「人生がすっぱいレモンを与えるなら、それで甘いレモネードをつくればいい」という言葉をご存知でしょうか?
要は究極のポジティブシンキングなわけですが、ここでは甘いものが良いものであり、すっぱいものは良くないものです。
与えられたものを見て、不幸だと思うのか、それを活用すれば良い結果を生むと考えるのか、という教訓めいた言葉です。
自分がいかに恵まれていないかを考えるのではなくて、逆にいかに恵まれているかと発想を逆転させろということかもしれないですね。
いい言葉だけど難しい
言われていることはもっともですが、いざ自分の立場になるとそうポジティブに考えるのは難しいものだと思います。
だって、自分が運が悪い人、被害者になったほうが、周りからも仕方ないね、と思ってもらえますし、そう思ってもらえれば、自分の能力不足や至らなさを責められることなく、誰かのせいにできますから。
これって重要で、恐らく誰しもが失敗を自分の責任だと認めたくはないと思うのです。
たとえ結果として認めざるを得なかったとしてもです。
そして、私は究極的にはそれでいいと思っています。
もちろん、自分の失敗で他人に迷惑をかけることはよくないことだと思うので、そういう場合にはリカバリーを頑張らないといけないと思います。
失敗しても何の責任も取らず、周りのせいにばかりするというのはよくないことかもしれません。
ただ、だからと言って、失敗したことについて自分を責めすぎる必要はないと思います。
運が悪かったんだ、環境が悪かったんだ、だから条件が違う次はうまくいくはずだ、という思考は大切なのではないかと思います。
つまり、人生がすっぱいレモンを与えた時はもうそんなものだとあきらめてもいいけど、人生はすっぱいレモンばかり与えるわけではないよ、と考えることでしょうか。
すっぱいレモンを与えられる時はありますから、それで物事がうまくいかないのは仕方ないのです。
ただ、甘い桃が与えられている時もあるはずだから、その時に手を伸ばさないのはもったいなくて、少しでもいいので楽しみなさいよ、ということでしょうか。
ポジティブになれない時もある
逆境を楽しめと言うのは簡単ですが、当人にとっては苦しいのですから、そんなに簡単な話ではありません。
いつかはこの経験が役にたつとか、止まない雨はないとか、それはそうかもしれませんが、だから今が辛くなくなるかと言えばそんなことはありません。
そして、ポジティブシンキングをしようにもどうしようもないくらい追い詰められてしまう場合は人によってはあるのです。
だから、いつかはいいことあるよ、と言うのもまた勝手な話かもしれませんね。
追い詰められていそうな人が周りにいたら、ただ話を聞いてあげる、そしてその人自身を肯定してあげる、というのが大切な気がします。
そういう人にはレモネードの話をするのは逆効果かもしれないなと思います。
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