賞与が出ました。
オフィスにいる人達も今日が賞与の日であることはわかっているのですが、あまり大っぴらにそうだと言っている人は朝はいませんでした。
それがお昼休み中にご飯を食べているときや、定時後になって残業をしているときは、今日は賞与がでたな、という話を私の周りでもしていました。
当然と言えば当然なのですが、その際に今年はいくらだったという話は誰もしていません。
あくまでも賞与をどう使おうかなという話にとどまります。
理由
それはそのはずでして、賞与額は役職やパフォーマンスに紐づいて上下しますので、例えば同じ役職であっても賞与額は異なっているということが普通ですし、その賞与額からどれくらいのパフォーマンス評価をされているのかということも簡単に予想できるからです。
自分のパフォーマンス評価について大っぴらに他人に話したいという人はなかなかいないですよね。
たとえいい評価をもらっていたとしても、謙遜するのが日本人の文化です。
もちろん、この人のパフォーマンス評価は絶対に高いだろうなと思う人はいますし、おおよそその予想は外れていないと思います。
その一方で、それ以外の人のパフォーマンス評価の予想をするのはなかなか難しいです。
もちろん、予算未達であるとか、大きな失敗をしたということであればそれなりの予想はできるのですが、そもそも絶対評価ではなく相対評価であるために、その人の上司の声の大きさ次第で上下することは普通にあるだろうと思われるからです。
また、年功序列の要素が完全にはなくなってはいないと思われる中、そろそろ管理職になれそうな方はすこし高く評価してあげることで、管理職になるのを後押しするということもあり得ると思います。
公正公平な評価方法とは言えないのかもしれませんが、そういうケースはあると思います。
理想としてはそういう人の感情に左右される要素はなくして、数字をもとに冷徹に評価を下していくというのがいいのかもしれませんが、物事によっては数字で測れない評価もあるでしょうし、私個人的にもある程度人情が絡むのは致し方ないのかなという気がしています。
政治の世界でもよく聞く、派閥というやつなんかも、結束感というメリットはあるのかもしれませんが、不正の温床になったり、なあなあの文化を創り出したりと、デメリットがあることも十分に承知しておりますが、それはそれでなくせないというのも真実なのだろうなと思います。
不正の温床になるのは完全によくないことですけれども。
実は外資系も
外資系の会社は、日本企業に比べてより数字ベースで冷徹に判断されると思われがちで、確かにそういう部分もあると思いますが、上司の好き嫌いというのも当然のごとく存在しているということを耳にします。
人間的に合う、合わないというのでパフォーマンス評価をされるということもあるみたいですし。
外資系の場合は、一定以上の層になれば市場内での流動性があるために、その視点では転職のハードルは日本企業に比べれば低く、また会社のメンバーになるのではなくて、ある職業に就くという感覚が強い分、ダメなら別のところに行けばいい、という考えになりやすいのかもしれませんね。
だから自分の想定以上に低い評価をされると、それに対して戦うということも多くなるのかもしれません。
その一方で、その考えになりにくい多くの日本人にとっては、多少の人情が絡んだ評価をされたとしても、同じコミュニティの一員として、今はおとなしくそれを受け入れておいて、議論を巻き起こすのはやめておこうか、とかなりやすいのかもしれません。
日本人的な視点からの損して得取れ、みたいなことでしょうか。
何が正しいのかはよくわかりませんし、まあなんならどれも正しいのだろうと思いますが。
買いたいものはあるが
さてそんな私ですが、今回の賞与が出たことで別に何か高い買い物をしようという計画はありません。
子どもの習い事含めた教育費に一部を回すつもりですが、基本的には貯蓄や投資に回ると思います。
それは日本経済にとってあまりよくないことであることはわかっているのですが、高くて欲しいものがないわけではないが、それを買おうという判断には家族ではならないということが大きい気がします。
例えば、個人的には高級車が欲しいのですが、なぜそれを買うのかというのは他人を説得可能なロジックを超えた、ただの私の願望であり、欲しいから買いたいんだというほかにありません。
そしてそんな状況では家族の承認は到底得られませんし、家族というコミュニティの一員である以上はその調和を乱さないように、ぐっと我慢の子になるしかありません。
そんな高級車を買ったら、セミリタイアまでの時間が長引くことになるので、それも仕方がないかなという気もしますが、セミリタイアしたとしても高級車は欲しいんですよね。
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