流行語大賞



 

流行語大賞で、岸田総理を揶揄した「増税めがね」という言葉が選出されなかったことで、なぜだという声が出ているというニュースを読みました。

 

軽妙に世相を衝いた表現とニュアンスをもって、広く大衆の目・口・耳をにぎわせた新語・流行語を選出するのが流行語大賞の目的とのことですが、政治家という公人であったとしても、「増税めがね」というのは蔑称でしょうし、皮肉が効いているとも言えないただの悪口に近いものがあるのではないだろうかと思います。

 

例えば、政治家全体をさして、何かしらのブラックジョーク的意味合いを含んだ言葉があって、それが流行ったのに選出されないというのがおかしいというのであれば理解できますし、政治家が何か発言をしたその言葉自体が選出されないというのであればそれも理解できます。

 

そういう意味で、記憶にございません、なんて言葉は構わないと思います。

 

ただ、「増税めがね」というのは公人とはいえ個人を攻撃、あるいは馬鹿にする際に使われる言葉でしょうし、それは変なあだ名をつけて誰かをいじめるという構造と基本的には一緒だと思います。

 

増税を推進する構造的な問題であったり、国民のことに無関心な政治家や官僚の態度であったり、そういうことを揶揄する言葉であればいいのではないかと思いますが、あまりにも個人を蔑む言葉であると思います。

 



倫理面は大切




であるならば、例え流行したとしても、そういう言葉を流行語として選ぶこと自体が、倫理的に問題があるのではないかと個人的に思います。

 

流行ったら何でも流行語として選んでいい、ということでは決してないと思うからです。

 

もちろん、その流行語大賞の目的自体が、倫理観とかそういうのは関係なく、ただ流行した言葉を選びますというのであれば、選ばれないのはおかしいのかもしれませんが、例えそう明記されていなかったとしても、倫理的に問題がある言葉は選ばないようにしているのではないかと思います。

 

ですので、選考委員の方の、なぜ選ばれなかったのかという問いに対しての答えがまずい答え方をしたのではないかなという風に思います。

 

例えば、ある個人の外見的特徴を利用して、その個人を馬鹿にしたような言葉を流行語としてい選ぶことは、社会の中でそのようなことをしても許されるという誤解を与えかねないので選出しなかった、と答えればよかったのではないかと思います。

 

もしこれを社会的に良しとするのであれば、がり勉眼鏡、はげ男、胸ぺったんこ女子、などの名称を誰かにつけて呼ぶことも問題ないという誤解を生むかもしれません。

 

でも我々は社会生活において、人をそういう風に呼んではいけない、それはいじめである、それは差別である、というように考えて是正しようとしているのではないでしょうか。

 

忖度とか、権力にこびたとか、そういうことではなくて、ただ単にその言葉自体が持っている悪意や、その言葉をよしとする姿勢が、社会的に問題を引き起こす可能性があるのではないかということです。

 

国民生活のことをあまり気にしていないように見えたり、権力を利用して無理を推し進めようとしているように見えたりすること自体は問題だと思いますが、例えそうだからと言って悪口を流行語にする必要はどこにもないのではないかと思います。

 

思い返せば、とある新興宗教団体関連の言葉も、社会的には確実に流行りましたが、流行語には選ばれなかったなんてこともあった気がします。

 

私は、大前提として倫理面を重視するという考えを貫けばいいと思います。



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