聞いたことがありますが、そういう態度で臨みなさいよということなのでしょうかね。
無能には見られたくないけど
もちろん、できていないことに対して誰かからプレッシャーを受けるのは非常に嫌なのですけれども、そういうプレッシャーで体を壊すのも嫌ですし、そこまで仕事に人生をかけたいとは思えないということでセミリタイアをしたいと思っているというのが私の現状ですので、当然に任された以上は責任を持って仕事に臨みたいと思っておりますが、必要以上に仕事を重荷にも感じたくない、という考えが根本にあります。
そういう態度で臨もうとしていても、プレッシャーがあればそこに対して何らかの回答が必要だなとか、対応しないとな、というようには思いますし、そんなのどうでもいいよ、という態度にまではなれないというのは生まれ持った気質なのでしょう。
逆に、そういう態度で振る舞える人の話を聞くと、ちょっとうらやましく感じます。
まあ、そういう態度で人生を過ごしていたら、もしかしたら私の人生の幸福度は落ちていたかもしれませんので、他人の目を気にする、責任感を持つ、というのも決して悪いことではないとは思っていますが、それに押しつぶされそうになるのは避けたい、のが本音です。
ちなみに、人が見ていないとことでサボる、というのは間違いなくそうしている、と断言できてしまうのが悲しいくらい、断言できます。
忙しく働かなくていいならば働かないです。
自分がやらないといけない仕事がなさすぎるとちょっと焦る、というのも確かにありますが、働かなくてもいいのであれば働かない、というのは真実だなと思います。
残念ながら自分はあてはまってるなあ、と思いながら読んだネット記事の紹介でした。
ストレスから逃げたい
基本的にストレスフリーな生き方をしたいと思っておりまして、だからセミリタイアを頭に入れながら日々過ごしています。
ストレスというのは主には仕事上でのプレッシャーで、特に仕事でうまく行っていないことを責められたり、詰められたり、人間関係で振り回されたりのことで、なるべくそれを避けたいわけです。
それらのストレスが行き過ぎると、朝起きれない、休日も憂鬱、全て投げ出したくなる、精神的に追い込まれるなど、明らかに自分が不調であると感じる時間が続きます。
会社員人生において、そんな、ストレス過多になる時期というのは定期的にやってきているように思います。
振り返って幸せなのは、ストレス過多の時期とそうでない時期は、まるで波のように来たり、遠くに行ったりしていて、ストレスしか感じない時期しかない、というわけではないということでしょうか。
それでも逃げたい
しかしそれでも、ストレス過多の時期は本当に辛くて、嫌だな、逃げ出したいな、と強く思っています。
後から振り返って、そうは言ってもそんな時期があったからこそ、今があるんだななんて思うことがないわけではありません。
しかし、それはあくまでも後からついてくる話であって、ストレス過多の時期には、今を乗り越えれば、なんて風には全く感じませんし、早く終わってくれ、今すぐに逃げたいと強く思います。
しかし、逃げたい自分がいる一方で、逃げたら生活どうしようかと冷静な自分がいます。
究極的に言えば、なんとかなる気はしますが、気がしているだけかもしれず、なんの根拠もありません。
そしてそのなんとかなるか、ならないかは経済的なこと、生きていくのにお金に困らないか、ということに集約されます。
セミリタイアをするということは、その経済的なことに目処がついた、ということだと思います。
私にとって、その経済的な目処がついたということは、いつでも逃げられる状況を確保したということに他なりません。
そして、その状況の確保が、私にとっては過度なストレスを緩和する薬になるのではないかと思っています。
逃げ道を持つこと
別に今でも私はいくつも人生の選択肢を持っていますが、持っていることと使う勇気があるかどうかは別問題です。
しかし、さまざまな選択肢をもっているだけではなく、自分は使えるんだという気持ちの余裕があれば、その余裕によって、同じストレスでも感じ方が違ってくるのではないかと思っていますし、さらに言えばストレス耐性が上がるということがあるのではないかと考えます。
