人材の流動性について

 


日本経済の発展のために、政府や与党は人材の流動性を高めたいとする意向があるのではないかと昨日ブログに書きました。

実際に、人材の流動性を高めることが日本経済の発展につながるかどうかというのは私は分かりません。 

というのは、終身雇用、年功序列という仕組みによって、従業員が雇用の安定を感じ、また一家族のような気持ちで忠誠心を高くもって日本企業で長らく働いてきたというのも事実であろうと思っており、それが会社に貢献したいという思いにつながっていたとしても不思議ではないと思うからです。

もちろん、その思い自体が、どこまで日本経済の発展につながっているのかということを数値化することは難しいですし、もっと言えば、そのような仕組みがない国でも経済発展を遂げているという事実もありますが、日本人らしい働き方の一つとして受け止めることもまた必要なのではないかと思います。



人材の流動性について



そんな中で人材の流動性についていえば、一般的には、若い世代の方がポジティブに受け止めがちで、高年齢層になるほどネガティブに受け止めがちになるのではないかと思います。

高年齢層の多くの人は、一つの会社で働いてきている人が多いのではないかと思われる分、その会社で通用するスキルしか持っていない傾向にあるのではないか、さらには長年慣れ親しんだ環境を変えることのストレスや不安はやはりあるのではないかと思うからです。

さらに言えば、人材の流動性そのものが、年齢や性別を問わずに同じ流動性を持てばいいのですが、実際のところは若い世代ほど流動性が高く、高年齢層ほど流動性が低くなると思います。

全ての国のことは知りませんが、少なくともある程度経済発展している国においては共通の話になると思いますし、これは当たり前だと思います。



人材の流動性の強度



また、実際に経済の発展のために人材の流動性が高い方が良かったとしても、同じ国の中で、全ての人が同じレベルの流動性を享受できるわけでもないでしょう。

事例を出せば、大手商社で10年働いた人が中小IT企業に転職することは可能かもしれませんが、町工場で10年働いた人が同じ中小IT企業に転職することができるかと言われれば、正直難しいのではないでしょうか。

これはどれだけ、政府や与党が人材の流動性を高めようとしても、その人本人の資質や属性によって、どうしても流動性の高低には差が出てしまいます。

今の会社の外に活躍の場をとかシニアの活躍の場を、というと聞こえはいいですが、実際問題として、その活躍の場を持てる人と持てない人というのは存在しています。

例え流動性があったとしても、だから転職できるかどうかは本人の資質次第ですし、何よりも受け入れ側だって優秀な人材を受け入れたいわけです。

つまりは、実際のところはどれだけ流動性が高まったとしても、そもそも全くそれに関係のない人たちは自然と生まれてきますし、それが当然のはずです。

また、そのことを我々自身がよく理解しているのではないかと思います。

だからこそ、受け止め側の我々は、流動性が高まる政策が実施されれば、それを活用できない我々には、雇用の面などで悪影響があるのではないか、と考えてしまうのではないでしょうか。

退職金制度の話しかりですし、もしかしたら能力給の話なんかもそうかもしれません。

嘘か本当か、よく耳にした話に、リクルートではリクルートで長年働いている人ほど能力のない人と思われる、なんて話がありますが、自分の意思でそうしているかどうかに関わらず、一つの会社に居続けることはつまり他の会社で必要とされない人材なのであるというようなことを言われるかもしれない、非常に居づらい社会になる可能性もあります。



結局は説明が不透明だ



政府や与党が、なぜ人材の流動性を高めることが重要なのかをしっかりと説明しないまま、我々もそれを理解できないまま、そして全体的な要因分析もされないまま、一部の制度や状況が取り上げられてそれを改正しようという動きになっていることに違和感はありまして、せめてこういう方向性に動くことが正しいことだよねという社会的な議論があってから、色々と動きがあるべきだと思います。

場合によっては、一部の人は犠牲になるけど、社会全体のために申し訳ない、と主張するのも政治家の役割でしょう。

そういう意味で、政府が退職金制度だけをやり玉に挙げたのは賢くない選択だったなとは思いますが、今後何かしらの理由で人材の流動性を高める施策がとられれば、それもまた我々の覚悟が問われる可能性がある変化だなと思います。

 

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