真実のあり方



出張やらなんやらありまして久しぶりの投稿です。

SNSによる選挙の投票への影響が一躍話題になっています。

 

いったい誰が何をやったのか、誰が何をやっていないのか、真相のところについてまだよくわからない部分があると個人的には思う中で、ドタバタしているなという印象を受けます。

 

そんな中で、既存のマスメディアよりもSNSなどの媒体の方がより人々の興味関心をひき、また信頼されるようになったのではないかという論調が出ています。

 

極端なものになると、テレビで言われていることは全く信用しない、SNSで言われていることを信頼する、というような意見もあるようで、そういう意見がテレビででも流されているのを見ます。



私の場合


 

私は普段のワイドショーは見ないのですが、コロナの時期に自宅で勤務する機会が多かった際には目にすることがよくありました。

 

ただそんな時にも、話半分に聞いておこうかという気持ちで見ていたように思います。

 

それはワイドショーで流されている内容や議論というものが、時に感情論である物や、事実に基づいた議論を交わしていない、時に扇動的でもあると感じたからで、それらはサラリーマンとして仕事をしている環境においては、モノの分からない人たちがしている議論と同じようなものでした。

 

打ち合わせ時などで、あなたの主張は分かったけれどもその根拠となる証拠は何なのでしょうか、ということを感じること、あるいは問いかけることはあるのではないかと思いますが、ワイドショーを見ているとまさにそんなことを感じはしても問いかけることはできないので、ちょっと悶々としてしまうというようなことがありました。

 

ある種、報道番組としてではなくて、あくまでもショーとして受け取っていたということだと思います。

 

その一方で、SNSで発信されている内容も、真偽がよくわからないものがたくさんあると感じるのが正直なところです。

 

時に何らかの数字をベースに意見表明されている場合もあるのですが、その数字は実は正確ではないというようなこともあります。

 

そもそもが、SNSというのはそれこそ感情論のぶつかりというか、もちろん建設的な議論ができないわけではありませんが、気に入らなければ最終的には無視をすればいいわけで、ベースとしては、議論をするというよりかは感情のぶつけ合いがメインという様相もあると感じていますし、むしろそれでいいのではないかとも思います。

 

ですから、SNSも決して真実の語り部ではないというのが私の理解です。

 

ですので、私の感覚としては、マスメディアもSNSもどちらも真実を語っているときもあればそうでないときもあって、どちらも共に変更しているときもあれば公平な時もあるというものなのではないかと思いますし、どちらかが絶対に正しくて、どちらかが正しくないという話でもないはずなのに、それが二者択一の議論になってしまっているような気がしますし、そうなると危ういのではないかとすら思います。

 

特にSNSの場合は自分が関心のある内容がどんどん表示されるような仕組みですから、自分の考えが世の中では支配的なんだなと思いこみやすいというのもあると思います。

 

マスメディアの場合は一方的に情報を流されるという感じですがSNSの場合は自分に興味のある情報が流れ込んでくるために、思考が強化、固定化されやすいというのはある気がします。

 

ですのであるべき姿としては、マスメディアだろうがSNSだろうが、情報をなんでもかんでもうのみにしないということなのでしょうが、その一方で分からないことはネットで検索すれば何でも出てきて、私自身もそれをうのみにしていることが多いですので、言うは易し行なうは難しなのでしょうね。

 

そういう原因をつくった一因がマスメディア側にもあるとは思いますが、とはいえSNSで言っていたから正しい、間違っているということだけを判断基準にするのはやはり危険な気はします。

 

そのあたり何が正しいのか、対立する意見があったとしても、本当は議論をしながら詰めていけばいい話だと思いますし、その議論が行われること自体は非常に健全だと思うのですが、なかなか議論もされていないんだよなと少し心配にはなります。

 

 

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最低時給



とある経営者が、最低時給1,500円を達成できない経営者は失格であるというないようの発言をしたようです。

 

もちろん、いろいろな意見があってもよいと思うのですが、それに対する意見として個人的に驚いたのは、そんなことをすれば会社が立ちいかなくなるということを労働者側が言っていることでした。

 

特に下請け業者の場合は、最低時給1,500円を達成するために納入価格を上げますと元請け業者に通達すれば、それならばあなたのところには発注をしません、という対応を取られることもあるでしょうし、それはひいてはその下請け業者の経営が立ちいかなくなってしまうということにもつながるのではないかと思います。

 

そうすれば困るのはそこで働いている労働者ですし、今の苦しい暮らしがより一層苦しくなってしまうという可能性も否定できません。

 

