オリンピック

 



パリオリンピックが開催されようとしておりますが、当のフランス国内では、労働者がストライキをちらつかせて待遇改善を図ろうとしたり、催し物の参加者がストライキを示唆したり、交通網がストップさせられたりと、すんなりと行くのだろうかというような雰囲気があるようです。

 

その行為そのものがいいか悪いかというのは判断は難しいですが、権利を主張するという意識の強い国民性を持っているとも言われますし、らしいと言えばらしい行動なのかもしれません。

 

逆に日本人があまりにもおとなしすぎるのかもしれませんね。

 




しらけムード




本来であれば、オリンピックは世界のスーパースターのスポーツ選手が集まって競い合う、素晴らしい催し物のはずなのですが、最近聞こえてくるのはそんなオリンピックの商業化、利権化、というように単なるスポーツイベントではなくなってしまっているというような印象を受けます。

 

開催にお金はかかることですからどうしようもないことなのかもしれませんが、ちょっと行き過ぎているんじゃないのかということを感じることはあります。

 

そんな感じなので、ちょっとしらけムードがあるというか、あまり盛り上がっていないように感じてしまうというのもあるのではないでしょうか。

 

オリンピックを誘致することの経済効果ということもよく言われますし、もちろんそれが0であるとは言いません。

 

誘致した都市の知名度や印象にいい影響があるというのもそうだろうと思います。

 

オリンピックでのメダル獲得が国としての威信掲揚につながるということも一部の国ではあると言われています。

 

しかし、その経済効果というのも国の経済全体を押し上げて、さらに発展させるという効果までは今はないのではないかと思いますし、箱モノを作ってもその後どうするの、という時代になってしまっているのではないかと思います。

 

フットボールやラグビーのワールドカップも、野球のWBCも、同じく商業的な要素はふんだんにあるはずで、純粋なスポーツの大会ではないと思うのですが、オリンピックに比べたらなぜかちょっとましだと思われているのかなと感じますね。




不穏な空気


 


今回のオリンピックはちょっと不穏な空気もありますが、テロやらなんやらまで起こらないといいなと思います。

 

本来はオリンピックは平和の祭典なので、オリンピック期間中は戦争や紛争を休止してくださいとかなんとかそんな暗黙のルールもあったような気がしますが、おそらく無視されるでしょうね。

 

私が小さい頃は、カールルイス、ベンジョンソン、ジョイナーとか、なんかヒーローっぽい人がいて、幼稚園で友達と話をするなんてこともありました。

 

子どもながらに、ドーピングしていたから悪い奴だな、なんて話をしたのも覚えています。

 

今ももちろんそういうヒーロー的な人はいるのだろうと思うのですが、私はそれが誰なのかを知りません。

 

おそらく単に私に興味がないだけなのだろうとは思いますので、みんながみんなオリンピックに関心がないというわけではもちろんないと思いますし、何よりその舞台を目指して日々努力をしてきているアスリートの人たちが間違いなくいるわけですから、その方たちの思いも尊重しなければならないのはわかっています。

 

自分に興味のないものは排除してもいいとなったら、逆に私は興味があるけれども他の人は興味のないからという理由で排除される可能性を認めてしまうわけですからね。

 

先ほども言いましたが、そうはいっても少し不穏な空気間をまとっているというように感じるのは感じますので、懸念されるようなことは何もなく、無事にオリンピックが開催されることを願います。

 

 

 

 


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事故対応


東海道新幹線での深夜の事故のために新幹線での交通網が大幅に乱れました。

 

パソコンでのアクセス障害が発生して仕事ができない人が続出するなど、何かしらの故障や障害よって、日常生活が大きく乱れることが続いています。

 

新幹線の件については、復旧見込が最初に出されていたものからなんどか遅延したことも混乱に拍車をかけたような印象を受けます。

 

ああ、お昼には正常になるのねと思っていたら、それがずれてずれて、ということが起きた結果、正常化を信じた人たちが当初通りの予定で動こうとした結果という印象を受けます。




プレッシャー


 


