同和教育を受けてきていたり、貧困問題を扱うドキュメンタリーをよく見ていたたりしたからかもしれません。
たまたま生まれた場所や環境によって未来が決められてしまうことに、強烈な違和感を感じていました。
だから、私は、弱者をサポートし、世の中の底上げをすることに貢献したい、という思いがありました。
学生時代の私は、そのためには、活動資金としてのお金が自前で必要で、お金のためにはビジネスで成功するのが1番だと、考え、まずはビジネスを学ぶために就職するのはありだろうと思ったわけです。
転機
そういう思いを持っていた私なので、ホームレス支援活動などにも参加したわけです。
その際に、支援してもらっても感謝の言葉も述べないホームレスの人がいることを体験しました。
確かに、別に感謝の言葉を述べる必要はありません。
でも、支援してもらうことが当たり前だと思っている人もいるのだな、ということを感じたわけです。
私の思考回路は、ホームレスの人はその環境を抜け出したくて頑張っている、その中で支援を受けている、だから支援はありがたいものであるはずだというものでした。
支援は今の環境を抜け出すための一時的な支援と考えていたと言ってもいいかもしれません。だからこそ、お礼を言ってもらいたいなという思考につながったのでしょうね。
でも実際には、支援は所与のもの、今の生活を続けていくためのものと考えているホームレスの人もいるのだなと気づいたわけです。
一方で、私も、支援したお礼を言って欲しくてやっているのだろうかと、自分の動機に疑問をもったわけです。
そして、それを全て受け入れられないと、支援活動に人生をかけるのは難しいぞと。
今の私
今、私は支援活動そのものに人生をかけようとは思わなくなりました。そこまでいい人ではないです。。
ただし、スーパーの帰り道などに見かけたホームレスの人に食物や飲料をさっと渡すことを続けています。(そういう地域に住んでいます)
私の支援はホームレスの人たちの環境を変えるもの、根本的な解決ではなく、ただの一時しのぎです。
お礼を言ってもらわなくても構いません。
それでも少しでも幸せを感じる人生になってくれていたらいいなと思っています。
まあ、自己満足ですね。



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