別の企業に転職すればいいのではないかというのも、もちろんそれができる人もいるのはいるでしょうけれども、全員が全員そうなれない可能性はありますし、人件費が高くなれば人を雇用することに躊躇する経営者や会社も出てくるでしょうから、社会全体としての人材の流動性が高まらなければ、失業者が大量に出てしまうという事態にもつながりかねないなと思います。

 

今の日本の多くの人が経済的に生活に困窮し、賃金を増やすというのが経済的な側面で生活を豊かにするための一つの策であることも間違いありません。

 

もちろん、1,500円という金額が妥当なのかどうかというのは分かりませんし、実際にその金額を払えないという企業も多くいるであろうというのは分かるのですが、労働者側がそれは高すぎる目標であるとだけ言って批判をするというのは個人的にはあまり理解できません。

 



賃上げして欲しくない?




そもそも賃上げをしてほしいと思っていないのだろうかという感想を持ってしまいます。

 

雇用を継続してもらえるのであれば、今の賃金レベルで満足ですということを思っているのでしょうか。

 

であれば、その企業の経営者層からそのような説明を受けてあなたの賃金は上げられませんと言われれば、はい分かりましたと受け入れるのでしょうか?




税金の話はある


 


例えばですが、手取りを増やすというためには、一つには賃上げという対応があり、他には社会保険料や所得税などの税金を下げるというものもあります。

 

賃金は今のままでいいから、税金を減らしてほしいという主張をするのであればまだ理解できるなと思います。

 

なぜならば、手取りが増えれば今の生活よりかは余裕を持った生活ができるはずだと思いますし、最終目的は経済的に余裕を持った生活をすることだからです。

 



経営者側の視点




最低賃金を上げると立ちいかなくなるという意見が経営者側から出てくるのはまだ分かります。

 

先ほども言ったように、そもそも人を雇用すると会社としてももろもろコストがかかってくるわけですから、さらに給料という意味での人件費が上がると経営を圧迫するのは自然なことです。

 

さらにいえば、従業員の給与を上げることで経営層の給与を下げてある程度相殺するなんてことを考えないでしょうから、時給が上がった分だけ単純なコスト増になってしまいます。

 

決してすべての中小企業がそうだというわけではないですが、中には経営層の給料は大企業の部長クラスよりもさらに高く設定されていて、その代わり従業員の給料は大企業の新入社員レベルなんて会社もあります。

 

何十人いる従業員を合わせた給与額よりも、2-3人の経営層がもらっている給与額が圧倒的に多い状況も一部にはあるわけで、もう少し従業員に還元してあげたらいいのにな、と思います。

 

もちろん労働者側が会社の経営状況を気にするのも当然のことですから、一概にそれがダメだということではないのですが、気にしすぎて、そんなに賃金を上げるのは無茶ですと労働者側が言うのはやはり違和感があります。

 

行き過ぎたインフレは危険ですし、賃金やモノやサービスの価格が一気に上がったり、上がり続けたりというのも決して手放しで喜んでいい状況ではないと思いますが、労働者側がもしも自分たちの労働に価値があると思っているのであれば、それに見合った対価の要求をするのは当然のことのはずで、それをしないばかりか経営者側の立場に立って賃上げを批判するというのは、現状の給与水準に満足していますので上げなくていいですよという意思表示なのだろうか、思ってしまいます。

 

もちろん、先ほども述べたように、賃上げだけではなくて、税金徴収額を減らしていくように訴えていくというのも、経済的に豊かになるためには大切なことだと思います。

 

さらに根底にあるのは、徴収された税金が適切に使用されていないのではないか、という疑念であり、そんな中で高い税金に苦しんでいるという状況があるわけで、政治家が、いや減税すれば国家運営が立ちいかなくなるのでできません、と言っても多くの人はそれならば仕方ない、とは言わないのではないでしょうか。

 

本当に無駄になっている税金はないのか、何かを工夫すれば税金を減らすことができるのではないか、という知恵を絞ることが大切なはずで、同じようなことを賃上げでも考えていけばいいのになと感じます。



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資産運用の難しさ



銀行員というお金のプロでも借金まみれになってしまうという記事を読みました。

 

金融関連のいろいろな資格を持ちながら、何なら顧客に対して、さまざまな金融アドバイスをする銀行員でもそうなってしまうという内容です。

 

金融資産を増やそうと株式投資にチャンレンジしたものの、当時は市場そのものが上り調子だったために資産も順調に増え、信用取引などにも手を出したものの、その市場の流れが変わったタイミングで資産減に転じたという話でした。




眉唾ではあるが


 


