仕事柄、誰かと誰か、どこかの部署とどこかの部署の間に挟まれることが多いのですが、そうなることでストレスも多くなってしまいがちです。
そりゃ、利害関係が一致しない関係者の間を取り持たなければならないというのは普通に考えて大変です。
どちらかが明らかに間違っているというのであれば、その点を指摘すれば、一応正しいと思われる選択肢の判断はしやすいですが、往々にして、どちらにも一定程度の正しい点があると思います。
私の場合は、その上で、互いの論点がどうなっていて、何を獲得しようとしていて、さらにどういう解決方法があるのか、というのを探ったうえで判断をしようとする傾向があります。
批判されることも
これは、人に言わせれば論理的な思考であり、また不確実な場面での意思決定力がない、というようになるようで、特に後者の場合は、自分の意思をもって判断をする経験をしてほしいというアドバイスをもらうこともあります。
そのアドバイスは確かにその通りで、所与の条件から、最適解を探そうとするアプローチは、お互いの顔を立てて波風を立てないようにするバランス重視の意思決定につながることはあるだろうなと思います。
その一方で、とは言われてもねえ、と思うのは、自分がどうしたいという強い意思がないということで、自分が悪者になる覚悟もないですし、何より権力もないという点です
本来、その強い意思を持っている人たちの間で議論をして、あーだこーだやりながら解決策を模索してくれればいいと思いますし、その上でどちらかが悪者になってしまうこともあるでしょう。
それでも自分の意思を元にそうなってしまうことにはある程度あきらめもつくと思います。
で、私にその強い意思とやらがなく、そもそも悪者にはできればなりたくないのが前提にあって、その上で間に挟まれる以上はどちらかか、あるいはどちらからも悪者にされる可能性があるわけです。
みんな、悪者にはなりたくない
やりあっている人や部署同士も、自分たちが悪者にはなりたくないから、間に入ってなんとかしてくれ、と言ってきているわけだろうと思います。
直接やりとりしてくれたら私が間に入る必要はないわけですから。
やり取りを色々とした結果として、私が悪者になるのは仕方がないですし、それで前向きに事が進むのであればそれでいいと思っていますが、それでもせめて納得した上で悪者になりたいと思うわけです。
だからこそ、あなたはこう言いますが、相手の立場に立ったらこう思っても不思議ではないですが、その点についてどうやったら説明できますか?というアプローチで、バランスを取ろうとするというのは傾向としてあると思います。
それつまり、どちらかが肩を持ってほしいと思っていた場合に、そうなっていないということですので、それについていい思いをされないというのは自然でしょう。
お前はどちらの味方なんだと言われることもありますが、自分に強い意思がない場合には、別にどちらの味方でもないですし、あくまでもなるべく中立の立場でいたいなと思っているのが正直なところです。
最終的な形としてどちらかに肩入れしていることはあると思いますけれども。
一つの提案
そんな私に、別のアドバイスをしてくれる人もいます。
こうもりになれと。
つまりはどちらにもいい顔をしておけ、ということで、そうしないと間に挟まれて潰れるだけだから、ということでした。
それはそれで一つの対応方法だと思いますし、そこから学べることも色々とあると思うのですが、一方で私は味方だと思われて、では相手方にうまいこと伝えておいてね、と言われるのはそれはそれで厄介だよなあと思いますので、こうもりにもなりたくないよな、とは思います。
うまくこうもりとして振る舞うには、もう一段、レベルアップした交渉術みたいなのを会得しないといけないのかもしれません。
物語の中のこうもりは、最終的に仲間外れにされましたからね。
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