ミスMr.に批判の声




とある進学校のミスMr.っぽい企画に対して、女性らしさを馬鹿にしている、というような批判が起き、対応を迫られたというニュースを読みました。

 

白人が黒人らしさを競うことは人種差別ではないかとか、日本人が鼻が高いメークをして白人になりきったり、顔に黒塗りをして黒人になりきったりというのも批判されてきていますので、男性が女性になりきるというのもまたよろしくないのではないかというのが批判の根拠のようです。

 

女性らしさを馬鹿にしている、というように捉えたのではないか、ということのようです。

 

最近では、女性だけのミスコンに対しても批判が出るような社会になってきていまして、そんな中でミスMr.にも批判がでてしまったということなのでしょうか。

 



何を批判しているのか




個人的には、批判をしている人の意見を直接聞いたことがありませんので、どういう課題意識を持っているのかも良く分からない状態なのですが、ぱっと聞いただけでは、いったい何を言っているのかよく分からないなという感想でした。

 

そもそも、女性らしさというのが何なのか、ということが私の中でははっきりと定義づけされていませんので、どういう女性らしさをどう馬鹿にしていると主張しているのかがよく分かりません。

 

さらに言えば、そもそも、別に女性を馬鹿にするためにこういう企画があるわけではないと思っていまして、むしろ男性を馬鹿にして笑うという方に目的があるのではないかと思いますが、あくまでも個人の見解ですので何とも言えません。

 

また、お笑いのコントなんかでも、女装することはあると思いますが、それが問題にされているというようなことは聞いたことがありません。

 

であれば、男性が女性のような美しさを表現しようとすることが、女性らしさを馬鹿にしているということなのか、はたまた誰が一番女性らしいかを決める、つまり女性らしくないということも決めてしまうことに対して、それは女性に失礼なのではないかということなのか。

 

恐らくは、女性らしいを決めることが女性らしくなさを決めてしまうこと、しかもそれが外見や振る舞いなどを基準にしていている、ということに対して、男性が考える女性像を押し付けるな、という批判ということなのでしょうか。

 

まあそうであれば、その批判の意図も分からなくはないなという気はしますが、別に周りにいる人たちが、あれこそが理想の女性像であって、世の中の女性はそうであるべきなんだと考えるということはないのではないかと思いますし、やっている本人たちも、別に差別的な意味を持って女性らしさを演じているわけではないと思います。




受け手がどう思うか



 

こんなことを言うと、差別を意図しているかいとしていないかではなく、らしさを強調する、主張することで不快に思う人がいるかいないかだ、ということを言われそうですね。

 

男性らしくとか女性らしく、というようなことを口に出すこと自体が問題とされかねない世の中ですし、(男性なのに)女性よりも女性らしい、というような表現もアウトなのでしょう。

 

なかなか難しい世の中になってしまいましたね。

 

一番良い方法は、何も言わずにじっと黙って見ていることなのでしょうか。


どんなことでも、受け手が不快に思うことはありえますから、下手に何かを口に出すのはリスクになってしまいますね。


 

 


にほんブログ村 サラリーマン日記ブログへ  にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ

0 件のコメント:

コメントを投稿