私の知る限り、銀行員の方が株式投資をする際にはインサイダー取引に引っかからないように組織内でいろいろと承認を得るなどが必要になるはずで、それが面倒くさいからと株式投資をしない銀行員がいるくらいらしいのですが、それでも株式投資をしようとした結果、結局は銀行員も専門家ではなくていちサラリーマンに過ぎない、ということを身をもって知ったということでした。

 

ということで、正直私も眉唾ではあるのです。

 

自分の取引をいちいち上長や組織にお伺いを立てながら、決してタイムリーな取引はできない、というのが根底にあるのに、そんなにどんどんと株式投資をするのだろうか、という点です。

 

さらに会社にはバレなかったということも書いており、それが損失を被ったことなのか何なのかがはっきりとしませんが、バレないはずはないだろうと思っています。

 

まあ、実際にどのような取引をしていたのかは知りませんから、勝手な私の憶測なのかもしれませんけれども。

 




難しさ




しかしながら、金融ビジネスに携わっている人が全て金融のプロかと言えばそんなことはないだろうというのはその通りだと思います。

 

もちろん、金融のプロの人はいるでしょうし、一般人に比べれば金融の知識が多いのは間違いないと思います。

 

それはコンサルに対しても同じでして、もしも戦略コンサルで働いている人が経営戦略のプロなのであれば、そういう人に経営のかじ取りをしてもらえば必ずうまくいくのか、そういう人はなぜ起業をしないのか、コンサルから事業会社に転職すれば大活躍できるのか、ということを考えれば簡単だと思います。

 

自動車会社に勤めているから自動車のすべてを知っているのか、と例えてもいいかもしれませんし、それは当たり前と言えば当たり前のことなのかもしれません。

 

ただし、一般人に比べれば知識はあるというのはそれも間違いないと思いますから、一般人がアドバイスを乞うということも決して間違ってはいないと思います。

 

むしろアドバイスを乞う一般人の方が、今自分がアドバイスをもらおうとしている人は信頼に足る情報をもたらしてくれるだろうか、自分のためのアドバイスをくれるだろうか、ということを判断するというのが必要なのかもしれません。

 

よく、退職金が銀行口座に振り込まれたら銀行から電話がかかってきて、応接室に通されて支店長があいさつをしてくれて、そこで資産運用の話をすすめられて、というニュース記事も読みます。

 

そして損をしました、というまでが1セットなのですが、それもまた金融機関の人が資産を増やすことのプロなのではないということの一つの証拠なのでしょうし、そのお客さんのことをカモとしか見ていなかったということの証拠なのかもしれません。

 

金融組織としてのもうけを出すという意味ではプロなのかもしれませんけれども、その姿勢はいかがなものかと思う一方で、ある程度は仕方のないものでもあるとも感じます。

 

理想を言えば、常に顧客の利益になる行動をすることで、信頼関係もできて更なる取引につながってというサイクルを回せればいいのでしょうけれども、それができるなら苦労しないというか、予算やノルマがあって顧客が損をする可能性があっても顧客に売るしかない商品というのもあるのだと思います。

 

そしてそんな商品をつくってしまうということがなによりも、顧客を儲けさせる方法よりも自分たちが儲ける方法を考える方が簡単であるということの証左なのだと思いますし、かといってそれはおかしいと批判ばかりしているのもまた違っていて、ある程度は顧客側も見る目を養わないといけないというのが正しいのでしょう。

 

何のリスクもなしでもうけ話を他人に持ってくる人はいない、なにかメリットがあればその分のリスクもある、というのが当たり前であることを肝に銘じておきたいですね。

 

 

 


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セミリタイア後の生活のはりあい

 



早期退職後にボランティア活動を始めたが数カ月としないうちに絶望を感じてしまったという人の記事を読みました。

 

長年会社員として立派に働かれた後、自由な時間を使ってボランティアをされていたのですが、無報酬であるということによって自分に価値がないと感じてしまったということでした。

 

身もふたもないい方をすれば、自分の価値を経済的価値としてしか受け取れないという思考回路だと思いますし、そういう思考回路をかわいそうだ、社畜だというように思う人もいるかもしれません。

 

しかしながら、経済的価値というのは確かにわかりやすい価値判断軸でもあると思いますし、だからこそ昇給すれば自分の頑張りが認められた、自分の価値が上がったという風に思うのでしょう。

 

その逆もまた然りです。




社会人ならでは


 


長年会社員として働いてきたのであれば、自然とそのように経済的価値に重きを置く思考が形成されてしまうのも仕方のないことであると思いますし、そういう思考があるからこそ競争が生まれてより努力をするようになるという企業としてのメリットもあるのかもしれません。

