夏の甲子園高校野球大会も佳境になってまいりました。
ほぼ試合は観ていないですし、どこかを応援しているわけでもありませんが、風物詩としてはとても気になります。
観ていない理由は、ここ数年、高校野球を見てもそれほど面白いと思わなくなってしまったからというものがあります。
ストーリーだけでは
甲子園特番のような番組では、チームごとのストーリーや友情物語などを見せてくれていると思いますし、そういうのはある種のドラマとしては非常に面白いものであるとは思いますが、そもそものスポーツとしてのレベルを考えた際に、当然ながらプロ野球とはレベルが違う試合になります。
今では、プロ野球の試合も毎試合のようにテレビやWEBで見ることができるようになっていますので、そのレベルに慣れすぎてしまった結果、高校野球を見ると甲子園大会であったとしてもレベルの違いが気になって、純粋に楽しんで観ることができなくなってしまっているような気がします。
私の子どものころはあまり夕方以降のテレビを観させてもらえませんでしたので、プロ野球中継も観る機会は少なかったですし、むしろラジオ中継を聞いていましたので、視覚的にプロの競技レベルの高さをあまり知らないまま、高校野球はテレビで楽しんで観戦していました。
実際に初めてスタジアムでプロの試合を観たのはもう20歳を超えていたと思いますが、そのときにはプロのレベルの高さに恐れおののいたのを今でも記憶しています。
あの選手は守備が下手だ、肩が弱いという評価が世間でされている選手でも、実際のプレーを目の前にすると、そのレベルの高さが異次元であると感じられたのです。
そして、時が過ぎ、今では試合があればプロのプレーが簡単に観られるようになりまして、そういうのに目が慣れてしまった結果、高校野球ではどうしてもスポーツとしてはそこまで面白くないのではないか、という風に思ってしまうようになりました。
楽しみが減る
これは私にとって非常によろしくないことだと思います。
人生における楽しみが一つ少なくなってしまったのと同じだからです。
実際に、高校野球とはいえ、私がプレーするよりもはるかに高いレベルでの全力プレーが繰り広げられており、技術云々ではない根性で可能になっているプレーなんかもあって面白いはずなのに、それが楽しめなくなってしまっているのです。
高いレベルを観ることに慣れてしまったと言えばそれまでですが、これはつまりよく言われる、生活レベルを下げるのはなかなか簡単ではない、というのにもつながっているのかもしれません。
カウンターでお寿司を出してくれるところばかりに行ってしまうと、回転寿司やスーパーでのパック寿司の質では満足できないとか、そういうのと同じようなことが起きてしまっているのかもしれないなと思います。
まあ、別にいいお寿司屋さんに行っているわけではないですが、そもそもスーパーで買えるパック寿司がおいしいかどうかというのは判断が難しいところかもしれないなとは思いますけれども。
それでもおいしいと思えればその分幸せを感じる可能性が広がるわけですからね。
小さいことに幸せを感じられればられるほど、人生は豊かになるのではないかと思います。
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