応援の難しさ



とあるプロ野球チームの監督が、応援団に対して、「気合いを入れろ、〇〇」という応援は選手のモチベーションを下げるからいい気はしない、というようなコメントを出しました。

気合いの入っていない選手なんてのはいないと。

その詳細な場面は知りませんが、チームとしては連敗中で、応援団としてはなんとか勝って欲しいという思いでそんな応援をしたのではないかと思います。

どちらかと言うと、鼓舞する気持ち、なんとかしてくれという気持ちであって、本当に気合いが入っていないように見えていたからという訳では必ずしもないだろうと思います。

この発言を巡っては色々な意見を目にしましたが、賛否両論あります。

個人的には、分かるような分からないような、まあ色々な捉え方をする人がいるから難しい話で、小学校で習うことにそえば、人の嫌がることはやめましょう、でしかないのかなと思います。



がんばれ




例えば、がんばれ、という応援がありますが、既にがんばっているときにそんなこと言われたくない、という意見があります。

その意見そのものは私も理解できますし、初めて聞いたときは、そう言われたらそうだなあなんて思った記憶があります。

しかしながら、自分がフルマラソンを走っていてしんどい思いをしている時に、がんばれ、と言われて悪い思いはしません。

恐らく、気合いだ、と言われても悪い思いはしません。

となると、気合いを入れろ、という言葉が持つ、暗に今は気合いが入っていない、というネガティブな意味合いが、聞いていて気持ち良くないということでしょうか。

それは、結果が出ているときは実際の気合いがどうあれ言われないでしょうから、結果が出ていない特に言われると、ちょっとカチンとくるのかもしれません。

実際に、ワードセンスを考えてという言葉がありましたので、苦しい時こそ、ネガティブな要素のない、気持ちの乗る応援をということだと思います。



気合いとは



しかし、私もそうですが、気合い、というのは分かるような分からないようなものですね。

坊主頭にしたら気合いが入ってるなあ、なんて言われますが、果たしてそうだろうか、と思います。

営業成績がよくない社員に、上司が気合いが足りないと言っているシーンがたまにありますが、確かに気合いが足りない可能性はありますが、ややもすると精神論でしかないよなと思います。

気合いでなんとかできることはありますから、確かに気合いが足りないから何かができていない場合はあります。

一昔前の新入社員が、電話が鳴れば2コールまで取る、など求められたことを守るためには気合いや姿勢が大切でした。

それくらいであれば気合いの足りている、足りていないでなんとでもなる話です。

また、単なる気合いではなくて集中力のあり、なしという話はありえると思います。

気合いが空回りという表現がありますが、それはむしろ、冷静さを欠いているということのような気がしますし、むしろ冷静に集中した姿勢で物事に臨むことの方が大切かもしれません。

ただし、今回の場合、実際にプレーする選手は集中力が大切でも、応援している人、特に応援団の人は、ある種の熱狂状態で、声を出して応援しているわけで、それこそ気合いを入れた状態なわけです。

そして、応援している対象が負けている場合、不甲斐ないと感じた場合、あるいはなんとかして欲しいと願う場合、気合いを入れろと言いたくなるのでしょう。

勝っていればなかなか言われないと思います。

今回、どのような場面、どのようなトーンだったのか分かりませんが、応援する側も頑張るから、される側も最後まで諦めない姿、頑張っている姿を見せて欲しいというものであれば、個人的には分からなくはないなと思います。

応援している側も、気合いさえあればいい結果が生まれるとは思っていないのではないでしょうし、気分を害させようとも思っていないと推察します。

ただなんかこう、意地を見せて欲しいという思いはあるのではないかと思います。

もちろん、勝手に応援しているだけではありますが、それを言ってしまうと興行であることを否定してしまいかねません。

しかしまあ、それもまた勝手な意見でしょうし、難しい点ではあるなと思いますね。

誹謗中傷はいけませんが、そうではない心の叫び、自分が好きな対象に頑張って欲しいと思う気持ちが根底にはあるはずで、いかし受け取る側が応援されているように感じないのであれば、独りよがりになってしまうのも確かにそうだなとは思います。

いつもどんな時もポジティブに応援し続けるのも難しいというか、現地に応援にいくような熱狂的ファンは自分ごととして興行を捉えがちですからね。


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