 

年収1000万円の人と年収500万円の人を比べて、どちらの人に価値があるのか、という質問の答えは決して簡単に出せないと思います。

 

しかしながら、ごく自然に、年収1000万円の人の方が価値があるのではないか、なぜなら年収が1000万円と高いから、という論理でそう感じる人は多いのではないかと思います。

 

ところが、ここに、年収1000万円の働かないおじさんと、年収500万円のばりばりの若手ではどちらの人に価値があるのか、と問われると、後者と答える人が多いのではないかとも思います。

 

この場合は単なる年収の多少ではなくて、さらに貢献度というか、頑張り度というか、定性的な評価も混じった上でそうなるのだと思います。

 

では、年収1000万円の働かないおじさんと、勤労からの年収は0のボランティアのおじさんのどちらが価値があるのか、と問われると、世の中の人はどう答えるのか興味はあります。

 

ただし、この記事に出てくる人は、前者の方が価値があるというように思うわけです。

 

それは間違っていますよというつもりは私には全くありませんが、正直比べるのは何とも難しいなという感想です。

 

働かないおじさんであっても、年収1000万円ももらっているのであれば、それはそれなりの理由が、つまりは認められる経済的価値があるのかもしれないとも思いますし、年収が0であってもボランティアによって誰かのタメになっているのであればそれには社会的価値があるよなとも思います。

 

しかしこと自分のことに関しては、先にも書きましたように、年収を多くもらうほうが嬉しい、自分の価値が高まったというように思うのは間違いないと思います。

 

それはなんだかんだで、自分の評価の対価が報酬であるという思いがあるからだと思います。




なにも評価されない辛さ


 


また、この記事の中でもありましたが、誰からも評価されない、ということも確かにつらいだろうなと思います。

 

ボランティアをして褒められたいわけではないのだろうと思いますが、やはり本音を言えば褒められたい、感謝されたい、認めてほしい、という思いは私も持つだろうと思います。

 

もちろん中には、そんなことはない、働くことは何よりも嫌いで早く辞めたい、という人もいるでしょうし、そういう人はもしかしたら私とは違った感覚を持っているのかもしれません。

 

ただ、話を聞いているだけでも、定年退職後になぜか現役時代の肩書が書かれた名刺を持っていてそれを渡してくる人もいる、ということがあるようですし、それはやはり自分のことをすごい人だと思ってほしい、認めてほしいという思いがあってのことだと感じますし、さすがにそれはやりすぎだろう、何なら恥ずかしいだろう、というようには思いますが、まあそういう人もいるだろうなと分かるというのもあります。

 

そのような行動はまさに、自分を認めてほしいという行動だと思いますし、既に何かを成し遂げることが難しくなった立場としては過去に成し遂げたことを誇りたいという思いになるのかもしれないと感じます。

 

現役世代はまだ何かを成し遂げられるかもしれませんので笑っていられますが、そうでないと何かすがるものが欲しくなるのかもしれないなとは思います。

 

人生ってなかなか難しいですね。

 

 


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社会は不寛容に向かうのか



 

 

北欧のスウェーデンではこれまで移民や難民を受け入れてきましたが、失業率が高くその分の社会保障コストが高くなり国の運営を圧迫しているため、自主帰国を決めた移民に対しては最大500万円程度の支給をすることで帰国を促す制度の導入を始めるそうです。

 

スウェーデンに限らず、北欧の国は高福祉で住みやすい国であるという印象が強いですが、そんな国でもそのような話が出ているということは、興味深い話題ではあります。




日本や他の国では


 


日本においても、本来はその対象とはならない外国人に対して生活保護を支給しているという実態もあるようですが、国という形である以上はまずは自国民の救済や福祉を第一に置いているのが自然だとは思いますし、だからこそ、その原資は自国民の負担というのが大原則だとは思います。

 

別にこのような社会保障制度に限った話ではありませんが、ここで問題になっているのはフリーライダーの存在ということです。

 

米国大統領が、なぜ米国が他国の安全保障コストを負担しなければならないのかという主張をし、また一定の米国民がそれに同調するのもまた似たような構図だと思っています。

 

米国の事例で言えば、そうすることで少なくとも過去には米国がメリットを得ていたという点はあると思いますので、米国はコストを負担しつつメリットも得ていた、あるいは得ようとしていたということは言えると思いますが、こと社会保障の話に限っては、メリットがなかなか見えにくいというのはあると思います。

 