確かに見通しが甘かったという点においては復旧見込を発表した会社側にも責任があると思いますが、個人的には早く復旧させろ、できるはずだというプレッシャーを受けていた人たちが背後にいたのではないかという気もします。

 

事故原因などはまだはっきりとはしないところもありますが、会社側の事由であるとは思いますので、自分たちで起こした事故の処理、そこからの復旧は早くしないといけない、お客様には迷惑はかけられないという思いもあったでしょうし、希望的観測としての復旧見込をだしてしまうような環境もあったのではないかと思います。

 

後から考えれば、復旧見込みは未定です、でいいじゃないかということも簡単に言えますが、それを言ったら言ったで文句を言う人もでてくるでしょうし、そうは言えないようなプレッシャーがあったのではないかとすら思ってしまいます。

 

その点、海外の交通機関においては、何かストライキなどがあった場合には、まずストライキのために交通機関は乱れますよということと、その期間が終わったとしても交通の乱れは続きますよ、なんなら使用しないことを推奨しますよというアナウンスをすることがあります。

 

期待するなよということを言い切ってしまうわけです。

 

もちろん、ストライキの場合は事前に予定が分かっていることが多いですので、そういうアナウンスができるということはありますが、信号の事故などの場合も、乱れている、という事実だけを伝えて、復旧時期はわかりません、という情報伝達をすることもあります。

 

このあたり、期待するなよ、と言い切ってしまうのはなかなか日本企業ではできないかもなと思います。





当たり前のレベルが高い


 



理由がどうあれ、ニュース番組などで、交通機関が乱れた際に乗客が怒りの声を駅員さんに投げかけている光景を見たことがある人は多いと思います。

 

まあ、駅員さんもそのサービス提供会社の一員ですから、サービスが提供されないことに対して文句の一つも言いたくなるというのは分からなくはないのですが、それをこの人たちに言っても仕方ないよね、というように思うこともあります。

 

もしも状況が分かっていれば、その状況は共有されるはずですから、そうなったらすぐに駅員さんも情報共有してくれますから。

 

それぞれの人が予定があって、それが崩れると嫌な気持にはなるでしょうし、なんでもかんでもすべて受け入れてケセラセラの態度で臨めとは言いませんし、雨風で服が濡れているとか、暑いし湿度も高いしで不快指数が上がっているとか、いろいろな環境要因もあるでしょうが、もう少し余裕を持ってもいいんじゃないのかと、はたから見ていれば思うこともあります。

 

そういう人たちに対して、そして特に責任が自社にある場合に、今後のことはわかりません、と言ってしまうのはある種の無責任ではないか、二重の迷惑ではないかという責任の強さから、淡い期待での将来見込を伝えてしまったのではないか、と思うところもあります。

 

どうするのが正しいのかということを答えを1つ出すのは難しいのですが、そういうこともあるよね、ということを受け入れる心の余裕のようなものはあってもいいのではないかと思います。

 

まあ、そもそも一見不可解な文句を言っている人たちにしても、なぜそんな文句を言っているのかというと、普段当たり前のように素晴らしいサービスが提供されており、そうなっているのが当然であるという経験、思いを持っているからというのがあると思います。

 

普段から遅れるのが当然、サービス提供が中断されるのが当然であるというような環境で暮らしていれば、またか、という感想になるはずですからね。

 

ですので、このような状況は普段いかに素晴らしいサービス提供がされているのかということを証明しているとも私は思います。

 

事故は起こさないようにしなければなりませんし、他人に迷惑をかけていいなんてこともありませんが、迷惑をかけないようにしようとしたことでより迷惑がかかることもあるというのもあり得るでしょうし、今回は申し訳ないけれども分からないよ、ということを勇気を持って言える環境、そしてそれを受け入れる余裕、みたいなのは大切なのだろうと思います。

 

どうしようもないことはどうしようもありませんからね。

 

それでも予定が狂ってしまった方、立ち往生してしまった方、またそれによって体調不良になる方、まだ小さなお子様を抱えている方など、いろいろといらっしゃると思いますし、サポートをできることはなるべく会社として、そして協力して、してあげてほしいというのも同時に思いますが。

