セミリタイアを目指す人の中には、いざとなったら生活保護に頼るという意見の人もいますね。
さて、生活保護費の引き下げは生存権を保障した憲法25条に反するとして、国や大阪市を相手に起きていた訴訟で、高裁は原告側の主張を退けました。
ここ最近起こされている類似の裁判では、原告の請求を認める場合もあれば認めない場合もあって、司法としても意見は分かれているそうです。
今後どのような見解が主流になってくるのかはわかりませんが、司法判断に対する意見も真っ二つに分かれているみたいです。
当然に、一つは原告側が正しいという意見で、生活保護費の引き下げを取り消すべきという意見ですが、引き下げは当然という意見もあります。
生活保護費は本来は生活を維持していく上でのセーフティーネットであるはずなのですが、一方で不正受給している人がいる、というような事実もありますし、特に後者に対する世間の目は厳しくなりがちですので、引き下げて当然という意見も出やすいのだと思います。
不正受給をしている人は一部でしょうし、本当に生活に困って生活保護費を受給している人もいるはずなので、一概に引き下げがいい、悪いという話もしにくいと思うのですが、ここで少しそもそも生活保護とは何だということを考えてみましょう。
生活保護とは
厚生労働省の定義によると、「生活保護制度は、生活に困窮する方に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、自立を助長することを目的としています」とあります。
つまり、生活に困窮している人がその生活から抜け出すための一時的なサポート、を想定しているとも言えるかもしれません。
読み方によっては、生活保護を受けるのであれば、健康で文化的な最低限度の生活をただ続けるのではなく、自立しようともしてくださいね、というようにも読めます。
とはいえ、自立を「助長する」ことを目的にしているだけですので、あ、こいつは自立しようとしていないなと判断して生活保護を停止するということもできないのでしょう。
健康で文化的な最低限どの生活
さて、健康で文化的な最低限度の生活とはいったいどんな生活なのか、この定義をすることがなかなか難しいので、では一体いくらのお金が必要になるのか、というのが良く分からず、そうなると今回の引き上げや引き下げに理があるのかないのかも明確には判断できません。
というのもあって、司法の判断も分かれざるを得ないというのがあるのでしょう。
例えばですが、ひとり暮らしをするにあたって、月に10万円があれば、生活は十分にやっていけると私は直感的に思いますし、多くの人もそう思うと思います。。
もちろん、住む場所によっては家賃が高いのでなかなか候補物件がないとか、物件があったとしても古くて住みにくいとか、そういうのはあると思います。
ただ、物件が古くて住みにくいことで、健康で文化的な最低限度の生活が送れないのであれば、今そこに住んでいる人の生活はその水準に達していないのかと言われると、そうはならないと思います。
一方で、そういう物件にずっと住み続けられるのかどうか、と考えると、実はそうではないかもしれない可能性もあります。
賃貸物件の場合、ある一定の年齢以上の人は住まわせないようにする、ということは世間一般にも言われていますので、仮に月に10万円の収入が保証されていたとしても、お金ではなくて、一人暮らしの老人には貸したくない、なんて物件もあるはずです。
家がなければ当然に、健康で文化的な最低限度の生活というのは送れないでしょうので、貸してくれるところを探す必要がありますが、そこの家賃がはたしていくらなのかは誰も見当がつきません。
家賃が安い物件は探せばいくらでもあると思うのですが、そこが実際に貸してくれるのかどうかというのは誰にもわかりません。
かといって、じゃあ多めの家賃を払う前提で、家賃10万円のところに住むと仮定して、、、なんて感じで生活保護費の額を決定するわけにもいきません。
今度は、そんな家賃の高いところに住まなくても健康で文化的な最低限度の生活は送れるのだから、生活保護費は不当に高いという議論が巻き起こるでしょう。
それをもっと極端にしていくと、税金から支給してもらっているのだから、もらえるだけでもありがたく思え、という意見の人がいても不思議ではありません。
最低限度の生活なのだから贅沢するな、毎食自炊しろ、スーパーの見切り品だけを買え、なんて意見もでるかもしれません。
生活保護を受けている多くの人は、本当に生活に困窮した結果として受けているだけなのに、それは贅沢だという意見が出てしまうのは悲しいことですが、不正受給をする人たちがいるとどうしてもうがった目で見られてしまいますし、難しい問題ですね。


0 件のコメント:
コメントを投稿