最近またハラスメント行為が話題になっていますね。
最近というか、ずっとかもしれませんけれども。
ハラスメントだけではなくて、そもそものモラルの問題と言ってもいいかもしれません。
言う人に言わせれば、世の中がまともになってきたということかもしれませんし、また別の人に言わせれば窮屈な世の中になってきた、ということなのでしょう。
時代が変われば価値観が変わり、価値観が変わればある特定行動の是非が変わるというのは当然と言えるかもしれません。
人間が文化的な生活を送るようになってきて以降、ずっとそういう流れはあったのでしょう。
年上の方と話す際に、自分が若かりし頃はこんなことも平気でまかり通っていたのが、今では問題行動だと言われてしまう、というような話題になるという経験はほぼすべての人があるのではないでしょうか。
想像するに、私が年上の人と話すときだけではなく、その年上の人がさらに年上の人と話す際にも同じような話題で話していたのではないかと思います。
変えにくい価値観
ただし、自分が当たり前と思って過ごしてきた価値観ってなかなか変えられないのも事実だと思います。
世の中では価値観が変わってきていたとしても、自分の世界、自分の周りでは同じ価値観が存在し続けるというように考えてしまうということもあり得るのではないでしょうか。
我々が普段生きている際にも、アメリカではそうかもしれないけれど、とか、ヨーロッパではそうかもしれないけれど、という枕詞を使うことがあると思います。
要するに、他の場所では違うかもしれないけれど、自分が生きている日本ではこうだ、という主張につながるわけですが、これこそが自分の世界、自分の周りでは同じ価値観が存在し続けると考えている証拠でもあります。
もちろん、日本では確かに価値観が変わっていないのかもしれませんが、そんな日本の中でも何らかの価値観の変化はあって当然でしょうし、自分の周りでは変わっていなくても、ちょっとコミュニティの外に行けば変わり始めつつあるなんてこともあり得るわけです。
視野狭窄のリスク
結局、日本の津々浦々を調べ周って確かめることなんてできませんので、悪魔の照明なのかもしれませんが、我々自身の傾向として、自分の周りには同じ価値観が存在し続けると考えてしまうのかもしれません。
特に、周りに影響力のある人は、周りが自分や自分の価値観に従ってくれる可能性が高いわけですので、世の中の価値観が変化していてもそれに気づきにくい、あるいは自分の周りの価値観は変わっていない、と思ってしまいがちなのかもしれません。
そうではないことをアドバイスしてくれる人がいればいいですが、そうでないと残念ながら裸の王様になってしまうのでしょうね。
かくいう私も、別に社会的なトレンドを追っているわけではありませんし、ネットで記事を見るとしても、どんな記事が表示されるかは私がこれまでに閲覧した記事のジャンルや傾向を元にしているでしょうから、オープンな目線で世の中のことを知ろうとしているつもりが、知らず知らずのうちに偏った価値観が形成されているのかもしれません。
そういうのを避ける意味では、思い切って価値観の違う環境に身を置いてみるということは有効なのでしょうね。
海外旅行をするというのもそういう意味ではありなのだと思います。
母国では有名なミュージシャンが、日本に来てみたら公共交通機関に乗っていても誰からも気づかれない、なんて経験をする、なんていうのも、いったい自分が何様だと思っているんだという感じですが、いい経験ではあるのではないでしょうか。
井の中の蛙、大海を知らず、ですね。
偉そうなことを言っていますが、私は私で、自分の世界、価値観に閉じこもっているような気がしますね。
もちろん、新しい世界を経験してみようという思いはありますが、結構しんどいのも確かです。
反省です。
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