 

いずれにせよ、頑張って復旧作業をされた方にも感謝ですね。

 

 

 

 

 


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賞与支給



 

賞与が出ました。

 

オフィスにいる人達も今日が賞与の日であることはわかっているのですが、あまり大っぴらにそうだと言っている人は朝はいませんでした。

 

それがお昼休み中にご飯を食べているときや、定時後になって残業をしているときは、今日は賞与がでたな、という話を私の周りでもしていました。

 

当然と言えば当然なのですが、その際に今年はいくらだったという話は誰もしていません。

 

あくまでも賞与をどう使おうかなという話にとどまります。

 



理由




それはそのはずでして、賞与額は役職やパフォーマンスに紐づいて上下しますので、例えば同じ役職であっても賞与額は異なっているということが普通ですし、その賞与額からどれくらいのパフォーマンス評価をされているのかということも簡単に予想できるからです。

 

自分のパフォーマンス評価について大っぴらに他人に話したいという人はなかなかいないですよね。

 

たとえいい評価をもらっていたとしても、謙遜するのが日本人の文化です。

 

もちろん、この人のパフォーマンス評価は絶対に高いだろうなと思う人はいますし、おおよそその予想は外れていないと思います。

 

その一方で、それ以外の人のパフォーマンス評価の予想をするのはなかなか難しいです。

 

もちろん、予算未達であるとか、大きな失敗をしたということであればそれなりの予想はできるのですが、そもそも絶対評価ではなく相対評価であるために、その人の上司の声の大きさ次第で上下することは普通にあるだろうと思われるからです。

 

また、年功序列の要素が完全にはなくなってはいないと思われる中、そろそろ管理職になれそうな方はすこし高く評価してあげることで、管理職になるのを後押しするということもあり得ると思います。

 

公正公平な評価方法とは言えないのかもしれませんが、そういうケースはあると思います。

 

理想としてはそういう人の感情に左右される要素はなくして、数字をもとに冷徹に評価を下していくというのがいいのかもしれませんが、物事によっては数字で測れない評価もあるでしょうし、私個人的にもある程度人情が絡むのは致し方ないのかなという気がしています。

 

政治の世界でもよく聞く、派閥というやつなんかも、結束感というメリットはあるのかもしれませんが、不正の温床になったり、なあなあの文化を創り出したりと、デメリットがあることも十分に承知しておりますが、それはそれでなくせないというのも真実なのだろうなと思います。

 

不正の温床になるのは完全によくないことですけれども。

 




実は外資系も




外資系の会社は、日本企業に比べてより数字ベースで冷徹に判断されると思われがちで、確かにそういう部分もあると思いますが、上司の好き嫌いというのも当然のごとく存在しているということを耳にします。

 

人間的に合う、合わないというのでパフォーマンス評価をされるということもあるみたいですし。

 

外資系の場合は、一定以上の層になれば市場内での流動性があるために、その視点では転職のハードルは日本企業に比べれば低く、また会社のメンバーになるのではなくて、ある職業に就くという感覚が強い分、ダメなら別のところに行けばいい、という考えになりやすいのかもしれませんね。

 

だから自分の想定以上に低い評価をされると、それに対して戦うということも多くなるのかもしれません。

 

その一方で、その考えになりにくい多くの日本人にとっては、多少の人情が絡んだ評価をされたとしても、同じコミュニティの一員として、今はおとなしくそれを受け入れておいて、議論を巻き起こすのはやめておこうか、とかなりやすいのかもしれません。

 

日本人的な視点からの損して得取れ、みたいなことでしょうか。

 

何が正しいのかはよくわかりませんし、まあなんならどれも正しいのだろうと思いますが。




買いたいものはあるが

 



さてそんな私ですが、今回の賞与が出たことで別に何か高い買い物をしようという計画はありません。

 

子どもの習い事含めた教育費に一部を回すつもりですが、基本的には貯蓄や投資に回ると思います。

 