誰しもにやさしい国家としてのイメージアップや、差別や偏見のない国家のイメージというのはあるのかもしれませんし、多様性を受け入れる究極の形であるのかもしれません。

 

そして恐らくポイントは、そのこと自体なのではなくて、それらの制度を続けることができないほどに自国の経済や社会に余裕がないと思われる状況で今後どうするのか、ということなのだと思います。

 

日本においても、最近なぜ外国人に対して生活保護を支給しているのかという声が高まっているような気がします。

 

そしてそれは、社会保険料の高騰による生活の圧迫を感じている人が増えているとか、少子高齢化の影響で現役世代やそれより若い世代の年金受給額あるいはタイミングが生活を苦しめる方向に向かっていることがあるからこそ、自国民がそのような状況なのになぜそんな状況で、原資負担を十分にしていない他国民への補償を行なうのか、ということだと思います。

 

もちろん、自国経済が安定して成長しているような状況でも、他国民がそのような社会保障のメリットを享受していたとしたら批判の声を挙げる人はいるとは思いますが、それは限られた声になると思います。

 

個人的にも、他国民を排斥する風潮が高まるのは好ましいとは思いませんし、切り捨ててしまえばいいとも思いませんが、そうは言ってもメリットだけを享受しているように思える人がいることは腹立たしいという気持ちは分からなくはないというのも正直なところです。




どう舵取りをするのか


 


既に自分も社会保障制度のお世話になっていますが、さらに高齢になってよりお世話になるかもしれないこと、また年金の支給を控えていることを考えると、自分はメリットを最大限享受したいとも思いますし、そのために今、負担をしているというようにも思います。

 

ただし、このままいくと何となく、負担はしなければいけないけれどもメリットは享受できなくなっていくよという状況になりそうだということ、またその流れが続けば、現役世代はますます重い負担を抱えるか、あるいは日本という国が借金を重ねていく必要があるかもしれないということ、そうなると若い世代がどんどん苦しめられていくということ、それは避けたいなという思いもあります。

 

最悪、自分のメリットが少なくなる分は仕方がないとは思うのですが、世代ごとに得られるメリットがどんどん少なくなっていくことはすなわち、日本という国の国力低下につながるということが嫌なのだろうと思います。

 

移民を受け入れればいいという声もありますし、もしかしたらその環境整備のためにマイナンバーカードの制度を進めようとしているのかという思いもあるのですが、文化的な摩擦なども必ず起こるでしょうし、もしそうするならば、日本社会全体としての環境整備をはじめとしての準備を進めていかないといけないのでしょう。

 

そのあたりの議論が政治の世界でされているように思えないのは残念ではあります。

 

結論がどうなるにせよ、議論はして、国民からも意見を聞くというのはやればいいのにと思いますけれどもね。



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コンサル業も不況らしい



大手の外資系コンサルティング会社が従業員の昇進タイミングを半年ほど遅らせるという発表をたと報じられています。

 

昇進するということは給与が上がるということで、外資系であれば成果給もあるでしょうから、昇進によって固定給が一気に上がるということではないかもしれませんが、それでも費用が増えることは増えますので、それを避ける目的なのでしょう。




不景気ですね


 


世界的に経済の先行き不透明感が強まる中で、大手のコンサルティング会社という、能力もあって給与も高い人たちの集団であっても、サービスを提供することの不確実性が高まっているということでしょう。

 

そしてそれは恐らく、同社の株価の動きを見ても、最近はずっとそのような状態が続いていたのではないかということも連想させます。

 

ということは、これまでの顧客であった企業がコンサルティングサービスを提供しなくなっていることなのではないかと思いますが、その顧客の業績も恐らく悪くなっているはずで、その課題解決のためにコンサルティングサービスを活用しようとする企業はそんなにないのかなということでしょうか。

 

あるいはこれもただの想像ですが、知る限り、欧米企業は社内リソースを少なくしてその分特定業務に集中しつつ、自社で賄えない業務は積極的に外部に委託、つまりコンサルティング会社に依頼するということをやって業務効率化を図っているイメージがありますが、その業務そのものの発注が少なくなっているということなのかもしれません。

 

そのような依頼は攻める姿勢の時には積極的に活用されるものであって、守りが必要な時は自社だけでということかもしれないと考えています。

 

いずれにせよ、コンサルティングサービスというのは、本来は付加価値の塊ともいえるような類のサービスだと思いますが、そのサービスが利用されなくなっているというのは本当に世界的に景況感が悪化しているのでしょう。




コンサルタントは優秀


 


