サラリーマン増税をするのかしないのか、メディアで取り上げられたり、怒りの声がSNSで流れたり、岸田首相がサラリーマン増税を否定したりと、いろいろと起きています。
サラリーマン増税というと、サラリーマン狙い撃ちという印象を強く持ちますので、現役サラリーマンとしてはなんで自分たちだけが、という思いも持ちやすいのだと思います。
そういう意味ではその言葉を創り出して注目を集めさせたメディアの影響というものも大きかったのでしょう。
実際に、通勤費補助や退職金など、サラリーマンが優遇されているのかどうか、また誰と比べて優遇されているのかどうかというのははっきりとはわかりません。
それこそよく言う、議員はどうなんだとか、自営業者はどうなんだ、ということを検証したとして、じゃあ公平な税負担になるようにしましょうね、というのもほぼ無理でしょうから。
増税は悪ではない
そもそもが、以前にもそんなブログを書いたような気がしますが、増税すること自体が悪なわけではないと思います。
もちろん、なるべく税負担を公平にしてほしいとは思いますが、それが難しいことも良く分かります。
実行するかどうかは別として、案として色々な考えを持っておくということ自体も決して悪くないと思います。
しかしながら一番の要因は、増税をすることで得た税収を活用して、なにかしら社会の課題が解決されて良くなるとか、そこで暮らしている人が希望を持てるようになるとか、そういうポジティブな事象が起きる、あるいはそれを起こすことを目指している、ということが分からないまま、ただ負担が増えることが嫌な人が多いのだと思います。
誰だって負担は軽い方がいいと思っているでしょうけれども、それによってこんなにいいことが待っているんです、ということが説明できるのであれば、負担と結果を天秤にかけて、それなら納得できるかもしれない、それでも納得ができないという議論も生まれますが、そうなっていないのは政府が説明不足だからというのに尽きると思います。
分かりやすくここでこんな効果が上がっているとか、こんな良いことが起きそうな気配があるとか、そういう目に見えやすい形で説明ができるといいのでしょうけれども、そういうのがどうやれば分かりやすく説明できるのか、私は実情を知らないので何とも言えません。
説明はして欲しい
まあどんな説明をしたとしても不満を言う人は必ず出ますし、我々自身が今享受している生活は当然のものとして受け止めがちで、身の回りのものに税金が活用されているのだということも忘れがちですから、政府だけを責めるのもお門違いなのかもしれませんけれども、例えそうだったとしてもそれで政府の説明責任がなくなるということにはなりません。
後は所得水神がなかなか上がってこない中で、支出だけが増えそうという印象を持ってしまうのも不満が出る要因でしょうね。
仮に所得水準なり手取りが100上がっていれば、増税で支出が10増えたとしてもまあ許容できるかなと考える人はそれなりにいると思います。
日本経済が長引くデフレの影響もあってなかなか所得水準が上がってこない中、政府は上げるという話をしているけれど実感としてはなかなか感じられず、それなのに増税するという話になると、結局支出しか増えないじゃないかということで不満を持つ人が出やすくなるのも自然なことです。
先ほど、増税分を活用してなにか社会にいい影響を与えますという説明はした方がいいということを述べましたが、たとえそうしたとしても、そもそもがそのいい影響というのは自分にとってのいいことなのかどうか、自分はただ負担が増えるだけで利益を享受するのは別の人なのではないか、そんな増税は嫌だ、という思考回路にもなりやすいので、そもそも負担感をあまり感じさせないというのが理想なのでしょう。
まあ、あくまでも理想であって、実際にはそんな簡単なことではないというのが私も良く分かります。
そんなことが簡単に実現可能なのであれば、すでに理論として確立されているでしょうし、あらゆる国がそれを導入していてもおかしくないですからね。
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