ミドル層の苦悩と見栄




再雇用や出向後も、昔の肩書に縛られるミドル層がいる、という記事を読みました。

 

まあ、いる、ということであれば一人でもいればいると言えるわけですので、多くの人はそんなことはしていないものとは考えていますが、私の両親の話を聞いていても、確かにそういう方はいる、みたいですね。



こんな人


 


具体的には、すでに退職した前職時代の肩書の入った名刺を持ち歩いていてそれを配る、とか、あるいはわざわざ名刺を作成して、元、と但し書きをした上で配っている、とか、自己紹介の際に以前はどこそこで部長をしていました、と言うとか、そういう感じです。

 

新しい会社に再雇用で入った後も、前職時代の名刺を配るだなんていう話も記事にはありました。

 

そういうのを聞くと、まだまだ将来がある若い世代は、老害、恥ずかしい行動、などと感じるのかもしれません。

 

私も、こういう話を聞くと恥ずかしいと思いますし、私自身別にプライベートでこういう役職ですとか自己紹介しないですし、確かにやりすぎだよなと思います。



自分は大丈夫?


 

ただ、いざ自分がセミリタイアなり定年なりで退職した後に、自分としてのアイデンティティをどう持つのかを考えると、気持ちとしてわからなくもないかな、と思います。

 

要するに、長年、どこどこの誰誰ですっと、会社名を所属先として自己紹介をしていた人たちが、ある時その所属先がなくなってしまう、あるいはその所属先が持つ名前の効果がなくなってしまう環境に放り出されたときに、自分が何者だったのかが分からなくなる感覚、ある種の寂しさみたいなのがあるのかな、と思うのです。

 

例えばある企業、そしてそれが大企業であった場合には、自己紹介をどこかの場でするときには、どこどこ会社のどの部署のこの役職の誰誰です、という自己紹介をするのが普通なわけです。

 

そして、それを繰り返すことで、それが自分なんだという意識が刷り込まれていくのだと思うのですが、それがある瞬間になくなってしまうわけです。

 

そして考える。

 

あれ、自分て何なんだっけ?

 

なんだかんだいっても、どこかのコミュニティに所属しておきたいと思う人が多いのではないかと思いますし、もしもかつて自分が誇れる組織に所属していた経験があったなら、それを主張したくなる気持ちもまあ分からなくもないなとは思います。

 

誇れる会社、誇れる役職なら自然と言いたくもなるでしょうし。その気持ちまでは否定はできません。

 

もちろん、そういう主張をする人は滑稽だとは思いますけれども、自分のことを考えると、あまり簡単に馬鹿にしてもいけないかもな、とも思います。

 

実際に、再雇用になった後も、会社で以前までの職位についているかのようにふるまってしまう人というのは、意外と身の回りにいるのではないかと思いますし、私もそうなる可能性は十分にあります。

 

逆に言うと、その他に何か自分の自己紹介になるようなこと、自分が知ってほしいこと、誇れること、そういうものを仕事以外にもきちんと持っておく、というのが人生を豊かにするためには必要だということなのでしょうね。

 

そうすれば、仕事に関わる経歴に固執することもなくなるのではないかと思います。

 

 

 


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