もちろん中には、コンサルティングサービスなんてのは役に立たないと思っている人はいるでしょうし、机上の空論を振りかざしているというように考えている人もいるとは思いますが、実際にはインプット情報を正確に与えてあげれば馬車馬のように働いて資料アウトプットを出してくれる優秀な集団だと思います。

 

時には会社としては決断しにくいようなことを、コンサルティング会社を使って提案をもらうような形にして、コンサルティング会社が言っているからという理由で会社としての意思決定につなげるなんて言う話も聞いたことがあります。

 

結局のところ意思決定というのはそれが正しいのか、正しくないのかは分からないようなことを、ある種の覚悟をもって判断をするということでしかないと思いますし、コンサルティング会社が言っているから、という理由で意思決定をするということは正しくはないと思いますが、参考意見として活用するということはアリだと思います。

 

ですので、仮にコンサルティング会社の提案に沿った意思決定をすることがなくても、それはコンサルティング会社の提案が価値のないものであったのではなく、それも踏まえた上でしかし会社としてはこういう意思決定をしようということを判断したということであって、会社としての姿勢を明確にするためにも役には立ったのではないかという気はします。

 

仮に本当にコンサルティング会社が訳の分からない提案をしてきたということであれば、それは恐らくインプットの段階で正しく情報や状況を与えられていない、ということに尽きると思います。

 

ある特定部署がコンサルティング会社に依頼して、それを他部署も含めて提案を受けるということをすると、そもそもその特定部署の持っている情報が限定的であることも手伝って、不十分なインプットが起こりがちで、結果として他部署から見れば、提案も不十分に思えるものがでてくるということはあると思います。

 

個人的な経験から言えば、コンサルティング会社の人たちは頭がいい分、論理的に考えますから、論理の破綻がなければそれは正しい、という思考回路になりがちだというのはあると思います。

 

しかし実際の人間というのはいつも論理的な行動をするだけの生き物ではないですから、理屈ではない部分が影響してしまうことは彼らには予測しにくい、あるいはそのような不確実なものを提案としては出しにくい、というのはあるのではないかと思っています。

 

いわゆる、勘、といったものとは対極の世界で働いているのが彼らだと思います。

 

いずれにせよ、金銭的な価値は高く評価されているサービスでさえも苦しい状況に置かれているということは確かでしょうから、なかなかしんどい経済環境はもうしばらく続いていくのでしょうね。

 


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お給料日



さて今月もお給料日になりました。

 

資産の中で、手元の現金は増えておりますが、株式などの金融資産は確かに増えてはいるものの、直近は世の中の流れを受けて下がり気味です。

 

セミリタイアに向けての資産形成という意味では堅調ではあるものの、一時期のスピード感はないというのが正直なところでしょうか。

 

まあすごく株式銘柄の勉強をしているわけでもなく、世の流れに身を任せていますので、スピード感があったのも自分が積極的に何かをした成果ではないですし、仕方がないと言えば仕方がないのですが。





出費は少ない

 



その一方で、出費は結構抑えられているというか、少なくとも自分のために何かでかい買い物をするということはほとんどありません。

 

下着やシャツ、靴下などの買い替えはしたのですが、結構貧乏性のところがあって色あせても結構使い続ける傾向にありますので、それはたまのことが起きたという感じです。

 

寒くなってくる季節に向けてコートなどの防寒着を買い替えるということはあまり考えていません。

 

子どもに関わることなどはそれなりにお金に糸目をつけずに使うようにはしていますが、あまり自由に買い与えてばかりでも駄目だとは思いますので、そこはむしろ気を付けないといけないなと思います。

 

子どもが喜ぶのであればとは思いながらも、我慢のできない子になってほしくはないですし、なんでも自分の思い通りになると思ってほしくないと感じますが、たまにであればと思うのが正直なところです。

 

無料でできる経験なんかであれば交通費をかけてでもさせてあげたいなとは思いますし、お金はかかるにしても動物園だとか博物館だとかそういうところであれば積極的に連れて行ってあげたいなとは思います。

 

知人のSNSなどを見ると、そういう遊び場をたくさん紹介してポストしてくれる人もいて、そういうのを見ては選択肢を増やしています。




イオン


 


イオンにあるおもちゃ売り場や電車の模型があるお店などに連れていけば、それこそ朝から晩まで遊べるのではないかというくらい遊んでいますので、傍から見ていてもあきれるくらいですが、これもまた安上がりではあります。

 

食事をとるために、混みあうフードコートで長い間待たなければならないというのだけが難点ではありますが。

 

