ロシアとウクライナの間での軍事衝突が始まってから長らくの月日が経ちましたが、まだまだ一向に収まる気配はありません。
ロシアとウクライナの話は比較的ニュースでも取り上げられますが、南スーダンで起きていた内戦の話は現状がどうなっているのか含めて、日本ではあまり報道がありません。
例えば南米でロシアとウクライナの話がどういうようにどの程度報道されて人々の興味関心をどの程度引いているのかは分かりませんが、場所が変わればその分当然に、捉え方の強弱も変わってくるということを残酷に証明しているのだろうと思います。
全部に興味を持ってられない
自分に関係のないことは関係ないし興味はない、というのが個人レベルでも、国家レベルでも存在しているのでしょう。
他国に援助の資金を拠出するくらいならそのお金を自国のために使ってくれという意見はある種当然と言えば当然の面はあるでしょう。
国際機関は存在して、そこで頑張っている方々もいるのでしょうけれども、残念ながら国際的な大きなうねりを生み出すまで行かず、国家間の利害関係に翻弄されている、というのが現状かもしれません。
特に著名な国際機関の場合は、複数国家から運営資金をもらっていますので、否応なく、国家間の利害関係に翻弄されるというのはあるのかもしれません。
目を引く言葉遣い
さて、そんなロシアとウクライナのニュースを見ていますと、ミサイル攻撃によって子どもを含む何人が攻撃を受けた、というようなタイトルが用いられることがあります。
当然に、子どもが攻撃されたとなるとなんてひどいことをという印象を持つのですが、そもそも戦争において民間人を攻撃してはいけないので、そこに子どもも大人も関係ないのです。
いえ、さらにそもそもにおいて、侵略戦争は国際法で禁じられていますので、侵略のために他国にミサイルを撃ち込むこと自体が禁止されています。
もっと言うなら、記憶間違いでなければ、どこかの国が侵略された場合、国連軍が組織されて侵略国相手に戦うという規定があるはずで、もしも今回の衝突が侵略に規定されるならなぜ国連軍が出てこないんだという話になりますが、それは安全保障理事会やその常任理事国の組み合わせによる機能不全といったところなのでしょうね。
今回の件においては意味のない組織ですね、って感じです。
その上でですが、記事内に、子どもを含むという言葉を入れることでより残酷感が増すのは否めない反面、別に子どもが巻き込まれなければいいという話では決してありません。
大人だって巻き込んではいけないのです。
であれば、民間人がという言葉で代替すればいいのにな、と思いますが、記事は見てもらってなんぼですから、より強力なインパクトを与えるような言葉遣いが好まれる、ということでしょうか。
不思議だなとは思いますが、仕方ないのでしょうね。
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