人生100年時代と言われて久しいですね。
定年の年齢も65歳だ、70歳だと延長され、合わせて年金支給開始年齢も後ろ倒しされるのでしょうか。
なんと言うか、シニア層の活用というよりかは、年金システムの維持の方が目的としては重きが置かれているのではないかと思いますね。
物事をポジティブに言い換えるのは良くある手段、手口です。
仕事をする上では、それが非常に役立つ時はあります。
ある種、言葉遊びですけどね。
健康寿命
ただ、人生100年時代と言いますが、健康寿命が90歳に伸びるわけではないと思います。
今の健康寿命は周りを見る限り75歳でギリギリだと思います。
現役時代に無理をした人はもっと早くに限界が来るかもしれません。
ストレスや暴飲暴食は確実に体を蝕みます。(かと言って、健康食ばかり食べるべきとは全く思いません。そんなの楽しくないですよ。)
その健康寿命は今後も大幅に伸びないのではないかと思うのは、寿命が伸びているのは医療技術の進歩で、過去には亡くなっていた方の延命ができるようになったからではないかと思うからです。
別にみんながより健康になっているわけではない、ということです。
まあ、別に早く死にたいとは思いませんが、無理して長生きをしたくもないですね。
満足いくまで生きたなあと思えるのがいつになるのかは全く分かりませんが、少なくとも今はもっと永く、健康に生きたいなあと思います。
高年配社員
なんとお呼びすれば良いのか分からないので、仮に高年配社員と呼ばせていただきます。
弊社にもおられます。
例えば、すでに退職の年齢だけど、その経験を買われて、嘱託社員として働かれている方。
人生100年時代で退職年齢が引き上げられたとしても、まず役職定年はそんなに引き上げられないでしょう。
変化の早い世の中への対応として、組織の新陳代謝はむしろ促される方向に進むと思うからです。
嘱託社員は、すでに権限は持たれていないので、そういう意味ではあくまでも、先輩社員みたいなものです。
役職定年者もちょっとは違いますが、まあ似たようなものでしょう。
しかし、そういう方は過去にはそれなりのポジションで意思決定にも関わってこられているので、そういう姿勢が抜けないまま、後輩に接することもあります。
そうなると、どうしても疎まれてしまう、ということが起こります。
すでに意思決定者ではないのに、そうであるかのように振る舞ってしまうわけです。
特に周りがこれまで関わってきている後輩だと、とくにそういう傾向も強まるのだと思います。
一般に、会社がどういう人を嘱託とするか、役職定年後も雇い続けるかとなると、それなりに成果を残して意思決定もしてきた人ではないでしょうか。
ということは、もしも、働き続ける年齢がどんどん上がってくると、彼らの気の持ちよう次第ではありますが、意思決定権はないのに、意思決定者のように振る舞う人が今よりも増える可能性があります。
これは、ますます会社内が混乱するかも。
というか、そもそも人事研修とかでそういう内容をレクチャーされていないのですかね?
疎まれるくらいなら、早期リタイアやセミリタイアでほどほどに、の方が良くないですか?
あるいは定年まで勤めてすっぱりやめるか。



0 件のコメント:
コメントを投稿