権利か義務か

 



子育てをしていると、力という点において、いかに大人が強い存在で、いかに子どもが弱い存在かということが良く分かります。

 

いわゆる物理的な体力ということだけではなく、経済力やらなんやらを含めた力が勝っていますので、どこかの中古車販売会社ではないですが、大人が子どもの生殺与奪権を握っている、と言っても本当に過言ではないと思います。

 

大人がその気になれば、子どもを虐待するなんてことは、何の苦労もいらないのです。

 

全くもって、恐ろしい話です。



力があるから守る


 

生殺与奪権を握っているということで、大人の思いのままだと思ってしまうと恐ろしい話なのですが、生殺与奪権を握っているからこそ、大人が守ってやらないといけないんだ、という思いを持つこともできますし、恐らく後者の思いを持っている人が大多数なのではないかという気はします。

 

ただあくまでも大多数ですので、例えば少年兵の問題なんかは大人の思いのままに子どもを使ってしまっているということですし、残念ながら大人全員がそうではないということでしょう。

 

私も子どもはかわいいと思いますが、別に何でも受け入れられるわけでもないですし、常に心穏やかにいられるかというとそういうわけではありません。

 

それでもふとした瞬間に、子どもらしいかわいらしさというか、言葉を選ばなければアホかわいい一面を感じて、ふと心が緩む瞬間があります。



世界の中心にいる

 


自分の子ども以外にも、甥っ子や姪っ子などの何人かの子どもを見てきて思うのですが、2歳くらいの彼ら・彼女らは、彼ら・彼女らが中心の世界で生きているので、感覚そのものが、彼ら・彼女らがどうかなのです。

 

例えばですが、かくれんぼをしているとして、彼ら・彼女らが隠れていて外の様子が見えなければ、当然に外からも彼らは完全に隠れられているのではないかと考えているように思えます。

 

例え、隠れているところから顔を出して、一度見られたとしたら、大人であればそこにいることがばれたというように考えますが、彼ら・彼女らはもう一度隠れさえすれば、引き続き完全にばれずに隠れられていると考えるのだろうなという印象を受けます。

 

だからこそ、大人が、あれ、また姿が消えちゃった、みたいなことを言いながら遊ぶことができるわけです。

 

そういう姿って全くもって合理的ではないのですが、それがまた子どもをかわいく感じる点でもあります。

 

ある種、究極的に純粋であるということも言えるのではないか、と思いますし、子どもに対してその認識は違うよ、というのも無粋かなと思います。

 

これがもう少し大きくなってくると生意気にもなりますし、手加減なしでたたかれるなんてこともあるでしょうから、イラっと来ることもたくさんあると思いますが、生殺与奪権を握っているのだとしたら、それはその権利があるということではなくて、だからこその義務があるのだというように考えるようにしたいなと思います。


 


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