個人的には地方ではカップルがデートのためにイオンに行く、というのがあまり信じられなくて、なんかほかにもっと行くところないものかと思っていた時期もありましたが、実際のところは確かにショッピングする場所とかちょっと遊ぶ場所とかいろいろとあって、選択肢にはなるなと思うようになりました。

 

入っているテナントがそれぞれ競い合っているような感じもして、活気がありますし、そこに人が集まるのもよく分かります。

 

都会であれば本当にいろいろな選択肢がありますが、地方だとそもそもの選択肢が少ないというのも今となっては分かるようになりました。

 

また、イオンなどのショッピングモールは、買い物や特定のアクティビティをしなければお財布にも優しいというのもありますね。

 

お金を使わないことが正しいということではありませんが、お金をそんなに使わなくても楽しめるのであればそれがいいことであると思います。

 

私の場合、最近のそういう活動は読書です。

 

古本屋で購入してもそんなに安いわけではないですが、それでも少しは安くなっていますので、たまに立ち寄っては本を買うようにしています。

 

キンドルなどのデジタル読書は食わず嫌いなだけかもしれませんがあまり好きではなく、物理的な本で読むのを好みます。

 

確かにデータで持っておく方が場所を取りませんから効率的だと思いますが、なんとなくそれよりかは本を選んで読んでいます。

 

私が好きな作家を中心に本を買うようにはしていますが、まだまだ知らないだけで面白い本はたくさんあるのだと思います。

 

1つの難点は、家でじっくりと座って読書をしよう、というようにはなかなかならないということです。

 

通勤時間やバーで軽く飲んでいる時間など、隙間時間というかながら読みというか、決して本と向き合って読んでいるというわけではなく、むしろそういうのは最近、苦手かもしれないとすら思います。

 

そうなるとセミリタイア後の趣味にはなかなかしづらいかもしれないと思いますので、その点はちょっと焦りがあるというか、ソファで座りながらコーヒーを飲みながら読書をして時間を過ごす、というのは自分はなかなかできないのかもしれない、そうなると時間つぶしのための読書というのは自分は苦手なのかもしれない、なんて考えます。

 

以前にも書いたと思いますが、時間をつぶせる趣味をいくつか持っておくのが大切だと思いますし、考えていきたいです。

 

 


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ワーキングホリデー



ワーキングホリデーの制度を使用してオーストラリアで働けば日本で働くよりもお金を稼ぐことができる、さらに今は円安なので円貨換算すればさらに稼げる可能性がある、ということで制度を利用してオーストラリアに行ったわいいもののなかなか職に就くことができずに困窮する日本人もいるという記事を読みました。

 

確かに以前に、制度を活用してオーストラリアで稼いでいる若い日本人がいるという記事も読んだことがありますし、その際は制度を活用してうまく生きているというような論調ではなかったかと思いますので、ちょっと時間がたつと状況も変わってきたということなのだと思います。

 

もしかすると経済環境の悪化というのも、職を見つけることが難しくなっていることに影響しているかもしれません。

 

私の周りにもワーキングホリデーの制度を活用して海外で過ごした、今過ごしているという知り合いがいますが、確かに技術がある人はそれを活かして職を見つけるということもそれなりにできるようなのですが、そうでないと職探しに苦労するというのはやはりあるようです。

 

技術のある人はフリーランス的に働くこともできるので、ある種働く場所は選ばないということも言えるかもしれません。




なかなか示唆に富む記事


 


読んだ記事については、現状のオーストラリアを例にとって厳しい状況であることを説明しつつ、現地の声も取材しながら、ワーキングホリデーの制度活用が間違いであるというようなことは全く言わずに、どうすればよりうまく活用できるのかということを具体策を上げながら言及しており、非常に良い記事だなと思いながら読んでいました。

 

ひとつ言われていたのは、ワーキングホリデーの制度を活用さえすれば何とかなるということではないので、安易な気持ちでいてはならない、しっかりと準備をすること、現地での自分の可能性を狭めないことも大切、というようなことでした。

 

住み慣れた日本ではなくて、そうではない国で生活をしようとすることはそれだけで挑戦だと思いますし、何をもって成功、失敗とするのかは人それぞれでしょうが、自分の経験には間違いなくなると思います。

 

もちろんお金を稼ぐことも大切ですし、それができると一番いいのは間違いないのですが、それが難しくても経験としては活きてくるとは思います。




ためになる経験を


 


その一方で思うのは、ワーキングホリデーの制度を活用する目的というのが人それぞれであるにせよあると思いますので、その目的の達成が少しでもかなうような時間を過ごしてほしいなとは思います。

 

