部下の功績は上司の功績か?


 


 

ネット記事などを読んでいますと、部下の失敗は部下に押し付け、部下の成功は我が物にする困った上司の話を見聞きすることがあります。

そういう人が本当にいるなら、それは本当に困ったことというか、人でなしであるとすら思います。 

良い上司とは、部下が失敗したとしても責任者として批判の矛先は自分の方に向くようにして、部下の成功は部下の成功であることを大々的に周りに喧伝する、そんな上司だというような論調もあります。

まあ確かにそういう上司がいれば、確かに部下はやりやすいと思います。



ちょっと違う考え



一方で、私が少し違和感を抱くというか、こうあってもいいのではないかと思うのは、部下の成功は部下の成功としてほめたたえる一方で、そこに上司のサポートが少しでもあれば、いや仮にあまりなかったとしても、それは上司の成功であるのも間違いないのではないかということです。

もちろん、この成功は自分がいたからこそ、と周りに主張しまくるのはいかがなものかとは思いますが、上司は責任者である以上、部下が失敗すれば批判の矛先になる必要がある一方、成功すれば上司もまた褒められる対象になってもいいのではないかと思うのです。 

ネット記事に出てくる困った上司はいいとこ取りをしようとするからこそ困った上司なのであって、部下が失敗すれば責められるが、部下が成功しても褒められない、ということまで求めるのは少し違うのではないかと思います。

確かに、本当に何のサポートもしない上司もいますし、その上で部下としての成功を上司に取られるのは納得いかないというのも良く分かります。



個人的経験

 


私の場合も、自分でいろいろと動いて情報収集して分析して、見解をまとめてとやっているのに、あたかもさらに階層が上の人が自らそう動いていますというように振る舞っているのを見ることがありまして、実際問題、その人は私が進めている件に関しては何もしていないので、はて、と思うことがあります。

別のその人の指示で何かをやっているわけでもないですが、ただレポートはしていますので、そういうことになってしまいます。

確かにあまり気持ちの良いものではありませんし、別にその人のために働いているわけでもないので、その人の手柄にされるのはちょっと変なのかなとは思います。 

ただそれでも、あたかもその人が関わっているかのような環境を作っておけば、いざとなったときにその人のポジションやら名前やらを使って、自分に有利なように何かを進めることも可能になるとも思っています。

ですので、その人自身があまりポジションの高くない人であればあまり意味がないことなのですが、その人のポジションが高ければ、水戸黄門の印籠のように、いい方は悪いですがそれを振りかざして、自分が思うように物事を進めやすくなるというのは否定できません。

そうなると、少なくとも私は、その人の威光を利用しているわけですから、その人が役に立っているというのも間違いなくて、であれば、それによって私が何かを成し遂げたとすれば、それはその人のおかげでもあると考えられるわけです。

例え、その人自身が何も重要なことをしていなかったとしてもです。 



バランスかな?



この例だけを取り出して、部下の成功は上司の成功でもあるという風には言えないかもしれませんし、確かに中には責任は部下に押し付けてという人もいますので、そういう人に対して思うところはもちろんあります。

しかしそうだったとしても、例えば営業部署で部下が頑張って予算を達成すれば、その営業部署の予算が達成されるわけで、その場合に一番褒められるのは、仮に1%も予算の数字そのものには貢献していなかったとしても、その営業部署の長でしょう。 

逆に予算がいかなければ、営業活動を全くしていなかったとしても、組織として責任を負わされるのもまたその営業部署の長ではないでしょうか。 

ですので、もちろん、責任は責任としてとることが大前提にはなるとは思いますが、部下が成功すればそれは上司の成功でもある、というように考えてもいいのではないかと思いますし、いやそうではないと考える人は、どこかのタイミングで組織的に上の階層に行くのができなくなってしまうのではないかとも思います。 

まあ、それくらいイライラせずに、気軽にやっていた方がストレスも少なくなるかもしれませんというのと、もし出世したい人がいれば、積極的に自分の成功を上の人のおかげにするのが実は効果的であることもあるのではないか、と思います。

自分を立ててくれる人を嫌いになる人はいませんから、引き上げてくれるかも?

 

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