休み明けには特に思いますが、一見無駄に思える時間を過ごすのはとてもよいことだと感じます。
いや、むしろ、常に目的を持って時間を過ごす必要はない、という感じでしょうか。
仕事の場合
仕事だと、よく上長に目的を聞かれて、なぜを5回尋ねられて、詰められます。
それにうまく答えられる時は、私の目的が正しいかどうかは別としてはっきりしていて、そうでないときはなにか惰性で仕事しているというのは間違いありません。
まあ、目的が正しいかどうかはわからないけど、信念でやってます、という答えが通じないのは悲しいですけどね。
論理と信念は時に乖離します。
しかし、我々の多くは、映画やドラマで、論理よりも信念が勝つことにすかっとした思いを抱くのではないでしょうか。
あれは不思議ですが、本能的に論理すぎるのは嫌なんでしょうかね。
論理が通っていれば必ずうまくいく、成功するかどうかもわかりませんからね、正直。
まあ、信念があればいいというものでもありませんが。
一見無駄な時間
休み中って、お酒を飲みたきゃ飲んで、テレビを見たけりゃ見て、読書したり、散歩したり、食べたいものを食べたりと自由に過ごします。
一応、リラックスや休暇という目的はあるのでしょうが、はいリラックスに入りますという気分としてやっているわけではないです。
ただ、のんびりして、やりたいことをしているだけです。
そこに生産性も目的もないので、ある種、無駄な時間かもしれません。
でもそういうのが意外に精神のバランスをとっているんだろうなと思いました。
脳みそが休憩している感じです。
逆に、そういう非生産的、非効率的なことが嫌いで、例えば、普通の飲みの場で真面目に仕事の話をする人がいますが、私はそういうのが結構嫌いです。
こちらは楽しい時間を過ごしたいなと思っているだけなのに、真面目な仕事の話はおなかいっぱいです。
同年代くらいでそういう話をするならまだ対等だしいいんですけど、上長と行くとかは全く面白くありません。
立場が上の人の意見は単なる説教になる可能性大ですから、そんな場にあまり行きたくもないですね。
まあ、周りを見る限り、そういう上の人ばかりでは決してないと思いますけど、会社関連の飲み会嫌いの若手が増えているという話も聞きますが、共感できる部分もあります。
昔からそう思っていた若手は多くて、それが最近表面に出やすくなっただけだと思いますけどね。
セミリタイアをすれば、ぼーっとして、一見無駄に見える時間を過ごす機会も増えるのでしょうか。
それとも、セミリタイアをすれば、そもそもそういう時間のありがたみが薄れるのでしょうか。



信念も危ないけどね、基本的に根拠なしの場合が多いからなあ
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