日本が誇る野球スターのイチローさんの、「がんばれない日があるみんな」へ贈る言葉が少し話題になっているのを見ました。
私の理解では、常時自分の100%の力を出すことのできる人なんてのはいないのだからそうする必要はないのだけれども、仮に50%しか出せない日があっても、その50%は全力で出しなさい、45%でいいやという風にはするな、という言葉です。
最高のパフォーマンスでなくてもいいが、最善のパフォーマンスは出しましょう、ということでしょうか。
重みがある
いいことを言っているという評価の声を多く目にしましたし、さすが一流の人の言うことだなとも思いましたが、実際に自分の生き方に照らし合わせると、実際にそう振る舞うのは結構難しいなというようにも思いました。
要するに私の場合、今日は50%の力しかだせないから、思い切って休んでしまって明日頑張ろう、というように過ごすことはあるなと思うのです。
確かに、今できる範囲のことをやろうとか、できる限りのことはやろう、というように過ごすことはあります。
しかし、無理しすぎることはないとあきらめることも多くある気がします。
恐らくイチローさんの言っているのは、最善の50%以上に無理をしなくていい、ということではあると思います。
それに対して、ちょっとわかりにくい言い方かもしれませんが、実はその最善の50%を出すことが無理をしているように感じることがあるのかなとも思います。
そういう意味で、結構厳しい言葉のようにも感じてしまいます。
もちろん、イチローさんに言わせれば、そういう時は30%があなたの最善なんだよ、50%を出そうと無理をすることはない、ということかもしれませんので、そうであれば優しい言葉であるとも捉えられるかもしれません。
心構えが違う
ただ、心構えみたいなのはやっぱり自分の場合はちょっと違うのかなと思います。
イチローさんは、上記の場合であっても、自分は最善まで頑張れているだろうかを自問しているでしょうから、まさに最善を尽くそうとしているわけです。
そう考えると、自分の心構えは最善まで頑張れなくても仕方ないじゃないか、という心構えのように思いますし、そういやそもそも普段から100%の力を出そうなんてことを思っていないかもな、とも思います。
だって、できれば楽して暮らしたいな、感じるストレスは少なく過ごしたいな、って思っているわけですからね。
特にやらなければならない仕事がなければ仕事をしないことだってあるわけです。
これもイチローさんの言っているのは、もしかしたら、やらなければならないことがあれば0%でいいという解釈をしてもいいのかな、と感じますが、イチローさんはそういうことを意図したわけではないのではないかと思います。
恐らくイチローさんなら、やらなければならいことがない、そんなことが本当にありますか、という思考なのではないでしょうか。
基本思想として、イチローさんは、さぼってはいけない、と思っているのではないかと思うのです。
そう考えると、当然ではありますが、そもそも私の思考回路がイチローさんとは全く違うという話で、自分の都合のいいように勝手に解釈するな、ということですね。
大変失礼いたしました。
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