例えばの話ですが、コミュニケーションとしての語学力を上げたいという目的があるのに、職も見つからないし、生活が困窮するあまり、その日暮らしをするのに精いっぱい、さらにそれを乗り越えるために日本人ネットワークでの情報収集をするという状況になってしまうと、結局のところなかなか当初の目的の達成にまで気が回らない、実現ができないということがあると思います。

 

そういうのもまたいい経験であるとは思うのですが、せっかく自分の貴重な時間を使って挑戦をするわけですから、であればなるべく、その目的の達成に少しでも近づくように時間を使えるようになってほしいとは思います。

 

私の知り合いでも大手の会社を辞めてワーキングホリデー制度で海外に出ている人もいますし、中には恵まれた現状を投げうって挑戦している人もいると思います。

 

私自身はそう願うだけで何かしらお手伝いをできるわけではありませんが、少しでも目的の達成につなげるためには、それこそが記事でも述べられているような事前の準備が大切なのかなという気はします。

 

経験にもいろいろな種類の経験があるとは思いますが、できることなら悪い、苦い経験よりかは、良い、楽しい経験を多くしてもらいたいなとも思います。

 

その上でお金もしっかりと稼げるのであればそれに越したことはありませんし、そもそもお金を稼ぐためにはやはりしっかりと事前準備をした上で行くべきであろうとも思います。

 

海外経験を積む人がそうでない人よりもすごいとかえらいとかいうつもりは全くありませんが、特にワーキングホリデーの制度を活用する人は若芽の方が多いと思いますので、せっかくであれば今後の人生の豊かさにつながる経験をしてほしいなと思います。

 

ぬるま湯経験になる必要はありませんし、多少の苦労をするのは大切だと思いますけれどもね。



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キャリアの相談



ある後輩から相談を受けました。


ちょっと夜に飲みに行きませんかと誘われて、前もって誘ってくるのは珍しいなと思っていました。


そういう時は、これまでも何か悩んでいたり、考えていることがあったりでしたので、まあなにかあるのだろうなとは思っていましたが。


ちなみに、その後輩は私が今セミリタイアに向けて考えを練っているとは知らず、普通に会社員としてそれなりに仕事をしているくらいに思っているのではないかと思います。




相談内容




相談内容は、今、入社5年目のその後輩は、今やっている業務自体は面白いし、そこに不満はないけれども、ふとした瞬間に不安になるということでした。


不安というのは、今の業務を続けていて、その後のキャリアはどうなっていくのだろう、自分が思うようなキャリア形成ができない道を歩んでいるのではないか、という不安でした。


そういう類の不安はよくわかります。


特に、業務ができるようになってくると、自信がつく反面、あれここで満足していていいのかって思いも湧くんですよね。


そこで、実際に今後はどういうことをやってみたいのか、例えばどういう部署に行ってみたいのか、などを聞いてみました。


すると、すごく具体的にはなってはいないものの、いくつかの方向性が出てきました。


残念ながら、私に人事権はありませんので、その後輩のキャリアを具体的に拓いてあげることはできません。


ただ、私のキャリアは一本筋が通っていそうながら、実はいろいろな部署や業務を経験をしております。


私自身、自分が進みたいと思っていたキャリアを進んできているわけではありませんが、回りまわってちょっと関係するような業務をしたり、一見無関係なようで実は経験しておいてよかった業務があったりしています。


それらは自分が選択したわけではなく、あくまでも会社や人事権を持った人達が決めたもので、結果的に良いか悪いかは運の要素もあります。




私にできるアドバイス




私がその後輩に言ったのは、まず、後輩が不安になられるのはよくわかること、むしろ、素晴らしいということ。ただ、キャリアは運の要素もあるので、不安になりすぎなくてよいということ。


次に、なにかやりたいことがあるなら、そのことを課長なり、部長なり、機会があればその上の人に言い続けた方がいい、ということ。なにも言わないと誰も配慮してくれないし、言うことで運を掴めるかもしれないこと。


また、例え、これから別の部署に行ったっしても、今やっていることで活きることはあるので、完全に経験値がリセットになるわけではないこと。


最後に、本当にやりたいことがあって、それが今の会社や今のままではできないと思うなら、転職するのも選択肢にはなること、です。


逆に後輩から、私は将来どんなキャリアを考えているのかを聞かれて、答えにはたいへん困りました。


セミリタイアしたいなんて、言ったらモチベーション下げるかなと、それらしく、適当に大きいことは言いましたが、気持ちが入ってないなとばれたかもしれません。


やりたいことはあっても、仕事で、ではないんですよね。


ごめんね、後輩。。



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