スカッとしたいのはなぜ?

 



 

以前にはそういうテレビ番組もやっていましたし、今ではYouTubeなんかでもそういうチャンネルがあると思うのですが、一度はピンチに陥ったり、理不尽を押し付けられたりしたりした人が、色々な機転を利かせたり、周りの人に助けられたりしながら、形勢逆転をしてやり返す、みたいなスカッとする話をご存じでしょうか。

個人的に、その手の番組やチャンネルを見て面白いと思わないのですよね。

中には、自分の実体験としていろいろとSNSに載せて、それに対してすっきりしますね、というコメントをしている人を見ることもあります。

でも私の印象では、そんな作り話に対してすっきりするもなにもないだろう、と思いますし、なによりも作られた話そのものがあまり面白くない、というようにも思います。



創作すぎる実体験



そんな人いるだろうか、というようなとんでもない人が出てくることが多いですが、現実問題として、そんな人いないだろうと思うのです。

もちろん世の中にはいろいろな人がいますし、まともな人ばかりではないと思いますし、中にはむかつく人も多くいますが、あまりに過剰に悪い人としてデコレーションされた人が出てくることが多いなと思ってしまうので、冷めてしまうのです。

勧善懲悪の世界観は分かりやすいですし、水戸黄門や戦隊ものもそういう構図ですから、それそのものが悪いわけでも何でもないと思うのですが、これは実際にあった話です、というように扱われると、そこには少し違和感を覚えるというのが正直なところです。

でも、そういう話を見て、ああすっきりすると思う人が確かにいるわけで、それについては少し不思議だなという気がします。

もしかすると、実は私のように、そんな人は現実にはいないだろうというのが難しく考えすぎで、あまり深く考えずに楽しめばいいのではないか、というのもあり得るのかもしれません。

むしろ、何をそんなに真剣になっているの、というとらえ方ですね。



なぜスカッが必要か



その一方で、よし理不尽な相手をやり込めたぞ、やったぞ、というように本当に思って見ている人がいるのだとしたら、それはいったいどういう思考回路なのだろうかと思ってしまうのです。 

もしかしたら、現実にはいろいろと抑圧されている人が、自分と主人公を重ね合わせて、疑似的にその抑圧を跳ね返した体験として楽しんでいるのでしょうか。

仮にそうだとしたら、それって少しかわいそうだなと思いますし、普段のその抑圧されているところからどうやって抜け出すか、逃げ出すか、というのをもっと考えてもいいのではないだろうかと思います。 

自分の疑似体験にしてしまっているのだとしたら、それはあまり精神衛生上よくない状況にすでに追い込まれてしまっているのではないだろうか、という印象を持ちますし、であれば現実世界でしっかりとその抑圧に対応しないといつまでたってもその抑圧からは抜けられないままになってしまうと思います。

さらに言えば、もしもこういうすっきりした経験を疑似体験できる話が人気になっているのだとしたら、それは現実に抑圧されている人が多く存在しており、救いを求めているのではないかと考えることもできます。

それは社会にとっては不健全だと思いますし、望ましいことでも決してないということを表しています。

ただ、なんだかちょっと日本社会や日本人そのものが自信を失ってしまっているというような状況なのかななんて思ってしまい、少し心配です。

 


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