自分の人生にとっての幸せの価値観をどこに置くのかというのはなかなか難しい問題です。
というか、なにかが満たされれば、必ず何か別のものを満たしたいと思うのが、煩悩を持った人間の性なのかなと思いますので、結局のところ、幸せの価値観なんてものは固定できないのではないかとすら思ってしまいます。
ある特定の時期にある幸せの価値観によって満たされる、というのはあり得るでしょうが、それが恒常的になるかどうかというのはまた違った問題かなと思います。
私の場合
例えば、私が30代前半の際は、お金はいいからとにかく旅行に行きたいと思った時期があり、それこそ毎週のようにどこかに出かけていました。
本当に毎週だったですし、時間と経験はお金で買ってしまえの精神でしたので、貧乏旅行とはいかずに、ホテル代はなるべく節約していたかなくらいでしたので、残念ながらお金はたまりませんでした。
ただそれがとても幸せでしたし、来週はどこに行こう、その次はどこに行こう、なんてことを考えることもまた幸せでした。
今でももしかしたら、そうやってお金を使うことで幸せを感じられるのかもしれないなと思うのですが、残念ながら体力的に持たないような気がしますし、お金も貯めたいなという欲が出てきています。
楽しいことをやっているようでも、体力は使うんですよね、旅行って。
今、お金を貯めたいのは、早くセミリタイアをして、ストレスが軽い仕事をしながら人生を過ごしたいからですが、なぜそれがしたいのかというと、仕事で受けるストレスによって自分が不幸だと感じたからです。
仕事のストレスから解放されれば幸せになるのではないか、という思いがあるからこそ、そういう考えを持っているのが今です。
今、旅行をたくさんすることで、確かに幸福感を感じられるかもしれませんが、その一方でお金を消費することに対しては、幸福感を感じないのではないかと思いますし、総合的に見れば、お金を使いすぎると幸福感はむしろ低くなるような気はします。
たまに旅行する分には問題ありませんし、そうしたいとは思っていますが。
ちょっと待てよ?
はてさて、そうするとなのですが、いざセミリタイアをした際に、私は恒常的に幸福感を感じられるのだろうか、ということがふと不安として頭によぎります。
もしかして、いざセミリタイアをしたら、旅行がもっとしたい、とか、おいしいものが食べたい、とか、そういう欲が出てきてしまうのではないだろうか、という不安です。
まあ、皆さんそういう感情と普段からうまく付き合っておられるのでしょうけれども、何かが満たされると、別の何かを満たしたくなる、ということはあり得る話だなと、ちょっと考えさせられます。
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