それは日本経済にとってあまりよくないことであることはわかっているのですが、高くて欲しいものがないわけではないが、それを買おうという判断には家族ではならないということが大きい気がします。

 

例えば、個人的には高級車が欲しいのですが、なぜそれを買うのかというのは他人を説得可能なロジックを超えた、ただの私の願望であり、欲しいから買いたいんだというほかにありません。

 

そしてそんな状況では家族の承認は到底得られませんし、家族というコミュニティの一員である以上はその調和を乱さないように、ぐっと我慢の子になるしかありません。

 

そんな高級車を買ったら、セミリタイアまでの時間が長引くことになるので、それも仕方がないかなという気もしますが、セミリタイアしたとしても高級車は欲しいんですよね。

 


 

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いらっとした



 

 

 

久しぶりに上長にいらっとしました。

 

仕事の話で、方向性として複数の選択肢が考えられたため、何案かありますがその中でもA案がいいと思いますがいかがでしょうか、とお伺いを立てたところ、他の案はないのかと尋ねられ、もしも他にも検討するなら以前にはこういう案も出てはいましたけれども、と伝えたところ、どれが一番いい案か判断は任せるから提案をくれと言われました。

 

このこと自体はまあおかしくはないような気はしますが、そもそもその他の案というのは前回に話し合った上で、納得の上で消している案や、上長が自身で検討を進めると言っていた案でして、その上で今回検討を進めた上で、これまで合意をしていたこの条件であればA案がいいと思います、という提案をしたのに、それに対してのフィードバックもなくさらに提案をくれというのはちょっと横暴だなと思いました。

 

もしも、今の提案で気になる部分があるとか、ここをもっと検討してほしいとかがあった上で、再検討してくれというのであれば理解はできるのですが、今回、一番いい案はこれだと思いますというように提案をしているのに、それに対して何も評価をしないまま、判断は任せるから提案をくれというのはいまいちよく分からないのです。

 



結局は判断を任されていない




判断を任せるんだったらそもそも提案もいらないだろうと思いますので、もうこっちで決めていいということだよなと割り切りまして、思うように進めようと思っています。

 

しかしながら、今後絶対に、なぜこの案にしたのか、他の案はなかったのか、ということをちくちく言われるだろうなと思いますので、それを考えると気分が重いです。

 

まあ、今後の動きが予想できるということはそれに準備ができるということで、それはそれでいいことだと思うのですが、上長の気分次第でいろいろと飛び火しそうなのが嫌なんですよね。

 

任せるんだったら文句を言ってくれるな、というのは正直に思います。

 

もしかしたら単に上長は責任を取りたくないだけなのかもなと思いますので、であれば責任は私がとるから構いませんよと言えればいいのですが、残念ながら私にはそこまで権限もないというのも現実ではあります。

 

であるならば、後からねちねち言わる可能性もゼロではありません。

 

ひとまず、周りに対しては上長はこう言っていますので、A案が一番いいならそれで進めようと思いますが、何かご意見ありますか?という根回しを開始して、少なくとも他の人は納得しているという状況をつくっておこうと思っています。

 

もしも私が何の案も持たずに、どうしましょうかと上長に尋ねていたとして、それでは上長は決めれないとか、お前が考えろと言われるとか、というのであればまあそうだろうなと思うのですが、少なくともこっちは案を提示した上でどうですか、という話をしているのですから、それについてどう思っているのかを最低限言ってほしいというのはありますし、他にいい案を持っているのであればそれを教えてくれ、とも思いますし、もしも自分では分からないかは任せるというのであれば、はっきりそう言ってくれればいいのにと感じます。

 

提案に対して、いいのか悪いのかも言わないままだったら、そもそも答えになっていないんだけれどもなと思いますが、まあそういうところがある人なので仕方がないかなとも思います。

 

別に俺が責任取るから思うようにやってくれと言ってほしいわけではないですけれども、一見意思がないようなふりをして、どこかのタイミングでこう思っていたと後出しされると、時間の無駄でしかないので嫌なんですよね。

 

 

 

 


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