基本的にストレスフリーな生き方をしたいと思っておりまして、だからセミリタイアを頭に入れながら日々過ごしています。
ストレスというのは主には仕事上でのプレッシャーで、特に仕事でうまく行っていないことを責められたり、詰められたり、人間関係で振り回されたりのことで、なるべくそれを避けたいわけです。
それらのストレスが行き過ぎると、朝起きれない、休日も憂鬱、全て投げ出したくなる、精神的に追い込まれるなど、明らかに自分が不調であると感じる時間が続きます。
会社員人生において、そんな、ストレス過多になる時期というのは定期的にやってきているように思います。
振り返って幸せなのは、ストレス過多の時期とそうでない時期は、まるで波のように来たり、遠くに行ったりしていて、ストレスしか感じない時期しかない、というわけではないということでしょうか。
それでも逃げたい
しかしそれでも、ストレス過多の時期は本当に辛くて、嫌だな、逃げ出したいな、と強く思っています。
後から振り返って、そうは言ってもそんな時期があったからこそ、今があるんだななんて思うことがないわけではありません。
しかし、それはあくまでも後からついてくる話であって、ストレス過多の時期には、今を乗り越えれば、なんて風には全く感じませんし、早く終わってくれ、今すぐに逃げたいと強く思います。
しかし、逃げたい自分がいる一方で、逃げたら生活どうしようかと冷静な自分がいます。
究極的に言えば、なんとかなる気はしますが、気がしているだけかもしれず、なんの根拠もありません。
そしてそのなんとかなるか、ならないかは経済的なこと、生きていくのにお金に困らないか、ということに集約されます。
セミリタイアをするということは、その経済的なことに目処がついた、ということだと思います。
私にとって、その経済的な目処がついたということは、いつでも逃げられる状況を確保したということに他なりません。
そして、その状況の確保が、私にとっては過度なストレスを緩和する薬になるのではないかと思っています。
逃げ道を持つこと
別に今でも私はいくつも人生の選択肢を持っていますが、持っていることと使う勇気があるかどうかは別問題です。
しかし、さまざまな選択肢をもっているだけではなく、自分は使えるんだという気持ちの余裕があれば、その余裕によって、同じストレスでも感じ方が違ってくるのではないかと思っていますし、さらに言えばストレス耐性が上がるということがあるのではないかと考えます。
セミリタイアを志向する私も、働くのが楽しいのであればそれに越したことはないと思っていまして、働くこと自体が大嫌いというわけではないと自覚しています。
中には、働くこと自体が嫌いで耐えられないからセミリタイアしたい、という人もいると思いますが、私はそうではなく、あくまでも、その働く過程において感じることがある過度のストレスが嫌なのだろうと思います。
人生を過ごす上での経済的な目処がついていれば、無理に過度のストレスに耐え続ける必要性が低下しますし、そういう心持ちがあればそもそものストレス要因に対する態度も変わるのではないか、と思います。
どうせなら自分のやりたいことをする人生がいいですが、あらゆるリスクを許容して自分のやりたいことだけに挑戦するような根性も覚悟もありません。
そんな私が、少しでもストレスフリーな人生を送るには、いつでもセミリタイアができる環境を早く整えることが大切だと思っています。
またまだその環境には道険しですがね。


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