習い事とはなにか



 

少年野球は習い事ではないという主旨のネット記事を読みました。

 

何を言っているんだ、少年野球は習い事だろう、という気もぱっと聞くと思いますが、主張としては、習い事ではなくてコミュニティ活動なのではないか、ということでした。




記事の筆者の考え


 



この筆者の定義づけとしては、習い事というのはスキルを磨くことやお客様に対価を与えることに主眼が置かれるのに対して、コミュニティというのは営利目的ではない互助的な関係性の元で活動が行なわれているという違いがあり、すごく極端に言うと、習い事は野球塾のような感じで、強いチームであることや、そのチームから強豪校に進んで野球をやっていることが大切にされる一方で、コミュニティではみんなで集まってちょっと遊ぼうか、というような感じという違いでしょうか。

 

お金を払って、時間が決まっていて、ユニフォームをしっかりときて、監督やコーチがいて、グランドが予約されていて、ビシバシと指導されるのが習い事である一方で、道具やらを持ち寄って、時間のある人が集まって、好きな服で、野球好きのおじさんが勝手に教えていて、そこら辺の空き地でわいわいやっているのがコミュニティとも言えるかもしれません。

 

私も子どもの頃に習い事をしていましたし、野球に限らずスポーツ、楽器、公文や英語などの勉強、周りの友人も色々な習い事をしていました。

 

習い事である以上、(親が)お金を払っていましたが、少なくとも私の場合、必ずしもスキルアップのみに主眼を置いて習い事をしていたわけではありません。

 

もちろん、スキルアップにはつながってはいましたが、別にそれを武器に生きていこうとか、ずっと続けようということではなくて、時間もあったし、友達も習っていたからそうした、というような意味合いが強い場合もあったような気がします。


子どもはあまり気にしないのかもしれませんが、周りの親の方が加熱している場合は、こういう習い事の場合はある気がします。

 




筆者の意図





というところで、なぜ筆者の人がこのような主張をしているのかを考えるに、恐らくですが、昨今の少年野球で、多くのチームが野球塾のような感じになっていることに警鐘を鳴らしているというか、さらに言うとそうなっていることで野球人気が下がってしまっていることに警鐘を鳴らしているのではないかと思われます。

 

もっと言うならば、野球って本来楽しいものなのだから、楽しくやろうよ、ということでしょうか。

 

私も話でしか聞きませんし、そういう話だから私でも聞くのかもしれませんが、小学生の頃から野球チームで勝利第一の指導がされる、ミスをすれば監督やコーチからどやされる、チーム内の親の力関係でスタメンやベンチが決められる、親がボランティア的にチームのサポートをしなければならない、など、空き地で子どもだけで時に喧嘩もしながら野球をしていた私の周りにあった環境とはがらりと変わった環境が、今の少年野球にはあるということは耳にします。

 

私の子どもの頃は、近所のおじさんが、ちょっとおじさんが教えてあげよう、なんて声をかけてくることもありましたが、今ではそういうことをやると変質者扱いされるかもしれませんね。

 

今では、やっている子どもよりも親の方が子どもの習い事に熱中しているなんて話も聞きますし、親の立場からすればかわいい子どもを応援したくなるのは仕方のないことなのかもしれませんけれども、不思議だなと思うこともあります。

 

親の側が、なぜうちの子どもは試合に出れないんだ、と文句を言う気持ちは分からなくはありません。

 

最近話題にされるモンスターペアレントの方もいるでしょうし、勝利至上主義のためにうまい子しか試合に使ってもらえないというのもあるかもしれませんが、やはりやっている本人としても試合には出たいものだと思います。




共感するところがある


 



私は野球が好きなので、子どもとキャッチボールしたいなと思いますし、子どもが野球を好きになってくれたらいいなと思いますが、そんな子どもを少年野球チームに入れるとなった場合に、ミスしたら怒声が飛んでくるようなチームには入れたくないなと正直に思います。

 

そもそもが、もちろんルールは守らないといけませんが、野球の理論だって年を経るごとに何が正しいのかというのは変わってきているわけですし、その指導者が教える型でやらないと間違いだ、というのもおかしいと思いますし、ミスなんて誰でもするものであって、子どもが野球のプレーでミスをするぐらい別にいいじゃないかと思います。

 

むしろ、子どもが野球を好きになってくれることすら少しの可能性しかないことでうれしいのに、変な指導者に出会うことで、好きだったはずの野球が面白くないものに変わってしまうということの方が私は不安です。

 

子どもであろうが大人であろうが、怒られることを避けよう、とすれば萎縮してしまって楽しくないですし、いいプレーをすることよりも変なプレーをしないことに意識が向かいます。

 

もちろん堅実なプレーをするということ自体は非常にいいことだと思うのですが、子どもの時からそればっかりになってしまうのには違和感があります。

 

お子さんがいる方なら分かると思うのですが、最初に子どもが立ち上がってあるこうとしているときに、歩き方の型なんて教えないですし、もっと踏ん張ってとか言わないでしょうし、多少間違っていようが歩いていることをほめるはずです。

 

前を見て歩きなさい、周りをよく見て歩きなさい、と怒ることはありますが、それは子どもの安全のためにそう言っているだけであって、こけたからといって怒るということもないでしょう。

 

筆者も、野球塾のようなスタイルが必ずしも悪いわけではないという立場に立っており、私も同じ立場ではありますが、それでも筆者が言わんとしていることには共感できます。

 

まあそもそもの環境として、公園でのボール遊び禁止とか、大人が環境を制限してしまっているからこそ、いわゆるコミュニティでの遊びができるスペースが限られてしまう結果、習い事の場しか社会が提供できなくなってきているのではないか、特に都心ではその傾向が顕著なのではないか、と思いますけれども。

 

 

 

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