実際には、もっとバリューを生む仕事と言われますが。
なんで英単語を使うのでしょうか。
まあ、同じ給料を払うならより価値を生んでくれた方が会社はありがたいでしょうし、会社の論理はそうなのだと思います。
雇われている側からしたら、なら給料を上げてくれということも言えるはずだと思いますが。
さて、そんなことを言う人は、やらなきゃならないのはわかるがバリューを生まない仕事はあまりやりたくないとも言います。
でも私は思うのです。
バリューを生まない仕事はなくせる仕事だから、やらなきゃならない以上、その仕事からなにかしらのバリューは生まれているはずです。
もう少し考えてみると、やりようによっては10が100にも200にもなる仕事はあるでしょうし、どう頑張っても10にしかならない仕事もあると思いますので、前者をバリューを生む仕事と呼ぶことはできるかもしれません。
それでも私は思うのです。
みんながみんな、そのバリューを生む仕事とやらが得意なわけじゃないのてはないですか?と。
もちろんやる気も能力もしっかりある人はできるのだと思いますが、みんながみんなそうでもないですし。
10にしかならない仕事をきっちり10で仕上げることが得意な人もいるでしょうし、それが必ずやらないといけない仕事なら十分な働きでしょう。
もっとバリューを生む仕事をしなさいという人は、そういう10にしかならない仕事やその仕事をしている人を軽視しすぎているのではないでしょうか?
みんながみんな、バリューを生む仕事が得意ならいいですが、そんなことはありえません。
特に私みたいにそこそこ働くのでいいよ、早くセミリタイアがしたいなんて思っている人間は、バリューなんてそんな生めないですよ。。。
申し訳ないですが。



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