セミリタイアを志向する私も、働くのが楽しいのであればそれに越したことはないと思っていまして、働くこと自体が大嫌いというわけではないと自覚しています。
中には、働くこと自体が嫌いで耐えられないからセミリタイアしたい、という人もいると思いますが、私はそうではなく、あくまでも、その働く過程において感じることがある過度のストレスが嫌なのだろうと思います。
人生を過ごす上での経済的な目処がついていれば、無理に過度のストレスに耐え続ける必要性が低下しますし、そういう心持ちがあればそもそものストレス要因に対する態度も変わるのではないか、と思います。
どうせなら自分のやりたいことをする人生がいいですが、あらゆるリスクを許容して自分のやりたいことだけに挑戦するような根性も覚悟もありません。
そんな私が、少しでもストレスフリーな人生を送るには、いつでもセミリタイアができる環境を早く整えることが大切だと思っています。
またまだその環境には道険しですがね。
人事制度の変更について
年功序列からの緩やかな脱却
何を正解とするか次第
騙される人
お金があっても幸せになれるわけではありませんが、お金の浪費は人生を狂わせます。
アイドルの推し活といったのも最近耳にする機会がありますが、すごく簡単に言えば、キャバ嬢に貢ぐ、ホストに貢ぐ、というのと似たような構造ですね。
すごく極端に言えば、自分がファンのスポーツチームのグッズを購入したり、試合の観戦チケットを買ったりというのも似たような構造なのでしょう。
他人が何しようが勝手だが
構造は似ているとはいえ、別にキャバ嬢に入れ込もうが、ホストに入れ込もうが、それは個人の勝手でしょ、というのが正解で、周りに迷惑をかけないのであればそれ自体が批判される筋合いはありません。
ただ、そうやってお金を浪費していく中で、会社から横領したり、誰かからだまし取ったり、ということまでしていまうと、それは良くないことなのです。
ホストに貢ぐためにお金が必要なので、夜の仕事に身を投じるという女性もいるのでしょう。
そうやってお金を稼ぐことで、ひいては自分の幸せにつながるのであればそういう生き方もあるでしょうし、逆に世の中の男性はそういう女性にお世話になっている部分もあるわけで、ただの需要と供給の話なんだと言われれば反論も難しいです。
個人的には、キャバクラの何が楽しいのかはよくわかりませんけれども、仕事の絡みで連れていかれる際には文句は言わずに従っています。
安いお店ですので、明らかに中味を詰め替えていますよね、残念ながらそれくらいは分かりますよ、というようなお酒が出てきて、別に楽しくもなんともない時間を過ごすのは苦痛でもありますが、いい人生経験でもあります。
お金に狂わされる
で、誰かが事件を起こしてニュースになって、その原因を探っていく記事で背景の一つにお金の浪費があって、どうもそういったキャバ嬢やホストやらにうまく転がされているようなこともあるみたいだ、みたいなニュースを見聞きします。
そういう時、私は、世の中にはそうやって簡単に騙されてしまう人がいるんだな、という軽い驚きと、そうやってお金を稼げる人って才能がある人なんだろうな、という思いが交錯します。
いいか悪いかはわかりませんが、そうやって、他人からお金を巻き上げられるのは間違いなく才能だと思います。
他人に好きになってもらって、でものらりくらりとかわしながら、自分のためにお金を使ってもらい、そのうち相手はお金をなるべく手に入れようと色々と頑張り始める、犯罪にまで手を染めることも、というのは、なかなか作り出せない状況だと思いますよ。
その才能、もっと違うところで輝かせて、社会に貢献することもできるだろうに、とは思いますけれどもね。
何ならまともに働いたらもっとお金を稼げるかもしれませんが、必ずしもそういうわけでもないのかな。
まあ、曲がりなりにも誰かを幸せにしているのであれば、それもそれで立派だなとは思いますが、本当に幸せにしているのかどうかは何とも判断ができません。
むしろ、中長期的に見れば不幸にしている場合だってあるわけで、その一例が、お金のために犯罪にまで手を染めてしまうというようなことなのでしょうし。
人生を過ごす上で、お金をかけずに幸せを感じられることを何か持っているかどうか、ということも大切なんでしょうね。
人事異動!
