不毛な飲み会を考えるセミリタイア志願者

 



一昔前なら、当たり前に行なわれていた、終業後の今日暇?飲みに行く?という会話ですが、最近は様相が変わってきている面があるらしいです。 

いや、なんなら今でも、当たり前のように行なわれているような気が個人的にはするのですが。

 

私は知りませんが昭和の時代にはそれこそ当たり前でしたでしょうし、中には、いったん仕事を切り上げて飲みに行ってから会社に帰ってきて仕事をするなんてこともあったと聞きます。

 

私が知る平成の時代においても、終業後しばらくすると、今日の飲み相手を探しているお偉い方々がフロアをうろうろする、なんて光景はありましたし、同僚同士でもちょっと夕飯でも食べて帰ろうかと言いって、居酒屋に行くなんてことはそれなりの頻度であったと思います。

 

私が勤めている会社の場合、たとえ上の人からの誘いであっても、断りたければ断ってよい、という雰囲気がありましたし、嘘であっても今日はもうちょっと仕事がありましてとか、今日は予定がありますと言えばよかったですし、何よりそうやって誘われると、基本的にはその誘ってきた人がお金を払ってくれる、という状況でした。

 

ですので、夕食の準備を自分でしなければならない独身の人にとっては、時間は確かに取られて、上の人との会話に参加もしなければなりませんが、金銭面でいえば1食分が浮く、さらにお酒も飲める、というメリットもありました。

 

なんなら、仕事は酒の席で進むとか、ちょっとした仕事の根回しを酒の席を利用してやるとかもありましたし、なによりコミュニケーションの場として人間関係を構築する、強化することにつながっていたのは確かにあるなと感じます。

 

やはり、よく飲みの場に参加してくる、つまりは誘いを断らない相手は、上の人からしてもかわいいでしょうしね。

 

そういう思いに至るのは仕方ありません。



酒の場でしか話せないこと

 


よく、酒の席でしか話せないことってなんだ、とか、そんな話は会社で相談すればいいではないか、という正論を聞きますし、それは確かにその通りだと認めざるを得ません。

 

仕事の話であれば、仕事の時間の中でオープンに議論をしあえばいいのは間違いありません。

 

ただし、たとえそれがそうあるべきであったとしても、ちょっとリラックスした雰囲気の中で、ざっくばらんに話をすることで、互いの理解が進む、あるいは創造力豊かに自由な意見交換ができるという効果そのものまでは決して否定できないのではないでしょうか。



ただ不毛な飲み会はある

 


だから終業後には飲みに行くべきだというと、昭和脳と揶揄されるのかもしれませんし、実際に私も、飲みに行きたければ飲みに行けばいいんじゃないかとしか思っていませんが、昨今はこの飲みの誘いそのものが良くない、という風潮もあるようです。

 

なんというか、パワハラに近い、アルハラというのでしょうか。

 

上の立場の人からお酒を飲むことを強制される、つまらない話を聞かされる、説教される、しかもひどいときは割り勘。

 

一方で、上の立場の人はそういう習慣を経てきているので、ある種当たり前のことだと思っていて、悪気があるわけでもない、という感じです。

 

テレワークをする機会が増え、そもそも対面で仕事をする機会が減少していることもあるでしょうし、そもそも楽に生きたい、という価値観が広がっていると思えるような社会で、仕事の延長かのような飲みの場に誘われることに抵抗を覚える人が増えたとしても別に不思議ではありません。

 

特に、つまらない話を聞かされる程度ならまだしも、説教されるとかは食事も美味しくなくなりますし、割り勘とかは本当なにをしているんだ、と思うのは私も思います。

 

そんな飲み会には私も行きたくないです。

 

まあ、それをアルハラとまでは私は呼びませんが、間違いなく不毛な時間ですよね。

 

いや、いまだにそういう飲み会に連れていかれることはあるのですけれどもね。

 

中には、いつも頑張っている部下や自分よりも年下の同僚を労う気持ちで、食事に誘ってくれる人もいますので、そういう会には参加したいと私は思いますが、そもそもそういう主旨や目的ですら避けようとする世代が会社に入ってきている、そんな時代なのでしょうか?

 

そうなってくると結構難しいですね。

 

私も、比較的古いタイプの価値観を持っている人間ですので、注意が必要ではないかと思っています。

 



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