桜の咲く季節になってきております。
気温が温かく、そして気候が穏やかになるとそれだけで心が軽くなるような気がします。
コロナ全盛期には、ただ桜の花を見るお花見はできても、桜の花を見ながらお酒を飲んでちょっとつまみをいただきながら、ということは社会通念上禁止されていましたが、今となってはもう過去の話とばかりになっています。
木の下にシートを引いて大勢の人間が座ることで、土に重みがかかって固くなってしまい、木の根っこにはいい影響を与えないという話を聞いたことがありますので、それが真実であるのであればコロナ禍のように歩きながら桜の花を見る、ということの方が桜の木のためにはなっていたのかもしれないなとは思います。
普通に道を歩きながらお酒を飲んでいるとちょっとなんだこの人というような目で見られることもありますが、なぜかお花見であればそれは許されるというような雰囲気がありますし、お酒を飲むのが好きな身としてはありがたい環境ではあるのですけれども。
人事異動
そんなお花見のシーズンは、新入社員の入社や人事異動で来る人去る人が出てくる季節でもあります。
私の勤める会社でもそういうイベントがありました。
思えば今の会社に入社してかなりの時間がたってしまいましたが、新入社員研修の際の思い出など、今でもいくつか覚えていることがあります。
戻れるものであればあの頃に戻りたいと本気で思います。
ま、記憶が消されてしまえば、結局は過去の過ちをただ繰り返すだけになってしまうのでしょうけれども。
人事異動に関して言えば、どれくらいの期間ある部署で過ごすのかはその人によりけりで、中には10年以上その部署に居続ける人もいますし、1-2年で部署が変わってしまう人もいます。
ただ、おおよそ、3-4年くらいが一つの目安にはなっている気はしており、私の場合、既に今の部署に5年いますので、異動があっても全くおかしくない状況になっています。
自分の異動
ありがたいことに、別の部署の上の方とお話ししていると、その部署に興味があるなら呼んであげる、というお言葉をいただくこともありますし、もし自分が首を縦に振れば本当にその部署に異動するだろうと思うこともあります。
当然、そういう話をしてもらえる部署というのは今まで私が仕事で関わってきたことのある部署でして、そうではない部署からそういう話をもらうということは基本的にありません。
私はそういう部署のことをあまり知りませんし、そこの部署の人とやり取りする機会がそもそも少ないのですから当たり前の話です。
当たり前の話なのですが、それはつまり、もしどうしても異動したい部署があるのであれば、その部署にいる人やそこで人事権を持っている人とちゃんとコネクションをつくるのがその異動をかなえるための手段にもなりえる、ということだと思います。
新しい人を部署に入れるというのは只でさえその組織に不安定さを生み出すことなのでしょうから、そのリスクを背負ってでもその新しい人を呼びたいと思ってもらえるかどうか、というのは間違いなく重要なポイントになると思います。
そんな中ですが、今の部署の上層部の方から、私の人事に関わる話をぽろっとされました。
具体的に、次はこの部署に行くのはどうかという話がある、ということを言われたのですが、その部署もこれまでやり取りをしてきた部署の一つですし、そこのマネジメント層の人も知っていますし、選択肢として普通に出てくるなと自分でも理解するに難くない部署です。
そんな人事情報を本人に漏らすなよと感じたのが本音ですが、次に考えるのはその異動の可能性について自分がどう捉えるのかです。
部署としては決して悪くはない部署だと思いますし、行きたいと言ってもなかなか行けない部署でもありますが、専門性が高すぎる、かつ非常に内向きな部署でもあります。
私にはその部署で働く上で必要とされる専門性はありませんので、その専門職そのものを担当するわけではなくて、その部署の人たちを活用してより意味のあることができないかを考え、推進していく役割を担うのだと思います。
そういう仕事自体もまあやりがいはあるのかもしれないなと思っていますが、その部署自体はかなり日本国内偏重型の部署なので、そうなると私の仕事も当然にそうなる気がして、それは非常に嫌だなというのが正直なところです。
英語って語学ですので、使用しないと一気に錆びつきますし、いったん錆びついてしまうと、その錆を落とすのにも時間がかかるのではないかと思っていますし、そもそも私自身、日本国外と関わる業務に関わり続けたいと思っています。
それはあくまでも私としての思いであって、会社としては適材適所をやろうとした結果として、私を海外関連業務にばかり注力させないという意思決定をするということはあり得ると思いますが、それもそれでちょっと残念だなと思ってしまいます。
はてさてどうなることやら。
セミリタイアを目指している身としては不思議な思いではありますね。
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コロナ禍になり、オンライン会議が容易にできるようになりました。 ビデオ会議システムは以前からもありましたが、機器を使用しなければいけないために、使用できる部屋が決まっているとか、あまり使用者が詳しくないために設定サポートが必要とか、今のデスクトップ上のアプリから簡単にアク...
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ほぼ毎日ですが、米国と会議があります。 日本と米国の時差の関係上、日本側の私は早朝参加になりがちです。 コロナ禍ではオンライン参加メインでしたのでまだなんとかなっていましたが、オフィス出社が求められるようになり、状況は厳しくなりました。 会議に間に合うように出勤しないと...
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私の業務上のレポートラインには上長含めて何人か長がいます。 そして、人事評価につながるレポートラインとは別に、業務上で深くやり取りをする別の部門の長もいます。 別の部門とは言え、直接に業務関連の指示が来ることもありますので、人事評価には関わらない上長みたいなものです。 でも、結構...








